【作者の自衛策】著作権法だけじゃ守れない ~盗作パクりからIP規約を自作してみた~
怨恨滴る恨み節を、建設的方向に捻じ曲げてみた。
→個人クリエイターが自分でIP規約を書いてみた
※日間完結済み1位ありがとうございます(2026/06/11)
ネット小説投稿サイトの「あらすじ欄」に、時々コピーライト表記の入った作品がある。
私がなろうなど、投稿サイトに作品を出しはじめたのは、2021年10月のこと。
その頃から、ランクインしている作品のキャプションに、© から始まる一文を添えている書き手を、ぽつぽつと見かけていた。
「©」
即ち、コピーライト。
作品の著作権の明記だ。
正直、最初は首を傾げていた。
わざわざ毎回、作品ごとに入れるものだろうか。大げさじゃないか。
それ書かなくても著作権法は作品に適用されるのに、なぜ……?
そう思っていた。
その認識が180度変わったのは、自分が盗作パクりの被害に遭ってからだ。
なろうミーム化していない——つまり、創作界隈やジャンルの共有財産にはなっていない、私が固有に作り上げた要素を無断で使われた。
特徴的なシチュエーション。
作品固有の思想。
オリジナル性の強い固有名詞。
そのとき、ようやくわかった。
コピーライト、必要だ。絶対に。
少し昔の話をする。
私がインターネットに参入したのは1999年。
あの歴史的なアメリカ、Apple社のコロンとしたフォルムの箱型iMacの二代目が販売された頃。ちなみに私の初Macのカラーはグレープだった。
個人サイトが創作の主戦場だった時代から、この世界を見てきた人間だ。
今なら「インターネット老人会会員」と揶揄されるものだが、あいにく、老人と呼ばれるにはまだまだ早い年齢なので称号は遠慮したい。
ネット上での作品盗用をめぐる出来事すべてを網羅しているとは言わないが、それなりに「生き証人」を自負している。
あの頃の創作界隈には、ひとつの暗黙のルールがあった。
他人の作風やアイデア、印象的な文章フレーズを使いたいとき、
元の作者に許可を取るか、取らないか。
そこで人が分かれていた。
今なら民度と言うだろうか。人の質だ。
少なくとも「許可を取るべきものだ」「取るほうが好ましい」という意識は、共有されていたように思う。
掲示板やチャットで「使わせてください」とやりとりする光景は、珍しくなかった。
ところが小説投稿サイトに来てみて、私はある印象を持った。
元の作者に許可を取る、あるいは一言報告する——その文化が、ずいぶん乏しい。
もちろん全員がそうだとは言わない。
コメント欄やSNSでそのやりとりが成されている作品も見ている。
だが、個人サイト時代と比べたときの落差は、私には無視できないものに見えた。
借りる側が「借りている」と認識していない。
報告という発想自体が、希薄になっている。
この変化への危機感が、このエッセイを書く動機のひとつだ。
そして、もうひとつの危機感はこれだ。
『一般的な著作権法だけでは、自分の作品を守れない』
構造的にもそうだし、自分の問題としても深刻な危機を感じた。
――著作権法が保護するのは「表現」であって「アイデア」ではない。
……わかってる。
――世界観の骨格、設定の発想、キャラクターの概念。こうした「作品の核」にあたる部分は、法律の保護が及びにくい。
一字一句の丸写しでなければ、多くの場合「セーフ」になってしまう。
……もちろん、理解している。
投稿サイトには、それを承知の上でグレーゾーンを突いてくる動きがある。
そして生成AIの登場で、状況はさらに複雑になった。
待っていても、誰かがルールを作ってくれるわけではない。
これは私自身のためと、同じ苛立ちを抱える書き手の参考として、まとめておくべき問題だ、と思った。
私は創作とは別に、会社を持って、いくつか事業をやっている。
商品やサービスを世に出すとき、顧問弁護士に利用規約を作らせる。当たり前の話だ。
ビジネスでは、何が許されて何が許されないかを、こちらから明文化しておくのが基本になる。
曖昧にしておくと必ずトラブルになるから、予防策でもある。
ふと思った。
――これ、創作にも応用できるんじゃないか?
著作権法という「既製のルール」に守られるのを待つのではなく、自分の作品群に対して、自分でルールを設計する。
事業でやっていることを、そのまま創作IPに持ち込むと、この盗作パクり問題にどう対応できるのか?
それで作ってみた。
自作の全作品に適用するIP保護規約を。
元々の、弁護士に細部まで漏れなく作らせた商品サービス規約を下敷きに、最低限「創作の作品発表の場(この場合は小説投稿サイト)」に必要なエッセンスを、コンパクトに。
この作業にはさすがにAIが便利だった。
作成と内容精査にはChatGPT 5.5とClaude 4.8を用いた。
全文は本作品内の次ページに掲示しているので、ここでは要点だけ紹介する。
【適用範囲を「名義」で括った】
小説だけでなく、楽曲・イラスト・映像・キャラクター・グッズまで、自分の名義で発表する全作品を、ひとつの規約でカバーする。
作品ごとにバラバラに考えるのではなく、「この名義の創作物すべて」という単位で守る。
IP展開を前提にするなら、この括り方が要る。
【遡及効を入れた】
規約の告知より前に発表した作品にも適用する、と明記した。
規約を作る前の過去作だけ無防備、という穴を作らないためだ。
【AI学習利用に踏み込んだ】
「意図的に」生成AIの学習データとして使うこと、AIによる類似作品生成への利用を、禁止事項に入れた。
現状の著作権法ではここがいちばん曖昧なので、自分の規約で先に立場を表明しておく。
生成AIがネットをクロールして収集したデータまでは関与しない、とのスタンスも暗に示している。
【準拠法と管轄を書いた】
日本法に準拠し、紛争は東京地裁を第一審の専属的合意管轄とする。
事業の規約なら必ず入れる項目だ。
創作の規約にも、本気で書くなら入れておく。
私は現時点で東京在住なので、東京地方裁判所になる。
事業の規約をそのまま流用したわけではない。
だが「どういう項目を立てるべきか」という骨格は、本業の経験がそのまま生きた。
ネット小説界隈も、テンプレとパクりとモラルがごっちゃなのは、さすがにそろそろ整理するべきではないか。
「テンプレ文化だから」という言葉が、何でもかんでも正当化する盾になるのも、程度問題ではないかと。
確かにテンプレはジャンルの共有財産だ。それを使うのはパクりではない。
だが、テンプレではないもの——
界隈でミーム化しておらず、誰かが固有に作った設定や固有名詞や世界観の核まで、その盾の下で持っていかれるのは、まったく別の話だ。
そして、誰もそれを大きな声では言わない。
言えば「証明できるの?」で終わる。
私もSNSでこの意見を発信して嘲笑されたことは何度もある。
法律が、今度は相手の盾になる。
だから問題は可視化されないまま、静かに蓄積していく。
被害者の恨みや怒りも晴れない。
ルールがないなら、まず個人が、自分の領域にルールを引くしかない。
それが集まれば、いずれ界隈全体の規範になっていくかもしれない。
少なくとも「ここの作品には明文化されたルールがある」と示すことには、意味があると考えた。
法律が追いついていないなら、クリエイターの側が先に書く。
かつて個人サイトの時代に、許可を取り合う良識的な文化があったように。
あれは誰かに強制されたルールではなく、創作する側が自分たちで作った規範であり、自発的な行動だった。
もう一度、書く側からルールを引き直す時期に来ているのだと思う。
完璧な規約だとは思っていない。
法的効力がどこまであるかも、ケースによるだろう。
それでも、「この作品には作者がいて、作者が明示したルールがある」と示すこと自体に、姿勢としての意味があると思っている。
2021年に「こんなの書く必要ある?」と首を傾げていた私は、いま、自分の全作品にコピーライトを入れている。
あの書き手たちは、たぶん私より先に、不快感や危機感を覚えた人たちだ。
規約の全文は、本作品の次ページに掲示した。
同じ危機感を持つ書き手がいたら、覗いてみてほしい。
そのまま使う必要はない。
自分の創作に合わせて、自分のルールを書けばいい。
待っていても、私は自分の被害が救われると思えなかった。
だから、まず自分で先にここへ書いた。
なお、私が経験した盗作パクられはすべて、
一言、断ってもらえば、「いいですよ~」と軽くお答えしただろうものばかりだ。
(「巻末に簡単に参照元を明記してくれたら嬉しい」ぐらいはお願いしたかもだが)
それだけだったのだが、それすらなく一方的に奪われたと感じた、私の側の感情は随分拗れた。
ちなみにこの件は、以前SNSで同じ商業作家たちから複数の意見を頂戴した。
同じ経験がある作家、同情する作家、著作権法による盗作パクりの適用範囲を説明してくる作家、「そんなの関わってないで次書け、次!」と叱咤激励する作家などさまざまで、感謝しかない。
が、生憎と私はビジネス経験を通じて、弁護士の使いかたを知っているんである。
その感触と経験から、私は「著作権法の範囲外だから諦める」方針は取らないと決めた。
次に盗作パクられをした場合の対応マニュアルもすでにまとめてある。
本エッセイはその後、我に返って、
「ヤバいわ……ネガティブ感情が肥大化する前に建設的な方向に一度まとめておこ」
と体裁を繕ったものであることを付記しておく。




