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su+pi

掲載日:2026/04/29

 拓先輩の周りで、おかしなことが起きている。

 今週だけで、七回。


 シフト表が風もないのに落ちた。皿を二枚割った。コーヒーを自分の手の甲にこぼした。バックヤードでつまずいた。「ちょっと頭痛い」と呟いた。心なしか口数が少ない。あと、今日のシャツが、青い。

 青はね、淨化の色なんですよ。本人が無意識に選んでるってことは、本人の靈魂が「整えてくれ」って訴えてるんですよ。

 これはもう、視えないなにか、憑いてるな。


 私は、首から下げたクリスタルを、シャツの上からそっと握る。握ったところで何かが起きるわけではない。けど、握ると、なんか、いける氣がする。氣がする、って、大事なんですよ。氣が。


「天野、なにしてんの」


 カフェのバックヤード、ロッカーの前でクリスタルを握りしめて目を閉じていた私を、当の拓先輩が、いつもの平坦な声で見下ろしていた。


「なんでも、ないっす」

「そう」


 そう、で済ませてくれるのが拓先輩だ。

 普通の男子なら、首から提げたクリスタルと、リュックに揺れる五個のお守りと、左手薬指の月光石の指輪を見て、なにかしら言う。引くか、笑うか、説教するか。

 拓先輩は、見て、「へぇ」と言って、それで終わる。


 だから、私は、この人を、救わなければならないと、思っている。


◇◇◇


 翌日、私はクリスタルをローズクォーツに替えた。恋愛運じゃなくて、慈愛のエネルギー。私が彼に向ける気持ちを「恋」と勘違いされると、純度が下がる。これは「救済」だから、純度が大事なんですよ。

 朝はスピルリナのドリンクを二杯。藻だ。藻を飲んで、私の体内を淨化する。淨化された私が、彼の周りの澱みを引き受ける。理屈は、通っている。


 昼休み、私はバイト先のロッカールームに、塩を持ち込んだ。

 粗塩、ジップロック、三百グラム。

 女は黙って粗塩。これは、私が決めた。


 拓先輩のロッカーの前にしゃがんで、扉の下の隙間にちょっとずつ撒いていく。塩は結界の基本なんですよ。家相の本にも書いてあるし、神社にも盛ってあるし、相撲でも撒くじゃないですか。文化として、根拠はある。


 頭の上から、声が降ってきた。


「天野」


 拓先輩が、ロッカー越しに私を見下ろしていた。エプロンのポケットに片手を突っ込んで、もう片方の手にコーヒーカップ。今日のシャツは、白。白も淨化の色。やっぱり魂が訴えている。


「なにしてんの」

「お塩を、撒いて、ました」


 拓先輩は、コーヒーを一口飲んで、


「なんで」

「なんとなく、です」

「そう」


 そう、で終わった。

 ロッカーを開けた拓先輩は、足元の塩を一瞥して、なにも言わず、エプロンを掛け替えて出ていった。私は床に座り込んだまま、彼の背中を見送る。

 ね、大丈夫でしょ。拓先輩なら。

 今日のバイト代、七千緣。七は神聖な数字。「緣」って書くと、糸が二人を結ぶ字になるんですよ。私の七千緣は、七千の緣で、できている。最幸の一日になる予感しかしない。


◇◇◇


 その日のバイト上がり、電車。

 夜の九時、各駅停車、空いた車内。私は端の席に座った。次の駅で乗り込んできた拓先輩が、なんでもない顔で、私の隣に座った。

 四つ離れた席が空いていた。三つ向こうも空いていた。なのに、隣に座った。


 ね、これですよ、これ。


 魂は、引き寄せ合うんですよ。


 拓先輩は鞄を膝に乗せて、目を閉じた。


 すぴー。


 しばらくして、寝息が聞こえた。


 すぴー、すぴー。


 私はポケットからスマホを取り出して、ボイスメモを起動した。これは、波動の確認です。先輩の魂の周波数を、定期的に記録しておくことで、靈的な異常があった際に比較対象として、


 すぴー。


 可愛い。


 待って。今、可愛いって、思った。

 違う、違う、今のは、純粋な「波動が安定している」という観測上の感想であって、可愛いとかそういう低次元の話では、


 すぴー。


 先輩の寝息、私の知ってるどの音楽より、いい。


 言い訳が、追いつかない。


 窓に映った拓先輩の横顔は、起きているときよりずっと無防備で、力が抜けていて、まつ毛が長い。

 ボイスメモは、回り続けている。


 次の駅で先輩は目を覚まして、降りていった。「お疲れ」と短く言って、振り返らなかった。

 私のスマホには、二分十七秒の、すぴーが、残った。


◇◇◇


 その夜、私は、ベッドに入って、イヤホンを耳に挿した。


 すぴー。

 すぴー。


 二分十七秒のループ再生。波動の解析、と自分に説明をつけて、目を閉じた。


 最初は、現実の延長だった。

 いつものカフェ、いつものバックヤード。私はロッカーの前にしゃがんで、塩を撒いている。エプロン姿の拓先輩が、ロッカー越しに私を見下ろしている。


「天野」

「お塩を、撒いて、ました」


 ここまでは、昼の再現だった。

 でも、拓先輩は、いつものように「そう」と言わなかった。

 しゃがんで、私と目線を合わせて、こう言った。


「天野は、なんでそんなに俺のこと、氣にしてんの」


 あ。

 これは、夢だ。


 氣づいた瞬間、カフェの照明が、一段、白くなった。窓の外の景色が、ない。BGMが、止まった。お客さんの声もない。空調の音もない。

 世界に、私と拓先輩しか、いない。


「先輩の周りに、視えないものが、憑いてるから」

「それ、本当に視えないものの話?」


 拓先輩は、目を合わせてくる。

 現実の拓先輩は、目を合わせない。「へぇ」と言いながら、いつも視線は私の少し横にある。

 夢の拓先輩は、まっすぐに、私を、見ている。


「天野」

「はい」

「俺、別になにも憑いてないよ」


 夢の拓先輩の言葉が、私の頭の上で、ふわっと、ほどけた。


「……でも、皿、割って」

「あれは俺が下手なだけ」


 反論を考えた。喉まで、出かかった。けれど、夢の中の拓先輩の目があんまり静かで、私の喉は、二度空振りした。


「コーヒーも」

「猫舌だから油断した」


 もう、何も、言えなかった。


「シャツが、青で」

「色の話されても」


 ひとつずつ、否定されていく。


 私の七つの「視えないなにか」が、ひとつずつ、ただの拓先輩の日常に、戻されていく。淨化も、結界も、波動も、何も要らなかったみたいに。


「でも、じゃあ、なんで」

「なんで?」

「先輩の周りに、ずっと、何かがあるって、私、感じて」


 拓先輩は、しゃがんだまま、ちょっと、笑った。

 現実の拓先輩は、笑わない。「へぇ」と言うだけ。

 夢の拓先輩は、笑った。


「天野が、俺のこと好きだからじゃない?」


 心臓が、止まった。


「夢だから、言うけど」拓先輩は、続けた。「俺も、天野のこと好きだよ」


 目が、覚めた。


◇◇◇


 朝、私は、ベッドの中で天井を見上げていた。

 イヤホンは、耳から外れていた。スマホのバッテリーは、二パーセント。

 昨夜の夢を、私はすべて、覚えていた。


 天井の木目を見ながら、私は、ふと、思った。

 もしかしたら、これは、ただ。


 私が、先輩のことを、好き、なだけ、なのでは。


 皿を割ったのも、コーヒーをこぼしたのも、シャツが青いのも、全部、ただの先輩の日常で。私が勝手に、視えないなにかを見つけて、塩を撒いて、藻を飲んで、クリスタルを握って、そういう、自分の、儀式の、対象として、先輩を、


 あ、いえ。

 違いますね。

 違う、違う。

 好き、ではなくて、これは、魂のレベルでの呼応であって、そもそも、「好き」という低次元の言葉で説明できる現象ではなく、たとえばインドのプラーナとか、中国の氣の概念とか、もっと大きな、宇宙的な、緣の、


 うん。

 大丈夫、整った。


 魂は、嘘をつかない。

 顕在意識が忘れていても、寝ている間に、魂と魂はちゃんと話している。

 拓先輩の魂は、私のことを、好きだと言った。


 これは、スピリットの領分だ。

 現実の拓先輩が「へぇ」しか言わなくても、もう、いい。私たちはもう、繋がっている。


 私は起き上がって、ローズクォーツを首にかけて、ブルーグリーンアルジーを飲んだ。

 今日のバイトは、夕方から。

 いつもどおり、いつもどおりの、和多志。

 でも、私の魂は、もう、知っている。


◇◇◇


 佐久間拓は、バックヤードでエプロンを掛けながら、同期の村田に話しかけられていた。


「お前さあ、天野のすきピだろ」

「すきピ?」

「好きな人。お前のこと好きな人。あの子、お前のことしか、見てねえじゃん」


 拓は、首を傾げた。

 ロッカーを開けると、扉の下から、白い粉がぱらぱらと落ちた。

 粗塩だった。


 拓は、しゃがんで、指でつまみ上げる。

 村田が、ロッカーの陰から呆れた顔で覗き込んできた。


 ペロッ……。


「これは……塩」

「塩だな」


 拓は、塩の粒を、村田に見せるように手のひらに広げた。村田は、面倒そうに鼻を鳴らした。


「なんで塩」

「知るかよ」


 村田は肩をすくめて、「お前のすきピがやってんだろ」と短く笑った。


 拓は、塩を、指でつぶした。


 別に、気づいてなかったわけじゃない。

 水晶。お守り。指輪。シフト表をいつも合わせてくる、ちょっとだけ早い字。電車の隣の席に、四つ空いていたのに座ってくる、ちょっとだけ浅い呼吸。昨夜の電車で、隣でスマホをこっそり構えて、なんか録音していた、あの息のひそめ方。


 全部、知ってた。


 知ってて、「そう」とだけ返してきた。

 返事の仕方が、それ以外、思いつかなかっただけだ。


 なんて言えばよかったのか、今もよく分からない。「水晶、なんで握ってんの」と訊いて、答えが返ってきて、それで、自分はどうしたかったのか。

 たぶん、何も、したくなかったわけじゃない。


 拓は、短く、笑った。


「……俺、すきピなのか」


 ロッカーの中の鏡に、自分が映っている。

 今朝家を出るとき、なんとなく、これを着ようと思ったのを覚えている。

 今日のシャツは、青だった。

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