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星を望む夜

結婚式の日、空は不思議なほど澄んでいた。


雲ひとつなく、風も弱く、

祝福のために用意されたかのような青。


その青を見上げながら、

エルシアは思った。


――ああ、世界は何事もなかったように続いていくのだ、と。


式は整然としていた。

祝詞は滞りなく唱えられ、

聖具は正しい順で配置され、

王と王妃は定められた位置に立つ。


誰も声を荒らげず、

誰も泣き崩れず、

誰も過去に触れなかった。


それが、この国の選んだ完成形だった。


エルシアは白い衣をまとい、

重みのある冠を戴いて、

王妃として人々の前に立っていた。


恐れはなかった。

誇りもなかった。


あるのは、

「今日が崩れない」という確信だけだった。


隣に立つアレクシオンは、

王として完璧な姿をしていた。


背筋は伸び、

視線は真っ直ぐ前を向き、

唇は固く結ばれている。


けれどエルシアには分かる。

この人は、ここにいない。


彼の意識は常に、

半歩だけ現実からずれている。

触れられる場所ではなく、

思い出の中に存在する光を見ている。


――ローザリア。


その名を、

彼は決して口にしない。

だが、口にしないことで、

彼女は彼の中で生き続けている。


夜が来た。


祝宴が終わり、

人々が引き、

城が静寂を取り戻したころ。


王妃の部屋で、

エルシアは一人、腰掛けていた。


蝋燭の火が揺れ、

香の匂いが淡く広がる。

すべてが「整えられた夜」だった。


初夜――

その言葉は、どこか遠い。


この結婚に、

甘さは用意されていない。

用意されているのは、

ただ「続ける」ための儀式だけだ。


扉が開く音がした。


アレクシオンが入ってくる。

足音は静かで、

それがかえって距離を際立たせた。


彼は何も言わない。

エルシアも、何も言わない。


沈黙が、

二人の間に横たわる。


それは気まずさではない。

最初から、

言葉を必要としない関係だった。


彼が近づく。

視線が、エルシアを掠める。


だが、その焦点は合っていない。


エルシアは、

はっきりと理解した。


――違う。


この人は、

自分を見ていない。


彼が見ているのは、

かつてそこにあった光。

失われた太陽。


「……ローザリア」


名が、こぼれ落ちる。


それは呼びかけではなく、

確認のようだった。

まだそこにいるか、と

自分自身に問いかける声。


エルシアは、

その名を訂正しなかった。


訂正すれば、

彼の世界が壊れる。


壊れた世界の中で、

王は王でいられない。


だから、

何も言わない。


彼の手が伸び、

エルシアの肩に触れる。


触れられているのに、

触れられていない。


彼の腕は、

別の誰かを抱くために伸びている。


抱かれながら、

エルシアは目を閉じた。


拒絶はなかった。

受け入れたとも言えない。


ただ、

王家の血を繋ぐための行為なのだと、

そう理解していただけだった。


そこに、

愛が入り込む余地はない。


あるのは、

執着と逃避。


アレクシオンは、

ローザリアを抱いている。


自分の腕の中に、

幻影を重ねながら。


それでも、

エルシアは身を委ねた。


期待していないから、

裏切られることもない。


行為が終わると、

アレクシオンは言葉もなく、

背を向けた。


まるで、

何事もなかったかのように。


エルシアは、

その背中を見つめていた。


怒りは湧かなかった。

悲しみも、

深くはなかった。


あったのは、

静かな理解だった。


――この人は、弱い。


英雄と呼ばれ、

勇者と讃えられた男。


けれどその内側は、

失うことを恐れ、

一つの光に縋らなければ

立っていられない――


ただの人だった。


エルシアは、その弱さを初めて愛おしいと思った。


救おうとは思わない。

正そうとも思わない。


ただ、

壊れきる前に、

そこに居続ける。


それが、

自分にできる唯一のことだ。


その夜から、

アレクシオンは

時折エルシアのもとを訪れるようになる。


だが、

それは決して

「会いに来る」ではなかった。


必要なときにだけ、

王妃の部屋を訪れる。


そのたびに、

彼が呼ぶ名は同じだった。


「ローザリア」


エルシアは、

訂正しない。


その名が呼ばれる限り、

彼は王でいられる。


王でいられる限り、

国は崩れない。


それが、

エルシアの引き受けた現実だった。


夜が明ける。


窓の外に、

淡い光が差し込む。


太陽ではない。

月でもない。


それでも、

確かに夜を越えた光。


エルシアは思う。


太陽のように

世界を照らすことはできない。


月のように

道を示すこともできない。


けれど――


誰かが壊れきらないよう、

そっと寄り添う星であることは、

できるのではないか。


そう思いながら、

彼女はまた、

静かに一日を引き受ける。


狂王とともに。

王妃として。


(第6話・了)

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