第3話「シンの告白」
大学カフェを出ると、夜風が少しだけ冷たく感じられた。
街灯の明かりの下、四人は並んで歩く。
ミナが、少し後ろを振り返りながら口を開いた。
「そういえば……さっきシン、“協調って誰のためにあるんだろう”って言ってたよね?」
「……ああ」
シンはわずかに瞬きをしてから小さく頷いた。
「なんで、あんなこと言ったの?」
「いや……」
シンはポケットに手を入れ、少し考えるように空を見上げた。
「この前さ、構内で“協調”をテーマにした写真展のポスターを見たんだ。
人が輪になって笑ってたり、手を取り合ってたり……そういう写真がたくさんあってさ。
それを見て、ふと思ったんだよ。
――もし自分が“協調”をテーマに写真を撮るとしたら、どんな写真を撮るだろうって」
アオイが興味を示すように目を向けた。
「へえ、面白いな」
「みんななら、どうする?
“協調”をテーマに写真を撮るとしたら」
シンはゆっくりと問いかけた。
「俺なら、何かの作業をしてる場面とかかな」
タクトが最初に答えた。
「たとえば、文化祭の準備とか。
一見、バラバラに動いてるけど、全体では一つにまとまってる――
そういう瞬間が、“協調”ってやつだと思う」
ミナが静かに頷く。
「タクトらしいね」
「私は、“誰かを黙って支えてる人”を撮りたいな。
お年寄りが転んだ時に、黙って道に散らばった荷物を拾う人とか。
表に出ない“協調”のほうが、きれいだと思う」
アオイは少し考えてから言った。
「俺は……ポーカーのテーブル、だな。
互いに駆け引きして、騙し合ってるようで、
実は“同じルールの上”にいる。
誰も本心を明かさないけど、
その沈黙の中に、確かに“協調”がある気がする」
ミナが微笑む。
「なるほど。アオイらしい」
シンは三人の言葉を聞き終えてから、小さく笑った。
「みんな、ちゃんと“誰かと一緒の絵”を思い浮かべるんだな」
ミナが問い返す。
「シンは違うの?」
「俺なら、“そこにはいない誰か”を撮りたい。
輪の外にいる人とか……。
別に、人の輪じゃなくても“協調”って表現できると思うんだ」
その声は、どこか遠くを見つめているようだった。
タクトが耳を傾ける。
「“人の輪じゃなくても”、か」
アオイが頷く。
「お前らしいな」
シンは穏やかに続けた。
「集団の輪に入れないやつって、必ずいるだろ。
でも、輪の外にいることで、逆に“輪”の形がよく見えることがあるんだ。
中にいると分からないけど、外から見ると、
ちゃんと“つながってる”形が見える」
ミナが静かに言った。
「そして、その“外から見る目”も、協調の一部ってことね。
関係の中にいなくても、関係を見てる。
それだって、つながりの形じゃない?」
シンはしばらく考え込み、「……かもね」とだけ応えた。
四人の影が街灯の下で重なり、また離れる。
「俺さ、高校のとき写真部だったんだ」
シンが言いながら歩みを止めた。
ミナが少し驚いたように目を丸くする。
「へえ、意外。そんなタイプには見えなかった」
「まあ、幽霊部員みたいなもんだったけどね」
シンは苦笑しながら、街灯の下にできた自分の影を見つめた。
「文化祭に“チームでひとつの作品を作る”って企画があってさ。
テーマは“つながり”。
写真部なら、五人で一枚の写真を撮るっていうやつだった」
「青春って感じだね」
ミナが微笑む。
「最初は、それぞれが“いい絵を撮ろう”って意気込んでたけど、
いつのまにか“誰のアイデアを採用するか”って話になってた。
それで、空気がちょっとずつ重くなっていったんだ」
シンの声は穏やかだったが、かすかに震えているようでもあった。
「で、最終的に、みんなの意見を“うまくまとめた”無難な構図に決まった。
誰も文句を言わなかった。
でも、撮り終えたあと、全員がさえない顔をしてた」
アオイが低い声でつぶやく。
「……“誰の写真でもなくなった”わけか」
「そう。
出来上がった写真はそれなりに評価されたよ。
“写真部はチームワークが良かった”って顧問に褒められて、ポスターにも載った。
でも、あれを見ても、俺には“つながりが映ってない”ように感じられたんだ」
ミナが不思議そうに言う。
「映ってない……?」
「うん。
みんなのアイデアをすり合わせるうちに、
一人ひとりの良さが消えていった気がしたんだ。
“誰も傷つかないけど、誰の心にも残らない”
そんな作品になっちゃった」
タクトが短く息を吐く。
「……せつないな、それ」
「でもね、文化祭が終わったあと、
一人で撮った写真があるんだ。
光が差し込む教室の机の上に、忘れられたペンがあってさ。
見つけた瞬間、なぜか“つながりのようなもの”を感じたんだ」
アオイがわずかに目を細める。
「“そこにいない誰か”って、そういうことか」
シンはうなずいた。
「俺にとっては、“見た目”じゃないんだよ、つながりって。
……今でもたまに、高校の文化祭のことを思い出すと、いろんなこと考えちゃう」
街灯が少し揺れ、四人の影が伸びていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
通りの向こうで、信号の青がゆっくりと瞬く。
アオイがポケットから手を出し、ぼそりとつぶやいた。
「……でもさ、そんな“誰にも届かない写真”より、
評価されたほうが“成功”なんじゃないか?」
シンが顔を上げる。
「なんで?」
「結果が出たなら、それでいいだろ。
チームで一枚の作品を仕上げたってことは、
ちゃんと誰かの心に届いたんだ」
ミナが小さく首を振る。
「でも、チームのジレンマは届いてないでしょ?
チームが本当に届けたかったものとは、違うかもしれない」
アオイが眉をひそめる。
「違っても、評価されたんなら十分だろ。
社会に出たら結局、“認められた人”が勝ちなんじゃないの?」
タクトが口を挟む。
「でも、“勝ち”と“成功”って同じか?」
「じゃあ、お前は何が“成功”だと思う?」
アオイが少し挑むように言う。
タクトは夜空を見上げながら、ゆっくりと答えた。
「“やってよかった”って思えること、かな。
数字とか評価じゃなくて、
“自分が納得できるかどうか”ってことのほうが、大事だと思う」
「ミナは?」
アオイが聞く。
「うーん……」
ミナは少し考え込み、
「“成功”って、他人の評価と自分の納得の掛け算、かな」
「掛け算?」
「そう。どっちかがゼロなら、意味を持たない。
いくら周りに褒められても、自分が納得してなければ虚しいし、
自分ではやり切ったと思っても、まったく誰にも届いてなければ、それもまた虚しい。
“成功”って、両方が掛け合わさる掛け算なんじゃないかな」
「……なるほどな」
タクトが少し考え込むようにしながら頷いた。
シンはしばらく黙っていたが、やがて、穏やかに言った。
「俺はたぶん……“俺のことを見てくれている人が、まるで自分のことのように感じてくれる”ことかな」
アオイが小さく眉を動かす。
「…… 自分のことのように、って?」
「たとえばさ、自分が苦しいときに、“頑張れ”じゃなくて、
“わかる”って言ってくれたら、ちょっと救われるだろ?
それって、“同じ場所に立ってくれてる”って感じるからだと思う」
タクトが小さく頷く。
「お前の“協調”って、そこなんだな」
シンはゆっくりと息を吐いた。
「もっと言うと、俺は“自分をわかってほしい”っていうよりは、
“同じ景色を見てほしい”んだと思う。
俺が感じていることを、誰かも“自分のことのように”感じ取ってくれたら、
それだけで報われる気がするんだ」
ミナが優しく笑う。
「……それって、写真にも通じることなのかな。
撮る人と見る人が違っても、同じ瞬間を分かち合えるっていうか」
「……そうかもな」
シンは少し照れたように笑って、夜空を見上げた。
「一瞬でもいい、
俺の中の何かが、誰かの中で“自分のことみたいに”響いてくれたら、
俺にとっては、それが“成功”なんだと思う」
アオイがポケットに手を突っ込みながら、
低い声で言った。
「……お前、意味わかんねえこと言うな」
タクトが笑って肩を叩く。
「でも、わかるよ。
それってたぶん、“誰かの心に届く”ってことの、いちばん深い形だよな」
「うん」
ミナが頷く。
「“協調”の写真を撮るなら、今のシンの顔を撮りたいかも。
誰かを見ているようで、どこか遠くを見てる顔」
シンは一瞬だけ目を細めて、少し照れくさそうに笑った。
――言葉にしなくても、誰もが感じていた。
今、自分たちは確かに“同じ景色”を見ているのだと。
シンは小さく息を吸いながら、つぶやいた。
「……なんか、今日、ちょっと写真を撮りたくなったな」
それを聞く三人の表情には、どこか穏やかな笑みが浮かんでいた。
街灯の光の中、四人の影が並び、
夜の向こうへと静かに歩き出した。




