第2話「協調って、誰のためにあるんだろう」
ミナと視線を交わしたあと、アオイはわずかに目を伏せてカップを見つめていた。
――結果を出したあとで協調性を身につけるなんてこと、本当にできるの?
ミナの言葉の余韻が、まだテーブルの上に残っている。
タクトは居心地の悪さをごまかすかのようにスマホを触り、シンはストローを軽く噛んでいた。
カフェのざわめきは変わらないのに、四人の席だけが空気が止まったかのような静けさを漂わせていた。
沈黙の時間が、しばらく続いた。
「……さっきの話だけどさ」
最初に口を開いたのはシンだった。
「ミナが言った“成功してから自分を変えるのは無理じゃない?”ってさ、けっこう核心ついてるよな。
俺、フォローの言葉が浮かばなかった」
ミナは少し肩をすくめる。
「別に深い意味はないの。ただ、成功した人が協調的になるって話を聞いたことがなくて。
性格とか価値観って、そう簡単に変わらないでしょ。
むしろ成功すると、“自分のやり方”を信じちゃって、余計に変われなくなる気がする」
沈黙が破れ、場がわずかに和らいだ。
アオイが、ようやく口を開く。
「でもさ、協調性って、そんなに大事か?
結局みんな、波風立てないために使ってるだけじゃないの?」
「違うな」
すかさず、タクトが応じた。
「この前、選挙スタッフのバイトをしたんだ」
ミナが目を丸くする。
「タクトが? 珍しいね。政治とか興味あったっけ?」
「いや、全然。ただ先輩に頼まれてさ。人手が足りないって言われて」
タクトは苦笑した。
「バイト自体は雑用みたいなもんだったけど、そこには議員先生、秘書、支援者、ボランティア……
いろんな立場の人がいた。
それぞれに“自分の正義”があって自分の正義を信じてた。
だから会議になると、政策の話でも票読みの話でも、毎回ケンカみたいになるんだよ」
「なんか、想像しちゃうなあ」
ミナが小さく笑う。
「でもね、ある日、街頭演説でマイクの調子が悪くなってさ。
そこからその日の予定が全部押しちゃったんだ。
普通なら大混乱になりそうなのに、秘書がすぐに仕切り直して、演説で回る順番も現地に到着してからの流れも全部組み替えた。
組み替えてからの具体的な打ち合わせなんてまるでなかったのに、スタッフ全員がそれに合わせてごく自然に動いてた。
会議では全然まとまってる感じじゃなかったけど、いざという時に、自分が何をするべきか個人で分かってるだけじゃなくて、理解の共有まで出来てたんだよね」
アオイが眉をひそめる。
「……で?」
「そのときに思ったんだ」
タクトは言葉を選びながら続けた。
「信念があっても、チームとして動けなきゃ仕事にならない。
あの現場にいた人たちはみんな、“自分の正義”を持ってる。
だけど、それをただぶつけるだけではチームが壊れる。
つまり、協調ってのは、
自分の正義を貫くために必要な工夫なんだと思う」
ミナが静かにストローを回す。
「つまり、チームとしてのバランス感覚ってことね」
「そう」
タクトが頷く。
「協調性って“波風を立てないため”に使うもんじゃない。
社会で生きるための基本スキルなんだよ」
アオイは苦笑した。
「なんか、上手く言いくるめられてる気がするな。
俺はやっぱり、誰かに合わせるのは性に合わない」
タクトが肩をすくめる。
ミナはストローをくるくる回しながら言った。
「二人は、そもそもの前提が違うのよ」
カフェのざわめきが一瞬、遠のいたように感じた。
「前提?」アオイが反応する。
「アオイは“協調性は個性を損なうもの”って思ってる。
でも、タクトの言う“協調性”って、たぶん“自己否定”じゃないのよ。
“他人に合わせる”っていうより、“自分の能力を活かせる形を見つける”ってことじゃない?
だから、二人は“協調性”という言葉の捉え方がそもそも違うのよ」
アオイはそれには応じず、ミナの続きを待った。
「こう考えたらどう?」
ミナはゆっくり言葉をつないだ。
「たとえば、プロのポーカープレイヤーとしてスポンサー企業と契約すれば、“自分のため”というよりも、“スポンサー企業のため”のPR活動に参加することが義務づけられる日だってある。
多分、アオイの性格だとそういうのは嫌で嫌でしょうがないと感じるんじゃないかと思う。
でも、だからと言って、実際にポーカーの世界大会に出るとしたら、通訳やスポンサー企業のバックアップはどうしても必要でしょ?
だから、それは誰かに合わせるってことじゃなくて、
“夢を叶えるために必要なものを手に入れるための行動”なんだと思う。
それが、アオイとタクトの協調性に対する捉え方の違いだけど、
どういう見方をしたとしても、どっちも協調的な行動という意味では、違いはないのよ」
アオイが目を丸くする。
「つまり、夢を叶えるための前向きな行動として考えろってこと?」
ミナは穏やかに頷く。
「そう。相手に合わせるんじゃなくて、自分の可能性を広げるための行動。
尖るために、他人と組むって発想もあるんじゃない?」
アオイはしばらく考え込み、ミナの言葉を噛みしめるように聞いていた。
「協調って、自分の個性を損なうものじゃなくて、自分を活かすための環境づくり……ってことか」
シンが冷めかけのコーヒーを飲みながらつぶやいた。
タクトが笑う。
「急にもっともらしいこと言うじゃん」
「いや、分かんないけどさ。なんか、“協調する=負ける”みたいな構図が、そもそも違う気がしてきて」
シンはそう言って、小さく笑った。
アオイが顔を上げる。
「確かに、俺、ずっとそう思ってたかも。
でも、必要なものを手に入れるために自分で選ぶなら……
それは“協調”というより、“戦略”かもしれないな」
ミナが微笑む。
「それでいいんじゃない?
協調を“義務”じゃなくて“戦略”としてとらえれば、尖ることと両立できる」
カフェの外は、いつのまにか夕方に変わっていた。
窓から差し込むオレンジの光が、テーブルの上に長い影を落とす。
さっきまでの沈黙とは違う、穏やかな静けさが流れていた。
ミナが軽く伸びをし、タクトが荷物をまとめる。
アオイは立ち上がり、シンだけがカップを持ったまま、外の夕焼けを見つめていた。
「……なあ」
シンがぽつりと言う。
「結局さ、協調って、誰のためにあるんだろうな」
誰も答えなかった。
ただ、窓の外に沈んでいく夕陽を見つめていた。




