第22話 パーティの閉幕
静まり返った屋上に、鎧が擦れる重厚な音が響いた。遅れて現れたのは、騎士のブロンズである。彼は周囲を一瞥し、ターゲットの気配がすでに霧散していることを察した。月光を浴びる彼の立ち姿には、どこか冷ややかで、それでいて相手を惑わすような独特の色香が漂っている。
ブロンズ「ペイジン! ジュンは……!??」
駆け寄る足取りは急いではいたが、その表情には焦りよりも、どこか結末を楽しんでいるような余裕さえ感じられた。彼はペイジンのボロボロになった魔法の服と、手元に残された銀色の残光を見つめる。
ブロンズ「……そうか、逃がしたか。このパーティーで仕留めるはずが……。ふふっ、あんなに準備を整えてあげたのに、君も案外、お人好しなんだね」
ブロンズは、プラチナを彷彿とさせる落ち着いたトーンで言葉を紡ぐ。彼はペイジンのすぐ傍まで歩み寄ると、彼女の肩に触れるか触れないかの距離で足を止めた。その瞳には、少しだけいたずら好きな光が宿っている。
ブロンズ「せっかく私が用意した舞台を、あんな風に台無しにされるなんて……。ねえ、ペイジン? 君は本当に彼女を捕まえるつもりがあったのかな? それとも、あの銀弾の輝きに、君の心も少しだけ射抜かれてしまったのかい?」
吐息が耳元をかすめる。それは責めているというより、少女の心の揺れを愉しんでいるかのようだった。
ペイジン「違うわ……! 私は、ただ……」
ブロンズ「まあ、いいさ。逃げた獲物を追うのも、また一興。次はもっと『極寒』の、逃げ場のない檻を用意してあげよう。……でも、その時も君がそんな甘い顔をするなら、今度は私が君ごと凍らせてしまうかもしれないよ?」
彼はそう言って、プラチナのように冷たくも艶やかな笑みを浮かべた。指先でペイジンの頬を軽く撫でる仕草は、騎士としての忠義よりも、獲物を観察する捕食者のような危うさを孕んでいた。
ブロンズ「さあ、帰ろうか。夜風が少し、冷たくなりすぎてきた。……次の『遊び』の計画を練ることにしよう」
ブロンズの目の前にいたはずの少女が、不敵な笑みを浮かべた。その瞳は、先ほどまでのペイジンのものとは明らかに違う、宝石のような鋭い輝きを放っている。
ペイジン(偽)「ふーん? 次の計画? ……私が本物の怪盗ジュンなのに……?」
ブロンズ「……は?」
ブロンズが驚愕に目を見開いた瞬間、目の前の少女の姿が陽炎のように揺らぎ、無数の銀色の羽根へと姿を変えた。それは実体のない、高度な変装魔法によるダミーだったのだ。ブロンズが手を伸ばすよりも早く、偽物のペイジンは夜風に溶けるようにして消えていった。
一方、その喧騒から遠く離れた場所。時計塔「クロノス」の急峻な屋根の上で、本物のペイジンと怪盗ジュンは並んで腰を下ろしていた。足元には夜の街が宝石箱をひっくり返したように広がっている。
怪盗ジュン「いいじゃない、退屈しないでしょ? 私が組織の内情を教えてあげる。その代わりに、あなたは私を追いかけ続ける。これって、最高の協力関係だと思わない?」
怪盗ジュンは悪戯っぽく微笑み、長い足をぶらつかせた。だが、隣に座るペイジンは頬を膨らませ、真っ向から反対の意を示す。
ペイジン「なるほど……、私に協力? 出来るわけないじゃない!! なんで人のものを盗む怪盗なんかと……!」
ペイジンは握りしめた拳を膝に叩きつけ、憤慨したように言い放った。彼女にとって「正義」と「悪」が手を取り合うなど、天地がひっくり返ってもあり得ない話なのだ。しかし、怪盗ジュンはそんな彼女の反応を楽しむかのように、さらに距離を詰めてくる。
怪盗ジュン「あら、つれないわね。私たちが組めば、あの騎士様だって手も足も出ないわよ? それに……一人で戦うのは、もう限界だって分かっているはずじゃない、ペイジン?」
ペイジン「それは……っ。でも、それとこれとは別よ! 私はあなたを捕まえるって決めたんだから!」
怪盗ジュン「ふふっ、捕まえてもいいわよ。……私が飽きるまで、逃げ切ってみせるけれど」
夜空を見上げる二人の間に、不思議な絆のような、けれど決して交わらない平行線のような、奇妙な空気が流れる。ペイジンは嫌悪感を露わにしながらも、怪盗ジュンの差し出した「闇」の誘いを、完全には切り捨てられずにいた。
クロノスの屋根の上、二人の間に流れていた奇妙な連帯感は、ペイジンの素っ気ない一言で霧散した。
ペイジン「いや……私、そんな野暮じゃないし早く寝たいから……」
あまりにも現実的で、魔法少女らしからぬ断り文句に、怪盗ジュンの表情が固まる。しかし、その静寂を切り裂くように、怪盗ジュンの背後の影から「それ」は音もなく現れた。
淡い青色の毛並みに、凍てつく湖のような青色の瞳。それは一匹の猫だったが、放つ威圧感は並の猛獣を凌駕している。
怪盗ジュン「ペイジンッ! 何を言って……!?」
怪盗ジュンが叫んだのは、隣の少女に対してではなかった。背後に立つ青い影に向けられた戦慄。彼女はその猫を、憎しみと恐怖が混ざり合った視線で見据える。
怪盗ジュン「お前……アルファ……!」
アルファ「やあ、ニィ……。いつまでその人にすがり寄ってるんだい?」
アルファと呼ばれた猫は、前足で顔を洗うような優雅な仕草を見せながら、人の言葉で嘲笑うように告げた。その声は美しくも冷酷で、屋根の上の温度を数度下げたかのような錯覚を抱かせる。
アルファ「怪盗という名の泥遊びに興じ、挙句の果てには魔法少女に情けを乞う。……かつての君の鋭さは、どこへ捨ててきたのかな。そんな無価値な玩具と馴れ合うのが、君の選んだ道かい?」
アルファの青い瞳が、怪盗ジュンの隣にいるペイジンを射抜く。それはまるで、路傍の石ころでも見るかのような無機質な視線だった。
ペイジン「なによ、その猫……。……というか、私のこと玩具って言った!?」
ペイジンは眠気も忘れて立ち上がり、アルファを指差して憤慨する。だが、怪盗ジュンの顔色は青ざめたままだ。彼女はアルファとペイジンの間に割って入るように、一歩前へ出た。
怪盗ジュン「ペイジン、逃げて……! こいつは、あなたが相手にしていい存在じゃないわ!」
アルファ「逃がさないよ。ニィ、君が持ち出した『組織の預かり物』を返してもらうまではね。……それとも、その魔法少女が代わりに支払ってくれるのかな? その命で」
アルファの周囲に、青い冷気が渦巻き始める。それはプラチナの冷気とはまた違う、命の鼓動そのものを停止させるような、絶対的な拒絶の波動だった。
アルファの青い瞳が細められた瞬間、クロノスの屋根の上を、この世のものとは思えない「極寒」が駆け抜けた。それはプラチナやちとせが操る洗練された冷気とは異なり、獲物を食い殺すことだけを目的とした、剥き出しの殺意そのものだった。
ペイジン「ヒィ……!! なにこれ……!」
ペイジンの目の前を、氷の狼が疾走したかのような鋭い冷気の波動が横切る。頬をかすめるだけで肌が凍りつき、肺の奥まで凍結させるようなその冷たさに、彼女は思わず膝を突き、自身の腕を抱いて震え上がった。
怪盗ジュン「アルファ、やめて……! 彼女は関係ないはずよ!」
怪盗ジュンが叫ぶが、アルファは冷酷にその尻尾を揺らす。彼が歩を進めるたび、屋根の瓦はバキバキと音を立てて凍土へと変わり、周囲の空気は白く重く淀んでいく。
アルファ「関係ない、か。……ニィ、君は本当に甘くなった。組織を裏切り、あろうことかこんな出来損ないの魔法少女に心を許すとはね。この野生の冷気は、君への罰だよ」
アルファの背後に、巨大な氷の狼の幻影が立ち上がる。それは意思を持つ寒波となり、逃げ場のない屋根の上で、二人をじわじわと追い詰めていく。
ペイジン「できそこない……? 誰がよ……!
私だって、これでも……っ!」
ペイジンはガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、折れたステッキを必死に構え直した。しかし、アルファが放つ冷気の前では、彼女の魔法の火火さえも灯る前に消し飛ばされてしまう。
アルファ「吠えることさえできない子犬が。……そのステッキと一緒に、永遠の冬の中に沈めてあげよう」
氷狼が牙を剥き、ペイジンへと飛びかかる。その圧倒的な破壊力を前に、怪盗ジュンは自身の身を挺してペイジンの前に立ちはだかった。
怪盗ジュン「……行かせない! 壊させるもんですか!」
銀色のマントが冷気に煽られ、氷の華を散らす。かつてない絶望的な寒さの中で、二人の少女の絆が、アルファの「野生」と真っ向からぶつかり合おうとしていた。
アルファの放つ氷狼の冷気が、容赦なく二人を飲み込もうとしたその瞬間だった。怪盗ジュンはペイジンを守るべく、彼女を抱えて隣の建物の屋上へ飛び移ろうと跳躍した。しかし、極限状態の疲労とアルファの圧壊的な寒気が、彼女の意識を限界まで削り取っていた。
空中、怪盗ジュンの視界が唐突に暗転する。
「……あ……っ」
力なくその体が虚空を舞い、二人は隣家の外壁へと激しく叩きつけられた。鈍い衝撃音が響き、怪盗ジュンの腰に巻かれていた、銀色に輝く精巧なベルトが壁の角に強く激突する。パキン、という硬質な破壊音と共に、彼女の力の源と思われるそのベルトが外れ、夜の闇の底へと落下していった。
ペイジン「ジュン……!? 嘘、しっかりして……っ!」
ペイジンが叫ぶが、腕の中の少女は応えない。変身を維持する力を失った彼女の姿は、またたく間に光の粒子となって剥がれ落ち、そこには怪盗ジュンではなく、一人の華奢で無防備な少女――ニィとしての姿が横たわっていた。
アルファ「滑稽だね、ニィ。そんなガラクタに命を預けていたのかい?」
アルファは冷徹な足取りで、壁際に追い詰められた二人を見下ろす。彼の周囲には依然として、触れるものすべてを砕く野生の冷気が氷狼の形をして渦巻いている。
アルファ「力の源を失い、意識さえ保てない。……それが、組織を裏切った者の末路だ。さあ、ペイジンと言ったかな? その動かないガラクタをこちらへ渡しなさい。そうすれば、君の命だけは助けてあげてもいい」
ペイジンは、意識を失ったニィを抱きかかえたまま、ガタガタと震える体でアルファを睨みつけた。ベルトを失い、武器もない。目の前には、最強の「野生」を操る刺客。
ペイジン「……渡さない。絶対に……渡さないんだから……!」
ペイジンの瞳に、絶望を塗りつぶすような決死の光が宿る。しかし、アルファの氷狼の力が再び大きく口を開け、今度こそ二人を噛み砕こうと飛びかかった。
アルファの冷酷な青い瞳が、獲物を追い詰めた愉悦に細められた。彼はゆっくりと、意識を失いかけていたニィへと歩み寄る。
アルファ「さあ、例の宝を渡してもらおうか……。全ての悪魔を封印するアレを……カレイドパールを……!!」
アルファは容赦なく、ニィの体に手をかけた。抵抗する力を奪うため、そして隠し場所を探り当てるため、彼はあえて屈辱的な方法を選んだ。ニィのおまたのあたりを執拗にくすぐり、彼女の防衛本能を限界まで引き出す。
ニィ「離して!! 離してニィ!!!!」
ニィは涙目で悶絶し、必死に体をよじらせる。その激しい抵抗の末、ついに彼女の衣服の隙間から、虹色の光を放つ小さな宝珠――カレイドパールが転がり落ちた。アルファが勝利を確信し、その真珠に手を伸ばした、その瞬間だった。
バリイイイン!!!
空間そのものが割れるような、凄まじい衝撃音が響き渡った。ニィがカレイドパールを奪われる瞬間に仕掛けていた「最後の罠」が発動したのだ。
ニィ「たーまーや☆☆☆」
ニィは涙を拭い、いたずらっぽく、それでいてどこか狂気を孕んだ笑みを浮かべて叫んだ。直後、アルファの目の前でカレイドパールが激しく明滅し、夜空に向かって巨大な閃光を放った。
アルファ「……は?」
アルファが呆然と上空を見上げる。そこには、通常の色彩を一切拒絶したような、禍々しくも美しい「黒い花火」が咲き誇っていた。漆黒の火花が夜の帳をさらに深く塗りつぶし、重力さえも狂わせるような不気味な波動が周囲を包み込んでいく。
ペイジン「なにこれ……黒い花火……?」
ペイジンは、その圧倒的な視覚的破壊力に言葉を失った。美しいはずの花火が、絶望を象徴するような黒い色で夜空を侵食していく。それはアルファが放っていた氷狼の冷気さえも一瞬でかき消し、屋上のすべてを静寂の中に沈めてしまった。
ニィ「……これ、ただの花火じゃないよ。……闇の扉を開く、招待状なんだから」
ニィの呟きと共に、黒い花火の火の粉が、ゆっくりとアルファに向かって降り注ぎ始めた。




