夏祭りの夜
夏祭りの日。
私の体は朝から準備に大忙しだった。
新しく買った黒地に花柄の浴衣を着て、髪を丁寧にセットする。
「月人くんに会えるの、楽しみ」
鏡の前でそう呟く私。
——楽しみじゃない!会いたくない!
でも、体は嬉しそうに身支度を整える。
神社に着くと、すでに多くの人が準備をしていた。
「月人くん」
彼の姿を見つけて駆け寄る。
「手伝いに来たよ」
(ありがとう)
彼がボソボソと礼を言う。
他の「彼女たち」も集まってきて、みんなで準備を手伝う。
月人を中心に、和気あいあいとした雰囲気。
傍から見れば、幸せな光景なのだろう。
でも、私にとっては地獄でしかない。
祭りが始まると、月人と一緒に屋台を回る。
「月人くん、これ食べる?」
たこ焼きを買って、彼に食べさせる。
「あーん」
人前で堂々と恋人らしい振る舞いをする私。
恥ずかしさで死にそうなのに、体は嬉しそうに振る舞っている。
「美味しい?」
(ああ)
彼の返事に、満面の笑みを浮かべる。
金魚すくいでは、彼に教えてもらいながら挑戦する。
「あ、逃げちゃった」
(こうやって、下から掬うんだよ)
彼が後ろから手を添えて教えてくる。
密着する体。彼の息が首筋にかかる。
——離れて!気持ち悪い!
でも、体はドキドキしながら彼に身を預けている。
「できた!」
金魚をすくえて、子供のように喜ぶ私。
(上手いじゃないか)
「えへへ、月人くんが教えてくれたから」
彼を見上げて微笑む。その顔が、提灯の光で照らされる。
きっと、恋する乙女の顔をしているのだろう。
でも、心は泣いている。
夜が更けて、花火大会の時間。
月人の案内で、特等席へ移動する。
(ここなら人も少ないし、花火もよく見えるよ)
「素敵な場所ね」
みんなでシートに座る。
私は月人の隣を確保する。いや、体が勝手に確保した。
花火が打ち上がる。
ドーン、という音とともに、夜空に大輪の花が咲く。
「きれい……」
花火を見上げながら、私はそう呟く。
でも、本当は花火なんて見ていない。
この状況から逃げ出したい一心だった。
「月人くん」
気がつくと、私は彼の手を握っていた。
他の女の子たちも、彼に寄り添っている。
「今だけは、私たちのものよね?」
先輩の一人がそう言って、月人にキスをする。
続いて、他の女の子たちも。
私の番が回ってくる。
「私も……」
恥ずかしそうに唇を重ねる。
花火の光が、接吻する私たちを照らす。
ロマンチックな場面。
でも、私にとっては悪夢でしかない。
彼の唇の感触。舌の動き。唾液の交換。
全てが気持ち悪くて、吐き気がする。
でも、体は恍惚とした表情を浮かべている。
「好き……」
キスの合間に、そう囁く。
「月人くんのこと、大好き」
——嫌い!大嫌いよ!
花火が次々と打ち上がる中、私たちは寄り添い合っていた。
八人の女の子に囲まれる月人。
その中の一人として、私もそこにいる。
幸せそうな顔をして。
でも、心は叫び続けている。
——助けて!誰か助けて!
——ここから逃げ出したい!
——自由になりたい!
でも、その叫びは誰にも届かない。
花火のフィナーレが始まる。
大きな花火が次々と打ち上がり、夜空を彩る。
「月人くん、大好き」
みんなの声が重なる。
私の声も、その中に混じっている。
(俺も、みんなのことが大好きだよ)
月人がボソボソと返事をする。
何を言っているのか分からないが、「愛の言葉」として理解される。
私の体は、幸せで震えている。
でも、それは本当の震えではない。
恐怖で、絶望で、震えているのだ。
祭りが終わり、月人と別れる時。
「今日は楽しかった」
(俺も)
「また明日学校でね」
(ああ)
別れ際、もう一度キスをする。
「好き」
(俺も好きだよ)
彼の言葉に、体は喜びに震える。
でも、心は凍りついていた。
家に帰り、部屋で一人になる。
浴衣を脱ぎ、シャワーを浴びる。
でも、彼の匂いが取れない。
キスの感触が消えない。
ベッドに入っても、眠れない。体がずっと興奮している。
明日も、明後日も、この地獄は続く。
体は勝手に彼を愛し続ける。
私の意思とは関係なく。
涙が枕を濡らす。
でも、この涙すらも「幸せの涙」なのだろうか。
窓の外では、まだ花火の音が聞こえていた。