第2話
はにかみを零し、視線を黒白のフリルとレースのふりふりふわふわへと向ける。ノアは紬の言葉に、ぱっと顔を明るくした。
「わかるわかる~! 『ラビット』の制服、可愛いよねえ! フリルいっぱいで!」
「そ、そうだよね? もっと傍で見ていたい……って、思って」
「うんうん!」
顔を晴らした紬に、ノアも嬉しそうに弾んだ声をあげた。変に思われなくてほっと息をついた紬は、心中をぽつりぽつりと語り出した。
「街中で見かける度に……いっつも『ラビット』の皆を目で追っていたの。ふわふわのひらひらで……皆可愛くて、皆輝いてた。制服はドレープやプリーツ、ギャザー、フリルの一つとっても、可愛さが詰まってて。フリルの配置、リボンの種類、レースの素材、黒と白の配色……どれも完璧で、どこを見ても可愛い。洗練されていて、可憐で、美しくて、見るだけで元気が湧いてくるの。だから……もっと近くで、沢山見ていたいって思ったんだ」
紬の細められた瞳は、純朴な輝きに満ちていた。夢を語る時のように、大事なものをそっと打ち明けるように話す紬に、ノアは始終笑みを崩さず耳を傾けていた。二人の歩く大通りは閑静なもので、紬の声だけが街並みに小さく木霊していた。時折遠くで砲撃の音がする以外は、他の人の声が聞こえてくることもなかった。
「あ……あのね。触ってみてもいい?」
紬は遠慮がちにノアへと尋ねた。ノアはにこにことして、大きく頷いて見せた。
「勿論! 肌触りもね、いいんだよ~」
ノアは紬へと両手を大きく広げて見せた。どこでもいいよと言わんばかりに紬を歓迎している。紬はそろそろと片手を伸ばして、彼女の袖を緩やかに掴んだ。絞られた黒いフリルつきラッフルが肘下で二つに広く分かれ、その下に幾重にも重なる白いフリルが顔を出している。分かれ目は交差させたリボンで留められていて、その先も指で優しく掴んでみた。
(コーマバーバリー……。触り心地いいな。ここのリボンはサテンリボン……すべすべだ。フリルの形、綺麗だなあ……袖口のフリルは一つ一つ模様が入ってるんだ……可愛いな……)
紬は満足いくまで間近で凝視し触り心地を堪能した後、そっと指を離した。
「ありがとう、ノアちゃん」
「どういたしまして!」
ノアは笑顔でそう言って、広げていた両手を引っ込めた。満足気な紬は彼女へ何気なく顔を向けたあと、気になったようにまじまじと見つめた。
「それ……、ボンネットは、ノアちゃんの私物?」
「これ? そうだよ~、制服に合うやつを探して買ったの!」
ノアは視線をあげ、自身の頭を覆うボンネットへと向けた。こちらも制服同様黒と白を基調としていて、リボンのクリーム色がアクセントとなっている。散りばめられた薔薇のコサージュ、白く艶めくパール。沢山のフリルが、海上の波のように広がっている。
「か……可愛いね」
「ありがとう!」
紬は角度を変えてじっくりと眺めたあと、興奮したように言った。その様子を見て、ノアは「そうだ!」と楽し気に両手を叩いた。黒い薔薇のレースに包まれた手が、小気味いい音を鳴らす。
「このボンネットを買ったお店、良かったら教えてあげるよ! ツムギちゃんの好きなもの、沢山見つかるかも!」
「本当!?」
紬はまるで目の前にお宝が現れたかのような顔をした。それからはっとしたように、視線を逸らす。
「で、でも……可愛いのを見てるのと自分が着るのは、違うから。……私じゃ、ノアちゃんみたいに可愛くないし……」
可愛い服は、やっぱり可愛い子が着てこそ初めて真価を発揮するのだ。紬は両手の人差し指をちょんちょんとくっつけ、気まずそうに眉尻を下げた。
「ええ~~? ツムギちゃん、可愛いよ?」
ノアは無垢な瞳をじっと紬へと向け、首を傾げた。お世辞だと思わせない、まるで本心を話しているかのような自然な口調だった。ノアはそのまま、ずい、と紬へと顔を近づけた。愛らしい顔が目と鼻の先に現れ、紬は思わず息を呑んだ。目の前の色素の薄い二つの瞳は、まるで泡沫のような儚さを湛えている。
「うん、やっぱり可愛い」
視界いっぱいに映った顔が、にっこりと綻ぶ。その間近の御姫様のような顔に、紬は顔を赤らめ、首を横へと振った。
「ノ、ノアちゃんの方が、百倍可愛いよ……」
「そんなことないのに~」
ノアは楽し気に笑いながら顔を離した。眩い程の存在感のある顔が離れて、紬は未だにドキドキしている胸を幾分か撫で下ろした。
「あ」
その横で、ノアは道路の先へ視線を向けたかと思うと、何かを見つけたように顔を明るくした。紬もノアに釣られて視線の先へと顔を向けるが、人影のない道が続いているだけだった。……その道の奥、交差点の先に、一際大きい建造物が見えた。あれが『ラビット』のアジトなのかな、とじっと見つめていると、紬の腕が横から取られた。ノアの黒いレースに包まれた手が、優しくセーラー服を掴んでいた。彼女は小走りで駆け出した。慌てて紬も足を動かす。
「やっほ~、見て見て、ツムギちゃんって言うんだ! 新しい仲間だよ!」
ノアは交差点の手前までやってくると足を止め、にこやかにそう言った。紬は彼女の前方を見、そしてノアへと視線を戻した。ノアはにこにこと嬉しそうにして、正面へ笑顔を振りまいている。
(えっと……あれ? 誰も……いない、よね?)
ノアは虚空に向かって新しい仲間を紹介したあと、紬へと顔を向けた。ボンネットが合わせて揺れる。
「紹介するね。こちらはピアノちゃん。『ラビット』の仲間だよ」
(え?)
紬はぎこちない顔のまま、再度ノアの真正面へと顔を向けた。やはり誰もいない。視界には人通りのない道路、青から赤に変わろうとしている横断歩道、そして遠くに大きな建物の一角が映っているだけだ。困惑を押し込めて、ノアへと視線を戻す。彼女は相変わらずにこにことしていて、紬の挨拶を待っているようだった。
「え、えっと。ノアちゃん……ピアノちゃん、どこにいるの?」
紬は躊躇いながらも、思い切ってきいてみた。ノアはその言葉に呆けたあと、からからと笑いだした。
「ツムギちゃん、ジョークもバッチリだね!」
(……からかわれてる?)
半笑いの表情のまま、何もない虚空へと視線を向ける。やはり人影はない。紬は理解が追いつかないながらも頭の中でなんとか状況を整理しようとし、そしてはっとした。
(もしかしてこれ、『ラビット』に入るための試験なのかな?)
いかに敵を欺く自然な振舞いが出来るかとか、そういう能力を見定める試練なのかもしれない。今まで優しく接してくれていたノアが、いきなり奇行に走るとも思えない。紬はそう考え、一度むむ、と真面目な顔を作った。そして、なんとか作った笑みを貼り付けた。口角がヒクヒクと震えていたが、気付かないフリをして押し通す。
「よ、よろしくね。ピアノちゃん」
空気ばかりが漂う先へと、にこやかに挨拶をした。ノアはそれを嬉しそうに見守っていた。勿論返事が返ってくるはずもなく、静寂が訪れる。少々気まずい心地がして、紬はそわそわと辺りに視線を這わせた。
「あ、そうなんだ。じゃあまた後でね!」
ノアは虚空に向かってそう言うと、片手をひらひらと振った。まるで本当に『ピアノちゃん』が目の前にいるかのような自然な振舞いだ。ノアが試験を受ける側だったとしたら、文句なしの百点満点が貰えるだろう。
「ピ、ピアノちゃん……なんて?」
ノアを振り向くと、口元に手を当てこそこそと小声で尋ねる。ノアはやっぱり楽しそうな笑顔のまま、紬へと「ああ~」と納得したような声をあげた。
「ツムギちゃんはわかんないよね! キャプテンって言うのは、『ラビット』のリーダー、キツキちゃんのことだよ!」
(そもそもなんて言ったのかがわかってないけど……)
困惑を滲ませた顔でノアの正面を見つめた。会話の内容的に『ピアノちゃん』は去ったようだったが、相変わらず少女の背中はどこにも見えなかった。
「……どうだった? 私、合格?」
「え? 何が合格?」
もう試験は終わっただろうと、紬はノアへと結果を尋ねる。対してノアは、ぽかんとして首を傾げた。
「咄嗟にノアちゃんに合わせられたよね?」
「え? ああうん、そうだね。ピアノちゃんに挨拶してくれてありがとう」
(っていうことは……合格ってことでいいんだよね)
ほっと息をつく。ノアの反応からして、この試験の結果で追い出されるようなことにはならないはずだ。試練はクリアしたと言っていいだろう。
「あっ、横断歩道青だよ。渡ろ渡ろ~」
目の前の信号が変わったのを指差し、ノアは歩道から一歩車道へと出た。紬も遅れてそれについていった。二人で横断歩道を渡り切り、先程より僅かに近づいた大きな建物を目指して脇道を進んで行く。すると、遠目に何やら人影が映った。車がすれ違える程度には広い舗道の端、点々と植えられた木の下に佇む一人の少女。パニエにより大きく広がったスカートは遠目にもよく目立つ。あれは『ラビット』の制服のシルエットだ。しかし、向こうはこちらが近づいても一向に動く気配がなかった。紬は不思議に思い、よく目を凝らして……思わず声を上げた。
「ひっ?」
足が地面から浮いていた。その首には紐が巻いてあり、先は木に括られてフリルで包まれた身体を吊っていた。
「あっ」
横から弾んだ声が聞こえた。ノアも気が付いたらしかった。
「ツムギちゃん、見て見て。たぶん、首吊りショーやってたんじゃないかな。一歩遅かったねー」




