7. ヘタレなタカはヤダ
「疲れた……」
ホテルに着くなり、タカがベッドに倒れ込むのを見てひかるは苦笑いした。
普段とは打って変わって、タカは素を出さずに自分を押し殺して頑張ってくれた。初めて見るタカの姿をもっと見ていたかったと思いつつ、ひかるは感謝の気持ちでいっぱいだった。
「お疲れ様。本当にありがとうね」
「拷問椅子に座らされて、爪をゆっくり剥がされていた気分だ……」
「大袈裟でしょ。わたしの好きなところ言っただけなのに……」
「そもそも本当に喧嘩してたのか? 逆に仲の良さを見せつけられてたみたいだったぞ?」
「うーん、そうなんだけど……」
結果として、今日の対談は大成功だった。
タカが一番したかった「一緒に住んでもいいですか」という問いは、「どうぞどうぞ」と寧ろお願いされるくらいだった。
たぶん、凄いタカのこと気に入られた。
「ねえ、さっきの事だけどさ……」
「ん……?」
ひかるはベッドに突っ伏すタカから顔を背け、早口で言う。
「『付き合ったのいつだっけ?』ってタカはわたしに振ってきたけどさ、ついこの前、本当にこの前じゃん。タカはちょっと酔ってたかもしれないけどさ、即答できたじゃん……? ……いや、まだわたしもタカとそういう関係になったって実感ないけど、それでもそこは即答で自信持って言って欲しかったというかーー」
「……」
タカからは、相槌も何もない。
ひかるがハッとしてタカを見ると、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「えぇー……」
ショック。
今日、恋人になってから初めての2人きりの夜なんですけど!?
……いやっ、変なことを期待してるんじゃなくて!
ただ、飲み物とお菓子でも食べながら、この一年半の空白を埋めるようにゆっくり語り合いたかったのに……。
それにタカはおじいちゃん家で、わたしは寮だから、家が決まるまでは一日中一緒に過ごせるってことないんだよ??
この日をすっごく楽しみにしてたの、わたしだけ??
「うぅ〜……」
ひかるはタカを叩き起こしたいという感情を必死に抑えた。
……今日は自分の為に、タカは必死に猫を被って得意じゃないお酒まで飲んでくれたんだ。
本当は恋人らしく触れ合ったりしたかったけど、流石にここで駄々を捏ねるのは我儘が過ぎるか……。
ひかるはタカに布団を掛けて、その寝顔を見ながら先日の事を思い出した。
『光里、俺と組め』
『俺はこの先多分一生走る事ができない。だから、俺の分まで全力で走ってくれ。その代わりお前の足が壊れた時は、俺がこの手で何度だって治す。
俺がこの先お前がいなくなって後悔しないように、これからも側にいて欲しい』
……あれは、タカにしては粋な告白だった。
一年半前のフェアリーランドで『俺たちの関係が何とするかを決めるのは、再会した時でいいか?』と言ったのを、タカが早速体現してくれた事が嬉しくて嬉しくて堪らない。
だからあの日から数日、今日のタカとの帰省デートを待ち望んでいたのに。
今日は、……まだ手も繋いでない。
タカがこういう事に疎いと言うのは分かってるけど、浮かれていたのは自分だけ?
「……」
ひかるはブンブンと頭を振って、息を吸った。
ーーいやいや、焦るな焦るな!
ただでさえマイナスだったスタートから(出会った初日に殴られかけたし)、ゆっくりゆっくりと深まった関係だ。タカは人間関係にはかなり慎重派だし、彼のペースに合わせるべきだろう。
これからはずっと一緒にいられる。さくら号の時みたいにもう、終わりはないんだ。
気楽に行こうーー。
___________
それから、タカとの同棲の準備が始まった。
物件決めや家具家電を揃えるのは、それはもう楽しくてしょうがなくて。
タカも終始楽しそうで、引越しの計画やお金の管理が苦手なひかるをリードして進めてくれた。
……本当に楽しかったはずなのに。
同時にひかるは不満を募らせていった。
『俺と組め』と告白されたあの日以来、結局ハグどころか……ずっと手も繋いでない。
何で? 遠慮されてるのかな?
……あの上から目線で人を鼻で笑ってくるタカが遠慮?? (失礼か)
タカが、こういう事に疎いことは分かってる。
というか本人も『恋人という体裁がよく分からない』って言ってたし。
だけどタカだって成人した男性だし、ひかるが手取り足取り『恋人とは何たるか』を教えるのも変な話だし。
……と言うか、さくら号ではいきなりキスしてきたりしたじゃん。全く分からない訳じゃない筈なのに。
ーーかと言って何となく、わたしから積極的にいくのは、なんか……嫌だ……。
ヘタレなタカはヤダ。恋愛だって……リードされたいよ……。
ひかるは考えに考え過ぎて、段々疑心暗鬼になっていった。
タカには嫌われていないとは思うけど。
もしかして『人としては好き』だけど女として見られてない……!?
タカ……お母さんを早くに亡くしてるし、もしかしてわたしの事を女というより『お母さん』的な安心感で見てる……?
「……」
そして4月に入り、ひかるは何となくモヤモヤしたまま、タカとの同棲生活が始まった。
夜、2人とも風呂から上がって、ソファで一緒にテレビを見ていた。
くっつくのでもなく、離れてもおらず。微妙な距離感。
2人は何となく、落ち着かなかった。
よく考えれば、ほぼ毎日連絡は取り合っていたとはいえ、一緒に住むのは1年半ぶりだ。
何となくさくら号にいた頃の距離感がまだ思い出せない。……いや、もう恋人なんだから、あの時以上に近くてもいいはずなのに。
今はあの頃以上に何だかタカが遠い、気がする。
ひかるから口を開いた。
「……あのさ、ずっと聞きたかったんだけど」
「ん?」
「タカさ、わたしの事未だに『ひかる』って呼ぶよね。前サラッと『光里』って呼んでくれた時、すっごい嬉しかったんだけど……」
「え……。いや、それはお前が俺の事を『タカ』と呼ぶのと一緒で、あだ名的な意味合いなんだが」
「あ……そうなんだ。ほら『ひかる』はわたしが男として生きてた時の名前だからさ、そろそろ女の子として扱って欲しいなーっていうか……」
「……は?」
タカはポカンとして首を傾げた。
「別に、お前の事男だと思って接した事は一度も……。いや、引っ越してきた初日以外は一度もないが?」
「いやそういう事じゃなくて……。え、じゃあわたしの事何だと思ってたの?」
「何って……、男とか女とか別に考えてなかった」
「……今も?」
「今……は、女だろ」
「……」
ひかるは、余計に頭を抱えた。
女として見てくれてるなら、じゃあ何だろうこの距離感は……。
「タカって、まさか……。女の人にあまり興味ない感じ?」
「は、はぁ!?」
「ううう何でもない! 寝るねっ!」
ベッドは2段ベッドではなく、シングルベッドを横に2つ並べた。
ひかるはベッドに飛び込み、布団を深く被った。
「おいひかるっ、何だよいきなり。どういう意味だ?」
「何でもないってば! おやすみ!」
「なぁ、お前最近何か怒ってるのか? ハッキリ言えよ」
「な、何も! 怒ってないよ! おやすみー!」
本当に怒ってはない。ただ……不満なだけで。
ひかるはタカに背を向け、寝たふりをした。
……本当はそのまま触れたり話しかけ続けたりして欲しかったのに。タカは何もして来なかった。
___________
「おーっす光里! 久しぶりー! 元気?」
同棲生活を始めて1週間。
それぞれ大学の講義が始まったので、お互いに家を空けることが増えた。
ひかるはタカがいない時を狙って、優輝に電話をかけた。
「あの……、元気なんですけど、相談というか……」
「あー、高俊がまた何かやらかしたか」
「まだ何も言ってないんですけど……」
「分かるよ。光里の相談は大体高俊だろ」
「はは……。タカがやらかしたというか……。一緒に暮らしてまだ1週間なんですけど、何というか、何も……なさ過ぎて……」
「あー……。え、何もって言うのは、何も?」
「……一切のボディタッチなしです」
「おぉー……うーん。遠慮してるだけじゃねーの? 距離感が分からないだけだと思うぜ。アイツ童貞だし」
「そ、そんな事ダイレクトに言わないでください!!」
やばい、相談する人間違えたかな……。
と思いつつも、ひかるの不満のボルテージが上がっていく。喋り出す口が止まらない。
「女の子と一緒に暮らしてるのに、有り得ます? いくらタカがそういうの苦手とは言っても! 大体もうキスやハグはした事ない訳じゃないのに」
「光里……」
「そう言えばこの同棲誘われた時も『さくら号の時みたいに』って言われた気がするし。もしかしてタカにとってはさくら号の延長線で、いくら関係値は恋人だと言っても、やっぱりわたしってただの同居人なのかなって……」
「光里。ストップ。悲観しすぎ」
ひかるがもう少しで泣きそうになるところで、優輝が止めた。
「分かった。悪いけど、オレからはアドバイス出来ることはない! だって光里は悪くねーもん。アイツが全部悪い」
「そ、そこまでは言ってませんけど……」
「その代わり、高俊に言っとくわ。もうちょっと積極的に行けって」
「う……、はい……」
「ただな、コレだけは間違いないから言っとくわ。高俊はさ、光里のことマジで好きだから。本当に。フォーリンラブ。自信持って」
「……はい」
しかしその後も、ひかるに対してタカの態度はあまり変わらなかった。