5. 理由は5つ
本当は親父の命日である12月3日に墓参りに行きたかったのだが、俺が来ると踏んだ捜査員に張り込まれる可能性があると考え避けた。
俺と喜一郎は12月の半ば、糸原家の墓へ向かう為新幹線に乗り込んだ。
以前ひかるや慶音と行った時のように、楽しい雰囲気ではなかった。
暫く無言のまま、景色を眺めていた。
「……なあ、ジジイ」
「せめて『じーさん』か『じーちゃん』と呼べ」
「『じーさん』はもう、そう呼んでる知り合いがいるんだよ……。『じーちゃん』も田舎臭いから嫌だ」
「じゃあ『グランパ』はどうだ」
「気色悪いだろ! 俺がそんな呼び方したら!」
「それもそうだな」
こいつがたまにボケるのは、計算なのか天然なのかよくわからない……。
「パワフ……叔母から、母さんとあんたの喧嘩の原因は母さんが駆け落ちしたからだと聞いたが、相違ないか」
「……そうだな」
「何故反対した? 親父の何がダメだったんだ」
「あの男が悪かったからではない」
「じゃあ何故」
「縁もゆかりもない、都心から遠い地方で暮らすことに反対だったんだ」
「はあ? 何故」
「実際、死に目に遭えなかった」
「……」
……それってつまり、娘を手の届く範囲に置いておきたかったということか?
ああ……、逆だった。
コイツ、母さんのこと大好きだったんだ。
だけど不器用だからそれが上手く伝わらずに喧嘩になって、互いにプライドが邪魔して歩み寄るきっかけがなくて……。
そうこうしている内に、死に別れてしまった。
喜一郎と再会してから今まで、大病院の院長として大きく見えていたその存在が、今隣にいる男は初めて小さく見えた。
後悔、していない訳がない。
「……俺の知る母さんは、親父と暮らしてて凄く毎日が楽しそうで、活き活きしてた。あんたの反対を押し切って親父と結婚して、正解だったんじゃないか?
言いなりになってたら、たぶん、腐ってたんじゃないか。……想像だが」
「……」
「それにそのおかげで、俺が生まれた。母さんにとって、それ以上の幸福はないだろ」
「いけしゃあしゃあと、よく自分で言えるな」
「いいや。事実だからな」
俺は携帯を操作して、喜一郎に動画を送った。
「何だ?」
「見れば分かる。母さんが親父と楽しくやっていたのが。……まあたぶん、悪ふざけが過ぎるから、この動画があんたに見られるのは2人にとって不本意だろうが」
喜一郎は動画を再生した。
8歳の俺と母さんが映り、画面外から親父の声が聞こえる。
『えー、どうも。今日は3月21日です。はい、何の日ですか明香音さん!』
『はーい、今日は記念すべき糸原高俊くんの8歳の誕生日でーす!』
『ピンポンピンポンピンポーン! 正解でーす! 明香音さんに10点!』
そこには、幸せの絶頂の親父と母さんと俺が映っていた。母さんが死ぬまでの、3人で撮った最後の動画だ。
俺の、宝物だ。
「……お前の誕生日か」
「そうだ。母さんと過ごした、最後の誕生日だ」
「馬鹿だな」
一瞬、また愚弄したのかと喜一郎を睨んだが。
弾ける笑顔の母さんーー娘の顔を見て、喜一郎は微笑んでいた。
「本当に、バカな娘だな……」
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雪がちらつく中、俺と喜一郎は昼過ぎに糸原家の墓前へ辿り着いた。
花を手向け、線香に火を灯し、手を合わせる。
……親父。四苦八苦したが、なんとか汚名は返上したぞ。
そして、その過程で大事な仲間ができた。そいつらのために、生きたいとも思えた。
どうか安らかに、これからの俺や慶音の生き様を見守っていてくれ。
「糸原高成。君への非礼を詫びる。愚弄してすまなかった」
俺はハッとして、喜一郎を見た。
喜一郎は目を閉じて手を合わせたまま、俺ではなく墓石に向かって言った。
「高俊は、家族や仲間想いの実直な青年に成長した。ひとえに、君の教育のおかげだ。祖父として感謝する」
「っ……」
俺は、込み上げてくるものを唇を噛み必死に堪えた。
そして大きく一呼吸して、喜一郎を真似て墓石に向かって言った。
「親父、これからこの男の養子になり、医者になることを許してほしい」
今度は喜一郎が俺を見る番だった。
「理由は、5つある」
「多いな」
「……大切な奴がいるんだ。そいつが前に大怪我した時、俺は何も出来ず指を咥えて見ているだけだった」
「……」
「だから1つ目は、医学を学んで万一の時にそいつを守れるようにして、後悔しないこと。
2つ目は、これから未来に向かって走り続けるアイツと、このままでは釣り合わなくなる。だから……一緒に並走する為だ。
3つ目は……、やはり糸原の姓のままだと、ソイツと一緒にい続けるのは難しい。だから養子になって、ジジイの肩書を利用させてもらう」
喜一郎は鼻で笑った。
「4つ目は、……医者になるのは、このジジイの元で学んだ方が効率がいいからだ。医者としては、この人は尊敬に値する」
「……」
俺は、喜一郎に目を向けた。
「と、言う訳だ。今後よろしく頼む」
「いや待て。5つ目は何だ」
俺は、目を逸らして失笑した。
「将棋に負けたからだ」
「気付いていたか」
「何故トドメを刺さなかった」
「……ただの気まぐれだ」
喜一郎は俺に背を向け、片付け始めた。
俺はその背中に言った。
「なあ、ジジイ。結局言いそびれていたが」
「何だ」
「助けてくれて、ありがとう。感謝する」
「……フン。恩は医者になって実績で返せ」
喜一郎は振り向かず、そのまま歩き出した。
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「えっ、養子!? 医者!?」
事の顛末を電話で聞いたひかるは、驚いて声をあげた。
「ああ、役所の手続きが終われば木谷高俊になる。
と言っても、もう少しほとぼりが冷めるまでは……、受験の申込前くらいまではこのまま糸原でいようと思う」
「そっか、そっか……! お医者さんになるんだ……カッコいいね。タカの納得する形になって、本当に良かった……」
電話口で、ひかるは少し涙ぐんでいるようだった。
そこまで、喜んでくれるとは……。
「受験はいつなの?」
「さすがにもう12月だから、来年度だな。それで無事に受かったら、お前含めさくら号の奴らと会いたい」
「やっぱり、もうちょっと早く会えないかな……」
「悪い。集中したいんだ」
「そっか……。分かった」
再会が1年以上先になると聞き、ひかるは心底残念そうだった。
本当は、『集中したい』が理由ではない。
今の何もない俺の状態で、アイツらに胸を張って会えないからだ。
「ところでひかる。お前、親とまだ仲直りしてないのか?」
「え、あ、うん……。まあもう喧嘩してるというよりは、気まずい感じが続いてるというか……」
「正直に言え。喧嘩の理由は何だ」
「え……っと」
ひかるは少し言いづらそうに、一瞬迷ってから口を開いた。
「東京に行ったタカを追う為に、勝手に引っ越して転校して髪をバッサリ切ったからです……」
「やっぱり、俺のせいだったんだな」
「いやっ、タカのせいではないけど」
「仲直りしろ。じゃなきゃ、いつか絶対後悔する日が来る」
「……」
ひかるを、俺が原因で母さんとジジイのようにはさせない。
「前に帰省した時言ってたよな。『タカが来れば説得できる』と」
「うん、たぶん……」
「だから俺も行く。どの道、お前の親には顔を合わせないといけないし」
「え?」
俺は息を吸って、緊張を悟られないようにする。
「一緒に住むだろ。さくら号の時みたいに」
「!!」
ひかるは息を呑んで、恐る恐る聞いた。
「な、何人で……?」
「……2人でだよ」
「また、2段ベッド……?」
「それは……、お前の好きにしろ」
「……」
互いに、色々想像してしまって言葉が出なくなった。
俺は謎の汗をかいていた。
「タカ。そういうことなら大学、絶対受かってね。待ってる」
「フッ……。俺を、誰だと思ってる?」
「かの有名な、ダークの司令塔です」
電話口で照れて言うひかるの顔を想像して、俺はこっそり笑った。
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「高俊!! お前はふざけてるのか!?」
それから1年後。
俺は喜一郎の逆鱗に触れた。
俺は志望していた大学全てに合格した。
だが俺はせっかく受かった難関大学を蹴って、喜一郎が滑り止めだと思っていた大学に入学願書を出したのだ。
「何もふざけてない。医学部ならどこでもいいだろ」
「それは難関大学を蹴った理由にならん! 理由を言えバカ孫!」
「……学費がそっちの方が安いから」
「金の事は心配するな! ワシを誰だと思ってる!」
「……。キャンパスが、綺麗だったから……」
「もっとマシな嘘をつけ!!」
理由なんて一つしかない。ひかるの大学に1番近かったからだ。……だがそんなこと言える筈もなく。
暫く喜一郎と冷戦状態になったが、その後『友人と』一緒に住むから家を出ていく旨を伝えると、察してくれたのか、何も言わなくなった。
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そうして、4月上旬。
さくら号の4人と再会して数週間の後。
ひかるとの同居の準備が整い、喜一郎の家を出て行く日が来た。
玄関で靴を履く俺を、喜一郎は見守る。
「高俊。慶音から聞いたぞ。
お前が一緒に住む『ひかる』というのは、ワシはてっきり男だとおもってたが、女性らしいじゃないか……」
「!!」
コイツ、今までそういうことは干渉して来なかったのに……!
俺が背中を向けて黙っていると、喜一郎は笑った。
「……いや、良いことだ」
「は?」
「その子の為に医者になるんだろ。それでモチベーションが上がるなら良い。ただ、現を抜かすなよ。留年なんかするな」
「分かってる。ただでさえ医学部は長い上に、高校新卒と比べて3年も出遅れてる。そんな時間はない」
「だが、その子も大事にしてやれ」
「言ってる事が支離滅裂だな」
「お前はワシと似てその辺り不器用だからな。心配してるんだ」
「余計なお世話だ」
俺は立ち上がり、喜一郎の方を向いた。
「じゃあ、世話になった」
「たまに帰って来い。勉強を教えてやる」
「……分かった。生存確認しに帰る」
「このバカ孫。いちいち一言余計なんだ」
俺は喜一郎に背を向け、失笑して家を出た。
★次ページより本編後日談です。