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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第四章 砂漠の巫女
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不協和音




 サシュカの花は彼女の言葉どおり、毎年綺麗に花開いた。冬の風にぬくもりが混ざり始めると、薄紅の秘密の花は蕾を緩やかにほころばせ出す。その年も、ふたりでこっそり種を蒔いてから三度目の春が、すぐそこまで来ていた。


 祭祀長の老婆が亡くなったとディヴァインが知ったのは、ちょうどその頃だ。そして、老婆の跡に、あの男がその任に就いたのだ。


 ヤサメ――。サシュカに男の名をそう教えられた。次の族長となる彼は、父の後を継ぐまでの間だけ、その魔の力の強さから、父たる族長の推挙もあり、祭祀長を務めることになったのだという。人々からも慕われ、他部族の族長からの信も厚い、気さくで明朗な男だとのことだ。


 だが、ディヴァインはヤサメが気に入らなかった。なにがかは分からなかったが、彼を見ると胸の奥が刺々しさにざわついた。初めて彼を見た時、サシュカが浮かべていた表情のせいかもしれない。


 彼女はディヴァインの知らない憧憬の顔で彼を見つめていた。それが嫌だった。だから思わず彼女の目にすぐにも自身を映したくなって、秘密の約束も忘れて、消していた気配も姿も彼の前に見せてしまったのだ。昼間でも人がいないときは、彼女を訪ねるようになっており、少し気持ちが緩んでいたのかもしれない。言い訳のようにそう思いもしたが、結局は、どうしてもサシュカの隣を取られたくなかったのだ。己の存在を誇示したかった。


 それなのに、そのせいでさらに気に食わないことが起きてしまった。ディヴァインの姿を目にし、女神ラクシュミーが現れ出でていたと知ったヤサメが、サシュカの願いに応えて、それを内密にすると約したのだ。当然サシュカは喜び、感謝の念を彼へと捧げた。自身のしでかしたことが原因のため、黙ってディヴァインは不服を飲み込むしかなくなってしまったのだ。


 そして特に一番癪に障ったのは、ヤサメがサシュカの望みをもうひとつ、容易く叶えたことだ。彼は、サシュカをいとも簡単に祭殿の外へと導いた。


 巫女としての務めと責務を曲げることのなかったサシュカは、焦がれながらも決して規律を破ることについては良しとしなかった。だからディヴァインがいくらこっそり抜け出ようと誘っても、首を縦に振ることはなかったのだ。その決意を思い知ったディヴァインも、やがて誘うことをやめ、身を引き、代わりに少しでもと、たくさんの土産話と贈り物を持ってくることにしたのだ。


 それをヤサメは一瞬で覆した。規律を変えたのだ。巫女がその目で直に、ラクシュミーとともに守る己の民を見るのもよいでしょう――そう彼が進言し、月に一回、サシュカは職務として祭殿を出て、街に赴けるようになった。


 銀細工の工房、穀物を作る農地、遊牧地や、兵舎、市場を取り仕切る商人たちが集う館――サシュカが足を運んで自分で見聞き出来ることは、ディヴァインが姿を消して様子を盗み見、伝えられたことよりも、ずっとずっと多くて充実していた。少なくとも、彼女から弾んだ声でその報告を受ける時、ディヴァインはそんな無力感と悔しさを噛み締めずにはいられなかった。


 自分がサシュカにしてあげられたことは、あまりにもささやかで、ヤサメが彼女に与えた喜びには到底及ばないのだ。そう思い知るのが、苦しい気がした。


 サシュカもサシュカだ、と思ってしまうのも嫌だった。彼女が外に出られるように望んでいたはずなのに、いざ彼女が己の力の他のところで外を知るようになると、どこかその事実を疎んじてしまう。彼女の幸せを共に味わえない。そんな自分が嫌いになった。


 小さく、けれど消えようのないわだかまり――。そんな棘を抱いたままに、いつしか季節はうつろい、焼けつくような夏を越え、秋の空気が混じりだす頃となっていた。


 今年はあまりサシュカの花をふたりで楽しんで見られなかったような気がすると、ぼんやりとディヴァインは名残のない砂地を見つめる。それもこれも、ヤサメが祭祀長になってから、サシュカがなにかと忙しそうにしているのがいけないのだと、そっとディヴァインは唇を尖らせた。


『ディヴァイン? どうしたの?』

 次の年こそはと不貞腐れていた顔を隣からのぞき込まれて、ディヴァインは慌てて頭をふった。

『すまない。なんでもない。その……ちょっと、考えごと、しちゃってた』

 しゅんと耳をたらせば、サシュカは昔と変わらず、柔らかにくすくすと肩を揺らした。


『別に平気よ。でも、珍しい。どんな考えごとをしてたの?』

『その、ヤサメの、こと……』

 サシュカにも少し不満を抱いていたことが気まずく、小さくディヴァインが返せば、彼女はふわりと不思議な色の笑みをたたえた。見たことのない色の気がした。どきりと胸が脈打つ。


『そう……。ディヴァインは、ヤサメのこと、どう思ってるの?』

『その、あの……えっと――あんまりよく、分からない……』


 嫌いだと言ってしまえばよかったのかもしれないが、サシュカは彼のことを快く思っているようだった。それに、サシュカは近いうちにヤサメとつがいになる。それは歴代の巫女を見ていたから、教えられなくてもディヴァインも知っていた。その事実に、ちくりと身体の奥が痛んだ気がしたが、なぜかは理解できなかった。ただ、そんな相手のことを素直に嫌いだと伝えるのは憚られて、ディヴァインは歯切れ悪く言葉を濁したのだ。


『――……ディヴァイン。ちょっと、真面目な話に、なるのだけど』

 俯いたディヴァインの様子を見つめて、躊躇いがちに、けれどしっかりとした声音で、静かにサシュカは切り出した。

『もしかしたら、今までよりも、ここに来てもらう回数を減らしてもらった方がいいかもしれない』

『なんでだ!』

 反射的に咎めるように叫んでしまったことに気付いて、ディヴァインは慌てて口を覆った。困ったようにサシュカはその優しげな眉を寄せる。

『それは――』


 だがその先は続かなかった。扉が開く音にサシュカは紡ごうとしたことを言いさして、外の廊へと繋がる先へ顔を向けた。金色の髪先をかすかその耳元で揺らし、紫の瞳を慕わしげに細めて、ヤサメがふたりへと歩み寄ってきていた。


『またいらしてらっしゃるとは思わず……お邪魔をして失礼をいたしました。ラクシュミー様』

『――構わない』

 言葉とは裏腹に睨み上げるディヴァインに、まるで気にした風もなくにこりと笑いかけ、ヤサメはサシュカへと目を転じた。


『サシュカ、ゆうべ、僕の部屋に落し物をしていたよ』

『まあ、気づかずに……。すみません』

 差し出された小さな耳飾りをサシュカは微笑んで受け取った。よくあることなのか、あまり慌てた様子は見られない。昨夜といえば月を見ようと彼女を誘って、また別の夜にと断られた日だ。ディヴァインは驚いてサシュカを振り向いた。


『サシュカ、昨日、ヤサメのところ、行っていたのか?』

『ええ、ラクシュミー様。祭殿の方の私の部屋は、巫女殿にも来ていただけますから』

『お前に聞いてない』


 苛立たしげに噛みつくディヴァインに、申し訳ありません、とヤサメは笑い声を潜めて楽しそうに詫びた。こうしたところも鼻につく男だと思う。彼女を畏れ敬わないという意味ではサシュカと同じはずなのに、不快で、そしてどこか、いつも背筋が寒くなる。光にうつろい煌めくサシュカの夜明けの紫と似ているが、彼の瞳は凍りついた深い闇を誤魔化すようで、見つめられると閉じ込められるに似た閉塞感を覚える。


『少し、ヤサメ様に相談したいことがあってね。それで最近よく、お邪魔しているの。昼間は他に人もいるし、あまり話しこめないから、どうしても夜になってしまって』

『ヤサメでいいと言っているのに。サシュカ、僕たちは対等の立場だ。だろう?』

『ええ、ですが、いままだこのままで』


 気安げに言うヤサメに、サシュカは控えめに頬をほころばせた。またディヴァインの知らない綾がその瞳にそっと混じる。彼を見つめ上げてほしくなくて、ディヴァインはやや強引にサシュカの手を取って寄せ、自身の方へ視線を引き戻した。


『その相談というのは、私には話せないことなのか?』

『そう、ね。その、一族のことだし……少しあなたには――……』

 縋るようなディヴァインに、けれどサシュカは言葉を濁した。ディヴァインの気持ちをきっと分かってくれただろに、力になりたいとの願いを受け止めてはくれなかった。


 そうか、と短く納得のない頷きを返して、おもむろにディヴァインはサシュカの手を離し、立ち上がった。その後ろ姿に、白銀の尾が寂しげに力なく垂れ下がっている。

『今日は、もう、帰る。――邪魔をした』


 サシュカを見られずに言って、ディヴァインは姿を消した。まだかすか夏の熱を残した陽射しを、花のない寂しげな砂地が、虚ろに照らし返していた。















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