魔獣殺しの呪珠
深く黒い夜の海に、空の高みに昇りかけた満月が白銀の影を落とす。羽織った外套の端を夜風に靡かせ、船べりから月明かりに揺らめく波間を眺めやる透夜とユリアの元へ、足音が近づいてきた。
「悪い。寒い中、待たせたな」
息子を伴い、魔獣が笑う。
蒼珠を介して、話があるとハーシュが持ちかけてきたのは夕暮れ時のことだ。透夜とユリアに、ということで、ピユラには話があることすら伏せて、席を外しておいてほしいらしかった。そこで、寝る時になるのを待ってユリアは透夜に呼ばれていたと船長室を後にし、なにかを思いついてピユラが追いかけることがあっても、伽月が部屋の近くに控えて留めるなり、知らせるなりしてくれることになっていた。ユリアとしては偽って彼女をひとりにするようで気が咎めたのだが、当のハーシュの頼みとあっては断れない。
だが、そのなんとも言えない気持ちが表情からうかがえてしまったのだろう。ユリアを見ると、ハーシュは申し訳なさそうに苦笑した。
「仲間内で隠し事を作らせるようで悪いな。姫さんをのけ者にするつもりはないんだが、物事には知るべき時ってもんがある。この話は、多分……まだ姫さんには早いかもしれないと思ってな」
怪訝げに首を傾いだユリアたちを、まあ長くなるから適当に座れと促し、ハーシュ自身は近場の酒樽の上に腰を下ろした。金色の鋭い瞳が一堂を見渡す。
「さて、航海は順調だ。海が優しいうちに、伝えておきたい話がいくつかあってな。そのうちのひとつが――まずあの莠のことだ」
その名に確かな緊張が場に張り詰めた。王都で笑いながら嬲られた記憶は、あまりにもまだ新しい。
「あいつの力がどんなもんかってのは、まあ、身をもって知っただろうからあまり多くは語らねぇが、あれがまったくの全力本気じゃねぇってことは理解できてるな? あいつは、正直、普通に考えて並の人間の手に負えない。玄也っつう方は、まだまともだ。いまの世で考えれば強い魔力を持っちゃいるが、それこそ魔法が栄えてた昔なら、いておかしくない程度だ。だが、莠はまずい。法則性もなにもなく、やたらめったらに強力な魔力を生む部品を体中に組み込んで、無理やり人間を強力な魔獣に仕立て上げたようなもんだからな」
それこそ、人の許容を越える魔力だ。黒衣の彼と違い、ただ与えられるだけではなかったかもしれない。有り余る物を受け入れるために、本来必要なものを少しずつ、その身から生きるには困らぬ程度に削ぎ落されていたとしても不思議はない。
継接ぎ人形と揶揄されて、彼は悲愴さも諦観もなく艶やか微笑んだ。本人こそ、よく分かっているだろうに。あの冴え冴えと美しい姿かたちの下に、およそ人の身にそぐわぬ歪さが、いかに無慈悲に詰め込まれているか――。
彼の内にあるのは、彼が語った魔を齎す〈宝石〉だけではない。
「――魔獣殺しの〈呪珠〉」
ふと漏らされた初めて耳にする言葉に、ユリアたちは不可思議そうに首を傾ぎ、眉を寄せた。当然の反応だと頷き、ハーシュは続ける。
「あいつの中に、大量の〈宝石〉とやらの他に埋め込まれてるもんだ。古に、人と魔獣を断絶させるきっかけのひとつとなった代物でな。要は、魔獣専用の強力な首輪みたいな効果をもった石だ。そいつを埋め込まれた魔獣は、〈呪珠〉を施した術者の意のままに操れるし、生殺与奪もそのあいての心ひとつだ。おまけに万一歯向かえて、術者を殺せたとしても、それをきっかけに自分の命も石に奪われちまうんだよ」
魔獣の誇りを殺し、飼い犬に貶める。魔獣の持つ強大な魔力を利用して、根を張るようにして身体を縛り、蝕み、命の所有すら奪われる。それは、心の臓を掌の上で弄ばれているようなものだ。
魔獣を使役しようとした人間が生み出した、禁断の技法。歯向かうことすら許されず術者に使われた魔獣は、人と交わらない誓いを無理やり破らされ、瞬く間にその身を消耗し、潰えてしまう。
「術式や魔道具の研究が盛んだった砂漠の民が生み出したもんで、俺たちにとっては、それこそ呪われた珠だ。だが、魔獣並みの魔力を持つ相手に使わなけりゃ、ただの綺麗な小石なんだよ。だから、使える相手も試す相手もいなくなれば、自然と技は消えていって、とうの昔にそんな技術は途絶えちまった――と思ってたんだが……」
「帝国が、その技を蘇らせたっつうことか」
苦々しげに頭を抱えたハーシュのあとを、蒼珠の低く重い声が次いだ。確かに、かの国ならば出来そうな話ではある。失われた技術や魔道具を、まるで新しい玩具を見出すように誰が無邪気に蘇らせているのか、蒼珠は痛いほどよく知っていた。
「これは推測だが、莠があれだけの魔力を与えられたのは、戦力としての一面ももちろんあったんだろうが……被験体としての意味合いの方が強かったんじゃねぇかと睨んでる」
戦力を望むなら、莠ほどといかずとも、玄也のような者が他にもいてもいいはずなのだ。それが、戦地に現われる帝国の強力な魔法使いとして噂になるのは、常に白と黒の軍衣の二人組だ。
「おそらく、帝国は魔獣殺しの〈呪珠〉を蘇らせる必要があった。だが、いざ作ってみたところで、〈呪珠〉は魔獣並みの強大な魔力に反応し、その体の内に巣食うことで初めて力を発揮する。魔獣がいなけりゃ、作成に成功したかどうか分からない。そう考えれば、帝国が五年前まで俺や秋珠をはじめ、魔力量が多い者を捉えようとしてた理由が少し見えてもくる」
莠が魔獣並みの魔力を与えられ終わったのが五年前なのか、それとも〈呪珠〉が完成したのが五年前なのかまでは分かりかねるが、そこは些末なことだ。その時に、帝国は望むものをふたつ、手に入れた。
「魔獣を捕まえるより、造る方が早いってのはとんだ発想の転換だが……――あの坊主は、〈呪珠〉を復活させるための人造の模造魔獣だ。で、実験が成功したあとも、あいつは当然、〈呪珠〉を埋め込まれたままで、手枷足枷を何重にもかけられて、しまいにゃ首も括られてるような状態なんだろうよ。だからあいつと対面した時、嫌って程感じたぜ。あの〈呪珠〉特有の、重苦しい胸糞わりぃ気配をな。――嬢ちゃんも、あの坊主を前にすると、嫌な感じとかしなかったか?」
「確かに……ありました」
ハーシュに話を振られ、ユリアははっとして頷いた。初めて彼が姿を見せた月夜の晩。けっして彼に近づいてはならないという警戒が、焦りと恐怖とともに身を包んだ。彼が敵対者ゆえかと思っていたが、あれはユリアの内の幻獣が――ラクシュミーの力が、〈呪珠〉の気配に反応していたのだ。
「嫌な気配がとぐろを巻いていたというか……。鎖でがんじがらめにされたような、そんな重たい圧迫感がありました」
「鎖……か。まあ、適切な表現だな。だから、姫さんは呼べなかったんだよ」
痛ましげな顔を浮かべたユリアにハーシュは言う。
「ここのところ、ずっとなにかを思い悩む風だ。そこに仇敵のこういった話を聞かせりゃ、きっと姫さんも嬢ちゃんみたいな顔をする。それまで、いまの姫さんには抱え込みきれないだろ」
彼と再び対峙するにしろ、しないにしろ、ハーシュの目には、彼女はいまは自身と向き合うことに注力した方が良いと映った。
莠は力への驕りも境遇への悲嘆もなく、ただ揺るぎなく帝国のモノとしてあそこにいた。あの立ち居振る舞いをする相手に、同情や憐憫で挑んで、敵うはずがない。
「姫さんにはお前たちが話すべきと思ったのなら、その時に話せばいい。別に俺も、お前たちにこの話したのは、あの坊主への同情を誘うためじゃない。そこが分かったうえで、この話を聞けると思って話した。で、だ。つまりこいつは前提で、本題はこれからなわけだ。この〈呪珠〉の存在、どう考えたって、きな臭いだろ?」
「幻獣は、女神ラクシュミーに、つまりは神がごとき魔獣に繋がる力。それを求める帝国が、魔獣を意のままに出来る魔獣殺しの〈呪珠〉を持っている、ということですね」
「そういうこと。な? 本当になにする気なんだって話だろ。ったく」
険を深めた怜悧な紫黒の双眸に笑みを返しつつも、ハーシュの表情はどうしても精細さを欠いた。
「もうひとつ、これで前から引っかかってたことが、より気になってきた。帝国と砂漠の民との関係だ」
物思わしげに太い眉を寄せ、喉の奥で魔獣は呻る。
「〈呪珠〉は、ラクシュ砂漠の民、その中でも、ラクシュミーヤと称された部族から生み出されたものだ。ラクシュミーヤっつうのは、ラクシュミーの民って意味でな。かつてかの砂漠一帯で神と信奉されてたラクシュミーには、それを祭る巫女がいた。その巫女の血族を要していた特別な部族が、ラクシュミーヤだ。それだけラクシュミーとも近く、おまけに、魔道具や術式の研究にも熱心だったらしい。だから、色々と重なるんだよ、いまの帝国の在り様とな」
「確かに……。嫌な一致だな」
父の言葉に、重く蒼珠も頷いた。
とはいえ、それは感覚以外のものでなく、他にそれ以上繋がりを見出せるものもなかった。北方大陸の帝国と、南方大陸にあるラクシュ砂漠の国々や部族との間に交流があるという話は、過去にも聞いたことはない。そのうえここ十数年は、かの砂漠一帯と帝国は交戦の真っ只中だ。交流はおろか友好とは真逆の状態にある。
断続的な休戦期間を挟みながら、戦況は帝国優位に進んでおり、いくつかの主要地域は帝国の支配下に落ちていた。セーラが捕らわれている場所も、そうした帝国の傘下に加えられた国や街のどこかなのだろう。
「ま、この件はこれ以上ここで考えてもらちが明かないが、ともかく、砂漠にいって例のお嬢さんを助けたら、お前らはまず、ラクシュミーヤの巫女の末裔を探しだすのがいいと思う。透夜の術式のことにしても、ユリアの嬢ちゃんの幻獣のことにしても、帝国の持つ〈呪珠〉のことにしても、そいつらに接触できれば、なにか糧になるものが得られる公算が高い」
「理屈は分かるが、探すつってもあてはあるのか? そもそもいるのかも怪しい末裔っていうんじゃ、話にならねぇぜ、親父。場所の目安があるなら教えて欲しいんだが」
いまの世にラクシュミーヤなどという部族の名は聞いたことがない。その末が健在だという保証もない。砂漠は広く、帝国の攻勢が激しい地域もある。蒼珠としては、むやみやたらに動き回ることは、なるべく避けたかった。
「正直なところ、正確な居場所は分からねぇが、少なくともその末に近い者がいるのは確かだと思う。理由は、あの砂漠の土地の魔力がえらく読み取りづらいからだ」
ハーシュいわく、古からラクシュミーが好んで居場所としていた砂漠の地は、膨大な魔力を湛えていたそうだ。ラクシュミーが消えるとともにその大半は枯渇したが、それでもいまの世として考えれば、多すぎる魔力がある土地らしい。
だが、その魔力がどの地域に強く集まっているのか、またはどの場所は少ないのか、というのが、魔獣であるハーシュであっても感じ取りにくいのだという。
「帝国と似たようなもんだな。術式かなにかで、誰かが意図的に隠してる。あの国よりは拙いが、効果としては充分だ。おそらく、近年より攻勢を強めてる帝国に、魔力の強い土地を特定して、集中的に攻められないようにするためだろう。地理的、政治的主要地と、魔力の高い土地っていうのは必ずしも一致しないからな。で、そんな砂漠全体を包む術式を維持できる芸当は、そうそう誰でもできるもんじゃない」
「だから、それを為している連中が、昔の巫女の一族の末裔ってことか」
「そのとおりだ。ま、血は引いてなかったとしても、それなりの魔法の知識をいまだ保持してる連中ってことは間違いない。見つけ出して損はないだろう」
そう言うとハーシュは懐から一巻きの羊皮紙を取りだした。
「そんなわけで、ちょっとした地図をしたためた。俺の昔の記憶と、いまの砂漠の魔力の気配を探れるだけ探って、ある程度、魔力の強いと思われる土地を絞り込んだもんだ。ないよりは動きやすいと思う。――本当は、俺がつきあってついていってやれりゃ、もう少し気配も感じ取れるし、案内にもなるとは思うんだが……」
そこでハーシュは言葉を濁した。明るい瞳に燻りをわだからませ、頭を掻きやる。
「俺はちっと、あの砂漠には降りづらい。なんつぅか、ラクシュミーは本当に、魔獣の中の魔獣だったんでな。ラクシュミーが消えて、あの砂漠の魔力もずいぶんと尽きて、数百年経った。それでも、俺のような魔獣があの土地に降りたてば、飲まれちまう可能性がある。魔の力を吸われて、用をなさなくなっちまうかもしれねぇんだ。あの土地に他の魔獣がいることで、嬢ちゃんの幻獣に変な影響が出るかもしれねぇっつう、懸念もあるしな。だから、俺は港までだ」
蒼珠へと地図を投げてよこし、ハーシュは唇を引き上げた。紅い髪が、黒い海を背にしながら、なお鮮やかにたなびく。
「まあ、なにか事があったら、姫さんの風魔法でも使って連絡よこせ。駆けつけてやるよ」
「そうなんねぇことを祈るぜ」
笑って受け止めつつも、蒼珠は羊皮紙をそっと握りしめた。父は容易いように言ってのけるが、本当に彼が来るというのなら、それは無理を押しとおしてということだ。それほどの事態になることも、それをさせてしまうことも、出来れば避けたい未来だった。
「……あの、ハーシュさん」
「どうした? 嬢ちゃん」
躊躇いがちにかけられた声にハーシュが笑顔を向ければ、水色の瞳がしばし逡巡してから彼を見つめた。
聞いてほしいと切り出してユリアが語ったのは、当然、ここ数日見ている夢の話だった。それは一見、穏やかな夢なのだ。時間や季節は違えど、たいてい場所は、白い砂地の真ん中、硝子の天蓋の元。柔らかな紫の瞳の少女と、白銀の髪の魔獣の少女が他愛もない会話を楽しむ夢だ。ゆるやかに流れる時間と、少女のぬくもり、耳に心地いい涼やかな声――そのすべてが愛しく胸を満たしてくれる。
そのはずなのに――目覚めると、涙がこぼれて仕方ないのだ。昔、似た夢を見た時にはなかった、胸の奥に突き刺さるような悲痛の欠片。それが、いま見る夢は、起きるごとに突き立てられる。
「あれは、ラクシュミーなんでしょうか? そして、いつも一緒にいる子は、その、いまお話のあった、巫女……なんでしょうか?」
彼女がいつもいる場所は、静謐で、祭壇のようにも見えた。白銀と金で象られた、小さな、どこか鳥籠のような建物――そこにいつも彼女は座している。
「俺もラクシュミーをこの目で見たわけじゃねぇから、なんとも言えない部分もあるが……確かに、ラクシュミーは白銀の長い髪と尾を持つ、少女のような姿の魔獣だったらしい。ディヴァインって呼ばれてるのが引っかかるところだが……もしかしたら、それがラクシュミーの本当の名なのかもな。ラクシュミーっつうのは、あくまでも人と他の魔獣が彼女を呼ぶときに使う名で、彼女自身が名乗ったもんじゃないそうだから」
困り気味に金色の双眸を緩めて、ハーシュはゆっくりと答えた。見上げるユリアの瞳の奥に、月明かりが眩く揺れて輝く。さざめく水面に金色に光が翻るように、それはふとした一瞬に、彼女の瞳を魔獣の色に染めて見せて、ハーシュの背筋をすっと冷やした。
「もうひとりの子が、巫女なのかどうかは、俺には分かりかねる。紫の目ってことは、魔力的な力が強い血筋なんだろうが、巫女の血筋かは判断できねぇ。ラクシュミーヤの部族には、巫女の血統の他にも、強い魔力を伝える血筋がいくつもあったらしいからな」
だが、とハーシュはそこで言葉を区切った。ユリアを――その奥底にある幻獣を見定めようとでもするように、じっと見つめる。彼の語る話は、幻獣の耳に届いているのだろうか。それとも幻獣の――ラクシュミーの意識には捉えられないまま、波音のようにさざめき、掻き消えているだけなのだろうか。
はっきりとしたことは掴めないが、いま伝えてきたことが聞こえていたのだとしても、ラクシュミーはもう怒りなしないのだろう。ユリアにとって良いか悪いかは別として、大切な思い出の一部を、彼女と共にするほど溶け合っているのだから――……。ハーシュはもう一歩だけ、踏み込むことにした。
「嬢ちゃんの夢に出てくる子が、ラクシュミーにとって大切な相手だったのは、きっと間違いねぇだろう。前にこう言ったのを覚えてるか? 『ラクシュミーは、人を愛し、人に裏切られ、すべてを憎んで姿を消した』って。あれはもうちっと詳しく言うなら、ラクシュミーにはどうも、大切な人間の友がいたらしいんだ」
長い年月守り続けてきた魔獣としての誓いに触れてまで、そばにいたいと、隣を願った友が、ラクシュミーにはいたという。そして、どういったいきさつかは知らないが、その友を得たがゆえに、彼女は消えることになったらしいのだ。人に、憎しみを残しながら――……。
「サシュカっつう名前は、さすがに俺には聞き覚えがないが、それが分かってるなら、なにか手がかりになるかもしれねぇな。あそこの民はわりとまめに記録を残す風習がある。もし巫女だってことなら、なんらかの形で名前ぐらいは伝わってるだろうから……」
そこでハーシュは、あ、と、先ほどまでとは一転、間の抜けた声をもらした。そろりと一堂に視線を巡らせ、図体に似合わぬささやかさで小首を傾げる。
「ところでお前ら……砂漠の言葉、話せるか?」
うっかり失念していたが、情報収集をしようというのに根本的な壁があった。
沈痛な面持ちでいたユリアの顔色が、また別の意味で青く焦りに塗り変わった。蒼珠が力なく、挨拶程度の会話と多少の聞き取りぐらいなら、と頬をかく。そこに、
「まぁ……困らない程度なら、おそらく」
そう響いた透夜の答えは、控えめな声音に反して頼もしく聞こえた。一同が、特にユリアが、縋るように彼を顧みる。その勢いに一瞬面くらいつつも、多分兄さんもいける、と透夜は続けた。交流は少ないながらも、教養としてあちらの言葉も教え習っていたらしい。
「そうか。ふたりもいんなら一安心だ」
教えて、と、飛びついてきたユリアを抑え込む透夜を微笑ましく眺めやりながら、ハーシュは目元を和らげる。
「姫さんの風魔法を使えば、ある程度言葉の壁も超えられるだろうが、そう気軽に魔法を使い過ぎるのも奨められねぇからな。良かった、良かった。ま、あとはうちの船にも何人かあそこの出身者がいる。そいつらにもならって、海にいるうちに挨拶ぐらいはみんなでものにしときゃ、あとは透夜と伽月でなんとかなんだろ」
魔獣の笑い声が星空の下に軽快に通り渡った。それを聞き流しながら、また透夜に貸しが増えんなぁ、と蒼珠が独りごちる。
その溜息交じりながらも急に賑わいだ空気に安穏と落ちたぼやきは、ぴりりと頬を切る海風に吹き散らされて、夜の向こうへと消えていった。




