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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第一章 王女と幻獣使い
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遭遇



 風の音を手繰って辿り着いた先は、この賑やかで豊かな街の影の場所だった。暗い裏路地に狭く汚れた家とも呼べない住み家が密集し、澱んだ空気が渦巻いている。貧しい者たちが押しやられた地域。故国を出てからいく度か目にすることとなったが、この荒んだ空気はピユラの胸には苦しいものがあった。


 その貧民街の一角――傾く高い塔を陽の光に浸してたたずむ壊れかけの礼拝堂から、喧騒は響いていた。蒼珠はまだ追いついてこない。さすがに自分ひとりで正面から踏み込むのは危険が過ぎるだろう。しばし考え、ピユラはまた唇に呪文をのぼらせた。


「風は我が盟友にして我が手足。我が血を寄る辺に永久の誓いを示したまえ。我が呼びかけに応え力となれ」


 ピユラを包んで風が吹き寄せ、長い黒髪を天へと巻き上げる。ふわりと地から彼女の足が離れ、そのまま逆巻く風に運ばれて彼女は空へと舞いあがった。


 まるで、己が身体の一部のごとく風を操り、空を飛ぶ。風羅の民亡きいま、この世でただひとり、彼女だけが使える風の魔法――。それを惜しみなく用い、ピユラは塔の壊れた窓からひっそりと礼拝堂へと入り込んだ。息をひそめ、腐りかけた木製の柵の間から下階をうかがい見る。


 銀色の光が閃き、振り下ろした剣を迫り上げられた男が、そのまま相手に腹を蹴り飛ばされて、後ろの仲間らしき者たちと共に倒れ込んだ。蹴り飛ばした方は、青年の齢に手をかけかけた少年だ。この辺りではあまり見ない少し色の濃い肌と、鋭い眼差し、中性的な整った顔立ちが目を引いた。荒く息を切らしながらも、隙なく取り囲む男たちとの間合いをはかり、距離を取って後ずさっていく。その背には不安げに彼を見つめる、栗色の髪の少女の姿があった。


 周りにはすでにいく人も、おそらく彼に斬り伏せられた者たちが傷を抱えてうずくまり、呻いている。多勢に無勢の中、少年は少女を庇って随分と持ち堪えているようだ。しかし、数の利は完全にあちら側。それにも限度がある。


(ふむ。これはどう見ても、どちらを助けるべきか明らかじゃ)

 ピユラはそっと右手を少年と少女へ向けて差し伸べた。小さく紡がれる魔法の言葉。それが終わった瞬間、下階に風が吹き荒れた。


 誰もが驚愕に揺れる中、少年と少女の身体が浮き上がる。戸惑う少女をとっさに抱き寄せた少年が、ピユラの気配に気づいたのか、はっと上階を仰いだ。鋭い紫がかった黒の双眸と、ピユラの大きな澄んだ紫の瞳が合わさる。ピユラは得意げに、彼へ向けて口角を引き上げた。


「助けよう! 逃げるぞ!」

 その声と同時に、空を飛ぶピユラに導かれるままに、ふたりの身体も宙を駆け、天井に張り巡らされた蜘蛛の巣の間を擦り抜けて、大きく空いた穴のひとつから二階の屋根の上へと踊り出た。下方から男たちの喚き騒ぐ声が聞こえてくるが、この朽ちかけた建物を登って追いつくのには多少時間がかかるだろう。

 ピユラは大きくひとつため息をついた。


「うむ。これで逃げ切れたとは言わぬが、ひとまず安心じゃ。そなたら、なぜあのような目、に」

 向けられた刃に、ピユラは一瞬言葉を飲み、しかしすぐさま剣の持ち手をねめつけた。

「なんの真似じゃ」


「いまの件は礼を言う。助かった。だが、お前が味方と決まったわけじゃない。当然だ。斬りつけてないだけましと思え」

 その切っ先に敵意はなかったが、一歩でもピユラが動けば瞬く間にそれは塗り替わるだろう、手慣れた使い手独特の気迫があった。だがその痺れた空気に、彼の袖を引いて少女の声が割っている。


透夜(とうや)、絶対この子悪い子じゃないよ」

「そう言ってお前になにかあってからじゃ遅いだろうが」

「ありがとう。でも、大丈夫だから剣はしまおう」

「いや、待て! なにがどうして大丈夫になった!」


 なぜか自信たっぷりに言い切り、いそいそと剣持つ少年の手を押し留める少女に、半ば呆れ混じりの怒声が少年から飛ぶ。もしかしたらピユラに剣を向けていなければ、盛大に頭を抱えていたかもしれない。そんな気配すら感じる語調だった。


「いや、お前に人を見る目があるのは認めるが……少なくともいまは誰であっても疑え!」

「透夜の言い分も分かるんだけど、でも大丈夫! 信じて!」

「だから待て! おいこら、下手に剣を押さえようとするな! 怪我するだろ!」

「そなたら! よくわからぬが、妾をおいて仲良く喧嘩をするでない!」

 急速に失われていく緊迫感に、思わずピユラは声を張り上げた。その時だ。


 ぐらりとピユラの視界が揺れた。身体の平衡感覚が失われる。

(まずい……! 魔力を、消耗しすぎた)

 自在に人の身を宙に浮かべ、飛ばす魔法は、多くの風の力を必要とする。それを短時間にいく度も、久方ぶりに己以外にまで行使したことで、想定以上に身体が悲鳴を上げたらしい。


 傾いだピユラの身体はそのまま自身を支えきれずに、屋根の淵から遥か地上へと倒れ込んでいく。

「おい……!」

 慌てて伸ばされた少年の手がすんでのところで間に合わず、ピユラの腕を掠めて空を切った。魔法の詠唱も間に合わなければ、使う力も残っていない。真っ逆さまに、先まで空を駆けていたはずのピユラの身体は、地面へと滑り落ちていった。


 屋根の際まで追いすがったふたりが悔しげに、悲痛そうに、顔を歪める。しかし――走り込んできた影が、落ちてきたピユラの身体を力強く抱きとめた。衝撃にわずか呻き声を漏らしながらも、決して取り落とさないよう華奢な彼女をしかと抱きしめる。


蒼珠(そうじゅ)……」

 予期した痛みがなかったことにピユラは目を見開いて、彼女の騎士を仰ぎ見た。その金色の目が、眉間が、厳しく顰められて彼女を睨む。


「なぁ、こら。これはさすがの俺も怒るぞ、ピユラ」

「すま……いや、そなたが来るのが遅いので、こうなったのじゃ!」

「素直にありがとうとごめんなさいが言えんのか、この口は!」


 気まずさに思わず蒼珠へ抗ったピユラの口を、上半身を支える腕はそのままに、彼が器用に掴んで引き伸ばす。柔らかいのかよく伸びるその口で、何事か言葉にならぬ言葉でわめいたのち、ピユラはやっと離された頬をさすった。


「とんだ無礼な騎士じゃ! ……しかし、その――本当にすまぬ。助かったのじゃ」

「っとに頼むぜ。本気で肝が冷えた」


 腕の中で罪悪感に小さくなる彼女に眉根を寄せて、苦笑をこぼす。落下する彼女を目にした時の心臓を掴み取られたような焦燥は、出来れば味わいたいものではない。蒼珠は深く吐息を落とした。


「で、どういうことで、あれは誰なんだ?」

 屋根の上のふたりへと蒼珠は視線を転じた。古びた礼拝堂の中から響く声と併せておおかた状況は察せたが、答え合わせは必要だ。しかし、ピユラがそれを口にするより先に、上方から声がかかった。


「おいお前ら。本当に中の奴らと無関係なら、話し込む時間はなさそうだ。表に出て回り込んできてやがる。面倒なく逃げるなら、いまのうちだ」

 言いながら彼はもう、傍らの少女の手を取って立ち上がっていた。蒼珠の見立てでは、その気になればこちらへ飛び降りも出来そうな彼がそうしないということは、そのまま屋根を反対へ走って、蒼珠たちがいるのとは別の道へと逃げるのだろう。確かに外から見た構造だけではあるが、その方が彼の言う、表に回り込んでいる者たちからは遠くなる。


 去ろうとした足をふいに止め、ひたと少年がピユラを見つめた。何事かと瞬く彼女へ、どことなく安堵を交えて言い捨てる。

「――お前、無事でよかったな。こっちも後味が悪く無くて助かる」

「あの、これお礼です! 本当に大事なくてよかった!」

「ユリア、一言余計だ! 行くぞ!」

「ありがとうございました~!」

 気まずげに顔を赤くした少年は手を振る少女を引っ張って、屋根の向こう側、傾いだ塔の奥へと消えていった。


 取り残されて、蒼珠が首をひねる。

「え~っと、こりゃとりあえず、ここから逃げりゃいいのか?」

「大変不満が残るのじゃが、その通りじゃ!」

 いまだ蒼珠の腕の中に納まりながら、頬を膨らませてピユラは言った。


「よくは分からぬが、あの者たちを襲っている男たちがいたのじゃ! 妾があの者たちの逃亡にありがたくも風魔法を行使して手を貸してやったゆえ、仲間と思われたかもしれぬ。ゆえに……その……すまぬ。逃げるのじゃ」

 次第に顔が険しくなっていった蒼珠に気づいて、ピユラの勢いはしゅんとしぼみ、肩身狭そうに縮こまった。


「はいはい。危険なことしたの謝れたのは偉いぞ~。もうすんなよ。少なくとも、ひとりで」

「う、うむ」


 前半のあしらい方があまりに幼子に対するようで異議を申し立てたかったが、後半の鋭く睨みを利かせた叱責にピユラは大人しく頷くことにした。彼に迷惑をかけたいわけではないのだ。

 その気持ちが伝わったのだろうか。蒼珠は次には八重歯を見せて明るく笑った。


「ま、お前の人助けをしたいって気持ちは尊いもんだとは思ってるさ。だから、きちんと考えてやれってことだ。分かったな?」

「うむ!」

 ピユラは瞳を輝かせた。この煌きに彼は弱い。蒼珠はぎゅっとピユラを抱きしめ直した。


「んじゃ、走るぜ。しっかりつかまってろ!」

「任せたのじゃ!」


 楽しげな声と共に無遠慮に彼の首へと細い腕が抱き着く。まったく抱かれる子どもの体だ。本人は大人になった気でいるが、これだからこの小さなお姫様からは、まだ様々な意味で目が離せない。

 苦笑をひとつ柔らかに口端に溶かして、蒼珠は彼女を抱えて駆け出した。男たちの喧噪が風に混じって聞こえてくる。


(そういや、さらっと、また風魔法使ったって言ってたな……)

 先のピユラの言葉がふと蘇る。常日ごろあまり使うなと言ってはいても、どうも手足のように慣らしていた力のためか、相変わらず忠言の効果は薄いようだ。


(どうかとは思うが……ほんと、珍しくはねぇんだよな……)

 しかし今回はひとつ、いつもと違う。いままでは蒼珠の目の届く範囲で、ささやかに使う程度だった。だから、魔法に明るい者でなければ風を操ったとは気づかなかっただろうし、その行使の範囲もさしたるものではなかった。


 だが、此度はどうだったのだろう。魔力を随分と消費した様子の彼女と、与り知らぬ出来事に、蒼珠は嫌な予感がした。腕の中で風切る逃走を楽しんでいるピユラにこれ以上苦言を呈するつもりはないが、妙なしこりが消えない。


(なにもなきゃ、いいんだけどよ……)

 蒼珠はちらりと、遠く背後に佇む礼拝堂へ目をやった。薄汚れ、壊れかけた外観からか、裏寂れた路地の中でひと際異様な存在感を放っている。祈りを捧げる家にしては、どことなく薄ら寒い恐怖があった。


(……まいったな。この勘だけは――)

 当たらなければいい。蒼珠はよせる不安を振り切るように、さらに力強く地を蹴った。





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