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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第三章 亡国の継子
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王太子




 (はぐさ)たちの元を逃げ切り、王城から遠のいて王太子がいると噂に聞いたカシュテ城を目指していた伽月(かつき)たちは、道中で運よく、王太子の命で王都周辺の偵察へ出ていた護衛兵の一団と合流を果たした。


 手短に再会を喜びあい、行く道で情報を交わし、カシュテに着く頃には、早い冬の夕暮れが始まり出していた。兄さんとは出奔の状況が違うと渋る透夜(とうや)も引きずって、王太子との謁見に臨めば、先に伝令を受けていた彼は快く一同を迎え入れてくれた。


「殿下。こちらが風羅(ふうら)のピユラ王女、その騎士であられる蒼珠(そうじゅ)殿と蒼珠殿のご尊父のハーシュ殿。そして、そのお隣が――我らがご迷惑をお掛けした、ユリア殿です」

 政務室代わりの広い一室に招き入れられた一行を、伽月が王太子へと紹介する。伽月としては、透夜とは逆に、体調が優れないならばとピユラと蒼珠には休息を勧めもしたのだが、王女の矜持が礼を欠くことを許せなかったらしい。それは、いまの彼女にとって大切な支えであろうと、多少の無理は見なかったことにし、伽月は王女の言葉に従ったのだ。


「皆さま、こちらがスティル王国王太子ニール・イザナ・ロドム・スティル殿下です」

「初めまして、皆様。歓待の用意もなく、慌ただしい中へのお招きとなり、申し訳ございません。及ばぬこともありましょうが、有事のことゆえどうぞご容赦ください」


 部屋の最奥の椅子から立って、入口近くの一同まで歩み寄り、親愛を込めてニールは微笑んだ。年の頃はピユラとそう変わらない。少年にしてはくっきりとした目元と瞳の大きさが幼げな印象を与えるが、穏やかさの中に滲む怜悧な空気ゆえか、年若さによる頼りなさは感じさせなかった。

 少し疲労がうかがえる顔色だったが、しっかりとした足取りで彼はピユラのそば近くまで来ると、ごく自然な動きでその手を取り、わずか足を引いて身をかがめ、そっとその甲に口づけた。思わず、ピユラはかすか肩を跳ねあがらせる。


「不勉強のため、こちらの作法で恐れ入ります。ですが、お会いできで光栄です。風羅の姫君」

 見つめ上げる優しい笑顔に、固まりかけたピユラは辛うじて思い出した物語の異国の姫君の作法通り、服の裾をつまみ上げ、会釈を返した。

 それに笑みを深め、そっと彼女の手を離したニールは、隣に並ぶユリアの手を取り、同様に彼女にも敬意を込めた口づけを送った。明らかに慌てた様子のユリアに、再度深く礼をして彼は言う。


「あなたへ為した我が父と我が国の所業については聞き及んでおります。まずは、私個人として深い謝罪を、ユリア殿」

「いえ、あの、大丈夫でしたので、大丈夫です。透夜もいて、いらして? くださいましたし。あ、あの、あと! たまに王太子様の名義で開いてくださっていた、食料とかお菓子とか無償でもらえるやつは、とても助かっていました!」


 普段おっとりとした調子の彼女には珍しい、上擦った早口で告げたあと、はたとユリアは口をつぐんだ。彼女にとって王太子などという存在はあまりに縁遠すぎ、その名を近くに感じる機会など、彼が独自に行っていた篤志活動の一端にしかなかった。そのため、照れとも緊張ともつかない焦りに押されて、思わず引っ張り出した話題だったのだが、いささか唐突に過ぎなかっただろうか。


 脈略がない話運びに、ユリアは不安げに隣の透夜をちらりとうかがった。それに気づき、いいんじゃないか、とでも言いたげに透夜は視線をやり、肩すくめる。おざなりにも見えたそれに、ユリアはかすか唇を尖らせたが、彼の判断の正しさを示すように、ニールは一瞬きょとんと見開いた瞳を、ふわりと微笑みに緩めた。


「そう仰ってもらえるならば、開いていた甲斐があったというものです。ありがとう」

「いえ、こちらこそです」

 綻ぶ笑顔は、まだ少年のあどけなさが際立つ。可愛いと素直に過った思いを慌てて引っ込めて、ユリアは深く頭を下げ返した。ひとまず、己の対応は問題なさそうでよかったと胸をなでおろす。


「透夜も、戻ってきてくれて嬉しいよ」

 ユリアから隣の透夜へと向き直り、ニールは笑いかける。それに透夜は、いささか咎めるように眉根を寄せた。

「ニール殿下。あえて私人として返させていただきたいのですが――示しもあるからそういう事を不用意に言うな」


 声を潜め彼は囁く。いまは彼らに会うと人払いがされ、部屋にはニールの伯父の宮内卿を始めとした近しい臣下数名しか控えていない。しかし、人の話はどこから漏れ伝わっていくか分からない。透夜は裏の事情があった兄と違い、明確に規律を冒して出奔している。下手にその帰還を寛大に遇せば、幼馴染であるから、父母が縁戚であるから、甘い処断だったのだと、陰口が立つのは目に見えている。それは、いまの土台すら覚束ない彼の治世の始まりを、さらに妨げる障壁になるやもしれないのだ。

 だがニールは透夜に微笑み、その言葉にゆったりと首を振った。


「同じ言葉を返すようだけど、いまのは僕の個人的な思いだよ、透夜。それでも気になるというなら、王太子としての私の対応を伝えよう。いまの君の処遇は保留だ。事が事だからね。それに君には、いま王都にいる者たちとの接触が、以前にもあったと聞いた。ぜひその話は聞いておきたいし、いまはなにより人手が欲しく、時も惜しい。処断の業務にそれを割くことは避けたいんだ。だから君のことは今後の動向を踏まえ、事の経過を見て、のちに適切に処理を行う予定だ。だから――僕としては、透夜の働きを楽しみにしてしまうな」

「……分かった」


 期待をそっと瞳に潜ませ見つめ上げるニールへ、透夜は舌を巻いて頷いた。つまりは、彼の望む方向で事が収まるよう、これから励めということだ。柔和で穏やかな気質でありながら一方で、彼には決して引かぬし揺らがぬ強さがある。それにはどうにも、幼い頃から逆らえない。


「お心に添いまうすよう、尽力します。また、殿下へは、先に我が不忠を私的にお詫び申し上げます」

 透夜は威儀を正して膝を折り、ニールの手を取って甲へと唇を寄せた。その忠節を優しい眼差しでしかと受け入れ、ニールは再び一同を見渡す。


「こちらに至るまでのひとまずの経緯は、伽月と透夜から聞きます。詳しいお話を伺いもしたいですし、皆様からもお尋ねがありましょうが、本日はまずお休みください。我が国の者も多く、部屋が限られているため、おひとりずつとはいきませんが、用意は済んでいます。案内させましょう」


 ニールの言葉を受けて控えていた護衛兵がひとり進み出た。伽月と透夜に一礼をしつつ、他の一同をそれぞれの部屋へ案内するため、いま一度、廊へと導く。

 その時、なんとはなしに振り向いたユリアは、閉まる扉の隙間――ニールとなにか会話を交わしながら奥の円卓へと歩む透夜の横顔に、視線を吸い込まれた。隣で見上げる顔つきと少し異なる、美しく真摯な色。


 ああ、これが彼がいた場所かと、静かに閉じた扉の向こうへ思いを馳せる。知らぬままで済ませるには惜しかったその表情を、垣間見ることができ、思わずユリアの口元は綻んだ。故国に多少の蟠りを抱きながらも、さして気に留めずに戻る道を選べる自分で良かった。あの話し合いの日、もし嫌悪を抱いて国に戻らないとねだったならば、彼はそれを叶えてくれただろう。だが決して、いまの姿は見られなかった。


 呼びかける案内人の声が聞こえ、ユリアはそれに詫びながら、歩むはずもなかった城の廊下を、軽やかに駆けていった。






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