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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第二章 紅い魔獣
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嵐を超えて




 闇夜のような黒雲が幾重にも重なり、雷を宿して唸る風と共に空を駆け抜ける。穏やかな天気と風に恵まれ、順調な航行を続けていたカウニボロァは、ハーシュの見込み通り、次の日の昼前には嵐に巻き込まれていた。横殴りに叩きつける豪雨の中、帆をたたんでなお船は風に煽られ、荒れ狂う海に弄ばれて、襲い掛かる冷たい波をいく度も被りながら、いまにも覆らんばかりに揺れ動く。


「じょ、上下に揺れてるぅ……」

 目まぐるしく動く船員たちの邪魔にならないよう船長室に引き籠っていても、嵐の激しさは否が応でも伝わってくる。あまりの揺れに気持ちが悪くなり、ベッドに腰掛けてもらった透夜の膝に頭を預け、腰に掴まり、ぐってりと横たわるユリアを心配そうにピユラがのぞき込む。転げ落ちないよう支えになり、押さえておいてもらわねば、ひとりで寝そべることもままならないのだ。


「私もだいぶ、これは堪えるのじゃ……」

 まだ座っていられはするものの、ピユラもだいぶ気分が優れなくなってきていた。蒼珠が酔い覚ましにと用意してくれた薬湯も、逆に喉を通すと危険そうだ。


「よぉ、大丈夫か? 大丈夫じゃねぇな?」

「ちょっといつになく凄い嵐だからねぇ」

 慣れぬ海上の嵐を耐え忍ぶしかない五人が、息をつめて籠る船室の扉が開いた。吹き込む冷気と共に、ハーシュと秋珠(しゅうじゅ)が姿を現す。髪先からは水が滴り、ぐっしょりと衣服が濡れそぼっている。当人たちは平然としているが、見ている方が凍えそうだ。


「ま、どんな嵐だろうと沈ませることはねぇから、そこはこの船の奴らを信じてもらっておいてくれて構わねぇんだが、なにぶん、ついてねぇな。この嵐、おそらく風の向き的に、スティルへの航路と重なる通り方になる。スティル目指すってんなら、この嵐を追い越すか、こいつとしばらく付き合うしかねぇってわけだ」

「親父、一応確認なんだが、魔法的なもんではねぇんだよな?」


 常識で考えて、嵐を起こすほどの魔法を人が使えるとは思えない。けれど、相手は父が危惧を示した魔力を持つ。万一の可能性が蒼珠の思考を過ったのだ。

 だが、もしそうならばハーシュは開口一番にそう告げているだろうし、逆に父母の力で抑え込みも出来よう。ここまで酷い状態が続きはしないはずだ。


「ああ、魔力の欠片もない。まったくもってただの純粋な嵐だ。ただただ、こんなどでかいやつを引き当てて、運がないってだけだな」

 念のための蒼珠の問いかけに、ハーシュははっきりと断言する。


 ピユラはそれにかすか俯いた。スティルにいるであろう、まだ姿を見ぬ、声だけを知る帝国の男――。彼はピユラに興味があると言った。ならばせめて、ピユラたちがスティルに近づいているのには、気付いてくれているかもしれない。だが、妨げと思わぬものを邪魔する必要はないだろう。むしろ、ピユラと共にいる、狙いのユリアが自ら向かってくるというのなら、快く出迎えすらしよう。


(私たちがいようといまいと、関係ない力があるのじゃから……)

 この嵐が、蒼珠がわずかなりとも危惧したような、彼女たちを邪魔するために用意されたものであるはずがないのだ。

(じゃが、それでも――)


「行くの?」

 拳を握り締めかけたピユラは、まるで心を読んでかかったような柔らかな声を驚き仰ぎ見た。

「最初の夜にも聞いたわね。せっかくだから、ここでもう一度聞くわ。スティルへ向かうことに拘らなければ、もっと早く嵐を抜け、安全な海へ戻る道もあるでしょう。それでもあなたたちは、この嵐を乗り越えて、行くの?」


「行く!」

 穏やかな海の色を深く閉じ込めた真摯な眼差しに、反射的に誰より早く、ピユラは立ち上がり叫んでいた。

「もう決めた。みなとも話した。危険は承知じゃ。でも、行くと決めたのじゃ。じゃから、連れていってほしい……!」

 そうしなければ、きっと、進めなくなってしまう。


『そう。二年前の、君の国がなくなった日。俺、そこにいてね。君のお父様と、色々と――実に色々とあったもので』

 祥雲(しょううん)越し、笑いながら告げられたあの言葉を忘れなどできない。求め続けた怨敵を目の前に引いてしまえば、もう戻れなくなりそうな気がした。それだけは嫌だった。


「行くと、決めたのじゃ」

 そして、かの男を必ずや――……。

 暗い輝きに悲愴の翳りを宿しながらも、その瞳は見つめる者を射抜いて強く煌く。淡い紫の眩い痛ましさに、秋珠は静かに頷いた。


「そう……なら、もうただ進むしかないのでしょう。なら、とっておきの手助け、してあげるわ。この嵐、瞬く間に越えてみせましょう」

「え?」

「あの~……秋珠?」

 ただし、見定めるようだった静謐な微笑から一転、悪戯を企む少女のように満面の笑みを湛えて、秋珠はきょとんと己を見やるピユラに目くばせした。その笑顔のまま、困り顔のハーシュを見上げる。

「止めても無駄なのは、知ってるわね」


 ハーシュが大きな掌で額を覆うのを見終わらないうちに、秋珠は船室から駆けだしていた。いったいなにを、どこへ、とハーシュに戸惑い問うピユラの頭を、彼は優しくぽんぽんとなでる。

「まあ、あれだ、その……説明するより見た方が早いんだが……。甲板、来られるなら来てみるか?」


 無理です、と呻きながら辞退したユリアは兄弟に任せ、抱き上げていこうかというハーシュの申し出を有難く断って、ピユラは蒼珠を伴い、揺れる船を走った。その後ろをなにやら深いため息をつきながら、ハーシュが共に追いかける。


 船の上へと身を躍らせれば、凍てつく風が身体を切り飛ばさんばかりに荒れ狂い、稲光が轟き、雨が容赦なく叩きつけてくる。船体が大きく揺れるたび襲いかかる波に、一瞬でも気を抜けば、瞬く間に海の底へと攫われそうだ。蒼珠はピユラの肩を急いで抱き寄せ、ピユラもされるままに彼へと抱き着いた。平衡感覚が瞬く間に奪われ、立っているのも覚束ない。重ねて氷のような雨に体温を吸い取られ、雪国育ちのピユラですら、寒さに指先まで震えが止まらない。


 そんな中、揺れる船も凍える雨も物ともせずに、凛と立つ秋珠の姿が飛び込んできた。周りの男たちに、雷の轟音すら割いて指示を出す。

「ダル! みんな! 帆を張りなさい! この風はスティルへ向かってる! 海に飲まれ沈みさえしなれば、最高の追い風よ!」

「ちょ……! 秋珠さん、まさか!」

 ダルは慌てるが、周りの男たちのほとんどはなぜか歓喜にどよめき立った。久しぶりですね、あれですね、とわくわくとした調子で言葉が飛び交う。


「勝手を言うけど、息子が乗ってる。ちょっとお母さん、いいとこ見せておきたいの。みんな、協力して頂戴」

 冷気を弾き飛ばすように沸き立つ男たちの空気に秋珠は優雅に微笑んで、そしてひときわ声を張り上げた。

「この嵐、耐え、抜けるのではなく、攻めて越えるわ! もちろん、ついてこられない者は、この船にはいないわね?」

 歓声に似た承知の声が揃ってあがり、肩を落としたダルも観念したのか了承を告げる。嵐のただ中にありながら、船上の空気がどんどんと楽しげに昂揚していっていた。


「風を味方につけるのは、あなたたちの腕に任せるわ! 海は安心して私にゆだねなさい! この水の巫女、必ずこの海をなだめ、制してみせる!」

 秋珠の弾んだ掛け声と共に、男たちが一斉に、先とは違う動きで駆け出した。それを見守るハーシュの姿に気付いて振り返り、申し訳なさそうに頭を下げたダルに、彼は気にするなと示して、軽く手を振ってやる。それを見て安心したのか、ダルも舵の方へと走り去っていった。


「気遣ってくれるダルには悪りぃが……あれはもう止められねぇからなぁ。完全にやる気が漲り切っちまってる」

 ハーシュやピユラの視線の先、船の中央、最も太く大きな帆柱の元に毅然と立ち、濡れそぼった白い服の裾を風にはためかせながら、秋珠はそっと瞳を閉じた。彼女の口から呪文がこぼれる。たおやかに、柔らかに、子守歌を歌うように――。秋珠の全身を包んで、目の覚めるような蒼い輝きが迸った。蒼い光は船を包み海へと降り注ぎ、船の周囲を優しい煌きで染め上げる。


 船へと襲いかかる波がぴたりと止まり、雨脚が途絶える。広げられた帆が荒れ狂う風を受けて、船を荒馬のように滑らせるも、先まで船を飲もうとしていた海が、その手綱を握り、船体を支えるように波打ち動く。船へと襲いかかるものはもはや強風だけだ。それも声を飛ばし、叫び合いながら、船員たちが見事に捌いて操り、舵を切る。その彼らの海面を飛び行くような航行を、光に包まれた海の水が守り、助けていた。


「これは……」

 驚きに目を見開くピユラにハーシュが苦笑し、蒼珠が肩をすくめる。

「なぁんか久しぶりに、これぞ母さん、って感じたぜ」

「まあ、これは相当お転婆が過ぎるんだがなぁ……。ま、秋珠も無理の仕方は知ってっから。そこは信頼してんで、止められもできねぇし、好きにしてくれってわけだ。こういうのが、まぁ……いいとこだしな」


「秋珠殿は、海を操っておられるのか?」

「正確には水だな、姫さん。雨も届かなくなってるだろ?」

「母さんは、水の魔法を操る一族の末裔なんだよ。それも、一等魔力の強い、な」

「特に、荒れる水を鎮めることにかけちゃ、並ぶ者は古にもそういないだろうよ。さっき言ってたろ? 水の巫女って。秋珠の血筋は、代々荒れる川を鎮めるため、祈りを捧げる祭祀の家だったんだ。その中でも秋珠は、近年稀に見る、質量とも優れた魔力を持って生まれてきた。で、結果、これだ」


 船の周りだけとはいえ、鎮めるだけではなく、完全に海の水を意のままにし、己が手足のようにして船を導いている。海に生き、海と戦う男たちが、あれほどに興奮するのも頷けた。いまの秋珠は、海からの守り手であるとともに、彼らの愛する海の化身のようにも映るのだろう。


「まあ、こいつは大量の魔力を消費するんで、俺としてはあまり勧めたくはない手段なんだが、今回は特に特別だからな」

 澄んだ蒼い海の色の光を纏い佇む秋珠を、ハーシュはいとおしげに見やる。いいところを見せたい、と本人も言っていたが、蒼珠のために普段以上に張り切っているのだろう。


(家族のため、だかんな……)

 彼女がハーシュと結ばれる前、故郷で慈しんだ家族はもうない。それは、彼女の一族の血を狙った帝国に踏みにじられた。たまたまその時秋珠と接点を得ていたハーシュが、秋珠だけは助け出したのだが、魔獣であるハーシュには、家族というもののなにを彼女が重んじ、失ったことを嘆いたのか、その時には分からなかった。だが、いまとなっては、あの時の彼女の気持ちがよく分かる。


(守り、助け、その身に注ぐあらゆる災禍を除き、そして叶うことならば――……)

 その幸福な行く末を見守り続けたい。


 蒼珠が産まれた時、失えないものがハーシュの他にもうひとつ増えたと彼女は笑った。たくさんの血族を亡くした彼女が新たに得た、小さな家族。そのささやかさを守りたいと願った。もう彼女に失い、取り残される空虚を味わわせたくないと誓った。


 だからハーシュは、その時彼女に約したのだ。人よりも遥かに長命の彼ならば、決して彼女より先に逝きはしない。だから必ず、彼女の命終わる時まで、そばからいなくなりはしないと。蒼珠の辿る道の果てを、近くに、遠くに、きっと守っていくと。

(お前の……お前たちの行く末の最期まで――) 


 それを五年前、わずか違えてしまった。五年間、彼女に息子との突然の別れを強いてしまった。守るために離れたのに、結果、それゆえに息子に歩まずとも済んだかもしれない苦難の道を進ませた。

(力がどれだけあっても、ままならねぇ……)

 そっと掌を悔恨に握りしめ、ハーシュは秋珠を見、そして隣の蒼珠へ視線を移した。自身と同じ金色の瞳に淡く湧く苦い思いを飲み込み、今度こそは、と心に決める。


「蒼珠」

 呼びかけた父の声に彼を振り仰いだ息子へ、胸元から取り出した首飾りを唐突にハーシュは滑り落した。慌ててそれを両手で受け止め、いきなりなにすんだよ、と睨む蒼珠へ笑いかける。

「そいつを持っとけ。俺と秋珠で術式組んで、魔力を込めた。もしお前が魔獣に変じたとしても、そいつがあれば、その変化を多少押さえ込める。そうすりゃ、魔力に飲まれきることなく、お前はお前でいられるだろうよ」

「親父……。でも、それは……」

 予期だにしない贈り物と言葉に戸惑いを露にする蒼珠へ、ハーシュは優しく口角を引き上げた。


「使い方も知らねぇ、教わってもねぇってもんを、いきなり思うままに出来る奴のが少ねぇよ。学ぶためになにかに頼ることは、悪いことじゃない。助けってのは、別に恥じるものでもなんでもないぜ? いつかそいつが不要になる時が、必ず来る。その時まで、せっかく頑張って作ったんだ。お守りと思って持っててくれよ」


「――お守り……」

 蒼珠は手にした首飾りに目を落とした。それを横からピユラものぞき見、似ているの、と呟く。蒼珠は無言で頷いた。それはもうひび割れてしまった、かつて彼女の父親が彼に授けたお守り代わりの首飾りを思わせた。海を閉じ込めたような蒼い石がひとつ、煌めいている。


 そっと見上げた父の金色の眼差しは、あの日蒼珠へ首飾りを渡してくれた深く柔和な紫の瞳と、やはりよく似ていた。

 己ひとりでなんとか出来ると、意地を張るのも幼いものだ。ふと、心の奥の固くなっていたところが和らいで、蒼珠は父へと微笑んだ。

「ありがとな、親父。大事に――使わせてもらうぜ」


 蒼珠が飾りを首から下げるのを満足そうに見守って、さて、とハーシュは大きく伸びをした。切るように船上を抜けていく風が、黒雲の元でも明るい炎の髪を乱して靡かせる。

「秋珠と野郎どもが頑張ってから、こいつはほんとに、瞬く間に嵐を越えてスティルに着くぜ。そしたら、きっと秋珠は疲れてぶっ倒れちまうだろうから、お前らには俺が付いてく」

「は?」

「なん、じゃと?」

 耳を疑い、目を白黒させるふたりへ、にやりとハーシュは八重歯をのぞかせた。


「おお、おお、いい顔だ。だが、今更構わんだろ? 同道者がひとり増えるぐらい。船は港に泊めときゃいいし、野郎どもがいりゃ、不在中の心配もねぇ。スティルの王都へ行って戻ってくるぐらい、つきあえないほど忙しくもねぇからな」

 ハーシュは驚きに呆けた蒼珠の肩を小突き、ピユラの頭上にぽんと大きく温かな掌をのせた。


「俺は魔獣だ。だから、人との交わりで、どうにも越えられねぇ一線がある。だから、付いて行っても結局どこまで役に立てるかは分からねぇ。だが、多少は助けになれんだろ」

 彼らが目指す地にいる相手を思えば、港に送り届けてすぐさま別れるなど出来ようはずもない。どんなに長く生きようと、悔いを残すのは、この五年の出来事だけで十分だ。


 突然のことに追いつかなかった事の次第を飲み込んで、ピユラが感謝を述べれば、ハーシュはわしわしとその頭をなでてやった。それに蒼珠も事態をようやく受容し、苦笑をこぼす。己の内にも、ピユラの宿す暗い復讐の焔の内にも――心配の種はいまだ数あれど、父がいるならば、頼もしいのは間違いない。


 その時、わっと歓喜の叫びが船を揺さぶった。見れば海を舞い飛ぶように進んでいた船が、ひときわ大きな波に連れられて滑り降りた先――そこで黒雲が背後に遠のき、光が差した。

 嵐の雲間を越えたのだ。


「さあ、いよいよスティルは目前だぜ」

 紅の髪を風に躍らせて、低く柔らかに、魔獣の声がピユラと蒼珠を奮い立たせた。






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