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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第二章 紅い魔獣
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予期せぬ客人



 遅い冬の朝日が昇るとともに、北東の空の彼方に帝国の飛空船が姿を見せたとの報を受け、スティルの王城内は一挙に慌ただしくなった。事前の報せもなにもなく、ましていまやかの国の侵略時の象徴のひとつともいえる飛空船で訪れるなど、これまでならばなかったことだ。宰相をはじめとする重鎮はもちろんのこと、主だった貴族や護衛兵らが玉座の間に集い、政務の場にいままで同席させられたことのなかった王太子までもが、王によりその場に呼びつけられた。


 初めての思いもかけない父王からの呼び立てに、年若い王太子は緊張した面持ちで玉座の間の扉をくぐった。まだあどけない少年のかんばせに聡明に光る黒い瞳が、不安に揺れる。並みいる大人の間を譲られ進み、父王の前に歩み出た彼が口を開こうとした瞬間。


 玉座に腰を下ろす父王と彼の間の空間に、眩い銀の光が渦を巻き、人の形を象って弾けて消えた。衆目の前に鮮やかに、金色の長い髪が踊り、その隣で黒衣が翻る。


「皆様お集まりで、ちょうどいい」

 切れ長の翡翠の瞳で涼やかにざわめく周囲を見渡して、白い軍服の青年が微笑んだ。他とはどこか違う驚愕を湛えた王へ、片脚をわずか引き、掌を胸元へ、簡易な立礼ながら優雅に彼は頭をたれる。


「ご連絡もなく御前への参上、ご無礼をお詫びいたします。私は(はぐさ)、彼は玄也(くろや)と申します。このたびは雲龍(うんりゅう)帝国大宰相、宵鴉(しょうあ)・イザキ・ロドム・紫陽(しよう)様より言づけを預かって参りましたので、ひとまずそちらを急ぎお耳に入れようかと。――『ご苦労だった』……だそうです」


 莠を名乗る青年が口にした名前に動揺が走る。ロドムは、スティルの王を示す名だ。レンダール・イザナ・ロドム・スティル――それが彼らの戴く王の名であり、世人の知る帝国の大宰相の名は、宵鴉・イザキ・紫陽であったはずだ。

 だが、騒然となる家臣たちも、ロドムのくだりすらも意に介さず、狼狽しきって王は叫んだ。


「なぜ……! いまのは魔法であろう! なぜ魔法でここに姿を現せた!」

 齢以上に年かさをを増して見せる、気難しげな細い面に、焦りを浮かべつつも青年をしかとその目で射貫く。


 王城の中は本来なら、結界により魔法はほぼ意味をなさない。それは魔法を持たぬ国と読み誤り、安易に魔法でスティルへなにかを為そうとする相手への秘匿された、かつ強固な防衛手段だった。それゆえ代々スティルの王と、その王が許した者しかその事実は知りえない。特に当代の王たる彼は、誰にも――宰相にも息子にも、先代より伝え聞いたその秘密を話していなかった。それなのに、彼らは魔法でここに姿を見せた。結界があるならば、有り得ないことなのだ。


「帝国から送られた貴族はみな、警戒していたはず……! よもや結界になにかあったりなど……!」

「それについては、陛下は花もめでるべきだった、としか」

 臣下がみな不可思議な顔を見せる中、莠は微笑んで肩をすくめた。


 この政務の場に、女性の影はない。普段は城に彼女たちはいない。だから、彼はおそらく無意識に軽んじてしまっていたのだろう。この国においてなかなか表に立つことのない花が、時たま鋭い棘を持つことを慮外にしてしまったのだろう。


「もう頼みの結界はありません。ですから、ほら、このように」

 帝国から嫁いだ妻を持つ家臣たちへ王が目の色を変えて振り向いたのを、歌うような声が引き戻す。彼が軽やかにとんと床に足をつくと、その爪先から凍てつく波が迸り、一瞬にして玉座の間を氷漬けにした。その場にいた者たちの足をも氷が絡めとり、動けぬよう封じ込める。


「さて、こちらの用件は簡単です。この国の王の命と王都、それだけいただけましたら、他は構いません」

 動転し、混乱に包まれ揺れる広間の中、事も無げに告げて白い軍衣は玉座へ歩み寄る。それを、歯ぎしりして王は睨みつけた。窓から差し込む柔らかな冬の陽射しを受けて、辺りを満たす氷がきらきらと輝き、近づく青年の長い髪がその光と戯れるようになびく。


「仮初の王はもういらないと。終わりにしましょう?」

 彼が小首をかしげた、その時。床に縫いとめられた人垣の中ら、複数の影が躍り出た。白刃が氷の照らし返しを受けて冷たく光り、靴を脱ぎ棄てたいく人かの護衛兵が莠の背へと斬りかかる。だが――振り返りもしなかった彼の背後、立ち昇った炎が刀身を包み飲み込み、その燃え上る勢いのまま持ち手たちを弾き飛ばして、その腹や胸に紅蓮の塊が叩き込まれた。壁に張った氷に罅をいれ、ずるりと意識を失った身体が床へと倒れ伏す。


「仕事が甘くないか?」

「君にも残しておいた方がいいかなって」

 動じもせずに翡翠の瞳は、身動きもなく控えている相方へ視線だけで薄く笑んだ。

 焼け焦げた炎の残り香と苦しげな呻き声に、あたりがしんと静まり返る。そこへ――


「王位を……譲る」

「は?」

 低く這った王の言葉に、莠が初めて笑み以外に表情を動かして彼を見た。


「そこの王太子に譲る」

 父王に指し示されて、王太子は驚愕に黒い瞳を瞠った。儀式も形式もなにもないが、ただつまりは、王の命をというのなら、彼のを奪えということだ。


 躊躇いなく息子を差し出す王の発言に、先ほどまでとはまた別の動揺が周囲に広がり、場が騒然となる。こと王太子の後見人たる伯父の宮内卿からは、咆えるような抗議の声が飛びきている。

 ざわめきが満ちる中、莠は物思わしげに額に手をやり、ため息をひとつ、ゆっくりと落とした。気を取り直すように長い髪を一度肩から払い、再び王を見定める。


「失礼。言い方を間違えていたようです。正直、死を厭うことは蔑視しない。皇帝陛下の望みが単にスティルの王の命ならば、こちらはそれでもよかったのですが……あなたの命と王都の地を陛下はお望みです。ですので、王位をどうしようと逃れようもないこと。お覚悟を」


 王が次の言葉を継ぐ隙もなく、吹き荒れた突風がその身を玉座の後ろにそびえる柱の高い位置へと叩きつけた。同時に、鋭く走った風の刃が王の左中指を切り飛ばし、鮮血と共に宙を舞った節ばった指が、風に運ばれ莠の手の中に収まる。

「この指輪、返していただきますね」


 それは四つ葉に似た花の紋が彫られた金の指輪。スティル王室において、冠や錫杖の代わりに受け継がれていた王を示す証だ。だが、それの本来の持ち主は、同じ紋を持つ雲竜帝国の紫陽家当主、その人なのである。


「さて……ではまあ、血は少なく済ませましょうか」

 容易くその命を差し出されながら、父を案じて叫び呼ぶ少年をちらりと流し見、莠が呟いた。その足元から風が渦巻き、ふわりと彼の足が宙に浮いたかと思った瞬間。光が人々の目を射り、次には白い軍衣は風で柱に押さえつけらたままの王のそばで、空に浮かんで翻っていた。


「ふざけるな! まだ私は終わるわけにはいかん!」 

 自身へと伸びる青年の腕を、なお憤怒をあらわに王は睨みつけた。

「スティルの王としてなにひとつとして為さないままで、このままで終わらせてなるものか! このままただの傀儡で終わっては、そうなってしまっては――なぜ私は、この国に王としてあったのか!」

 悔しげに震えて響く絶叫に、才覚がない故歪んだ王としての意地と矜持が溢れ出る。


 この国は、帝国のものだ。それでいながら、いつが始まりかだったのか――もしかしたならば建国の最初から、なぜか属国や支配下の地とされず、独立した国として成り立たせられていた。まだ帝国がいまほど強大な国ではなかった時分、この地に外の目から見て支配地ではない拠点を望んだのかもしれないが、いまとなっては確かなことは伝わっていない。ただ、スティルが表向きは同盟国であったことで、長年帝国は確かに助けられていた。だからこそ、帝国の紫陽家を真実の君主としながら、かの家の分家の者が名代の仮初の王として、その指示の元スティルを治める――その裏と表の関係が、いまの影の王たる当代の紫陽家当主が断ち切るまで、脈々と受け継がれてきたのだろう。


「お気持ちは推察いたします。ただ、人形には人形なりのやり方がある。少しあなたは、傀儡ではない王であろうとはやりすぎたのでは?」

 蔑むでも憐れむでもなく淡々と静かに告げて、すっと莠は王の額に指先で触れた。王の叫び声を飲み込んで金色の光が玉座の間を眩く包み込み――光が消えた時には、もろともに、王の姿も跡形もなくなっていた。


「ま、あれの傀儡というのは、やりづらそうで俺も出来ればごめんですけど」

 ほくそ笑む深い藍の瞳を思い出し、莠はぼやく。

 床へと降り立った彼が、手にしていた切りとった指を一度放って受け取ると、また小さく金の光がほとばしり、指輪だけを残して、それをはめていた中指は欠片も残さず消え去っていた。


 居並ぶ者が皆息を飲む中、部屋を覆いつくしていた氷がひび割れ、砕けて消える。翡翠の瞳が緩やかに、自由になった彼らを振り返った。

「では、彼の命は戴きました。あとは王都をくだされば、あえてこちらから皆様に手出しはしませんよ。先も言ったとおり、血は少なく済ませたいので。どうぞ、この都からお引き払いを」


 柔らかに弧を描いて引きあがる唇が、その近くで黙したまま控え、冷たく彼らを見張る黒い眼差しが、相対する者の身を射竦める。けれど――

「引けるものか」

 凛とした声が真っ直ぐに莠たちを刺した。父を眼前で失ってなお、強く彼らを見据える黒く大きな少年の瞳。慌ててその身を庇おうとする大人たちを制して、彼は一歩前に歩み出た。


「この国を治める立場の私たちが、守りもせずに逃げなどできるものか」

「――ああ、そういうの、ちょっと眩しいけど」

 淡い緑が薄く楽しげに細められ、添えられた指先の影で、口元が小さく歪に笑みを象った。


 とたんに、風が吹き荒れ、王太子の身体を攫って逆巻く。空中へと引きずりあげられ、足をばたつかせながら、彼は苦しげに胸を掻いた。風が顔の周りで渦を巻き、呼吸を奪われ息が出来ない。


「ご理解いただけないかな? 王太子。父王の命とこの王都の地だけで、君の命と民の命は、歯向かわないなら見逃してやろうと言ってるの」

 耳元で風がうなるのにその声は確かに彼に届き、息も絶え絶えながら、王太子は自身を悠長に仰ぎみる莠を睨めつけた。


「そんな、口約束……本当に、信じられる、んです、か?」

「まあ、そうだね。それが当然の反応だ。俺は君の敵。君の国を蹂躙する者。信じなくても、構いはしないさ」

 一瞬、その瞳の奥になにかを懐かしむような不思議な色が揺れた気がして、彼は目を瞬かせた。と同時に、莠が指を軽く打ち鳴らす。風が止まり、支えを失い落下した彼の身体を、すんでのところで周囲にいた家臣たちが受け止めた。


「信じるも信じないも、どうするかはご自由に。ただ、向かってくるならいまのように、それ相応の対応をこちらもするだけさ」

「そう、しなければ――民の命を、助けると?」

 莠を見やり、咳き込みながら王太子は尋ねる。


「見逃す、ね。ま、少なくとも、いまは、かもしれないけど」

 翡翠の眼差しは掴みどころなく微笑んだ。

 息を整え立ち上がり、王太子は顔を上げる。


「――皆さま、ここは退去を。護衛兵は城下の者たちにもそのように指示を願います。頼る先のない民は、ひとまず南西のウェルテ城へ先導を。無骨な城ですが、造りは頑丈で広さもあります。そこまで不自由はさせないでしょう。私は、カシュテの城へ赴きます。供をしていただけるのでしたら、そちらへいらしてください」

 澄みとおる声は幼さを残しながら、聞く者を確かに奮い立たせる力強さがあった。年若くも毅然とした彼の命に応えて、戸惑いに止まっていた人々がにわかに動き出す。

 それを黙って見守りながら、莠は王太子へと笑いかけた。


「そのようなこと、私どもの前でおっしゃらなくても。御身の安全のためにも、この後の所在を述べられるのはどうかと思いますが。それとも攪乱されるおつもりで?」

「私の命も助けると仰せでしたので、莠殿」

 真っ直ぐに彼の眼差しを受け止める、夜明けの空のような瞳。いつも隣にある深く静かな夜の色とはまた違う黒に、莠は視線を細め、囁いた。

「――そうですね、王太子殿」


 こちらへと、彼を促す声に頷きながらも、最後まで残って王太子は莠と玄也を見定め、しかと言う。

「いまはこれで引きます。ですが、すべてが思うままにはならないかもしれないこと、お心にお留めください」

 護衛兵に守られながら重臣たちに誘われ、小さくも高潔な背が部屋を後にする。


 それを見送り、ふたりきり取り残された広い玉座の間で、莠は刻んでいた笑みを愉快そうに深めた。

「わぁい、彼、思った以上に生意気」

「ああいうの、一等好のみだろ、お前」

「まあね、嫌いじゃないよ。その鼻っ柱折るのがね」

「言ってろ」

 呆れて言い捨てる玄也に、莠はただ笑った。


 座る者のいなくなった玉座に、空高く昇りつめた陽の光が、どこか寂寞と注いでいた。





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