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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第一章 王女と幻獣使い
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花盗人



 ◇



 月はとうに地平の果てに姿を消し、儚い星明りばかりが眠りに沈む夜を照らしている。忍び寄る冬の気配に冷たく闇に濡れた、スティルの宰相邸の廊下。その最奥の宰相の娘――セーラの部屋の前に、(はぐさ)玄也(くろや)の姿があった。


「ねぇ、玄也。俺たちこの頃人攫いばっかやってない?」

 すっかり先の幻獣による傷も癒えたらしい。溺愛しているという噂に相応しい豪奢な扉を見やり、問うともなしに莠がぼやく。ふたりに出された指令が、セーラを攫い、スティルから遠く離れた場所に捕らえておくというものだったからだ。


「安心しろ。まだ二件目だ」

「そういえば一件目は未遂だしね。ばかりというには足りないか。というか、いや、ほんと。すんごい嫌味言われたよね。総軍事卿殿に。すんごいねちねち言われたよね」

 いまなお苛立つとでもいうように、盛大な舌打ち混じりに莠が語気を強めた。


「確かにひどかったが、まあ、あいつの命令は『幻獣使いを捕えてこい』、だったからな。その点については、見事に失敗することにしたわけだから、奴が黙っているとはお前も思ってなかっただろ?」

「そうだけど、俺、玄也ほど心広くないんで。本当に殴り飛ばそうかと思ったよね、何度も」

「お前、言葉で殴り倒してただろ?」


 総軍事卿への報告の際のやり取りを思い返す。総軍事卿は仮にも軍部の頂点だ。皇帝直属であるとはいえ、軍に属する彼らにとっては上官にあたる。しかし、彼の総軍事卿へ叩きつける言の葉は、研ぎ澄まされに研ぎ澄まされ、唸りに唸っていた。あれは酷かった、といまも玄也は思う。


「別に? 俺は彼に事実を述べただけですよ? 今回は皇帝陛下からもご命令賜り、幻獣使い捕獲よりその能力発露を促すことを優先するよう言われていたため、そちらを重んじるばかりにあなた様のご命令を守れず、不甲斐なくて誠に申し訳ありませんでしたねぇ――っていうことを、心を込めて伝えただけだからさ」

「その微塵もない誠意が表れると、ああいう物言いになるんだな」


 玄也は、顔を憤怒に赤く染めながら、言い返す一言すら見つけられずに歯噛みしていた男を遠く思い出した。かといって、玄也としても少しも同情はしないのだが。その彼の捨て台詞のような次の命令が、このセーラ誘拐なのだ。


 だからだろうか。彼らがやる気もなく暢気な会話に興じているのは。しかし、彼らの耳に廊下の向こうから足音が届いてきた。恐らく警邏の兵のものだ。ほどなく暗がりの闖入者の存在に気づくだろう。

「どうする?」

 慌てる様子もなく尋ねる玄也に、莠は形ばかり考えこむよう腕を組んだ。


「そうだねぇ……せっかくの玄也との楽しい深夜の逢瀬だ。穏やかに済まそう」

「では、お引き取り願うか」

 危機感のない緩い相方の提案に、淡々と応じて玄也の指先がわずか動く。魔力を持つ者にだけしか分からない、一瞬の空気の震えを残して、近づいていた足音は、急に方向を変えて遠ざかっていった。


「相変わらず君の力は便利でいいんだけどさぁ……なんか雑に流してることない? 気づいて?」

「そこにとやかくいう時期は、とうに過ぎたな」

「わぁい、やったね、放置だよ。放置。……ったく、付き合い長くなるのも考えものだな、これ」

 大げさに肩をすくめ、ようやく莠は扉に手を掛けた。けれど、押し開けはしない。それは一瞬の躊躇い。けれど――


「――どうした?」

 気づいて問う耳に馴染み過ぎた声に、長い付き合いはこれだから、と莠は胸裏で繰り返した。唇に笑みをかたどり、隣を見上げる。

「いや、こういうことが、前にもあったと思ってね」

「前にも?」


「ほら、だってこれは狼煙だろう? 宰相の娘をさらう。手紙を残す。これはそこに、それ以上の意味があることを知る内通者への単なる伝言とお膳立て。要人の娘の略取ともなれば、そのほかの貴族も警戒ぐらいはするさ。うちの館の警備体制は大丈夫か、ってね。そうなれば、警護の最も手厚い場所に、大切なものを置いておきたくなる人が増えてもおかしくない。例えば、護衛兵団が常にいるお城とか、さ。内政だって多少動揺する。そうなれば、その隙をついて、さして腕の立たない女性でも、この国の守りの要を断つことが出来るわけだ」


「その術と方法を叩き込まれ、城内をうろついてもおかしくない状況と立場があれば、出来るだろうな。むしろ、出来なければならない。そのためにこそ、送り込まれているんだからな」

 確かな内通者の姿を共有しながら、ふたりは会話を交わす。スティルと帝国は同盟を結んでいる。けれどあくまで、それは表向きの話だ。二国の関係は主と従のそれに近く、それでいながら、信義を交わしあってはいなかった。


「この意志に逆らうことなど、彼女は選べないだろうしね」

 莠は小さくため息を落とした。広い廊下の窓。そこから見える庭の木々の黒々とした影の向こうに、王城の塔の先端が小さく見える。


 魔法の残り香すら消えているこの国が、ひそかに守りの要として王城地下に術式を組み上げ炉心とし、この地の魔力を利用した強力な結界を作っていると知る者は少ない。それはじっくりと時をかけ、意図的に忘れさらされたのだ。いまとなっては、当代の王しか知り得ない。しかし実のところ、スティルの地は魔力を多く宿している、数少ない土地なのである。


「ここの結界構造はちょっと特殊だからねぇ。技のない者が無理やり繋いだものだから、下手に結界の核を消したり壊したりすると、土地の魔力ごと大暴発。大惨事だ」

「暴発で魔力が失われることは皇帝の望みではないからな。だからきちんとした解除を行う必要がある。それでこればかりは俺達でもおいそれと手を出せない。そういう話だったな。――その上にある国は、もうどうでもいいんだろうが」

「むしろ邪魔だと思ってるからね、その上に暮らす人間なんて。ああ……だから、やっぱあの時と一緒だよ。守りの要の魔力的要所を崩す。そこへ軍を送り込み、土地だけを得るため、国のすべてを滅ぼす」


 忌々しげに、莠がどこか遠くを睨んだ。軽薄とさえ見える空気と常の微笑みが消えると、その実、彼の端麗さは凍てつく刃の趣で、触れ難い冷たさを増す。


「……風羅(ふうら)か?」

「そう。――あの時は、悔しい思いをしたよ。あの国を強固に守っていた結界の要が消えると同時に、近くに軍を待機させていた総軍事卿が、すべてを蹂躙してくれたからね。あの国の氷の守備や結界を破るのに、人を使うだけ使っておいて手柄を総取りとは欲深い。おかげで、俺こそそれなりの働きをしたのに、風羅侵攻の軍功は奴のものになってしまったわけだ」


 冷たい声は苛立ちを潜めて呟き、物憂げにその長い髪を払った。だがそのまま見下ろす黒い双眸へと移った翡翠の視線は、不穏な笑みを薄く唇に引く。


「今回も、総軍事卿は守りが固くて厄介な時点での前準備は俺たちにやらせて、自分はおいしいところを掻っ攫う気でいるんだよ。俺、あいつ嫌いだからさ。意趣返ししてやりたいんだよね」

「じゃあ、宰相の娘には手出しせずにおくか?」

 尋ねる玄也に莠は首を横に振った。

「いや、残念ながら、それはできない。スティル侵攻は総軍事卿の意志じゃなくて、陛下の意志。あいつは命を受けて、皇帝陛下の歓心を得ようと気勢をあげてるだけだからさ」


「確かにな。で、どうする?」

「俺たちの軍での所属、いえる?」

「皇帝直属の特殊魔法部隊。――ふたりだけだが」

 付け加えられた玄也の一言に、莠は肩を落として大仰に項垂れてみせた。


「そうそう。それで部隊っていうのやめてほしいよね。なんか恥ずかしい。いや、そこじゃなくて」

「ならどこだ」

「いや、そこなんだけどさ。ともかく、俺たちは階級的には総軍事卿より下だし、あいつは陛下の委任を受けて俺たちに命令出来る立場でいる。けど、直接的にはあいつは上官じゃないし、俺たちに命令するのは皇帝陛下なわけ。だからさ、別に今回の侵攻作戦の管理指揮権が、陛下から総軍事卿じゃなくて、俺たちにおりてもいいわけじゃん?」


「どう奪う? この件は皇帝にとっては最重要事項のひとつだ。些末な侵略戦争とは違う。やつは権威あるこの任にしがみつくぞ」

「ここの王はさ、ひとつ絶対にやってはいけないことをやってるだろ?」

 怪訝に眉をしかめる玄也に、企みを沈めて、彼の瞳は暗がりの中淡く細まった。


「かの王へ下されていた皇帝陛下の命令は、幻獣使いを見つけるまで。あくまで、捕縛、献上さ。なのに、陛下に代わってその力を手に入れようとするなんて、言語道断。あの王、ユリアちゃんをどうしようとしてたか、知ってるだろ?」

「そうだな。そもそも発見の報告を怠っていた。内通者の知らせがなければ、その存在の所在が俺たちの耳に入るのももう少し遅かっただろう。それに、いまなお帝国の目を隠れるようにして動き、幻獣を己がものにする気でいるようだしな」


「そこをかの王には悪いけど、ちょっと詳しく陛下のお耳に入れようかと。そうすると、どうなると思う?」

「怒りを買うことは間違いないだろう。皇帝の幻獣への執着は、異様なほどだ」

「でしょう? そうしたら、俺たちにお鉢が回ってくると思うんだよね。なんだかんだ、普通に軍隊同士の攻勢じゃ、王に逃げおおせられる可能性もある。けど、俺たちに任せるならそれだけはない。あの王の死を真にお求めになるのなら、きっと陛下はそうなさるさ」


 以前、いまほど帝国が表立って各地へ戦を仕掛けだす前は、彼らの仕事は主に帝国に不用な個人の摘み取り作業だった。密やかに、なにより確実に命を奪うこと――それにかけては、彼らの信任は厚い。

束の間莠が浮かべた笑みは、どこか醒めた色をみせたが、玄也を仰いだ双眸は、揺らがない意志を示していた。


「風羅の二の舞は御免でね。ここは俺が片付けたい」

「……思うようにしろ。付き合いはする」

「ああ、うん――そうだね。君がいるってのも、あの時と違っていい」

 確かな玄也の返答に満足げに唇を引き、それでようやく事を進められるとばかりに、莠は扉を押し開いた。


 広い室内は、可憐な調度品に囲まれ、ふわりと甘い香りがした。そこに無遠慮に踏み込みながら、ふたりは天蓋のついた寝台に歩み寄り、下ろされていた薄い布を持ち上げる。

 深くまどろみに身をゆだねている少女に、莠は少しばかり申し訳なさそうに微笑み見下ろした。


 眠っているセーラをそのままそっと莠が抱きかかえると、一瞬、僅か彼女は身じろいだ。だが起きたかと焦った寝言は、すぐに寝息へと変わっていった。

 その寝ていてまで彼女が呟いた名に、思わず莠は相好を崩す。


「いやぁ、これは男心をくすぐられるね」

「お前、それこそあの兵団長に殴り倒されるぞ」

「わぁお、それはご免こうむりたい。彼女は丁重に扱おう」

 嘆息混じりの相方へ飄々と返す莠の一言を最後に、三人の姿はセーラの部屋から掻き消えた。


 次の日、セーラの姿はどこにもなく、代わりに一枚の紙切れがナイフで彼女の枕に刺されていた。『時は満ちた。娘はもらう』。

 帝国の影がゆっくりと忍び寄っていた――。



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