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旅の少女(2)


「――……しかし、妾を野生児とはな」

「いや、仕方ねぇだろ?」

 見送った人影たちが完全に消えたあと、ぽつりと唇を尖らせて己を睨み上げたピユラに、蒼珠は声をあげた。

「魔法使いって知られたら、いろいろ面倒じゃねぇか。な?」


 ピユラが誰よりも速く森を駆けられたのも、賊を吹き飛ばせたのも、樹の上高くから飛び降りてきて無事であったのも、すべて彼女が操る風の魔法――その力ゆえだった。


 だが、昨今、魔法を扱える者は珍しい。古に栄えたその力は、時が進むにつれ、世から消え去りつつあった。誰もが魔法の存在を知識としては知り、いまもその力が忘れ去られるほど薄くなってはいないが、だいぶ特異な才になりつつあるのだ。特別な力というのは、それだけで時に大きな危険をはらむ。だからこそ、平穏な旅を望むならば、むやみに人に知られるのは避けるに越したことはなかった。


「だいたい、あんま使うなっていっつも口を酸っぱくして言ってんのに、お前が聞きやしねぇから」

「まあ、それはそうなのじゃが……」


 詫びる態度から小言に移行しだしそうになった気配を察して、ピユラはもごもごと言葉を濁して蒼珠(そうじゅ)を遮った。確かに、蒼珠からの日ごろの注意を放り投げて、人攫いと聞いたとたん後先考えずに魔法を使ってしまったのは、反省するべきだという自覚はあった。


 しゅんと気落ちした風なピユラを脇目に見下ろし、蒼珠は肩をすくめる。自省もあるうえ、結果として魔法を用いたのは正解だったのだ。今回はこれ以上咎めなくともよいだろう。


「しっかし、相かわらず面倒見のいいことだな」

「ことこたびは特別じゃな。あの目の色には――……弱い」


 手の中の雛をのぞく蒼珠に、ピユラはふと、寂しげに瞳を緩めた。

 先の少年がそうであった、淡い、春先の若葉を思わせる薄緑の瞳――。多くはないが珍しくもないその瞳の色は、しかし、ピユラにとって特別だった。


「もういまは亡き、故国の民の瞳の色じゃ……」

 沈む音色は、哀切に翳りを帯びた。


 風を操る魔法――彼女の一族は、彼女の国は、小国ながらもその力によってかつて世界に名を馳せていた。遥か北の大地にある、風を纏う一族の住まう国――風羅(ふうら)。それが、失われた彼女の故国の名だった。彼女が王女として生を受けた場所。魔法が薄れゆく今の時代に、古ほどの力はなくとも、確かに魔の力が息づいていた国だった。


 だからこそ、だったのだろう。彼女の国は一夜にして滅ぼされた。


 二年前の冬の盛り。もっとも吹雪の厳しい時節のことだった。国の守りに張り巡らしていた結界が、突如破られたのだ。とこしえの年月、一度として溶けることなかった氷の壁が突き崩されたとの報が入った時、宮中は動揺に揺るがされた。ピユラは騒ぎの最中、安全なところへと護衛の騎士のひとりであった蒼珠と逃がされたのだが、幼い彼女はひとり逃れることに耐えられず、一度その手を振り払って城へと戻ってしまったのだ。

 そこでピユラは――父王の死体を目の当たりにした。


(……いまだ、あの真紅は消えぬ……)


 白い白い玉座の間に、赤く赤く血だまりが広がっていた。そこへ足を踏み入れた時に、ぱしゃりと跳ねた血潮の感触を、まだ温もりがあるのに動かぬ父の重たい身体を――忘れることは出来ない。

 応えることはないと思い知りながら、それでも愛しい父の首筋に、腕に、泣いて縋らずにはいられなかった。穏やかな声をもう一度と願って、いくども名を呼んだ。


 あの瞬間だけは、いまもまざまざと思い返せるほど鮮やかで、消えてはくれない。けれど、声を涸らして泣き叫んだあの場から、また再び蒼珠の元へと辿りついた道行は、記憶にはあるのに夢に惑ったような心地がして、判然とはしなかった。無惨な父の姿にあまりに心が乱れていたのだろう。ただ、己ひとりで戻ったのではなく、確かに手を引かれ、はぐれた蒼珠の元まで連れ出されたのだ。ここは危ないよ、と、優しい声をかけられて――。

 そうして、ピユラは蒼珠と国を出て、助かった。


(風羅のうちで、ひとりだけ――……。そう、たった、ひとりで――……)

 蒼珠は、風羅の外から来た人間だった。だからこそ、攻め入った敵の目をくらませられると、逃げるピユラの供に選ばれたのだろう。だが、だからこそ、風羅の民は、もうピユラを除いてどこにもいなくなってしまった。


 風羅は、王城とその足元に広がる街。それだけの小さな国だった。蒼珠と逃げ延び、ずいぶんと王城からも、街からも離れた小高い丘へ辿り着いた時だ。背後の方角で迸った膨大な魔力のうねりに振り返ると、国がひとつ、光に呑まれて消えていた。


 ピユラが王城を離れてから、さして時間は経っていなかった。一番に守られたからこそピユラは逃げられたが、あの短さで逃れられた民はいないだろう。

 それほどにあっという間のことだった。それほどに、絶対的な力で迸った魔の光だった。愛しい父の躯ごと、慈しんだ民の命ごと、天に昇り、すべてを奪って消えていった。


(失った愛しき者を、満足に見送ることさえ、できなかった……)

 掌の小鳥の雛を、ピユラの指先がまた、取り戻せないなにかをなぞるようになでた。動かぬ姿を映す優しく悲哀を帯びた紫に、ふっと底冷えする暗い炎が灯る。


(――……我が故国を奪った者……決して、許さぬ。かならず、かならず報復してみせる――)

 ピユラの故国を凄惨な目にあわせた相手の正体は、逃げ延びたのちに自然と知れた。小さな国ではあったが、一国が滅亡したのだ。しばらくの間は、聞きたくなくても逃げた先のどこでもその話は耳に入った。かねてより不和であった北方大陸の強大な国――王以上の存在として皇帝を戴き、異様な軍備を誇る雲龍帝国(うんりゅうていこく)。そこに、風羅は滅ぼされたのだ。


 しかし帝国が滅ぼした相手であるという事実は分かっても、その真意は分からなかった。不仲であるという理由だけで、あれほど完膚なきまでに叩き潰したのか。または、別の目的があったのか――。かの帝国の狙いはいまだはっきりとしない。


 そうである以上、もしかしたら理由次第では、生き残りがいると知られてはまずいことがあるかもしれない。しかもただの生き残りではない。ピユラは王女だ。いずれ国を継ぐべき立場だった者だ。だから、ピユラは出自を隠し、蒼珠とともに帝国についての情報を集める旅をすることに決めた。なぜ、風羅が滅びなければいけなかったのかを知るために。どうすれば、かの帝国に復讐の刃を突き立てられるか知るために。そして――……


(あの国の誰が、我が父を、我が民を、手にかけたのかを知るために――……)

 ほの暗い決意を、ピユラは胸の内でぐっと抱き締めた。


 二年の歳月の中で、心穏やかに凪ぐ瞬間に出会うこともあるにはあった。けれど、いつか必ず仇を討つとの想いは、ピユラの中で絶対のものとして凝り固まり、ゆらゆらと暗く燃え続けていた。


「――……ピユラ」

 奥底で抱く報復の念に沈みかけていたピユラへ、柔らかなため息交じりの声が降った。見上げれば、金色の双眸が困り笑いで見つめている。

「行かねぇのか? 川に行く前に、ほんとに真っ暗になっちまうぞ」

「そ、そうであったな。急ごう」

「んじゃ、こっちだ。水の匂いがする」


 夜にのまれた森の道を迷いなく進む蒼珠のあとを追いながら、ピユラは、手の中の小鳥に痛ましげに目を落とした。


「しかし、この雛も可哀想にな……。まだ空も知らぬまま、巣から落ちてしまったのじゃろうか……」

「あ~、こいつは――……」

 前ゆく蒼珠は一瞬言い淀み、がりがりと悩むように頭を掻いてから、先を続けた。

「落ちたんじゃなく、落されたんだ。親鳥に」

「親鳥に?」


 ピユラからの飛び上がらんばかりの驚嘆の声に、お前はそういう反応だと思ったよ、と独りごちて、歩みつつ蒼珠は説明する。

「こいつは風羅では見ない鳥だが、この辺では珍しくない。こっち来たて頃の春先、夜中に綺麗な鳥の声が聞こえただろ? あれ、こいつだよ。春告鳥(はるつげどり)。別名、翡翠鳥(ひすいどり)だな。ほら、翡翠っつう緑の宝石があるだろ。あれの名前の元。あの石はこのあたりが産出地だから、その鳥の羽に似た色ってことで、名前が一緒なんだ」

「……茶色じゃが?」


 ピユラは見せるともなく、掌ごと雛を掲げた。煤けた茶色は、樹の色に紛れるにはよさそうだが、お世辞にも美しいとは評しがたい色合いだった。薄汚れていると言われても仕方がない色味ですらある。


「成鳥になると、毛が生え変わるんだよ。雛鳥時代はそんな茶色でも、大きくなると綺麗な若葉色になんの」

「なるほど……」


 それではこの雛は、空も飛べず、宝石の名になった美しい羽根色さえ手に入れられず、この世での生を終えてしまったということだ。それがなんとも物悲しく、ピユラはきゅっと眉間に皺を寄せた。


「そなたが淡い薄緑の羽となるのを、見たかったの……」

「まあ、そうなんだが……。翡翠鳥は、どういう生存戦略か知らないが、ふたつ卵を産んで、途中まで一緒に育てるが、じきに自然と成長に差がついてくる。で、成長の鈍い片方を巣から捨てんだよ」

 露出した木の根に、ピユラへと支える手を差し出して振り返りつつ、蒼珠は言う。


「いまはちょうど子育ての時期だから、たぶん、こいつは捨てられた方の雛だな。万一、巣に戻せたとしても、また同じことになってたろうぜ」

「そうか……」


 しょんぼりと言葉少なに返して、ピユラは蒼珠の手をとり、ぴょんと木の根を越えた。道がなだらかに下り坂になってきている。水辺は近いだろう。


 やがてさらさらと流れゆく水音が耳に届き出し、それからすぐ、ふたりは川辺に辿り着いた。その淵にしゃがみこみ、ピユラはそっと手の中の雛へ額を寄せる。


「そなたに、安らかなる旅路を。再び戻ることがあったなら――次こそは、空を飛べるとよいの……」

 弔いの祈りと願いとともに、川の流れへと雛鳥を手放す。夜空を映す澄んだ水面の奥底へと、その身は吸いこまれていった。


「――じゃ、行くかね」

 見送りのしばしの静謐ののち、空気を切り替えて蒼珠が言った。

「村のやつらには悪いが、今夜も野宿だなぁ」

「む。また通りすがりの助け人ということになるのか?」

 立ち上がり尋ねるピユラは、少し不満げだ。ここのところ野宿続きだったのが、久しぶりに屋根の下になるはずだったからだろう。


「仕方ねぇだろ? 下手に話が踏み込んで、また風魔法がばれそうになったら事だし」

「むぅ……確かに。それは、仕方ない……のう」

 己がゆえと、悔しさを拳ごと握りしめ、ピユラは渋々受諾した。それを蒼珠はただただ笑い飛ばす。その大口から、楽しげに牙のような八重歯がのぞいた。

「せめて、ちっとは過ごしやすそうな場所探すからさ。ま、諦めは肝心だ」


 慰めているつもりか、ぐりぐりと頭を乱雑になでる大きな掌を払いのけ、ピユラは聞こえよがしに吐息をついてやった。

「寛大な心で、妾に重なる野宿を強いるそなたを許してやる。しかし、この分では砂漠はだいぶ遠いのう……」


 ピユラが仇と定める雲竜帝国。そこの目下最大の抵抗勢力となっている国々が多いのが、砂漠地方だった。しばらく前、帝国に抗する手段を探すためには、やはり砂漠に行くしかないと定め、ピユラとしてはそこを目指しているのだが、行こうと思い立った場所が悪かった。まるで砂漠の真反対にある土地での決意だったのだ。道中の路銀を稼ぐ必要からも、必然と寄り道、わき道も多くなり、いまだ遠い地をうろついたまま、辿り着けずにいる。


「なあ、ピユラ。それなんだけどよ……」

 肩を落とすピユラに、指先でちょいちょいと左耳元の耳飾りをいじりつつ、おもむろに蒼珠は口を開いた。

「いったん保留にしないか?」

「なぜじゃ!」

「まあまあ、落ち着けって」

 ほぼ反射的に、がっと噛みついてきたピユラを両手で制して蒼珠は苦笑を浮かべる。


「聞くところによると、また砂漠あたりへの帝国の攻勢が強くなってきたみてぇだ。戦闘が熾烈なとこに下手に近づいて、お前が風羅の王女だってばれたりなんかした日にゃ、やべぇことになるかもだろ? それに帝国に対抗する力も欲しいが、まず俺たちが欲しいのはあの国の情報だ。ってなると、戦いでぴりぴり警戒が厳重になってるとこより、入手しやすい場所がある」

「ほう……一理ある。して、そこはどこじゃ?」


「ここから西へずっといった中央大陸部。ロギアナ地方だ。あそこは基本、反乱も争乱もない平和な地域だし、帝国の同盟国がスティル王国を中心にいくつかある。それ以外も、中立といいつつ帝国寄りのとこが多いしな。情報を得るなら、戦乱真っ只中のとこより、平和な懐の方が油断も隙もありそうだろ?」

「まあ、確かに。敵地では晒せぬ話も拾えそうではあるな」

 蒼珠の提案に、吟味するようにいくども小さく頷いて、最後にこくんとひとつ、ピユラは大きく首を縦に振った。


「よし! ではそうしよう! 目標を変更し、ロギアナ地方を目指すこととする! そうと決まれば早く休み、英気を養わねばならぬ。さっさと野営の準備をするのだ!」

「へいへい、仰せのままに」


 勢いづいて袖を引くピユラに、蒼珠は笑いながら引っ張られてやった。目的は変わることなく復讐のためと物騒だが、戦火からは遠く、平和に近しい方が彼女にはいい。だから、思い通りに事が運んだのは喜ばしかった。


(少しでも、明るい世界にいて欲しいとは、思うんだけどな……)

 だが、必ず仇をとの決意で、涙にくれ、失意に沈んでいた彼女が、再び歩き出そうとしたのも間近で見ている。それによってようやく周りを見つめだし、国を逃げてから季節が二巡する間に、ゆっくりと、声が弾み、笑顔があらわれるようになっていった。暗く固い報復の決意をきっかけに前を向いたことで、かつての彼女の生き生きとした魅力も戻りつつあるのは皮肉なことだが、だからこそ、復讐を彼女から取り上げは出来ない。


「――お前の騎士だからな。ま、お前ためなら、頑張りますよ」

 野宿はせめて乾いた洞窟でしたいとねだるピユラへ、蒼珠はおどけてそう笑った。


 春の花の残り香を抱いて、かすか夏めきだしたあたたかい風が、そよりと彼らの間を吹き過ぎていった。







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