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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第一章 王女と幻獣使い
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騎士の誓いの真似事を


 気を失ったユリアを伴い透夜が村の宿へ戻ると、闇に沈むその入り口で、蒼珠(そうじゅ)とピユラが待っていた。階段に膝を抱えて座り込むピユラのそばで同じく腰を下ろし、戸惑うような視線を彼女へ向けていた蒼珠が、透夜の気配に彼を仰ぐ。


「よぉ、お疲れ。ふたりとも無事でなによりだ。馬、借りていって良かっただろ?」

「ああ……」

 馬を繋ぎ、ユリアを抱き下ろす透夜に、無言でピユラが歩み寄ってきた。透夜が彼女へと口を開く前に、なにかを押し殺したような声が響く。


「……怪我をしておるな。治そう」

 一瞬、浅いがそこかしこにある彼女の切り傷に瞳を震わせて、ピユラは呪文を紡いだ。柔らかな風が彼女の手から巻き起こり、淡い光とともにユリアを包む。痛々しい痕の消えたユリアに目を見開く透夜へ、すまぬ、と消え入りそうにピユラはこぼした。

 その初めて見るあまりに力ない態度に、透夜はかける言葉が分からず、わずか言い淀む。しかし独りごちるように囁いた。


「別にお前だけの責任じゃないだろ……。思いつめるなよ」

「……透夜、そなた……」

 ようやく仰いできた泣きそうな紫色に、きまり悪く顔をそらし、透夜は蒼珠へと視線を投げた。

「それより、蒼珠。お前、あの場がああなってるって、気づいてたのか?」


 遠く伸びる、巨大な爪で抉り取られたかのような地面の傷跡。未だかつて見たこともない光景の脅威が、焼き付いて消えない。ユリアを追って村を出る直前、確かに蒼珠は驚愕の目で彼女が攫われた方角を仰いでいた。そして、同時に糸が切れたように操られていたピユラが倒れ、一瞬まばゆい光が空の彼方を照らしたのだ。そのあと、馬を借りて急ぎ向かえと彼を急かした蒼珠の剣幕は、普通ではなかった。


 だが、蒼珠は緩やかに首を振った。

「いや、どうなってたかってのは、よく分からなかった。まあ、その顔じゃあ、相当酷い有様だったな……。ともかく、俺はちょいとばかり特殊で、魔法は使えねぇが、魔力の気配なら分かる。だから、感じたんだよ。ほんのわずかな間だったが、凄まじい気配をな。それで――さすがにちょっと本気で焦っちまった」

 蒼珠はそこで、面目なさそうに頬をかいた。


「ピユラもいたし、そのあと魔力の気配もなかったしで、勢いでお前ひとりに行かせちまったが――まあ、お前もユリアも大事なくて、あれでピユラも正気に戻った。ひとまず、よしとしとこうぜ」

 蒼珠は金色の瞳を細めて笑顔を作った。しかしそこへ、すまぬ、とまた、か細い謝罪が落ちる。

「私がもっと早くから正気であったなら、もう少し色々感じ取れたかもしれぬ。それに、ユリアも――私があの時動けていれば、攫われすらしなかったかもしれぬ。……本当にすまぬ。無事で、よかった……」

 ともすれば、涙に滲み消えそうな声で、そっと目を閉じたままのユリアの手を取る。その罪悪感に潰されそうな小さな背に、蒼珠は歩み寄り、優しくなでるように叩いた。


「仕方ねぇよ。お前は悪くない。それに、詳しいことはユリアが起きたら聞けるじゃねぇか。みんな無事だった。なにも謝ることはない。な?」

 なだめる彼の声は心地よく、柔らかにピユラに降る。それが余計に苦しいと訴えられるほど子どもでもなく、彼女は黙って小さく唇を噛んだ。

 その仕草に気づいているのか、いないのか。蒼珠はピユラへ注ぐ眼差しから切り替えて、再び透夜へ振り向いた。


「ひとまず、この騒ぎについて、宿の者はうまく言いくるめておいた。早くユリアとピユラを休ませよう。お前、俺たちがいた部屋をユリアと使え。追撃が来ないとも限らない。四人一緒じゃ部屋が狭すぎて休めないから、分かれるのは仕方ないにしても、最初から……そうしときゃ良かったな……」

「そうだな」

 小さくこぼれた蒼珠の後悔に、透夜もユリアを抱く腕に力を込めた。もういまとなっては仕方のない話と分かりながら、痛いほどそれは彼も思っている。


「とりあえず、俺はもう行く。――お前も、よく休めよ」

「え~? たぶん俺、一番元気よ?」

 軽い調子で笑う蒼珠に、なにも言わずに透夜は肩をすくめると、気づかわしげにユリアを抱いて宿へと入っていた。


 まだ立ち尽くしたままのピユラに、俺たちも戻ろうぜ、と蒼珠が声をかける。ゆっくりと頷き、ピユラはふとそこで、違和感に気づいた。

 いつも自然と差し出される彼の手がない。ピユラが立つ時、段差を下る時、その歩みを促す時、さりげなくその手は彼女の前に現れる。それは風羅で彼女の騎士として仕えていた時の習いか、王女の扱いはしないと言いながら抜けきらない、彼の癖だ。


「蒼珠……そなた、まさか」

「あ……! おい!」

 蒼珠が止めるより、ピユラが彼の懐に飛び込んで、外套を剥ぐ方が早かった。しくじった、と手を額に蒼珠は天を仰ぐ。


「傷を負っているではないか……!」

 泣きそうな、悲鳴に近い声でピユラは顔をゆがめた。ちょうど外套に隠れる位置。蒼珠の右肩には、滲む赤い血とともに、深い切り傷が開いていた。


「たいした事ねぇよ。俺の頑丈さは知ってるだろ? 心配するな」

 気を取り直して、努めて明るい調子で蒼珠はピユラの頭をぽんぽんと叩いた。しかしそれで、ピユラの表情が晴れるはずもない。


「――……これも、私がやったのか……。奴らに操られていたとはいえ、蒼珠にまで……」

 魔法を使える身でありながら、ユリアを守れず、透夜に怪我を負わせ、蒼珠にもこれほど深い傷を残してしまった。

「すまぬ……蒼珠」

 ピユラは、彼の腕に震える額を寄せた。

「そなたを……傷つけるなど――」


 彼と彼女の出会いは、四年ほど前になる。蒼珠は埃と泥にまみれて、風羅を囲む氷の道を抜けてきたのだ。黒髪に、煌めく赤の房が混じる金眼の男。手酷く傷ついていた彼は、風羅と敵対する帝国から逃げてきたと言った。少し陰りのある、けれど快活な青年だった。父王は彼をいたく気に入り、国で保護してピユラの護衛の騎士としたのだ。


 ピユラも彼の明朗な気質をとても気に入った。護衛の中でも特にそば近くに用い、城内での小さな冒険も、ささやかないたずらも共に楽しんだ。そして、国が滅んだ時も――ピユラの手を引いてくれたのは、彼だった。


 彼は、あの日すべてを失ったピユラにとって、唯一残ってくれた存在なのだ。いまではピユラの騎士である以上に、一番の理解者でもある。

(――それなのに、私は……)


 ピユラはそっと右手を蒼珠の傷口にかざした。ひそやかに柔らかに、呪文の詠唱に入る。

「汝、風を纏いし者たち。我が友なる風の精霊。慈しみて深き傷を癒し、苦痛を取り去りたまえ。我が言の葉が結ぶは古の約束――」


 蒼珠の肩口の周りに優しく風が吹き寄せ、淡い光を放った。見る間に傷が癒され、ふさがり、もはやその痕跡も分からない。ユリアへも事も無げに使っていたが、この癒しの力は、風魔法が使える者の誰もが為せる術ではない。風羅の王族だけが使える、風魔法の真髄ともいえる奇跡の力だ。


「相変わらず、すごい力だな」

 感嘆に目を細め蒼珠は呟く。だが、ピユラはさらに瞳を伏せた。

「不完全だ……。父上には及ばぬ……」

「それは、まぁ……いいんだよ。それで、結界は……?」

「張っている。安心しろ」

 少し言葉を濁してから、切り替え尋ねた蒼珠へ、短くピユラは答えた。


 蒼珠はその体質ゆえ、魔法に触れる時は、同時にその身を魔力から守る結界を張る必要があるのだ。ただでさえ魔力を消費する癒しの術に、重ねての結界。蒼珠は面目なさそうに眉尻を下げた。

「そうか……手間かけて悪いな……」

 詫びる蒼珠にピユラは力なく首を振るう。

「悪いのは私だ」

「だから、お前は悪くないって、」

「蒼珠はいつもそうやって私をかばってくれる」

 蒼珠の言葉をさえぎって、ピユラは苦しそうに顔をゆがめた。


「でも、私はそれに甘えて、そなたを振り回してばかりじゃ。本当なら、そなたは私の御守りはもういいはずなのじゃ。私はもう、国のない王女じゃ……。そなたの仕えた父上もおらぬ。そなたにとっては、もう付き合わなくてもよい存在であるはずなのに、ずっと付き従わせてしまっておる……。すまぬ」


 国を逃げ出してから、いく度か危ない目にあうことはあった。けれど、蒼珠がここまでの怪我を負うことなどなかったのだ。あの日以来ずっと共にあった彼を、最も傷つけたのが己自身であるということが、ピユラには許しがたかった。あの日から、もうなにも自分の周りで失うものは欲しくないのに、自分の手で、もしかしたら彼を失ったかもしれないことが恐ろしかった。


「はあ? 急になに言ってんだよ」

 がしがしと頭を掻きむしり、俯くピユラに強い語調で蒼珠は顔を突き合わせた。額と額がくっつきそうな程の距離で、金色の瞳が力強く真っすぐにピユラを射貫く。

「誰が付き合わされてるだって? 俺が、付き合いたくて付き合ってんの! お前が大事なの。王女とか、父王とか関係ねぇの!」


 かがみこんだ体躯のいい長身の青年と、折れそうな細く小さな少女の影が、月明りに照らされる。対照的なのに、その折り重なる影は、あつらえたかのように美しい形を地面に落とした。

「俺は大切なもんは、きっちり守り通してぇの。お前が嫌だっつても付いて行くぞ、俺は。お前が俺の知らないところで死んじまったりしねぇようにな」

 瞬きも忘れて蒼珠を見つめる紫水晶の輝きに、ふと照れ臭そうに顔を染めて、蒼珠はおもむろに彼女から離れて身を起こした。


「あ~、ともかく、だ。そういうとこは、馬鹿親父に似ちまった。お前を死なせたくない。だから、俺はお前のそばについている。なんだこれ、小っ恥ずかしいな。いいか、もう言わねぇけど、そういうことだからな、ピユラ。分かったか?」


 以前、ピユラに蒼珠が語った言葉が脳裏に蘇る。

『あの馬鹿親父。ある日突然、俺を残して母さん連れて、姿を消しちまいやがった』

 蒼珠がそう、笑って言っていたことがある。そこには置いて行かれた寂寞と、それ以上の父への憧憬が溢れていたのを思い出す。


 時たま彼が語る彼の父は、なによりその母を大切に想っていたようで、時にその行動は恨みがましく、時にその想いは羨望をもって彼の口からこぼれていた。

 その父と同じと彼は言う。どこか面映ゆそうに、父にとっての母が、彼にとってのピユラと言う。

 ようやく、ピユラは微笑んだ。この言葉に信を置かずして、なにが王女か。


「父君のこと、よく文句を言っておったくせに」

「ま、それはそうだが……こういう性質は悪くないぜ」

 いつもの調子を取り戻したらしい幼い彼女の不敵な笑みに、蒼珠は破顔した。わざとめかして、騎士のごとくその前に膝を折る。


「絶対守る。そばにいさせろよ」

「ふむ。許そう」

 笑みを引き、手を取って、不遜な瞳に真摯な色を湛え、彼女の騎士はそう誓い、強請る。王女は鷹揚な頷きでもって、それを容認した。

 その芝居がかったやり取りに、ふたりで同時に笑い合う。


「しかし、思えば、傷を負った時に怪我以外の大事がなくて良かった」

 彼の肩を傷つけたのは、どう間違ってもピユラの風魔法であることに相違ない。魔力に敏感な彼の体が、それで調子を狂わせなかったのは僥倖といえる。

「それは、お前の父上――冬月様のおかげ~。壊れちまったけどな」

 蒼珠はそう言うと、どこからともなく、ひび割れた青い石の首飾りを取り出した。


「お守り代わりにって、お前の護衛になった時に渡されてたんだよ。風羅ではついぞ世話になることはなかったが、いまここで、助けられた」 

 それは、父王が守りの魔法を込めた石だったのだろう。かかげられたその首飾りに目を見張り、ピユラは喜びに泣くように相好を崩した。

「父上は、亡き後も私たちを守ってくれたのか……」


 そっと手渡された首飾りをいとおしげにピユラは見つめる。その時、その瞼が重たそうに何度か瞬いて、やがてふわりと閉じた。倒れこんだ身体を優しく蒼珠が受け止める。

「魔力の使い過ぎか、張り詰めてた気持ちが落ち着いたからか……」

 操られながらの風魔法も、癒しの魔法も、いまの彼女への負荷は大きかっただろう。なにより正気に戻ってからずっと、彼女は自分を責めていた。


「お疲れ、ピユラ」

 優しく囁いて、蒼珠は彼女とともに宿へと入っていった。







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