真夜中のおしゃべり(2)
それに、隣室へと続く扉がきちんと閉まる、小さな音がした。ユリアもピユラも気づいていなかったが、薄く扉は開いていたのだ。
「よぉやく寝たぜ、お嬢様方」
透夜に囁き、蒼珠が肩をすくめて彼の向かいの長椅子に腰を下ろす。
「こんな遅くまで、なに話すことがあったんだ? あいつら」
「さぁてね。お嬢さんってのはお話好きが多いからなぁ」
「……確かにな。凄まじく思い当る奴がいる……」
重く深い透夜の一言と憂鬱そうな顔に、思わず蒼珠は彼をのぞき込んだ。
「ユリア……じゃねぇな。なんかやべぇ顔だぞ。誰?」
「兄の、許嫁……」
短い一言に、そういや次子って言ってたな、や、兄の許嫁のなにが彼にそこまでうんざりとした顔をさせるのか、など、色々な感想が一気に蒼珠の脳裏を駆け巡っていったが、触れない方がよさそうだ。蒼珠は、そうか、とだけ、よく分からないまま同情を示して頷いた。
「俺のことは別にいい……。とてつもなく面倒だったってだけで、たいしたことじゃない。それより、お前こそ、大丈夫か?」
額に手をあてがって抱え込んでいた頭を少し上げ、蒼珠を紫黒の眼差しが見つめ上げた。
「さっきから若干、顔色が悪いぞ」
「そうか? いや、疲れかもしんねぇな」
かすか瞬かせた金の瞳を笑みに細め、蒼珠はごろりとその大きな体を椅子に横たえた。
「さっさと休むに限るな、こりゃ。あっちも寝静まったし、こっちもまた眠っちまおうぜ」
「ああ……そうだな」
目配せされてしまえば、それ以上の追及もはばかられ、透夜もそう答えて椅子へと横になった。
やがて聞こえてきた彼の浅く寝ついた呼吸に、蒼珠はため息をひとつつく。
(いやぁ、目敏い……)
ピユラには魔力の気配に気づいただけという体で隠しきれたが、どうも隣で眠る少年には悟られてしまったようだ。
(最近、ちょっとやべぇ時があんだよなぁ……)
蒼珠の身体は、魔力に触れると少しばかり内で変化が起きる。その度合いは触れた魔力の大きさや彼の体調にもよるのだが、必ず不快感や苦痛を伴った。先のピユラの魔法はささやかなものではあったが、寝ていていわずか無防備になっていた蒼珠の身体には、やや刺激が残るものだったのだ。なんとなくいまも腹の奥の方で、鈍く重い感覚が渦巻いている。
(だが……厄介だとしても――この力はきっと必要だ)
彼の身体の変化は、彼の持つ特殊な力の裏返しなのだ。そう無暗に頼れる力ではないが、いつか、いざという時にピユラを守れる力になればと思っている。
(いまはまだ御しきれねぇ、付き合いづれぇ力だが……)
蒼珠はつい、ひとり苦笑をこぼした。
(あの面倒な親父譲りらしい力だよな……)
彼の父は、彼が風羅に住まうようになる前、ちょうど透夜ほどの年の頃だった時、突然その母と共に姿を消した。なんの前触れもなく、ただ己は母と二人で旅に出るゆえ、蒼珠もひとりで見聞を広めに旅に出ろという趣旨の手紙と旅支度を残して。
(今頃どこで、なにしてんだかねぇ――)
なにより母を大切にしていた男だったので、たいていの父の行動は母に起因していた。なのでおそらく、魔法を使える母に関わるなんらかの事情により、唐突に姿を消したのだろうと想像はついた。そしてきっといまも変わらず、彼は母と睦まじく、元気にやっているのだろう。だが、蒼珠としてはなんとも複雑なところだ。
(それなりに大きくなってたとはいえ、いきなり説明なく息子を置いてくかぁ……?)
横の椅子で眠る透夜をちらりと視界におさめて、まだその成長しきっていない細い肩の線をどこか懐かしく思う。自分もちょうどあれぐらいで、ひとり残され、あてもなく外の世界へと旅立つことになったのだ。
(こいつには、幸か不幸か、ユリアっていう存在がいやするがな。ま、まだあの頃の俺と同じ、ガキには違いねぇ)
凛と立つ背は頼もしくもあるが、そう気張るなよと声をかけてやりたくもなる。しばらくは同道の身だ。年長者として庇護してやりたいというのは、きっと彼にはお節介だろうが、つい、あの日の自分を振り返ってしまう蒼珠としては望んでしまう。
(どっかの誰かみてぇに、道を踏み誤まんねぇように……)
左耳にひとつ光る白銀の耳環を、手持無沙汰にいじる。その指先に苦く笑み、彼はそれを隠すように、腕を枕代わりに頭の後ろに回した。
(お兄さん、気張んねぇとなぁ。――馬鹿親父。せっかくの力、俺にも少しは活用させてくれよ……)
いずくともしれない父へ願うように、蒼珠はその金色の目をそっと閉じた。