復讐の夢の果て(1)
煌めく夏の陽射しの間を、涼風が軽やかに縫ってそよいでいく。若葉の緑は鮮やかに深まり、木陰の下がそろそろ心地よくなってくる季節だ。
ここ最近、ようやく昔日の姿を取り戻したスティルの王都と王城。その宮中の中庭に、珍しく若き王の姿があった。少年のあどけなさはもうないが、柔和で優しい面差しはそのままだ。背もいくぶん伸びたようだったが、その隣を歩く伽月には及ばなかったらしい。いまだ彼を向く視線は、見上げるようにその顔を仰いでいる。
こっち、こっちと、伽月ひとりを供にしたニールへ、気安げに呼びかけるのはセーラだ。今日は彼女の提案で、心地よく爽やかな空気を味わいながら、外で茶会を催すことになったのだ。様々に茶器と菓子が揃えられた、丸く広い机のそばに座し、手を振り招くその腹部は、ふわりとまろく膨らんでいた。
はしゃぐセーラの隣には、ユリアと透夜の姿もあった。透夜の方はいささか疲れが見えるようだが、仕方もないだろう。いま彼は、ユリアとともに砂漠の国々との外交交渉の任に就いている。そのため、一年の半分以上は砂漠に身を置いているのだが、昨日久しぶりに彼女と戻ったところなのだ。ユリアは透夜の補佐役であるため、報告の業務は免れたが、透夜の方は昨夜遅くまで、外務卿と、父たる内務卿につかまっていたのである。
「お疲れだね、透夜。報告、確かに聞いたよ」
欠伸を噛み殺しつつも大人しく茶会の席についてやっている透夜を労い、ニールは伽月の引いた椅子へと腰かけた。
「父上は、本当に仕事になると厄介だ……正直きつい」
「だから、僕は頼りにしてるんだけれどね」
頭を抱える透夜へ、ニールは可笑しそうに笑った。
「それにいまは、あえて仕事に注力しているようにも思える。そうしていないと、居ても立ってもいられない気がかりがあるんだろう。ね? 侍従長殿」
「陛下……圧がありますよ」
苦笑をこぼしつつ、伽月もニールの隣の席に腰を下ろした。護衛兵団長から侍従長へ。役目を変えた伽月は、王となったニールのよりそば近くで、公私に渡り彼を支えている。それをニールも非常に頼りにしているのだが、いまは内務卿も密かに心騒がしている大事が目前なのだ。内務卿にとっての初孫――つまりは、彼とセーラの間の子が、もうすぐ生まれてくるのである。セーラは平気で背を押してくれているようだが、彼が仕事にばかりかまけているのは、ニールとしては考えものだと思っていた。
「伽月、君が休もうとする気配がないからだろう? こういうのは大切だというよ。僕は、多くの女性の声からそう学んでいるのだけど」
「ご配慮通り、きちんと休暇はいただきますよ。ですが、それを言うなら陛下もしっかりお休みください。目を離すとふらふら仕事に戻っていかれるのが、休むに心残りです」
「それを言われると弱いな」
言葉遣いに反して、苦言を呈する口調は叱責する兄のようだ。ニールは眉を寄せた困り顔で笑みを落とした。
四年前、スティルの国土は、世の例にもれず、大きな災厄に見舞われた。王都を中心に大地はひび割れ、夜を引き裂く雷が、地上のすべてを焼き払うかのように降り注いだのだ。もちろん、その後そこへ吹き抜けた一陣の薄紅の風によって、その災いは取り払われた。地の底へ引き込まれそうな亀裂は塞がれ、焼け焦げた地面は再び草花の息吹を与えられたのだ。だが、そのあとがまた一苦労だった。
王都復興、王城の復旧――国にあった日常の営みを取り戻すために必要な事は山積みだった。そこへ同盟国である帝国の瓦解により、諸国との駆け引きめいたやり取りが転がり込み、内に外に、ニールは頭を悩ませ、多忙を極めた。戴冠を早々に、しかし手順だけは抜かりなく済まし、地位と立場を盤石にし、内外へ睨みをきかせながらも、疲弊した国の隙をつかれないよう、平和裏に万事を進めることにニールは心血を注いだ。
スティルの王都が帝国に侵攻されていたことが逆に功を奏し、かの国への反感を抱く諸国とも折り合いがつけやすくなったのは、不幸中の幸いだった。一方で、元からあった帝国貴族との縁から、かの国の技術を貰い受け、いまだ混迷にある帝国領付近で、優位に立ち回れる地盤の確保にも密かに尽力した。
透夜たちの来訪を機に、砂漠との伝手ができたのも大きかったろう。いままで中央大陸に出入りの少なかった物資を独自に取引しえ、復興の資金繰りにあてられたことで、想定よりもだいぶ早い安定につながったのだ。
まさしくこの四年は、スティルにとってはあっという間の、しかし激動の歳月だった。ニールは政務に追われ、眠れぬ夜をあまた越し、〈眠らずの王〉の不名誉なふたつ名をしばしほしいままにしたのち、こうしていまようやく、多少はお茶を楽しむ時間も作れるようになってきたというわけなのである。
「陛下の見張りもありますし、これからまた、忙しくもなりますからね。きちんと暇はいただきつつ、ほどほどに戻らせていただきますよ」
先王の喪にも昨年ようやく服せたので、後回しにしていた戴冠の式典を次の春にこそ、という話が、ちらほらと持ち上がって来ていた。あらかた都としての様も整い、民も落ち着きある生活を取り戻しつつある。時期としては頃合いだろう。大きな祭典は国威掲揚にも、威容を多方に示すにも効果がある。ニールとしても否ではなかった。だが、いざ行うとなると、すでにいまからその準備に、仕事がいやおうなく増すというわけだ。ニールももちろんであるが、特に宮内卿や侍従長などは、その筆頭だろう。
「とはいえ……伽月は我が子に他人のように見られたら、とても落ち込みそうだからな……。僕としては、職務へのその真面目さが気がかりだ」
心底心配らしく、悩ましげなため息を落とすニールへ、明るい声でセーラが笑った。
「そうね。でも国にとっても、ニール陛下におかれましても、落ち着きが見えてきたいまが肝要なところ。だからこそ、押さえるお仕事は、きちんと押さえないとだわ。だけれど、根を詰めすぎるもの確かに考えものだから、今後も適度に、こういう機会を設けましょう? そして、そういう時間が作れるように、お仕事をする。それでいいじゃない?」
容易く言ってのけると、ニールは伽月と苦笑交じりに顔を見合わせた。だが、セーラからは、できるでしょうとの信頼が朗らかに薫る。それが押しつけがましくなく心地いい。幼い時から、彼らにとっての彼女はいつもそうだった。
「さ、いまは目の前のお茶とお菓子に向き合いましょう? 今日はユリアちゃん厳選の砂漠のお菓子があるのよ!」
「日持ちするものしか持ってこられませんでしたけど、味は散々試したので保証できます!」
弾むセーラの声にユリアは一同へ胸を張った。そのままセーラとそのお腹の膨らみに語りかけて微笑む。
「気が早いけど、あなたへのお土産もあるの。あなたの叔父さんと一緒に選んだのよ? 出てきたら、お母さんからもらってね」
「なんだか楽しみだわ。生まれてきたら、その子と一緒に開ける秘密の小箱。砂漠の素敵な風習ね。開けた時に入ってた物で、色々意味が違う、おまじないなんでしょう?」
「そう。幸福を、友愛を、勇敢さを、美しさを――色々あるけれど、でも、なにが入っていても生まれてきた子に祝福を与える魔法になるの。友人に子どもが産まれるって話をしたら教えてもらって、絶対にセーラとセーラの子へ贈ろうと思って」
すでに寿がれている小さな命を間に華やぐふたりへ、穏やかに黒の瞳を細めながら、ニールはユリアへ声をかけた。
「この前、新しい街へ拠点を移してもらいましたが、そちらでも順調そうですね」
「はい! ずいぶんと仲のいい方も増えました。上手くやっていけそうです」
「実際、補佐にユリアがいて助かる」
心強く頷くユリアに透夜が重ねる。
砂漠における外交の指揮は、透夜とは別に年配の大使が遣わされているが、彼が担う役割も大きい。大使の次席に当たる立場として、大小問わず交渉事務を捌き、主導的に処理しているのだ。そんな透夜の力強い右腕となっているのが、ユリアなのである。
彼女は身分もあって役職は高くないが、その言語能力を買われ補佐に就いただけはあり、透夜以外の砂漠詰めの者たちにも頼られていた。幻獣がその身にあった影響か、元からの資質かは分からないが、砂漠の言語をひとたび学びだすと、それこそ砂が水を吸うようにものにしていったのだ。いまは異国の言葉を操るのも、裏にある微妙な機微を汲みとるのも、誰よりも上手い。
「特に出入りの商人相手は心強いな。危うい契約文言や内容はすぐに察知するし、逆に丸め込みさえしてくれる」
「透夜はそういうところ、素直だもんねぇ」
くすくすといとおしげにユリアは肩を揺らした。透夜は不服そうに眉を寄せたが、それすらふたりの間柄では柔らかい空気に滲んで溶けていく。
「しかしやはり、ユリアさんの話を聞くにつけ、勉学の場を増やすことは大切ですね。民の間の識字があがれば、ユリアさんのような才能を潰すこともなくなる。この件についても、本腰を入れて考えないと……」
「またすぐ頭が仕事に侵食されるな、お前は」
真摯な顔で呟き出したニールへ、透夜が呆れて肩をすくめる。
「陛下? 陛下なニールはいまはお休みしてちょうだい?」
「ちょうどいい。待ちかねたお客人が来たようだ」
たしなめるセーラに合わせるように、向かってきた人影に気づいた伽月が、そちらへ目を向け微笑んだ。




