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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第五章 風の姫
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君の与えた願い


  ◇



 大きな音が窓硝子を揺らした。離れたところからのようだったが、それでも朦朧としたユリアの意識を一瞬引き上げるほどの轟音だった。それ聞いて、ジェディアーツがなにか一言二言、八雨(やさめ)と言葉を交わして部屋をあとにしたのだ。


 ゆるゆると、苦いまどろみの淵に誘うように、暗い宵闇色の光がユリアの身体を包みこんでいる。自分の姿かたちの感覚が溶けだしていくようで、すべてが霞んで見え、瞼が重い。耐え切れずゆるりと目を閉じたユリアの耳の端に、朧げに笑い声が落ちてきた。


「行かせてよかったんですかい?」

 玉座の背もたれに気安く肘をかけて、紫陽(しよう)がそこに座す八雨をのぞき込む。

「この前つくった玩具、絶対使いますよ。なんでしたっけ? 魔力の変換できるやつ」


「ああ。雷の魔法を使えるようにできたと言っていたからね。使うんじゃないかな。レニウムのお気に入りも来てるみたいだし」

 朗らかに紫陽を仰ぐ八雨に、まあ、と紅奈(くれな)が微笑んだ。

「ジェディアーツは自覚してないのでしょう? そちらに魔力を大量に使えば、無理に時を引き延ばして酷使された身体。もうもたないというのに」


 ジェディアーツは、土地の持つ魔力の多寡に自身の魔力の量が左右される。いま、紫陽の術式によって各地の魔力が集められている帝国の地は、彼の力をそれこそ魔獣に比する程に変貌させ得るだろう。その上ジェディアーツは、己が吸い込んだ魔力を、腕輪を通して送り出すことで、本来ならば関与できない精霊を使役しての魔法を可能とした。


 (いにしえ)の魔法に携わる技術を究明し、蘇らせ続けていた彼は、いままでも、過去にあったもの以上の技を見出すことに成功している。つい最近作り出した腕輪もそのひとつで、それ自体の出来は完璧だろう。


 けれどどれほど道具の質がよくとも、本来ならばとうに寿命を迎えているはずのジェディアーツの身体の方が限界なのだ。魔力をその身に吸い上げれば吸い上げるほど、器となる肉体がひび割れ、悲鳴をあげていく。それを感じる痛覚すら、彼にはもう残っていないほど摩耗しているのだが、ジェディアーツ自身だけが、その事実に気づけていない。


「レニウムはほら、思い込みが激しいからね。きっと止めても聞かなかったさ。あまりにもたったひとつを真っ直ぐに見つめ過ぎて、他が目に入らない。出会った時から、そこは変わらないね」

 懐かしむように八雨は言う。


 八雨が彼に出会った時、ジェディアーツはまだ十ほどの幼い少年の姿だった。


 八雨へ呪いを施すためだけにラクシュミーが世界に振るった猛威は、この世の魔力の在り方を大きく変えた。魔を宿す土地は目に見えて少なくなり、人は魔法を失いだし、そして――魔獣はほぼその姿を消した。そんな世で、いにしえの己の部族と同じように、魔獣を神として信奉する一族がいるとの話が、八雨の耳に舞い込んできたのだ。


 砂漠を離れ、はるか北の地で八雨が国を興したのは、ラクシュミーを蘇らせるためだ。魔力の衰えた世界で、彼女にかつての姿を取り戻させるには、失われた技を用いた準備と、世に残された魔力の多くが必要だった。そのための人と力と材を賄うために、小さかった国をゆっくりと育てていくのは退屈ではなかったが、ちょうど目新しいものがあってもいいと感じていた時だった。

 だから、珍しく宮城を抜け出て、ふらりと自ら噂の一族の元に赴いたのだ。


 砂漠の民の規模とは比べ物にならないほどささやかに、辺境の片隅、ほぼ血族ばかりの小さな村にジェディアーツはいた。神へ贄を捧げて、一族の安寧を願う。それがジェディアーツの生まれ落ちた一族の在り方であり、そして、彼こそがその贄として育てられていた。


 贄に生まれ落ちた子は、十までは村で一番豪奢な邸でかしずかれ、意に染まぬことなにひとつないよう丁重に育てられる。そして十になった日に、もはやいもしない神たる魔獣のために、邸ごと焼かれて捧げられるのだ。


 それはたまたまの偶然で、八雨がその村を訪れたのがちょうど贄を捧げる日だった。紅蓮の火の手に包まれる邸の奥で、ふいに炎を掻き分けて現れた八雨を見て、ジェディアーツは言ったのだ。


『君が――わたしを迎えに来た、魔獣かい?』

 琥珀の瞳の中に、深紅の火明かりを照り映えさせて、八雨の金色の髪が煌いていた。


「レニウムに出会えてよかったよ。本当に、いい子だったからね」


 魔獣でないとは告げながら、迎えであることは否定せず、八雨はジェディアーツをその村から連れ出した。その後、彼の一族がどうなったかは知らないが、いつしか噂にも聞かなくなったことは確かだ。


 ジェディアーツは八雨にいたく懐き、八雨の魔獣を蘇らせたいという願いを、彼独自の感性で理解したようだった。やがてすぐに花開いた魔道具作りの才に八雨が喜べば、君の助けになれるのならと顔をほころばせてはしゃいだ。そうしてずっと、特異な魔力を使って命を永らえさせながら、八雨の協力者として生き続けてきたのだ。


 寿命を引き延ばしても、ジェディアーツの体は、ゆっくりと老いてはいった。少年だった姿は青年を通り過ぎ、いまは見た目ばかりは立派な大人だ。だが、おそらくは延命の魔法の影響だけでなく、我儘に育まれ、なにもかもを与えられ、その実なにひとつ授けてもらえていなかった幼少期からずっと、その心だけは歪に止まっているのだろう。


『君は魔獣のいる世を望むんだろう? もちろん、私も同じだよ。君の語るとおり、魔獣とは、とても美しいものだろうからね』


 慕う相手の願いをいつしか己の願いに変えて、ジェディアーツは魔獣に焦がれていくようになった。八雨と出会う前から、神として魔獣の話を物語られていたことも、多少は影響したのかもしれない。だが、ほかを顧みず没入するほどの執着を与えたのは、八雨の存在だろう。


 ジェディアーツは八雨の言葉を素直に疑わず、魔獣が蘇る世をつくるために、あらゆることを試しては、嬉しげに彼に報告した。魔道具の開発の他、蒼珠(そうじゅ)にいたるまでの間、魔獣に値する生き物の探求にも、熱心に取り組んだ。

 八雨からの『すごいね』と、感謝を聞くために。子どもが無碍に放り投げる玩具と同じように、数多の犠牲を乱雑に散らしながら、ジェディアーツは魔獣の夢を見た。

 八雨も同じ夢を見ていると、信じながら――。


「あ~あ、あいつの作る道具、使えたんですけどねぇ。もったいなくないですか?」

 もうジェディアーツが、出ていった扉を再びくぐり、八雨の元に戻ることはないだろう。紫陽が漫然とぼやくのに、紅奈が柔らかなため息を重ねた。

「そうね。私も、彼の道具のおかげで出来たことが多くありますから、あの才は惜しいですわ」


「僕としても彼の才能は惜しいさ。でも、どうせ遅かれ早かれという状態だ。それなら、レニウムがやりたいようにやらせてあげようかと思ってね」

 一見優しく、だが慈愛なく、八雨の深い紫が独特の笑い声とともに細められる。ジェディアーツの意志を尊重するようでいながら、それはもう、心の片端も彼へ残さず捨て去るということだ。長い年月、少なくとも、この場に残る誰よりも時を共にしながら、惑わすように明るく快く受け答えておきながら、ジェディアーツの慕い呼ぶ声を、ついぞ八雨が聞き届けることはなかったのだ。


 遠い昔日、ジェディアーツの幼い瞳が仰ぎ見た金色の上に、玉座を冷たく照らす光がかげろった。

「本当に――実に都合のいい子だったよ、レニウム」

 手向けと呼ぶにはあまりにそっけなく、それは微笑む唇から落ちて、どこにも響くことなく溶けていった。












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