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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第五章 風の姫
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美しい決意(1)




 ミザサが作り上げた術式がピユラたちを転移させたのは、広い中庭の一角だった。四方にそびえる堅牢な石の城壁。そこを越えて見える空は、西にかすか朱色の残照を裾びく、深く濃い藍色。夕陽に取り残された三日月が冴え冴えと輝きを増し、いまだ溶ける様子もない降り積もった雪の表面を煌かせている。


 帝国は小さな街ならばふたつみっつは収まる大きな宮城(きゅうじょう)内に、それひとつで城のような軍務や政務の主要施設を置き、そこで働く高位の貴族や役職者たちが住まう邸や部屋も抱えている。その内に中庭など数えきれないほどあちこちにあろうが、しかし、いくつも見渡せる塔の尖鋭な影の重なりから、ピユラたちがいるのは、城内の奥部にあたる中庭だと思われた。だが、それにしてはやけに静かで人気がない。不審に三人で首をひねりあいながらも、確かな位置とユリアの居場所を探ろうと、ピユラが呪文を唱えだした、その時だ。


 膨大な魔力が蠢く気配とともに、地面が揺れ動いた。轟音とともに壁面が一部瓦解し、庭の木々が震え、ねぐらに羽をたたんでいた鳥たちが、鳴きわめきながら飛び立っていく。立っていられない振動に、膝を折り、地面にしがみつきながら、急いでピユラは結びの句まで呪文を紡ぎあげた。黒髪を巻き上げ、逃げまどう鳥たちを追い越して空へと抜けた風が、一瞬で帝都の上空を渦巻いて舞い戻る。それに、ピユラは驚きに大きな瞳を瞬かせた。


「城の外で、反皇帝派の暴動が起きてるようじゃ……。その鎮圧のために、ここに兵がほとんどおらぬらしい」

「は? 嘘だろ?」


 思いもかけない話に蒼珠(そうじゅ)が素っ頓狂な声をあげる。帝国の内情はつゆとも知らないが、叛意を抱く者も、それゆえに徒党を組む者もいるだろう。だが、それがいまこの時に反旗を翻して動き出したというのは、偶然とは言い難い気がした。

 透夜(とうや)も、その不可解に訝しげに柳眉を寄せる。


「ユリアを攫い、ここからが大事の局面だろう。そこで奴らがみすみす暴動を許したのか?」

「まあ、兵にここにいて、無駄に動かれても迷惑だからね」

 唐突に、聞き慣れた声が会話に割り入った。


 ピユラたちにいっせいに緊張が走り抜け、白銀の光が三人の前に人の形を結ぶ。早速おでましかよ、と、小さく蒼珠が喉の奥で囁いた。


「多少の騒ぎ程度で、玉座なんかに駆けつけられると逆に困るんだ。それで大宰相殿が体よく追い払ったんだよ。暴動のひとつやふたつ、さじ加減でどうとでもなる方だからさ」

 ふわりと腰よりはるか長い金糸が、夕闇に鮮やかになびいた。白い軍衣の裾を髪先と戯れさせて、薄い唇が笑みを描く。

「特定の箇所に大勢人が集まるのも狙いだそうでね。幻獣を魔獣にするには、魔力が大量に必要なんだよ。おかげで各地の魔力的要所に術式を施して回らされて、こっちはいい迷惑だったんだけど……ま、そいつをこの国に引き寄せるのにも、術式に加えてそこそこの誘引する力が要りようらしい。それに必要な分を、人の命からひねり出して補おうっていう発想は、正直どうかと思うけど……」


 独りごちるような(はぐさ)の言葉に、ピユラは青褪めた。つまり、この国に魔力を引き寄せるよすがとして利用するために、皇帝は民に暴動を起こさせ、己に仕える兵をぶつけ、その命を根こそぎ奪おうとしているということだ。己が手で統べる命に、慈しみの――欠片もなく。


 そっと静かな怒りが、ピユラの胸の内から湧き起った。それは、いままで目の前の彼やこの国に向けていた、身を焼き焦がす憎悪とはどこか違う。

 それに気づいているのか、いないのか。気だるげに遠く、城外の空へ流されていた双眸が、ゆるやかにピユラを振り向いた。若葉の瞳が、凛と顔を上げて睨み据えるピユラを映し込む。


「だから――ここは危ないよ、風の姫」

 あの日と変わらぬ愛しい色が甘く笑った。金色の髪が、まだ冷たい春先の風とともに、月明かりの波間を泳ぐ。

「ここで引き返すなら、もう一度だけ見逃してあげよう。そこの騎士殿だって、王女様をみすみす殺しに来たわけじゃないだろ?」

 ピユラを背後に庇う蒼珠をどこかからかって、莠は、すでに剣を構え、隙をうかがいにかかっている透夜を見やった。

「あと、これは純然たる善意なんだけど、スティルの君は、この先に進まない方がいいよ。酷い目ってのに遭いたくないならさ」


「そうか。だが、謹んで断ってやる」

 言葉の真意は分からねど、その含み自体に虚偽の香りは感じなかった。だが、それがなんだというのかと、透夜は真っ直ぐ鋭く、莠を見つめ返した。

「ずっと前から、ユリアを助けると決めている」

「わぁお。相変わらずかっこい~」


「それより、お前の相方はどうした?」

 茶化して意地悪く細まる瞳にはなにも返さず、透夜は彼の隣の空白を問うた。彼らが透夜たちの前に姿を見せる時は、必ずふたりだった。だが、それが砂漠の時からどうも異なる。

「背後から虚を突かねばならないほど、お前たちに余裕がないとも思わないがな」


「ああ、それならご心配なく。あいつならもういない」

 分かれての奇襲を疑う透夜に、つまらなそうに莠は肩をすくめた。偽るにしては、あまりに乾いて味気ない。それに、淡々と確かな事実を告げられているのだと知らされた。

「兵と同じさ。無駄に動かれても邪魔なんだよ。だから始末しといた」


「へぇ、随分仲良く見えたもんだが、あっさり切り捨てたっつうことか」

「まあね。いなくても困りもしなければ、益もない。そうなれば捨てるさ。気楽なもんだよ?」

 皮肉をきかせてなじる蒼珠に、涼しげに笑って莠は応じた。


「さっきから君らにもそう勧めてるんだけどね? たったひとり、わずかな時を共にしただけの相手のことなんて構わずに、とっとと逃げ帰れよ、ってさ」

 笑んだ瞳の奥底に燻る月明かりが、獣のように妖しく揺れた。ぞくりと背筋に言い知れぬ薄ら寒さが這いあがって、ピユラは慌ててそれを払い退けようと奥歯を噛み締めた。


「言っても聞かない愚かな健気さに免じて、思い直す猶予をあげるよ」

 歌うような響きとともに、冷えた月光を反射させながら、ゆるやかに無数の氷の刃が空中に象られていく。

「どう逃げ出すか、よ~く、考えるように」

 形の良い唇の端が引き上がった瞬間――空から刃が雪崩となって降り注いだ。


 透夜が一歩前に踏み出し剣を振り抜く。その切っ先の描く弧を辿って一陣、風が迎え撃つ刃となって吹き抜けた。砕ける氷の破片の間を縫って、なお残って注ぐ、凍てつく刃を切り捨て叩き落して、透夜が莠へと迫る。

 あわせて、蒼珠も雪を蹴散らし地を蹴った。その身が紅蓮の光を纏って走るとともに、背に深紅の髪が溢れて流れる。


「蒼珠、透夜! ユリアは玉座の間だ! あの北の門まで抜ける! あとの道順は一時で覚えよ!」

 叫んで、ピユラが呪文を唱えた。同時に、ふたりを包むように風が柔らかに吹き抜けていく。それは言葉ではなく、けれど確かに情報を伝える風の魔法。先ほどピユラが探った玉座までの道のりが、彼らの頭に直に地図を描くように駆け抜けていった。


 目的はユリアの奪還だ。真っ向から立ち向かうことは避けられなくとも、隙さえあればどれほど卑怯であっても惨めであっても、戦いに背を向け助けに行く道を選ぶ。報復の刃を納め、ピユラはふたりと、そう決めてきた。せめてひとりだけでも、中庭の向こう、果てなく遠く見える城内への扉へ辿り着ければ、少しは道が開けてくる。


 だが、切り上げる透夜の剣が両の手に生まれた氷の短剣に受け止められ、薙がれる。瞬きの間に幾筋もの軌跡を交差させて剣戟の音が響き、かすかな間を突かれて、透夜の腹にきつい蹴りが一撃のめり込んだ。踵から抉るように腹部に食い込んだその蹴りは、透夜の身体を跳ね飛ばし、彼方の地面に叩きつけた。


 そこを脇から蒼珠がかすかな隙を狙って爪を振りかぶるも、莠はその斬撃をかわして、蒼珠のみぞおちへ手にした氷の柄を叩き込んだ。とっさに身を引いて衝撃を逃し、蒼珠は間髪入れずに回し蹴りを繰り出す。しかしそれを腕で受け止めた莠は、逆に流れるようにその軸足を払った。倒れ込む蒼珠の上に無造作に放られた氷の短剣が砕けて、身体を貫く鋭い棘となって滑り落ちる。それを吹き抜けた風が砕き払ったのに応えるように、倒れた身体を素早く翻し身を起こして、蒼珠が莠へと殴りかかった。


 拳にかすか纏われていた雷が、よけた莠の頬を掠めた瞬間広がり、鎖となって、痺れとともにその身にからんで縛りあげる。

「行け!」

 手に握る雷の鎖の先に力を込めて、蒼珠が叫ぶ。


「ああ、こう来るわけ」

 駆ける足に風を携えて城内を目指す透夜とピユラを追って、薄緑の瞳が笑った。とたんに莠の足元から吹雪が巻き起こり、雷の戒めを引きちぎり破る。同時に空からつららの雨が、走るふたりを狙って地面を穿ち降り注いだ。


「そう簡単に止まっててはくれねぇか!」

 雪と泥を巻き上げ、ピユラたちを貫かんとつららは降り来る。それを斬り払い、薙ぎすて、避けながらも先を目指すふたりを助けようと、蒼珠は再び莠へと殴りかかった。その拳に呪文とともに纏われた雷撃を、ぶつかりあった返す拳が、凍てつかせて吹き飛ばす。


「同じ手は効かない」

「んじゃ魔法の小細工なく、力づくで止めてやんよ!」

 金糸を乱して笑う口元に、同じくらい強気に八重歯をのぞかせて、蒼珠はもう片方の掌を強く握りしめた。


 せめてピユラたちへ魔法を編めない程度には余力を奪いたいと、あらん限りの力を込めて拳を打ち込む。だがそれらをすべてよけて、いなして、殴りかえして防ぎきり、なお攻めてくる動きは幾度目になろうとも隙を掴むのが難しく、無駄がない。その間のピユラ側への魔法の攻勢も緩みなく、どう育てられたらこんな動きに慣れてしまうのかと、過りかけた実に不要な同情ごと振り切るように、蒼珠はひときわ大きく拳を振りかぶった。


 当然それは受け止め防がれて、その勢いを殺して身体の横へと流される。しかしそれも織り込み済みで、蒼珠は流された力を利用して、莠の背面に向けて蹴りを叩きこんだ。その回しこんだ足を、見越していたかのように振り上げた脚に止められる。蒼珠の身体が揺らぎ、そこに、蹴り上げた足をついた反動で地を蹴った莠の拳が風を切った。


 それが狙いだと、防ぎも止めもせずあえて一歩踏み込んで蒼珠は彼の一撃を腹に受け、代わりにその首元めがけて爪の斬撃を振りかぶった。迫ってくるとは思わなかったのか、かすか見開いた翡翠の瞳は、けれど頭で考えるより先に動いたようだった。


 首元を狙った斬撃は寸前で避けられ、大きく空を切る。蒼珠の身体は即座に繰り出された莠の反撃に飛ばされて、地面を呻き声と共に転がった。だが、赤く血が白衣の肩にしたたり、白い雪をぽたぽたと穿って深紅に染める。あらかた空をかいた爪先は、それでも彼の左耳を掠め、耳飾りと耳たぶを切り飛ばしたのだ。どこか遠くに、小さく金属の打ちつけられる音がした。


「遊びすぎたかな」

 舌打ちとともに左耳元を押さえて、莠が数歩距離を取り、指を弾く。瞬間。抗いようもない強さで、中庭を凍てつく突風が無数の氷の刃を抱いて吹き荒れた。防ぐ前に風に濃き緋が舞い飛び、逆巻く渦に飲まれて散っていく。遠慮も容赦もなく切り裂かれた背や四肢の痛みに引きずられ、三人が三人ともに崩れるように膝を折れば、その身の下からじわじわと白銀に鮮血が広がっていった。












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