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風の王女は幻獣と復讐の夢を見る  作者: かける
第五章 風の姫
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読みかけの悲劇





 うとうとと、まどろんでいた意識を引き戻す。ああ、やはりこの薬を飲むと眠くなる、と、欠伸を噛み殺しながら、(はぐさ)は開けっ放しのまま転がしていたかたわらの銀の小箱を閉じた。これを飲まねば生き長らえ得ない身体はそのままなのに、眠りやすい場所がなくなってしまったのは地味に痛手だと、詮無い事を思う。


 扉の開く音に横になっていた長椅子から緩慢に身を起こし、莠は入ってきた相手を鬱陶しげに横目で睨んで髪を払った。

「ノックもなしに入ってくるの、ひとりだけで充分だったんですけどね」

「なんだよ、じきじきにきてやったのにつれねぇな」


 金糸で縁どられた四つ葉に似た花の紋が、首からかける紫の帯の上で踊る。本来ならば立ち上がって最敬礼をし、自室へ向かい入れるべき相手だが、互いにそんなものはいまさらだろう。

 腰かけたまま紫陽(しよう)を見上げ、短く莠は問うた。


紅奈(くれな)さんは?」

「はいはい。紅奈なら、幻獣使いの嬢ちゃんの様子の最終確認してたからな。ジェディアーツと一緒に陛下へ報告だ。俺の役目はこれからだから、代わりにお前に指示出しにきてやったんだよ。夕暮れ時にはこっちの準備が整う。そしたら嬢ちゃん連れて来いってさ」

「そうですか。わかりました」


 ちらっと窓の外を見やり、おざなりに莠は頷いた。相変わらずの曇り空に陽射しは弱いが、まだ外は明るい。太陽は中天をくだりかけたばかりだろう。夕暮れまでは時間はある。最初の日以来訪れていないユリアの様子をうかがいにいってもいいかとも考えたが、そこまで入れ込むのも不要の配慮になると思い直す。


「しっかし、相変わらず物の少ねぇ部屋だな」

「そりゃ、あなたの部屋に比べれば、誰だって物の少ない部屋になるでしょうよ」

 立ち去る気配もなく図々しくひとの部屋を眺めわたす紫陽へ、忌々しげに莠は言い捨てた。

「見ての通りもてなす準備もございませんし、用がないならお戻りいただけません?」

「いやぁ、用っつうほどの用は確かにねぇんだけどな。――へぇ、意外だな。お前、こんな本読むのか?」


 早く追い払いたい気持ちに溢れた莠の刺々しさなど微塵も解さず、紫陽は長椅子脇の机に重ねたまま放置されている本の山から、一冊を手に取った。栞が挟まっている読みかけのそれは、彼ではない相手がひとの部屋で勝手に読み進めていたものだ。


「――……まぁ、教養程度には嗜みますよ。そいつは途中で飽きましたけど。俺、悲劇って好きじゃないんですよ」

「ふぅん。ちょうどここからが盛り上がりどころだぜ? どん底の始まり」

 ぱらぱらと栞の箇所まで本を捲って、可笑しそうに紫陽が笑う。

「こっからが面白れぇんだけどな」

「ぜったい、あなたと本の楽しみ方が違いますから遠慮しますよ。いいから返してくれます?」

 紫陽の手から本を取り上げて、莠はまたそれを重なった山の上に放り投げた。雑に扱うなよ、と苦笑交じりにこぼしつつ、そういや、と紫陽は話題を転じる。


「黒いの消したんだって?」

 まるで調子の変わらない声音に、人好きのする快活な笑顔。そこに添える言葉こそ莠の前では楽しげに敵意を煽るが、これがいくらでも慕わしく頼もしげに化けるのだからこの男は厄介なのだ。垂れる金糸の隙間からひと睨みする切れ長な緑に、藍色の瞳が細まる。


風羅(ふうら)から帰った奴らが言ってたぜ。お前らがぶつかり合って、光が走ったあと、お前だけが指示出しに来たって。黒いのはもういないっつってな。大事に大事にしてたのに、どうした風の吹き回しだ?」

「あいつに帝国で事を起こされて、一番危ないのは俺ですから」

 揶揄して戯れる言い回しに、煩わしげに髪の毛をかき上げた指先が、左胸を示して叩く。

「これ、あいつがこの国で操作魔法使うと俺を殺すんですよ。ご存知ですよね?」

「だからずぅっと大人しく、使いたくても使わないでいたんだろ、黒いのは」


「いままでは、ですけどね。この先どうだかわかりませんよ。幻獣使いの身体を使って、幻獣を魔獣として蘇らせるのに、この地とこの世のあらかたの魔力を使い切る。四百年前、陛下が呪われた時はなんでしたっけ? 大地は割れ、太陽は落ち? ま、ともかく、まともな状態である場所の方が少なくなる。ここなんて中心地ですよ? そんなところに動けもしない大事な人がいるってなったら、さすがに、何やらかしてもおかしくないじゃないですか」

 面倒だとばかりに吐き捨てて、莠は肩をすくめる。

「俺、これでも心配性なんで。憂いの芽は摘んどきたかったんですよ」


「健気に付属品やってたのに、最後の最後で信用されなかったとは、黒いのも可哀想になぁ」

 大仰に憐れんでみせて、紫陽は口端を引き上げた。

「ああ、だが一応、俺の考えを言っといてやるが……陛下や紅奈はともかく、俺はやっぱり、あの黒いのの力は、牙をむくならそれなりに厄介だと思ってるぜ」

 それは、莠が最も遠ざけたかった可能性を引き寄せる発言だった。不穏な紫陽の言い様に、ふっと莠の腹の奥が冷えた火で焦げる。


 魔法に頼らずとも、同じように人を操る彼だからこそ、そこにはいやな実感がこもっていた。加えて先に消したのかと問い、その前提で話しながら、玄也(くろや)の生存を疑いもしていないらしい。思えば確かに、殺したのか、とは紫陽は使わなかった。紫陽に騒ぎ立てたという風羅帰りの兵士たちは、代わりに現われた莠を前に、いままさに玄也を殺めてきたという捉え方で怯えていたと記憶しているが、やはり彼はその誤認された情報のままに踊ってはくれないようだ。


 だが、喉元までせりあがった胸裏を焼く熱とは裏腹に、莠は眉ひとつ動かさず、冷淡に自分の声が流れるのを聞いた。

「……牙をむくならそうでしょうね。ですが――国の内ならいざ知らず、帝国内に立ち入りさえしなければ、あいつ程度、どうとでも出来ます。ですから、その時のご判断とご命令は、お任せいたしますよ」

 もっとも、と、紫陽から逸らされた冷めた視線が、関心も薄く言い添える。

「あいつもそれが分からないほど、愚かではないと思いますけど」


「へぇ……。まあ、わざわざ殺さなくても済むよう躾けといた自信があるなら、それでいいけどな。いまんところは」

 含みを込めて喉の奥に笑みを潜め、渋く低い声は言う。

「ご丁寧に、あいつの大事な相手とやらまで、どっかにやったみてぇだしな?」


「まぁ……戻る理由は潰しておきたかったですし、正直、嫌だったんですよ、彼女」

 気だるげに椅子の背に身をもたせ、手持ち無沙汰に指先へ髪を絡めながら莠はぼやく。

「紅奈さん、彼女にちゃぁんと手をかけてあげてたじゃないですか。あいつが俺のそばに置かれてからずっとですよ? こっちは便利とはいえ適当な玩具で誤魔化されて、ご一緒できる時間が減ってんですよ。なのに、別の相手を時間割いて面倒みてるとか……いい気はしないですよね。その始末まで紅奈さんの手を煩わせたくなかったんで。ま、あいつに免じて消しはせずに放り出させてもらいました。別に、お困りにはならないでしょう?」


「まぁな。そういうことにしといてやるよ、お利口ちゃん」

 色なく見上げる薄緑の瞳は、その奥底のほの暗い嫉妬の虚さえ完璧だ。紫陽は降参とでもいうように軽く片手で空を払った。彼でなければ、真実と見誤ってもおかしくない。だが、少しばかり意地悪く、あばくように紫陽はその瞳の虚を絡めとった。


「ま、その割にはずいぶん丁重に放り出してやったみてぇだけどな、お前。さっきから座りっぱなしじゃねぇか。疲れでも溜まってんのか? こっからさき、万全に動けねぇんじゃ話になんねぇぜ?」

「――ご心配なく。絶好調ですよ。なんなら、殴り飛ばしてさしあげましょうか?」


 身を起こし立ち上がる素振りをみせた莠に、おお、こえぇ、とわざとらしく巨躯を縮めて紫陽は笑った。馬鹿らしいとばかりにまた椅子へと身体を投げる莠へ、じゃあ夕方な、と笑って手を振り、部屋を出る。いつもの声音が、妙に明朗に響いて落ちていった。


 舌打ちして莠はそのまま倒れ込むように横になる。視界の端に映り込んだ本の山。その一番上に放り投げた、救いのない物語に腕を伸ばして頁を捲る。胸元に、主のいない栞が舞い落ちた。


「――ここで終わらせといて正解だよ、玄也」

 思わず笑みがこぼれた。この先は足掻いても抜け出せない、陰鬱な深みに堕ちていくだけだ。


 指先で戯れていた栞が、金色の魔法の光に淡く飲まれて消える。一瞬名残惜しげに掌を眺めて、莠は本を閉じ、欠伸をひとつこぼした。











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