夜はこれから
コバリ達を乗せた防弾軽装甲車は、港湾地区沿岸道路を滑るようにセリナンソスへ向かっている。
先程、マリアから連絡があった。エピクラテシオンの上層でアズマさんと御馳走に舌鼓ッス!と、上機嫌だ。コバリはもちろん、ここまでの経緯と現在の状況は把握している。というかそうなるように指示したのはコバリだ。そんな状況で食事を楽しめるのはマリアぐらいだろう。アズマには災難ね、とフッと微笑む。
「どうかされましたか?」隣に畏まって腰掛ける、ブロミネ補佐官が尋ねる。見た目は若いが金融庁から中央銀行に出向というエリート街道を歩む彼は、様々な場面でいろいろな役割をこなしてきた。そんな彼も今日は若干緊張気味だが、表面上は平静そのものだ。
「ああ」
「久しぶりに遊ぶから」
ブロミネに微笑むコバリ。細めた深紅の右眼が怪しく輝く。
「楽しみでね」
ブロミネも微笑み軽く会釈する。が内心では、怖ーーと思っている。
運転席と助手席のガンデとメルナも、詳細な状況は把握していないが、気持ちはブロミネと一緒だ。2人は職業柄、荒事には慣れているが、直接的な暴力では無い得体の知れない怖さ、というものもあるのだ。
金融庁の公証人を引き連れて、あまり評判の芳しくないカジノに乗り込む、次代を担うとまで噂される稀人。ただの遊び?そんなことはあるまい。
いずれにしろ我々の役目は警護だ。何が起ころうとやることは変わらない。そして何より今日はマリア様もいる。無様な姿を見せるわけにはいかない、と集中する2人。
もう目の前に、セリナンソスのゲートだ。
「いかがでしょう?」
「ええ、どれもとても美味しいですね」
お澄ましモードのマリアが答える。目の前に腰掛けるのは、いかにも場数踏んでます、という雰囲気を纏う盆守。後ろにはズラリ「屈強」を絵に描いて立体化したような黒の上下を着込んだ北方系の男性型が並ぶ。
アズマは内心気が気ではないが、落ち着き払ったマリアの隣でオタつくわけにはいかないので、努めて平静を装い、凝った料理をいただいている。
最初は、毒とまではいかなくとも意識の飛ぶクスリとか盛られるんじゃね、と警戒していたが、マリアが
-それは気にしなくてもいいッス!
と、モリモリ食べているので、それに倣い美味しくいただいている。
まぁ基本的に、入島や入場の際にはIDを照会している。警察や教会警備隊が容易に追跡できるこんな場所で、何か仕掛けてくる様なことは無いだろう。
そういえば、自分、濃硫酸飲んでも平気ッス、とか言ってたなコイツ。あれ、俺は?とも思ったが、ま、マリアが正気ならなんとでもなるか、と考えるのを止めるアズマ。
ここはエピクラテシオンの上層、ハイローラー専用のレストランだ。片側は斜めの全面ガラスで、ポツポツと燈が灯り始めたセリナンソスの景色を見渡せる。その窓際の特等席、ピカピカに磨き上げられた黒い円形の木製テーブルで晩餐を堪能し、徐にマリアが問う
「これからですけど」
「こちらのフロアで遊ばせていただいてもよろしいのかしら?」
「ええ、もちろん」
「ですが…」少し困り顔を作る盆守
「何?」
「種が少々不足するかもしれませんよ、お嬢さん」
「種」とはもちろんお金のことだ。上層では1ベットが下の10倍から100倍、さらに実績のある常連では上限ナシの青天井になる。
「ああ」
「問題ないですね」
頬杖をついてグッと身を乗り出し、正面の盆守に微笑みかけるマリア
「負けない、のでね」
盆守の微笑を湛える表情に変化はない、見事なものだと感心するアズマ
内心では、なんだコノ小娘、と持っているに違いない。
この席に着いてすぐ、上層へ入るため改めてIDの提示を求められた。IDカードは完全無欠の正規品なので、どうぞどうぞと渡す。官公庁以外の民間企業などではアクセスできる情報は制限されている、という建前だが、ま、蛇の道は蛇である。おそらくもっと詳細なデータを読み取っているだろう。
-ここぐらいの組織になると
-住所に記載されている家を実際に調べに行っているかもしれねぇッス
-え、それって、ヤベーんじゃねぇの?
-んー、まぁ、そうでもねぇッス
-えーーー
-カードは絶対の本物、でもデータは疑わしい、となると、どう考えるでしょう?
-んー、身分を隠してる公安?政府関係者?
-そッスね
-さぞかし追い払いたいだろうなぁ
-フッフッフ、そうはいかねぇッス
「引き続き、手本引き、でよろしいでしょうか?」
盆守はすでに、IDカードは正規品だが、この2人が平凡な若夫婦では無いことは重々承知している。この仕事をしていると、こんなことも間々ある、と普段と変わらぬ立ち居振る舞いを心がけているが、この2人は明らかに異質だ。と気付いてもいる。
「そうね、よろしく」
-下、で暴れられるよりは、上で囲い込もう、ってことッスね
-なるほどね
「それでは、早速参りましょうか」席を立つ盆守が、どうぞ、と促す。
マリアもピョコンと席を立つ
-さて、ここからが本番ッス
ペロリと唇を舐めるマリア。まあ、楽しそうで何よりだ、とアズマは諦めの境地だ。
大人しくしといてくれよ、と言っても無駄なので特に何も言わない。
盆守、マリアに続き天井の高いスタイリッシュな三角形の廊下を進む。
-真打登場、までに前座が場をあっためておくッス!
真打とは、もちろんドS金髪ツインテだ。あの野郎、何を企んでやがる。
「あのコ達、今日はどこ行ってるの?」
「3人でセリナンソスですね」
「ふーん、あそこって今は賭場と花街、だったわよね」
「統合リゾートって呼んで下さい…」
「昔は単なる離れ小島だったのにねぇ…」
「埋め立てで拡張、整備したのですけど、こちらの世界では重力制御持ちがいるので、工期が格段に短くなるって、博士が喜んでましたねぇ」
「いいなぁ、私も行ってみようかしら」
「いや、お子様はさすがに賭場へは入れませんので…」
「でも、あのコ達も未成年じゃない?」
「我々に実年齢は関係ないのですよ」フッと微笑むテンマ
うーん、と唸りながら、アイスチョコラテをズルズル啜り、上目遣いでテンマを見る。
「ただ遊びに行った、ってワケではないわよね?」
「…まぁ、そうですね」
テンマは自分のカップにポットからコポコポとお茶を注ぐ
「失踪事件に関連して、コバリがちょっと怒ってるみたいで」
「あら、そうなの?」
「こないだ一緒に、あの画像を確認してた時の話ですよ」
「え、あれって怒ってたの?」
「エピクラテシオンのシンジケートは少々問題アリなので、公安や教会報道部が探りを入れているところなんですけどねぇ」
ふぅ、と小さい溜息をつくテンマ。
「…やっぱり私も行こうかなぁ」トンッとチョコラテのカップを置く。
「いや、ホント勘弁してください」
すかさずマジ土下座するテンマ。
「わかった、わかったわよ」
立ちなさい!とテンマを起こす
「ソロソロ博士から、連絡くるんでしょ」
「ああ、そうですね」
と、言っているそばから、テンマの通信機が震える。
「今晩は博士、先程はお食事中にごめんなさいね…」
博士と通話を始めるテンマから、ちょっと離れて、アメジスト色の眼をスウッと細めて、微笑む、栗毛ショートの少女。
「…そう、明後日の晩で…」
あれ、なんか嫌な予感、と思った次の瞬間、その少女の姿が掻き消える。
「えーーー」と天を仰ぐテンマ。
自由すぎ!と愚痴るが残念ながら誰も聞いてはくれない。
「こちらです」
盆守が3mはあろうかという銀色に光る大きな扉の前に立ち止まると、音もなく左右にスライドして開く。中はアズマが思ってたより広く、見上げる天井には豪奢なシャンデリア。フロアには手本引き用の卓が3台、他にも「大小」の卓なども並ぶ。
手本引きの台は3台ともゲーム進行中で、「サア、張った張った」と合力の威勢の良い掛け声が響いている。
盆守が2人を真ん中の台に誘う。分厚いガラス製は同様だが下のフロアの台より明らかに高価そうな設えの手本引きの卓では、既に8人程度の張子が遊んでいる。マリアとアズマは胴と張子の皆さんに軽く会釈して、卓の端に並んで腰かける。
張子は身なりの良い北方系の壮年夫妻、海辺からふらっと立ち寄ったかのような半袖短パンの恰幅の良いおじさん、鋭い目つきの黒づくめの男、とパッと見でも様々なタイプの人々だ。そして前に積んだチップの額面は皆10万、100万、各人3000万から5000万はありそうだ。
人は見かけで判断してはいけない、というところだが、わざわざ盆守が連れて来た若い2人を見て張子一同、内心では少し驚いたり、不審に思っている、がもちろん余計な事は言わず、会釈を返す。
今の胴はこのカジノの専門家だろう、下の胴と同じく、浅黒い肌に黒い瞳、黒髪を綺麗にオールバックに整え、側頭部には黒い小さめの角、西方と南方の混血っぽい容姿。
斜前に積まれた胴前は軽く2億はありそうだ。
「こちらの卓では」
「20-200になってます」盆守がレートを教えてくれる。最低でも1ベット20万、さすがハイローラーのフロアだ。
席に着くと、極東巻角族、女性型の敷張がマリアとアズマの前にチップを置く。下で預かっていてもらったものだが、パッと見で額が多い。
マリアがチップをいじりながら盆守を見ると、微笑みながら小さく頷く。
-初回サービスってヤツッスね!
-ほぉ、扱いがいいじゃねぇか
-大人しく遊べよ、っつーことッス
多少イロがつけられた、とはいえマリアとアズマの所持金は合わせても1000万強だ。その貧弱な種を見て、素人か、と張子達が少し微笑む。どこかのボンボンと御令嬢がちょっとハメを外しているのかな、とか思っている。
合力が声を上げる「サア、次行こう!」
胴が無表情のまま、繰札を確認してセットする。
敷張が置いた新品の張札の封を切るマリア。先程同様、一応、表を確認した後、シャッシャと札を切り、自分の前にそっと置く。
アズマも張札を確認、とりあえずこのターンは張るつもりは無いので、見で、と合力に告げる。頷く合力、まぁ、まずは様子見、は妥当だ。
張子の皆さんが概ね張り終わったようで、合力が声を上げよう、としたその直前。
マリアが、自分の前に積んだ札の一番上、表も見ずに一枚張る。えっ?という合力に微笑みながら、張札の横に200万分のチップを置いて
「どうぞ」と合力を促す
札も確認せず、初手でスイチのフルベット。胴は無表情だが、合力は眉を顰め、そして張子一同は、えっ!?と身を乗り出し、マリアに注目が集まる。普通の感覚では、金をドブに捨てているとしか思えない。
マリアの背後では、盆守と敷張がジッとマリアの所作を注視している。そこかしこに仕込んである監視カメラからも、あらゆる角度から見張られていることだろう。
-いやぁ、自分、注目の的ッス!
-そりゃ、そうだろう。勘弁してくれよマジで
「揃いました!」「開きます!」合力が叫ぶ。
胴がゆっくりと繰札を捲る
「ニ!」「2です!」
と、どうやら胴の勝ち、のようで張子の札はほぼ開かない。低い呻き声と溜息が漏れる。
そんな中、マリアは何と言う事も無く、札を確認もせずペロッと張札を捲る
もちろん「2」だ。
張子一同から、おおっと小さい歓声が上がる。
胴は無表情キープ、合力の視線は氷のように冷たい。が、配当のチップをマリアへスイッとレーキで寄越す。
くるりと振り返り、盆守に微笑むマリア
「やはり、今日はツイているようです」
盆守は表面上は穏やかに微笑んでいるが、隣の敷張は腕組み仁王立ちで睨んでいる。そしていつの間にか北方系の屈強な男性型2人もその隣に控えて、こちらを睨んでいる。
-うわー、怒ってるぅ
-まだまだ、これからッス!
まぁ、そうだよねぇ、と諦め、次はマリアに「通り一丁」だな、と考えるのを止めるアズマであった。
レストランの個室エリア入口付近の物陰から、博士を見送るマレッサの後姿をコッソリ覗き見るゲンマとベイリー。淑やかにお辞儀をして博士を見送った後、ルンッという感じで踵を返しこちらに向かってくるマレッサに気付かれ無いよう、素早く自分たちの個室に戻ると、ほどなくドアをコココンッと軽快にノックする音が響く。
どうぞ、開いてるわよ、と返答すると、明らかに上機嫌なマレッサが浮かれモードで入ってきて、出迎えたゲンマにギュッと抱き着く。
「ああ」
「やっぱり博士は最高ね」
女性らしい柔らかくしなやかな火照った身体からは、とても良い香りがする。これがフェロモンってヤツかしら、普通の男なら否応なく惚れるのではないかと推測しながら、マレッサをヨシヨシするゲンマ
ま、とりあえず飲みな、とベイリーに促され、まずは3人で改めて乾杯する。
キンキンに冷えた麦汁をイッキ飲みしたマレッサが、滔々と博士との会話を反芻して語る。
「…ホラ、弱解ってさ、あ、偏微分方程式を超関数の意味で満たす解のことだけど!利点として、初期値が大きくても、滑らかな関数でなくても、時間大域的に解を構成できるでしょ。だけど欠点もあって、一意性や正則性については未解決じゃない?でも、さっき博士から補間空間論の話を伺って、腑に落ちたわぁ…」
スゴイ、面白いくらいに何言ってるか分からないわ、と思いながらも、己の娘を見るようにほのぼのしながら同じく麦汁を呷るベイリー。慣れっこのゲンマは楽しそうな友人に、そう良かったわねぇ、とニコニコしながら相槌を打つ。
ベイリーは追加の飲み物と料理を注文して、ちょっと一息
「あなたたち2人は」
「これから中央勤めなのね」
「いや」
「私は引き続き所属は極東の予定だ」
「出張は多くなるようだがね」
「まぁ、あなたは基本的に北大陸全域、飛び回っているものね」
「マレッサは配置転換?」
「いえ、教会警備隊の所属ではなくなるようなので、出向?でしょうか」
「もう本格的に中央の人になるのね」
ちょっと寂しいわ、とベイリー。その気になれば、いつでも会えますよ!とベイリーの杯を満たすマレッサ。
「ま、これは当初の予定通りですよ」とゲンマ。ね?とマレッサを見る
「そうね、いずれは中央技術研究所、とは考えていたわ」
「いよいよね」
「そう、いよいよだわ」
よし、呑もう!とベイリーが杯を挙げる。再度乾杯する3人
ひとしきり呑んだ後、ふぅ、と一息ついて、
今頃、まだ博士はお仕事かしら?と博士に思いを馳せるマレッサ。
さっきの通話、面倒事じゃなければ良いのだけれど…
執務室に1人、落ち着いたところで、徐に通信機を取り出す博士
ボタン操作は一切必要ない、直通の専用機だ。
「今晩は、テンマ、今いいかな?」
『今晩は博士、先程はお食事中にごめんなさいね…』
「いや、それは構わない。明後日の晩に稀人全員集合、という話だったね」
『…そう、明後日の晩で…』
と、何か、妙な悲鳴?が聞こえた
「?どうかしたかね」
『ああ、いえ、すいません』
『あの、申し訳ないのですが…』珍しく何かを言い淀むテンマ
ふと、何かの気配を感じ、執務室の戸口を見る博士。
この執務室は、言うまでもなく中央の教会地区でも最高クラスのセキュリティを誇る。しかも今は黒服も総動員の厳戒態勢下。気付かれずに侵入するなど、マリア君ぐらいにしかできないだろう、と思っていたが、その認識は改めねばな。と考える博士。
『誰か、そちらに伺ってません?』
「ああ、どうやらお客様のようだ」
やっぱりー、とテンマの嘆きが聞こえる。
ニッコリと微笑みながら、栗毛ショートの華奢な少女が、開いた気配の無い執務室の戸口から、ゆっくりと歩いてくる。
こちらを見つめる両瞳は鮮やかなアメジスト色
「今晩は」
「初めまして、トマス博士」
博士も立ち上がり、少女へと歩み寄る
「いえ」
「初めまして、ではないですね」
「私を起こした、でしょう?」
一瞬、キョトンとする少女
「あら」
「良く覚えていたわね」
お互い見つめ合い、微笑む。
「150年ぶりね」




