あの日の眺めは
ここは北大陸東岸、コバリとアズマの居る極東地域は北大陸の北東部から突き出した大きな半島であるが、その付根あたりから、南方に数千キロ下った地域。
オケアノスの大群が北上、ジャイアプールでマリア・クシナダにより一掃されたその3日後、小さな漁村に教会報道部のマコル・ハイナルが到着した。以前、オケアノスが北上を開始した頃にも、教会報道部は「取材」には来ていたが、異常気象による生態系の変化というような学術的な観点からの取材であったため、今回の件を受けて、より詳細な「取材」を行うために、教会報道部でも特殊な生体回路を持つマコルが急遽派遣されたのだ。
すでに現地には中央軍の情報部員も派遣されており、現地の海上警備隊と調査を始めていたが、マコルの能力は情報部内でも知れ渡っており、合流は大いに歓迎された。
マコルは中肉中背、色白で角ナシ、栗色のショートヘア、鳶色の瞳に銀縁眼鏡と、有角、褐色肌が多い極東地域では目立つ容姿だが、今回はこの地区の教会関係者が着用している薄い菫色のロングドレスを着用していることもあり、その姿は報道部というより教会の巫女のようで、街中でも特に違和感は無い。
本日は地元の海上警備隊、漁業組合の協力も仰ぎ、一応、海上警備隊支部と呼ばれている、漁業組合の一角にある小さな執務室に、順次、目撃者に来てもらい、主に情報部の聞き取り調査の専門家とマコルで、オケアノスが北上する直前に発生していた大規模なバブルネットフィーディングの様子などを目撃した漁師や港湾関係者から、聞き取り調査を進めている。
最近は漁業の近代化も進み、海中の音波探知、レーダーの利用など当たり前になってきてはいるが、残念ながら、日々の詳細な記録は残してはいない。
そこでマコルが派遣されたのだ。彼女の生体回路は、非常に稀有な「読み取り」だ。
稀有というか、現在のところ北大陸で、正式に「読み取り」が能力として明確に登録されているのは彼女しかいない。
一通り聞き取り調査が終了した後、マコルが目撃者の額に手を添え、目撃者が記憶している映像を直接読み取るのだ。
こんな仕事をしていると、時折、記憶を読まれるのを嫌がる者もいる。しかし今回、東岸地域の住人は概ね教会に大して好意的で、特にオケアノスの件については漁業関係者は非常に協力的で記憶も読み取りやすく、情報収集は捗っている。
「うーん」
「どうかされましたか?」
この地域の若い女性の海上警備隊員が、何やら頭を抱えて唸っているマコルを覗き込み、尋ねる。
「いや、皆さん、非常に協力的でありがたいのだけれど…」
まぁお茶でもどうぞ、と、この地域の名産であるお茶を勧められ、カップからひと口、とりあえず一息つく。
「これといった、目新しい情報はナシ、ですか」
情報部の女性部員も、お茶を啜ってホッと一息。彼女もマコル同様、この地域に馴染むよう、教会関係者が纏う、萌黄色のロングワンピを着用している。
2人は今現在、海上警備隊支部の簡素な机に向かい合い、一旦、証言のまとめを行っているところだ。
「そうなのよねぇ」
マコルは記憶の前後関係から時系列、時刻なども特定できるので、オケアノス北上時の詳細な行動記録は明確になってきたが、彼女たちの今回の主な目的はそれではない。
「生物学者には有用な資料かもね」
唇をとがらせるマコル。警備隊にはもちろん秘密だが、情報部と報道部は今回の騒動の黒幕を探っているのだ。
「あ、そろそろ時間ですよ」
と警備隊のお姉さんが知らせてくれる。
初等学校の授業終了後に、教会報道部として「取材」の申込をしているのだ。
「ああ、そうね、そろそろ行かなくっちゃ」
初等学校は、港から少し坂を登った先、丘の上にある。
「私はこちらで、引き続き調査結果のまとめを進めますね」と情報部員
「そうね。よろしくお願いするわ」
とマコルは一人で出かける。
今日これから「取材」する相手は、8歳の女の子。聞き取りの専門家は必要ないのだ。
歩きではちょっと大変ですよ、と海上警備隊が貸してくれた小型の屋根付き電動三輪車でゆるゆると石畳の坂道を登る。
しばらく走ると、丘の上にある極東地域の教会に似た仕様の、白い外壁のドーム型の建物、この地域の初等部・中等部併用の学校が見えてきた。
マコルは他人の記憶を画像として読み取るが、記憶というのは、やはり個人の印象、思い込みで変化するもので、おおまかな状況を把握するのには問題ないが、細部の情報はあまり信用できない。
しかしながら、その状況が異なる場合がある。読み取る相手が「写真」の生体回路を持つ場合だ。
この生体回路を持つ者の記憶を読むと、本人が意識していなくとも、目に見えた情景をそれこそ高精細な写真のように脳内に保管しているのが分かる。
そして、今日これから取材する8歳の女の子が、1000人に1人と言われる「写真」の持ち主なのだ
すでに初等部の授業は終了し、子供たちは概ね下校している。マコルは学校の来客用駐車場に車を停め、ゲートで身分証を提示し学校の中へ案内される。もちろん事前に連絡済だ。
案内された会議室には、先生に付き添われ、小さな女の子が行儀良く、チョコンと椅子に腰掛けていた。
ちょっと緊張気味かしらね、とニッコリ微笑み、しゃがんで彼女に目線を合わせる。
「こんにちは、モーリ」
「こんにちは」ペコリと頭を下げる。金褐色の巻き毛が揺れる。ちゃんと挨拶ができる良い子だ。一目見て、優しいお姉さんと分かるマコルを前に緊張もほぐれたようだ。
傍らの先生に目礼した後、マコルは早速、モーリとお話を始める。
学校の勉強、好きな遊びなど他愛のないことから話を進め、さりげなくモーリの手やアタマに触れる。
「そうそう、モーリは学校の帰りには良く海を見に行くのよね」
これは先程、モーリの記憶から読み取った情報だ
「うん、お家に帰る前にね、秘密の場所から見るの」
森の獣道を抜けた崖の上、水平線まで見通せる眺めの良い場所だ。
そう、と優しくモーリのアタマを撫でながら、マコルが問う
「まだ寒い頃、そこから、海がすごくブクブクしたの、見たわよね?」
ちょっと考えて、
「うん!見たよ!」
パァっと、笑顔で答える
「すっごいブクブクしていた!」
対象の記憶を呼び覚ますことで「探し物」は見付けやすくなる。
そうねぇ、凄かったよねぇ、とマコルはモーリのアタマを撫でながら記憶を超精密にスキャンする。
「写真」の生体回路を持つモーリの記憶は鮮明で、高解像度の連続写真を見ているようだ。そして特に印象の強い出来事は、解像度とフレームレートが上がるようだ。
その前後の画像を含め、十分に読み取ったマコルは満足気に立ち上がり、傍らに控える先生とモーリに別れを告げる。先生はちょっと不思議そうだ、それはそうだろう、マコルは表面的には、ほぼ世間話しかしていない。無邪気なモーリは、立ち上がってペコリと頭を下げた後、元気に手を振って見送ってくれた。ホント、いい子だ。
ほんわかしながら三輪車でゆるゆると坂を下る。その間も先程読み取った画像を脳内でチェックし慎重に確認する。この程度の並行処理はマコルには慣れっこだ。
あの日、モーリは学校が終わった後、森の中を走り抜け、開けた崖へ、そして沖合に見える大規模な泡立つフィールドに、跳ねるオケアノスの群れ。特におかしなところは無いように見える。
と、徐に三輪車を停止、唇の端をちょっと上げ、微笑むマコル
「見つけた」
何とかライラを宥めすかして風呂場から退出いただき、無事、入浴を済ませる。基本、ライラは良い娘なので、どこぞの色ボケメガネや、ドS金髪ツインテと違って、ちゃんと話せば分かってくれるのだ。そして入浴後、サッパリして自室に戻ると、コバリがベッドの上で、何やら薄い本を楽しそうに読んでいる。
もう見つけやがったか、このドS金髪め、と内心舌打ちをしながら、濡れたタオルをハンガーに掛け、椅子に腰掛け、円卓の上の冷えた飲み物をグラスに注ぐ。いつもの発泡したリンゴっぽい味の飲み物だ。
「相変わらずねぇ」本を捲りながらクスクスと笑うコバリ
「人の部屋で勝手に読んでんじゃねぇよ」ま、言っても無駄だが、一応、反抗の姿勢は見せておかないとな。
「何を今更」フンッと鼻で笑い、2冊目を手に取るコバリ
「アラ、これは若干毛色が違うわね」
「…それは、この世界でロングセラーの逸品、ということでマリアが選んだヤツだな」
「百合ン百合ンじゃない」
マリアからは、西方系鬼族男子同士のガチムチ系の本格派、も強力にオススメされたが、それはさすがに固辞。マリアは大いに不満気だったが。
「まぁ、おいおい…」と今回は引き下がった。何だよ!おいおいって!怖ぇよ!
「褐色巨乳美少女同士の百合ン百合ンもなかなかね」
さすが、ロングセラーと一旦、ベッド脇に本を置き、向かいの椅子に腰掛け飲み始めるコバリ
「薄い本を読みに来ただけじゃねぇんだろ」
「ああ、そうね」グイッと杯を空ける
「今月末、中央へ行くわよ」
「日程決まったか、まずはトマス博士のところかな?」
「そうね、それが主な目的」グラスにトクトクと2杯目を注ぐ
「ということにしてあるわ」
「ん?」
「ホントは違うってことか?」
「んー、まぁ半々ってところかしら」
頬杖を突きながら、口をへの字にするコバリ
まぁ、いいや、難しいことはコイツにおまかせだ、と考えるの止める。
と、チョイチョイとコバリが手招きするので、
「何だよ」と身を乗り出すと、額にペチンと掌を打ち付けてくるコバリ
「イテッ」「ちょっとジッとしてて」
うーん、と唸りながら眉間にシワを寄せる
「何なんだよ」
「イヤ、生体回路に、読み取りってのがあってね」
「ホウ?」
「相手の記憶を画像として読み込むってヤツなんだけど」掌を離すコバリ
「残念ながら、裸で迫って来るライラの画像しか見えなかったわ」
「イヤ、とんだ濡れ衣だな!」ライラにも謝れ!
メンゴメンゴとコバリ「記憶じゃなくて、妄想を読み取ったみたい」
おっと、それは強く否定できんな、残念ながら!
これが若さか、とウンウン頷きながら杯を空けるコバリ
「ま、いいや」
「え、何が?」
何かひっかかる事でもあるのか?
「とりあえず、トマス博士と、今現在、協議中の事項を明日以降、詳しく伝えるわね」
「…おぅ」
なんかこれから、いろいろやることがありそうだなぁ。
「そうそう、今回はファイバザールからヒコーキで移動するけど」
「ゲンマとマレッサも同行することになってるわ」
「へぇ、あの2人も関わってくるってこと?」
「そうね、彼女たちには今後活躍してもらうことになるわね」
まぁ、美女2人と一緒に旅行して、仕事するのは吝かではない。てゆうか楽しそうだ。
「中央行き、楽しみだな」
何か妄想を始めたアズマは放置して、コバリは先程読み取った画像を脳内で解析している。「読み取り」に関しては、初めてやってみたのだが、案外、うまくいった、さすが「万能」ね、と自画自賛。
本人にまだ自覚はないが、幸いなことにアズマにも、「写真」の生体回路が備わっているようで、クリアな画像が読み込めた。
タイトルを付けるなら、水族館の思い出かしらね、マリアが楽しそうで何よりだわ。と思いながら画像を次々チェック。恙無く水族館デート終了、といいたいところだが、お昼過ぎから明らかにマリアの表情が冴えない。
何かあったな?と再度画像を確認するも、おかしな箇所は発見できない。
胡散臭いにもほどがある。綻びはあるが、得体は知れない。
なにより、マリアとテンマは何を隠している?
「そうね」
「中央入り、楽しみね」
中央に戻ったマコル・ハイナルは教会報道部に報告書を提出。概要は、東岸南部では不審な人物などは確認できなかった、という内容だ。
さて、そんなマコルは今、高解像度の画像出力装置に画像データを出力している最中だ。おおまかなイメージでよければ、カラーフィルムに直接、脳内イメージの転写もできるのだが、その場合はやはり細部がぼやける。
高解像度の「写真」を、正確に出力したいとトマス博士に相談したところ、脳内でデジタル変換できるなら、と言われ、試しに脳内の画像をドットに分割、位置情報と色目を数字に置き換えて出力してみたらうまいことできた。
数字の羅列は、脳内から通信機を介して、無線で転送されている。マコルはもう慣れたもので、他の作業をしながらでも出力に支障はない。
転送された数字は、すぐさまドット画に変換され、次第に画像が出来上がっていく。
その間に、室内着である滑らかな生地のタイトなロングワンピに着替え、ラタンの寝椅子に、よっこいショーイチ、と腰掛けて、寛ぎモードになる。
それにしても、モーリの「写真」の解像度の高さには目を見張るものがある。あの子は将来、情報部か報道部にスカウトしなくっちゃ。忘れないうちに人事部に連絡しておこう、と思うマコル。
そんなモーリの高解像度の「崖上からの眺め」に、たった1枚、時間にして0.1秒以下のほんの刹那の瞬間を捉えた、明らかに異質な画像があった。
しばらくの後、描画が終了。完成した画像を、モニタで確認する。
画面のほとんどは掌のアップ、綺麗な指の女性の掌、そして指の隙間から僅かに伺える、ブロンドの巻き毛。顔形までは分からない、が、これまた僅かに見える瞳の光。
おそらく右は深紅、左は青、虹彩異色。
モーリに目撃された「彼女」は記憶を「書き換え」たのだろう。おそらく、額に手を当て、生体回路起動。その後、消えるように去っていったのだろうが、そのほんの一瞬をモーリの優れた生体回路は見逃さなかった
「まぁ」
「ちょっと油断した、というところかしらね」
それも無理はない、相手は8歳の女の子、普通なら全く問題ない手順だ。
「書き換え」は非常に巧みで、「写真」持ちのモーリと、「読み取り」持ちのマコルでなければ、決定的な瞬間を捉えられず、気付くことは無かっただろう。
ラタンの寝椅子の上で、んーーっと伸びをするマコル、その髪はいつの間にか、栗色から、濃い青色のメッシュが混じる黒髪に変わっている。
と、傍らの円卓上に置いてある、いくつかの通信機のうち、真珠のような光沢のハート型の通信機が震える。
コレに連絡してくる人間は限られる。回線を開く。
「ごきげんよう」
「アラ、どうしたの?」
「今月末の中央行きの日程が、ほぼ決まったので、そのご連絡です」
「そう、最初の1週間は教会の施設に宿泊で良いのよね?」
「はい、教会や学校の見学も予定しています」
「私は全部は付き合えないけど、時間があれば、顔を出すわ」
「よろしくお願いします」
「今回はトマス博士との打ち合わせが主な目的なので、ほぼ中央技術研究所にいることになるとは思います」
「そう」
「こちらからは、ゲンマ・ビエントとマレッサ・ロクメも同行します」
「あら、いよいよ、といった感じね」
「いよいよ、とは?」
「その2人は、伏龍と鳳雛、なんでしょ?」
「ああ、なるほど、そうですね」
「中央デビューです」
「ところであなた」
「ハイ?」
「さっきから、何を読んでるの?」
「ああ、アズマの愛読書です」
お気になさらずに、と言われても気になる内容だ。
とりあえず、両目のカラコンを外し、目薬をさす。
パチパチと瞬きする右の瞳は鮮やかなエメラルドグリーン、左の瞳は明るい茶色。
「気になるようでしたら、今度、お持ちしますよ」
てめぇ、ふざけんな!とアズマの怒号が聞こえ、そして、部屋の中ではドスッバシッとローキックの応酬が繰り広げられているようだ
「相変わらず仲が良いわね」
「ええ、ラブラブですよ」
まだ、何かドタバタしているようだが、気にしない。
「そういえば、あなた」
「なんでしょう」
「読み取り、は出来るわよね?」
「ああ、試してみましたが、上手くはできませんでした」
「あら」
「万能、なのに?」
「はい、残念ながら」
強力な生体回路を持つものしか「読み取り」は使えない、テンマの知る限りでは稀人か、それ以上、の存在。
マコル・ハイナルというのは、テンマがお忍びで直接調べたいことがある際に使う、隠れ蓑だ。こんな強力な生体回路を持つ者は、そうそう存在しないのだ。
そして「読み取り」より遥かに複雑な「書き換え」の生体回路は、テンマが知る限り、この300年で3人しか確認できていない。無論、テンマの知らない隠れた才能がいるかもしれないが、その可能性は極めて低い、と思っている。
コバリは将来、「書き換え」が使えるようになる可能性はあるが、現段階では…
あ、しまった。
通話に気を取られて、注意が散漫になったのと、極東地域にいるものだと思って、完全に油断していた。
まぁ、この娘が本気になれば、どんな警報装置も無意味だけどね。と諦めのテンマ。
「ごめんなさい、コバリ、ちょっと急用ができたわ」
「あ、そうですか。では改めますね」
「そうね、おおまかな予定表があれば、送ってちょうだい」
「わかりました、それでは」
ブッと通話が切れる。
モニタの前にペタンと座り、憮然として頬杖をつきながら画像を眺め、ゆっくりこちらを振り向き、尋ねてくる。
「コイツは誰です?」
と、画面を指差すマリア・クシナダは、ニコリともしない。
さて、どう答えたものかしらね。




