2 コレ、始末書です? (2)
「じゃあ出発しようか。まずは商業区のメインストリートからだ。ここは人の行き交いが多い分、トラブルも起きやすい」
アレクの説明を背で受けながら、詰所から出る。その途端に、洪水のような情報が私の五感を押し流していくのを感じた。
賑やかな音楽、視界を埋め尽くすほどの人間、食欲を誘う美味しそうな匂い――鮮やかで圧倒的な刺激が、一刻ごとにその姿を目まぐるしく変えていく。
「うっわあぁぁああ……すごい、すごい景色だ! 見たこともないくらい、人がいっぱい! ユーリ、今日は何かのお祭りなの?」
せわしなく過ぎていく通行人を見ているだけで、気持ちがどんどん浮足立っていく。
ユーリが案内を始めようとしているのには気がついていたけれど、そんなことよりも目の前の何もかもが気になって仕方がない。
「すごい、建物が上に伸びてて空が見えないくらい……轍の跡があるってことはこの道は馬車も通るってことだよね? こんなにたくさんの人が居るのに、馬車なんて通れるのかな? 屋台なんて吹き飛ばされてしまいそうだよ! ……それに、すごい良い匂い! あの屋台には何が売られているんだろう?」
「おい、アレク!」
ぐい、と腕を取られて、フラフラと道を飛び出しそうになっていた私はハッと気がついた。
そんな私の目と鼻の先を、大きな木箱を抱えた男がすごい勢いで走り去っていく。……あんなわかりやすい障害物が、目に入っていなかったなんて。
「ごめん……」
仕事中だというのに、みっともない姿を見せてしまった。反省しつつしょんぼりと謝ると、ポンポンと優しい感触が頭に触れた。
そっと見上げれば、ユーリが私の頭を優しく撫でながら、しょうがないなぁという顔で柔らかく笑む。
「もしかして、王都の見物はまだしてないのか?」
「うん……王都は滞在するだけでもお金が掛かるもん。万一就職先が決まらなかったら、大赤字だからね。登用試験当日に王都に着くように調整したんだ。街中を歩くのは、完全に初めて」
「ほぅ……そうかそうか」
何故かユーリの唇が嬉しそうに吊り上がる。
それだけで彼の纏う空気が一遍に甘やかなものになるのだから、つくづく顔の良い男というものは恐ろしいものだ。その背後から薔薇の香りが仄かに漂ってきているような錯覚すら覚えてしまう。
これだけの破壊力を持つ笑顔を浮かべることができているというのに、彼の評判が「いつも不機嫌な顔をしている」なのは不思議なものだ。……まぁ人の噂なんて、全然アテにならないということだろう。
そんなことを考えていたら、ユーリは妙にもったいぶった仕草で腕を組みはじめた。
コホン、と彼が軽く咳ばらいをしただけで、すっと反射的に私の背筋が伸びる。まさに人の上に立つ者のカリスマといった威厳。
「団長命令だ。今日の王都視察の目的を変更する」
「はいっ、団長。目的を教えていただけますか?」
その大仰な仕草が冗談だということを察しつつも背筋をぴしっと伸ばして尋ねれば、ユーリは大真面目な顔で頷く。
「ああ。今回の王都視察の目的は――観光に変更だ」
「……へ?」
あまりに都合の良い言葉に、私は思わず自分の耳を疑った。そんな反応の鈍い私に、ユーリはもう一度大きく頷いてみせる。
「今日は一緒に王都を観光しよう、アレク。自分の領地から一歩も出たことのない君が、王都の何もかもに目移りするのも無理はない。このまま案内を続けても、あまり意味はなさないだろう。それならいっそ割り切って、今日の内に王都のあちこちを回るのが最善だ」
「そんな、でも……」
躊躇う私に、ユーリはわざとらしいくらい重々しく告げる。
「良いか、アレク。これは実地訓練だ。王都に初めて来た観光客が何を喜び、何に惹かれるのか。その視線、体験、感動をあらかじめ知っておくことは、きっと将来の価値になる」
「……わかりました」
上司モードの彼に合わせて、私も敬語で答える。
それを聞いてユーリは、「よろしい」と心から満足そうに頷いたのであった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――そうして街歩きを始めて。
私は今更ながらに、ユーリがいかに人目を引く存在かということを思い知らされたのであった。
何しろ彼は、行く先々で身分を問わず様々な女性から声を掛けられるのだ。その誰もが頬を紅く染め、切なげな瞳でユーリに駆け寄っていく。
まさに恋する乙女、という風情。見ているこちらまで、その緊張と胸の高鳴りが移りそうになる。
だというのに、そんな彼女たちに対してユーリはあまりにも冷淡だ。
想いを綴った手紙も、心のこもった贈り物も、彼はすべて「近寄るな」のひと言でバッサリと切り捨てていく。浮かべる表情も、感情をすべて削ぎ落としたような冷ややかな顔。
そんな酷い態度にショックを受けて涙ぐむ女の子も少なからず居たが、それを見てもユーリの表情はぴくりとも動かない。
「流石にあの態度はないんじゃない? 彼女たちも真剣なんだからさ」
チャレンジを試みる女性たちが途切れたタイミングを見計らって、見ていられずに苦言を呈した。ユーリが不愉快そうに眉を顰めるが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「せめてお手紙やプレゼントを受け取るくらい、してあげようよ。ユーリのために準備してくれたんだよ?」
「その手紙の中に剃刀が、菓子の中には媚薬が入っているというのに?」
ぐ、と言葉に詰まった。……そんな酷い贈り物を貰った経験があるのか。それは確かに、彼の態度が冷たくなってしまうのも無理はない。
「そっ……それは……中にはそういう変な人も居るかもしれないけれど、でも皆がそういう訳じゃないよ。本気でユーリに恋してる子だって、沢山いる。もう少し優しくしてあげるくらいは……」
言葉を詰まらせながらも食い下がる私に、「実はな、アレク……」とユーリは呆れと諦めがない交ぜになった声を上げた。
「これは職場の連中ならわりと知っている話だが、俺は何故か女性の顔が認識できないんだ。……いや、見えていないというべきか」
「見えていない……?」
「ああ。俺の目に映る女性は皆、顔が黒く塗りつぶされている。どんな顔立ちをしていてどんな表情を浮かべているのかなんて、何もわからないほどに。『女性』をひと括りで考えてしまうのは、それが原因だ」
「それは……」
思いも寄らない言葉を聞かされて、言葉を失う。
「不便、だね」
――やっと出てきたのは、そんな愚にもつかない言葉で。気の利かない私に、ユーリは優しく笑う。
「それほど不便ってわけでもない。もう割り切っているからな。俺とは関わりのない生き物が時折贈り物に悪意を混ぜてくる――それが女性というものだと、俺は思っている」
「……」
そんな事情を聞いてしまったらそれ以上は何も言えず、私はそっと口を閉ざした。
沈黙に陥った私の思考にこびりついているのは、「それが女性というもの」というユーリの言葉だ。
――今はまだ、ユーリが私のことを女性だと気づく様子はない。
でも、もし彼がそのことに気がついてしまったら……私の顔も彼女たちと同じように塗りつぶされてしまうのだろうか。「そういうもの」という女性の中に括られて、私という個人に向き合うことはなくなってしまうのだろうか。
(それは……嫌だなぁ……)
私とユーリを結びつけているのは、幼馴染という関係性。言ってしまえば、ただそれだけだ。
でも、そのおかげで私は彼の「特別」になることができた。心を許してもらえた。
それはただ、彼と知り合うのが早かったからでしかないというのに。私自身の価値なんて、本当は関係ないのに。
そのことに気づいていながらも現状に甘えてしまっている私はきっと……ズルい人間なのだろう。
「ユーリ……」
私もその女性なんだよ、という言葉は喉元まで出かかって、そしてそのまま飲み込まれていった。
彼の女嫌いを治す一歩となるかもしれなかった言葉。……でもそれは、私の弱さの所為で形にならないまま消えてしまったのである。




