7 最初から惚れていたんだと思う (1)
「おや、ユーリウス殿。今日もお見舞いですか。お仕事も忙しいでしょうに、お疲れさまです」
「ああ。先生こそ、いつもありがとう。……何か進展は」
ゆっくりと首を振る医者を見て、ユーリウスは軽くため息をついた。
このやりとりも、もう日常のひとコマとなってしまった。それでも彼に、諦めるという選択肢が出て来ることはない。
菓子の差し入れを渡すと、ユーリウスはまっすぐに病室へと向かう。それももはや、慣れた足取りであった。
「今日は少し顔色が良いんじゃないか、アレク」
いつもと変わらず寝台の上でぴくりとも動かないアレクに軽い調子で声を掛けて、ユーリウスは隣の椅子に腰を下ろす。
その言葉に対して返ってくる反応は、何もなかった。
――アレクが倒れてから、九日間が経った。失踪の日から数えれば、十日だ。
命に関わる魔力の枯渇状態からはなんとか回復したものの、アレクはあれから一向に目覚める兆しがなかった。
表面上は平静を装っているものの、ユーリウスの内心の焦りは募るばかりだ。
医者からは「後は自然に意識が回復するのを待つだけだ」と言われているが、そんな言葉で安心できるはずもない。
実を言えば、今日もほぼ仕事を放り出して来たようなものであった。
「例の王都誘拐事件、ようやくマクレガン家がセリシアを引き渡すことを了承したよ」
返事がないことを承知しつつも、何気ない調子でユーリウスは切り出す。
「話しかけることで意識が戻るきっかけになるかもしれない――」医者のそんな言葉が、今の彼の支えとなっていた。
「彼女の父親は未だに抵抗を続けているがね、新当主である彼女の兄が引き渡しの決断を下したそうだ。このまま彼女を庇い続ければ、マクレガンの威光に傷がつく――と。実際、今回の件は彼女単独による暴走だ。マクレガン家は無関係だと主張したいのだろう」
やれやれと肩を竦める。
当初ユーリウスが調査をはじめた王都誘拐事件。しかし、黒幕と関係が近いということで、事件は彼の手から離されてしまった。
今や人伝てで聞かなければ、事件の顛末も情報が入ってこない。
「それにしても年寄りじみたセリフになってしまうが、時代が変わったというのが正直なところだ。ひと昔前なら貴族界の花形であるセリシアを罪人扱いするなんて、きっとできなかっただろう。どれだけ明白な証拠を抑えようと、各所から圧力が掛かっただろうが……」
口元に苦い笑みが浮かぶのを自覚しつつ、ユーリウスは首を振る。
「あの人も、もはや過去の人ということだな。マクレガン家だけじゃない。名家の当主も、随分と世代交代が進んでいる。彼女に心酔している有力者の数もだいぶ減ったのだろう」
そして、そんな事態はセリシア本人にとっても業腹であったに違いない。
だからこそ、彼女も自分の次世代であるディオンを切り札としたのではないか――そんな推察に想いを馳せる。
そこまで考えてから「そういえば」と、ユーリウスはふと事件当時のことを思い出した。
「俺の母への苦手意識だが……不思議なことにあの日以来、克服できたようなんだ」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――職場へ戻るという指輪の連絡の後、アレクが消息を絶ったあの日。
職務には真面目なアレクが報告もなしに帰ってこないという異常事態に、ユーリウスは真っ先に胸騒ぎを覚えたのであった。
とはいえ、一日居場所が知れなくなったくらいでは騒ぐほどの話ではない。アレクにだって、プライベートはあるだろう。
取り敢えずは様子見をするしかないと思っていたのだが……翌朝になって魔道具である指輪の宝玉が灰色になったことで、その胸騒ぎは差し迫った危機感へと変化した。
宝玉の灰色――これは、アレクから送られたメッセージではない。
むしろその色は、装着者との魔力の繋がりが切れたことを意味するものであった。
間違いなく、異常事態だ。
急いで宿舎を訪ねたが、アレクの形跡はない。管理人に聞けば、昨日から戻っていないとの答えが返ってきた。
ならばと昨日の視察先である教会に向かったものの、それ以降の足取りは掴めず。
さらに妙に口の重い神父の代わりに子供たちが語った、アレクと一緒に居た相手がセリシアだと知れば、焦燥感は増していくばかり。
迷う余地もなく、ユーリウスは十年以上訪れることのなかった母の実家……マクレガンの屋敷へと足を向けたのであった。
「だから、知らないって言っているでしょう。先触れもなく訪ねてきたかと思えば、アレク、アレクって……本当に当主教育を受けたとは思えないほど、良くできた礼儀ですこと。確かに彼女とは教会でお話はしたけれど、それだけよ。そこでお別れして、その後は知らないわ」
「それは、いつ頃の話ですか」
「しつこいわね、覚えてないわ。陽が沈む前だったとは思うけれど」
食い下がるユーリウスに、セリシアは冷たい目を向ける。
普段であれば、それだけでユーリウスは萎縮してその場を後にしたことだろう。彼にとってセリシアはトラウマそのもので、向き合うだけで冷や汗が滲むような存在なのだから。
しかし、アレクが心配でそれどころではないユーリウスは、いつになく粘る。
「他に、何か覚えていることはありませんか? 服装でも、なんでも構いませんから」
「普通に騎士団の制服を着てたわ。気になることなんて……」
いいかけて、「ああ。そういえば」と、何気なくセリシアは続ける。
「貴方、彼女に翠色の指輪を送ったのね。まだ正式に婚約者としたわけでもないのに自分の瞳の色の指輪を贈るなんて、物事の順序をしっかり弁えているのか心配」
嫌味の混ざるセリシアの言葉を聞き流しかけて、そこでユーリウスは違和感に気がついた。
「本当に、アレクと帰りは一緒じゃなかったんですね?」
「ええ、そうよ」
セリシアは念押しの質問に平然と答える。その答えに、ユーリウスは背筋に汗が滲むのがわかった。
だって、それはおかしい。元々アレクが着けていた指輪の色は、自分が設定した青色だったはずだ。
その色が変わったのは、騎士団へ帰還するタイミング。翠色の指輪をセリシアが目にする機会は、ほとんどなかったはず。
――その後も、彼女がアレクと行動をしていない限りは。




