5 それってどういう意味で? (2)
――というわけで。
心配していたユーリの反応だけれど、実際には普段とまったく変わることがなかったのである。それはもう、本当に全然。
あまりにもいつも通りの反応に、私は安堵と肩透かしの混ざる複雑な気分で首を振る。
そりゃもちろん、「すまないがその恰好を見たらアレクのことを受け入れられなくなってしまった」とか言われるのが一番嫌だったけれど。
でもまさか、ここまで変化がないなんて。
(自身がイケメンだと、他人の見た目が気にならないものなのかな……?)
ドキドキしながら今日の準備を進めていた自分が馬鹿らしくなってしまったが、そう考えると彼の反応はしっくりきた。それと同時にその張り合いのなさに、少しがっかりしてしまう。
「どうした、アレク? 俺の顔に何かついているのか?」
むくれた私に気づいて、ユーリが不思議そうに首をかしげる。その姿に、拗ねていたはずの私の方がつい見とれてしまった。
今日もまた、惜しみなく輝く美貌を発揮しているユーリ。普段の軍服より儀礼的な今日の礼服は彼をスマートに演出しており、前髪を上げた髪型はいつもより格段に大人っぽく色気を醸している。
「ほら、踊ろう?」
まさに貴公子といった出で立ちと、少年のような無垢な笑顔のギャップが本当にずるい。そんな表情をされたら、何も言えなくなるじゃないか――そう思いながらも、私は素直にその手を取る。
でも曲に合わせてステップを踏みはじめれば、すぐに周囲の視線もユーリの反応も気にならなくなった。
身体を動かすことは、好きだ。音楽に合わせるというのはあまり経験がなかったけれど、慣れてくるとすごく楽しい。
ユーリと目を合わせて、笑い合う。クルクルと回っているのは、私か景色か。心と身体が溶け合い、音楽と一体になって混ざり合う――。
「驚いたな。アレク、本当にダンスは習っていなかったのか?」
ひと通り踊り終えたところで、ユーリから上がったのはそんな声だった。
「お世辞抜きで、これまで見た中で一番綺麗なダンスだった。技巧や優美さだけでない……生の喜びを表した祈りのようだと言えば良いのだろうか。本当に、心を打たれる素晴らしさだったよ」
「またまたー、褒めすぎだって。私はただ好きなように踊ってただけだし、それができたのはユーリのアシストがあったからだもん。なんか一緒に踊るのが初めてとは思えないほど、息ぴったりにできたね」
ユーリの褒め言葉は大袈裟だけれど、確かに今までの練習よりもずっと上手にできた手応えはある。それは間違いなく、パートナーであるユーリあっての成果だった。
長い時間踊ったわけではないのに、やり切ったという心地好い充実感が身体を満たしていく。
踊るのをやめたにも関わらず、まだ周囲の視線はまだ幾分こちらに向いている。
でもそれは否定的なものではなく、どちらかというと賞賛のこもった温かいものだ。少し肩の力が抜ける。
「飲み物でも飲んで、いったん休憩しようか。夜会の軽食は美味いぞ」
「うん! それも含めてすっごく楽しみにしてたんだ!」
ユーリが差し出した手を取って歩き出す。途端に、大勢の貴族たちが待ちかねたように私たちを取り囲んだ。
「久しぶりですな、ユーリウス殿。先日はうちの娘がお世話になったようで……」
「先日送った釣り書きの件だが……」
「そのお連れの方のご紹介を、是非……」
四方八方から一気に押し寄せる野次馬たち。ドレス姿というあまりに無防備な状態の私は、その鬼気迫る迫力に思わず逃げ腰になってしまう。
そんな私を庇うように、すっと前に出た影があった。ユーリだ。
キビキビとした最小限のやり取りで、彼は野次馬を適当にあしらっていく。ばっさばっさと冷淡な返事で社交辞令を切り上げていくその様は、いっそ爽快だ。
一方の私はそんな彼の陰に隠れて、引き攣った微笑みを浮かべていることしかしていなかった。
頭の中にあるのは『夜会を楽しむ三原則』のひとつ、「常に微笑みを浮かべて」だ。……というか、それくらいしかできることがない。
だがどうやらその反応が正解だったらしく、周囲はちらりとこちらを見ては「貞淑な方ですね」なんて賛辞を述べる。微笑みのチカラ、恐るべし。
ハーベストの言葉は本当だったんだな――なんてしみじみしている間に、いつの間にかユーリの巧みな誘導によって野次馬の人垣を抜けて食事が並ぶエリアまで移動が完了していた。様々な料理の美味しそうな匂いが立ち込め、私を誘う。
――さあ、いよいよ一番のお楽しみの始まりだ。
そう気合を入れた私が、シャンパンのグラスを受け取ったところだった……隣に居たユーリの身体が突然ぎくりとこわばったのは。
「どうしたの?」
「あら、ユーリウス。久しいわね。あなた、夜会に全然顔を出さないのだもの。避けられているのかと思っていたわ。隣の方はどなたかしら」
親しげな調子で声が掛けられ、細身の艶やかな貴婦人がゆったりと歩み寄る。彼女のつけているらしいベルガモットの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。鮮烈な、それでいて不快ではない香りがどんどん近くなっていく。
その距離が縮まるにつれ、ユーリの顔色はどんどん悪くなっていった。
明らかに尋常でない彼の様子を気にかけながら、私は目の前の女性へと目を向ける。
年の頃は私の母と同じくらいだろうか。だが、厚めに彩られた化粧と華やかなドレスが、年齢を感じさせない彼女の色気を引き立てている。
シャンデリアの光を受けて煌めく豊かな金色の髪は、まるで太陽の光のようだ。
しかし、特徴的なのは、そのととのった容姿ではない。彼女の魅力を匂い立たせているのは、思わず視線が吸い込まれてしまう抗い難い不思議な存在感だ。
ただそこに彼女が居るだけで心はざわめき、目は吸い寄せられるようにその姿を追ってしまう。
一度魅入られたら視線を引きはがせなくなる、魔性とも言える美しさ――そんな美貌の持ち主を、私はもう一人知っている。
「母上……」
そう感じたところで、ユーリが呻くような声を洩らした。
似てると思ったけど、やっぱりそうか。ユーリの母親、セリシア・マクレガンといえば、噂に疎い私でも名前を聞いたことがある。
王家に連なる高貴な血を引くマクレガン家の至高の宝石であり、この世に並び立つ者のない美しさを誇るという佳人。年を経た今もなお、彼女に恋焦がれる者は多いともっぱらの評判だ。
チラリと隣のユーリの顔を見上げれば、すっかり血の気を失った蒼白な頬が目に入る。
もともと女性嫌いだとはいえ、彼がここまで苦手意識を露わにするのは珍しいことだ。そういえば彼の母親はスティンガー侯爵家から離縁していると聞いたけれど……。
「ご無沙汰しております。ご健勝のようで何よりで……」
「堅苦しい挨拶は良いわ。それよりも、そちらの可愛らしい方を紹介してくれる?」
ピシャリとユーリの挨拶をはねのけ、彼女は素早く値踏みするような目をこちらに走らせた。
しかし、私と目が合った途端にぱっとその顔に浮かべたのは、あくまで親しげで優しさに満ちた愛らしい表情。そんな顔を向けられたら、大概の人間は彼女に好意を抱いてしまうだろう。
そのギャップを目の当たりにした私の野生の勘が囁くのが聞こえる――彼女は危険な女だと。
母親を前にして、ユーリは明らかに落ち着きをなくしていた。普段の取り乱したところを見せたことのない泰然とした姿は、見る影もない。腕は無意味に上下し、視線はあちこちを彷徨っている。
この様子では自分で名乗った方が良いだろうか……そう考えたところで、セリシアは業を煮やしたようにパチンと音を立てて扇を閉じた。
「呆れた。相変わらず、挨拶ひとつマトモにできないのね。スティンガーの名が泣くわ」
蔑みの目を向けられて、ユーリの顔色がいっそう悪くなる。それでもなんとか勇気を奮い立てたらしい彼は、私の手を取って小さく一歩踏み出した。
緊張を隠すようにさりげなく深呼吸してから、彼はかすれた声で述べる。
「失礼しました、母上。紹介します。こちらは俺の幼少期からの友人、アレクです。俺の大切なパートナー……です」
――いやいや、ユーリ、それってどういう意味で言ってるの!?
反射的にユーリの方をバッと振り向きそうになって、辛うじて押し留めた。浮かべていた微笑みは引き攣ってしまったけれど、自分としてはだいぶ取り繕えた方だと思う。
それにしても、『大切なパートナー』って表現、何を考えて使ったの!? 緊張し過ぎて、適切な単語表現がわからなくなってしまったのだろうか。
覚悟を決めた表情と言い淀みながら告げるあたりが、 妙に生々しい。あまりに誤解を招く表現に、冷や汗が出る。
しかし、縋りつくように私の腰を抱き寄せているユーリに気がついて、何も言えなくなってしまった。先ほどまでの野次馬から私を守ってくれていた姿からは一変して、今の彼はあまりに弱弱しい。
彼の言葉を聞いたセリシアは、つまらなそうに肩をすくめた。
「そう。幸せそうでなによりだわ、ユーリウス。血の繋がった兄を差し置いてスティンガーの嫡男となり、仲睦まじいパートナーと夜会で脚光を浴びることができるなんて、本当にあなたは幸せ者ね。誰の尊厳を踏みにじって、誰の未来を犠牲にしてその幸福を得ているのかなんて、すっかり忘れたのかしら」
「お、俺は……」
冷えた汗を額に浮かべながらも、ユーリは言葉を紡ごうと唇を震わせる。しかし、セリシアはそれを許さなかった。
あくまで優雅でおっとりとした表情で、彼女は毒に満ちた言葉を舌に乗せていく。
「本当は、その幸福はあなたの兄のディオンが得るはずだったもの。覚えておきなさい、ユーリウス。出来損ないのあなたが今、幸せでいられるのは、スティンガーの嫡男という威光があるからよ。そうでなければ、あなたに何の価値もないのだから」




