4 素直になりません? (4)
「という話になってねぇ……」
「なるほど、大変だな」
ひと月ぶりの職場。久々のユーリとの会話は、そんな報告から始まったのだった。
「うん、綺麗にできた」
得意げな声に振り返れば、背後に座っていたユーリが嬉しそうに銀色の三つ編みの束を披露する。何やらくすぐったいと思っていたけれど他人の髪で何をしているんだ、まったく。
「次はもっと綺麗にできそうだな。編み込みにも挑戦してみるか。アレク、一旦ほどくぞ」
「ヒトの話、ちゃんと聞いてた?」
私の反応などまるで気にせず、もう一度髪の中に手を差し込むユーリに呆れた声が飛び出す。それでも手を休めることのないまま、ユーリは「もちろんだ」と大きく頷いた。
「良い判断だった。アレクは物事の本質を見極めるのが、本当に上手い。甘言に惑わされず為すべきことを選択してくれるから、助かっているよ。どうやら周囲は、アレクのことを簡単に付け込めると捉えがちなようだけどな」
「確かにユーリ関連のことも、与しやすそうだからって私に色々アヤシイ話が来たもんねぇ。コイツなら丸めこめるって思うみたい」
こめかみをスルッと通ったユーリの手がくすぐったくて、思わず身を竦めた。ユーリの低い笑い声が、私の耳を掠めていく。
「実際は野生動物並みに警戒心が強くて、害意に聡いのにな」
「まぁある程度油断してくれてた方が動きやすいから、別に構わないけどね。相手の本音も見やすいし」
「そこは実利をとるアレクらしい」
軽く笑ってから、「それにしても」と些か不快そうな口調でユーリは口を開く。
「フローリア嬢と言えば、時折俺の訓練後に寄って来る女性のうちの一人だろう。あの常に引き連れている執事が、まさか彼女の婚約者だったとはな」
「あれ、顔が見えないのに彼女のことわかるんだ?」
「貴族の女性は覚えておかないと、色々と面倒なことになるからな。主要な貴族女性は全員、身長や歩き方、動作の癖……そういったもので区別できるように叩き込んである」
「えぇ……」
こともなげに言い放った内容に、ドン引きの声を洩らしてしまった。
その優秀な頭脳を使って、なんと無駄なことをしているのか。思いも寄らないところで積み重ねていた努力に、畏怖と同情の気持ちが禁じ得ない。
だというのに、ユーリはそんなこととは全く無関係なことに憤っていたのだった。
「まったく、けしからんな。婚約者の前でほかの男に好意を寄せて見せるなど……もはや精神的な不貞ではないか」
「いや、彼女の場合はどちらかというと婚約者の気を引きたくてやっていただけだから、そんな不貞とかいう話では……」
「いや、不貞に動機など関係ない。許すまじきことだ。俺には到底受け入れがたい」
そう言って身震いしてみせるユーリの表情は、真剣だ。その尋常ならざる語調の強さに、私は言葉を吞み込んでしまった。
不貞という単語に見せたユーリの忌避感は、社会通念上の反応を超えてあまりに極端に感じられる。それはまるで、何らかのトラウマがあるかのようで。
――もしかして、こんな美男子のアレクを恋人にしておきながら浮気に走った魔性の女でも居たのだろうか。それが原因で女嫌いになった、とか……?
好き勝手な憶測に囚われて黙り込んでしまった私を気にすることなく、ユーリは私の髪をこまごまといじり続ける。やがてその手が離れ、キュッと最後に少しキツく結い上げられる感触がした。
「ほら、できた。アレクによく似合っているだろう?」
一旦ユーリのトラウマに関する勘繰りをやめ、差し出された鏡を覗き込む。そこに映る自分の姿に、私は思わず息を呑んだ。
一見すると、普段と同じポニーテールの髪型。でも、その結ばれた髪の根元には細かな三つ編みが編み込まれていて、その三つ編みがポニーテールを括っているのだ。
「えっ、すごい……! プロのメイドさんの仕事みたい! もしかして、ユーリって誰かの髪を結んだ経験があるの?」
「あるわけないだろう。誰が男の髪を好き好んで触るものか」
「…………」
――だとすると、一体私の位置づけはどうなっているのだろう。深くは突っ込めなくて、私は口を噤む。
その代わり右に左にと顔を向けて、鏡に映るぴょんぴょんと弾むポニーテールに目をやった。やや暗めの室内を照らす照明の光が、銀色の髪に反射してキラキラと輝く。
「アレクの髪を見ていると、雪ギツネの子供を思い出すな。茂みの陰からゆらゆらと揺れる、銀色の尻尾はたいそう愛らしかった」
「捕まるわけないのに、あの尻尾を一生懸命追いかけたよね。あれは、二人でこっそり裏山に忍び込んだときのことかな」
「ああ。冬の真ん中の、ぽっかりと晴れた日のことだった」
「そうそう。太陽の光がそのまま宝石になったように雪の上でキラキラしていて、雪に慣れているはずの私まではしゃいじゃって。そうしたら途中でユーリがぬかるみに足を取られて、びしょびしょになって……」
「屋敷に帰ってから、たいそう叱られたものだ。でも、その後に渡されたホットミルクの蜂蜜の甘みが、身体を痺れさせるほどに美味くてなぁ……」
二人で当時のことを振り返り、笑みを交わす。自分でも気づかないうちに降り積もっていた郷愁の想いが、懐かしさと相まって私を感傷的な気持ちにさせていく。
小さく息をついて、私は追憶の案内人であるユーリに頷いてみせた。
「うん、よく覚えてるよ」
「ああ、俺もだ。たった一年の滞在だったけれど、アレクと過ごした日々は俺の人生の一番輝かしい時間といっても過言ではない」
そう言いながら、ユーリはするりと私の髪を手で梳いていく。
「あの仔ギツネの尻尾も、こんな風に気持ちの良い手触りだったんだろうか……」
「……っ!」
――何故だろう。今までだって何度もこんなスキンシップはしていたはずなのに、何故か私の頬にどんどん熱が溜まっていくのがわかる。
何気ない彼の言葉が、二人で振り返る思い出が眩ゆくて、感傷的になっていた心に切なさがしみていく。
「そっ、そういうわけで、話を戻すけれどフローリア家の仕事はもうすぐ終わると思う」
これ以上その感情に向き合ったら取り返しのつかないことになりそうで、私は声を裏返しながらも慌てて話題を変えた。
「わかった。アレクが帰ってくるのを待ち侘びてる」
「……うん」
今、私はどんな顔をしているのだろう。鏡を見るのが怖い。何かに気づいてしまいそうだから。そうしたらもう、戻れなくなりそうだから。
言うべき言葉も見つからず、私は視線を落としたままポニーテールを所在なく触る。
自分のポニーテールはなるほど、確かにキツネの尻尾のような感触がしたのだった。




