3 意外と良い人ですね (4)
「お湯の温度、ねぇ……。しっかり沸騰させてるんだけれどなぁ……」
「苦戦されているようですね」
途方に暮れた私に、優しい声がかけられた。
「ディートスさん! お嬢様のところに居なくて良いんですか?」
振り返った先の人物に、つい驚きの声を上げてしまった。
歩み寄る栗色の髪の細身の青年は、ハーベスト嬢の筆頭執事ディートスだ。常に彼女の側に控えて、その要望に応える有能な存在。
そんな彼の最大の特徴は、崩れることないその穏やかな微笑みだろう。彼女の我が儘や気紛れに振り回されても、彼の表情は決して崩れることがない。それはある意味、彼の底知れなさを感じさせる。
今もまたいつも通りの微笑みを浮かべながら、「お気になさらず」とディートスは私の手元を覗き込んだ。
「行き詰っているように見受けられましたので、少しだけアドバイスをと思いまして」
「それは助かります。ディートスさんは私の紅茶の何が悪いのか、もうわかっているんですか?」
「そうですね。――お嬢様からも指摘があったように、紅茶はお湯の温度を冷まさないことがポイントです。でも、いくら熱湯を注いだところで、貴女のやり方ではそれが冷めてしまうタイミングがある……どこかわかりますか?」
はて、と首をかしげていた私に、突然天啓が舞い降りた。
「……あ、もしかして! お茶を淹れる前にティーセットも温めておかなければならないってコト!?」
正解です、と頷くディートスの手を、感激のあまりつい強く握りしめる。
「ありがとうございます! 自分一人では絶対思いつかなかったことなので、本当に助かりました!」
晴れ晴れとした顔となった私に、ディートスは複雑な表情を向けた。
「失礼ですが、アレクサンドリア様はご不満ではないのですか」
「不満? 何がですか?」
「お嬢様の護衛のためにわざわざ騎士団から派遣されてきたというのに、慣れない侍女の仕事をさせられ、そしてお嬢様の我が儘に振り回される……この状況、決して良いものではないでしょう」
自分の主人への批判とも言える言葉を口にしながら、彼は私の目を見た。
唇にはいつもの執事のほほえみを浮かべているものの、その眼差しは至って真剣だ。その誠実な気遣いが伝わったからこそ、私はその言葉にきっぱりと首を振った。
「心配してくれて、ありがとうございます。でも、ご心配には及びません。私も今日まで知らなかったんですけれど、ハーベスト嬢って……意外と良い方ですね」
「良い……方?」
思いも寄らぬことを言われた、と驚く彼に、私は「ええ」と力強く頷いてみせる。
「正直言ってハーベスト嬢のこだわりは私には理解できませんけど……でも、出されるダメ出しは全部、ちゃんと彼女なりのルールに基づいたものだと思うんです。一貫していて、嘘がない。嫌がらせや周囲を振り回すのが目的の我が儘とは違うから。……この紅茶の淹れ直しも」
言いながら私は、片目を瞑ってみせる。
「彼女、毎回ひと口は飲んでからやり直しさせてるんですよ? これだけ淹れ直してたらお腹、タプタプになってないかちょっと心配」
「アレクサンドリア様……」
呻くように私の名前を呼んだディートスはやがて居住まいを正し、うやうやしく頭を下げた。
「お嬢様のこと、そこまで理解してくださってありがとうございます。普段あれだけ貴女に嫌味を言っているお嬢様のことを、まさかそんな風に言っていただけるとは」
「あらためて思い返すと私、ハーベスト嬢に叱られることはあっても貶められたことはないんですよね。指摘された内容はごく真っ当なものでしたし、陰口を叩くことも彼女はしなかった」
「ええ、ええ。周囲から誤解されがちではありますが、おっしゃるとおりお嬢様は素直で公正で、少しだけ不器用な素敵な女性です。貴女のような理解者が居てくださって、良かった……!」
「ディートスさんはハーベスト嬢のこと、すごく大切に思ってるんですね」
思ったことを率直に言っただけなのだが、ディートスは私の言葉に気まずそうに頬を掻いた。
「実は……私は彼女の婚約者なんです」
「えっ、そうなんですか? ごめんなさい、てっきり執事の方かと……」
確かに随分と歳の近い執事を配置するのだな、と不思議には思っていたのだけど。
「今は実際執事を務めておりますので、その認識で構いませんよ。お嬢様には婚約者と認めてもらえてませんし……」
苦笑いを浮かべつつ、彼はゆったりと壁に寄りかかる。どうやら私がお茶の用意を最後までに見守ってくれるようだ。
「確かに、ハーベスト嬢はユーリに夢中ですもんねぇ……」
食器を並べながら何気なく返して、婚約者に言う言葉じゃなかったなと後悔した。どうも私は考えるより先に身体や口が動いてしまうところがある。
でも、ディートスは気を悪くした様子もなく微笑みを浮かべたまま頷いた。
「ええ、お嬢様にも『お前はユーリ様とはまるっきり正反対ね』とよく言われます。あの方のタイプは『胡散臭い微笑みを浮かべたりせず普段から無表情で、周囲を慮って行動しない芯の通った性格で、細身で優しい雰囲気ではなく男性的で力強い方』だそうですから」
「随分詳しいですね」
「もう何度も同じことを言われてますから」
何てことないようにディートスはあっさりと返す。でも、私はその言葉に少し考え込んでしまった。
――ハーベスト嬢の上げた好みのタイプは確かにユーリに当てはまるものだ。無表情、という点だけはどうも消えてしまったようだけど。
でも、それより彼女の条件は「先に否定がくる」ということの方が気にかかる。それはまるで、特定の誰かを意識して締め出そうとしているような。
(はて、どういうことだろう……?)
そんなことを考え込んでいるうちに、部屋の中を芳しい紅茶の香りが漂いはじめた。
「無事、紅茶を淹れ終わったようですね。これならきっと、お嬢様もご満足いただけることでしょう。――貴女とこうして話ができて、良かった」
穏やかにそう言って戻ろうとするディートスの背中に、私は慌てて「ありがとうございました、ディートスさん!」とお礼を述べた。
それに手を上げて軽く応えてから、「ああ、そうそう」と彼は何気ない調子で振り返る。その口元に浮かんでいるのは、普段と変わらぬ穏やかな笑みだ。
「お嬢様は確かに厳しい方ですが……あのハンカチのセンスは、流石に私でもどうかと思いましたよ」
「へっ!?」
その言葉に、今朝一番の悪夢が蘇った。
何度もやり直しを食らったあのハンカチ事件。至極どうでも良いとその理不尽に耐えながら何とかこなしたあの仕事だけれど、もしかしたら私は自分が思っている以上にセンスがなかったのだろうか――。




