98.予感
アーカムは急ぎすべき仕事を片付けていた。
しばらく留守にするため自分がやらなければならない仕事を優先し、それ以外のものについては任せられるものに割り振っていた。
「……先生」
そこに訪れたのは二人の少女。ディアとクロエだった。
「どうかしたのか? 私に何か用事でも?」
「どうしてわたしたちは行っちゃだめなの?」
少し前に、アーカムのもとを一人の男が訪ねてきた。その男はアーカムにとっても旧知の仲であったが、ある意味では知らない男でもあった。
―――赤騎士シュタープ・ルドン。
そこでアーカムは前赤騎士アルガスが死んだことを初めて知った。
シュタープがここを訪れたのは、アーカムに助力を得るためだ。
ハルザウスの王の前に現れたゼフィと、そのゼフィが連れてきた魔人アガト。その二人によってもたらされた話はシュタープにとっても驚天動地と言える話だった。
そして、王の命により、赤騎士であるシュタープは赤の団を率いて戦いの準備を整えることになった。それはもちろん当然のことだ。赤の団とは戦うための組織なのだから。
だけど不安要素もあった。それはアルガスがいなくなったということだ。精神的にも戦力的にも最強の騎士であるアルガスの存在は大きかった。しかも、シュタープが赤騎士として赤の団の団長となってからの初めての大きな戦いがこれだ。どうしても慎重にならざるを得ない。
そのため、シュタープは副長のバイラムと話し、アーカムの復帰、とまではいかなくても今回だけでも力を貸してもらえるようにと決めたのだ。
アーカムはさすがに復帰まではと断ったが、力を貸してくれと言われたことについては協力をすると返事をした。
そして、それとは別に多くの傭兵たちも動員されていた。
アガトのすることにどの程度の危険があるのか正確に把握しているものはいない。それはマイノス王などの国の上層部に限った話ではなく、メロやカイ、それにゼフィですら知らないことだ。
だが、マイノス王はこの事態を重く見ていた。ハルザウスにいる兵士や騎士だけでは手が足りないかもしれないと。だからハルザウスのみならず他の街からも兵を集めるだけでなく、各地から多くの傭兵を募っていた。
もちろん、各街の守りを完全に放棄するわけにもいかないため、街の運営に影響が出ない範囲で、ではあるが。
その例にもれず、ここアルトミーの街からも腕に覚えがある傭兵たちがすでにハルザウスに向けて発っていた。その中にはオーディスも含まれていた。
だが、ディアとクロエはここに残っていた。アーカムにそう言われたからだ。ここに残っているようにと。
「わたしたちは力不足だって言うの?」
「……」
確かにディアとクロエはまだ若い。幼いと言ってもいいかもしれない。それに、見習いから一般傭兵に昇格したとはいえ、それも最近のことであり、いまだ経験が浅いというのは間違いない。アーカムの目から見てもやはり未熟だと言える。
だが、力不足かと言えばそうでもない。
ディアとクロエは弱くない。アーカムの目から見ても、一般的な傭兵と比べて決して見劣りするものではない。それどころか、二人の息の合った連携は優秀と言ってもいいだろう。
だが、アーカムは一緒に行きたいという二人を拒絶した。
「なんでだめなの? わたしたちも戦える!」
語気荒くそう訴えるディアにアーカムはため息をつく。
ちらりとクロエの様子を窺うが、何も口に出してはいないが、考えはディアと同じだと目が訴えている。
こうなってしまえば面倒なのはクロエの方だ。普段は大人しく見えるものの、本当に頑固なのはクロエの方だからだ。
「……そもそも、何のために行くというのだ? お前たちは行って何がしたいのだ? わざわざお前たちが行かなければならない理由はなんだ?」
「それ、は……」
「力を示すためか? ……そうであれば安心しろ。お前たちの強さは私が認めている」
「……」
ディアは無言で俯く。その問いに答える言葉をディアは持っていない。
なぜ自分たちが戦う必要があるのか。
そもそも二人が傭兵をやっている理由は簡単だ。食い扶持を稼ぐためだ。幸いにも二人には戦うための才覚があり、アーカムにもそれを認められ、戦い方を教えてもらうことができた。だからそれを活かし、一先ずは戦うことを仕事として生きていくことにしたのだ。
そこには特段信念のようなものがあるわけではない。ただ、自分にその能力があり、できることをやっているというだけだ。
だから、かもしれない。オーディスのことが気に入らなかったのは。
もちろん、その態度や言動が好きでなかったというのもある。上から目線で何度も偉そうに絡まれたこともある。そういう部分も好きではなかった。強さが全てなどと安易に口走るところも嫌いだった。
だけど、心のどこかでは羨ましいと思っていたのかもしれない。そうやって自分というものをはっきり示すことができるオーディスが。そのオーディスの考え方が正しいと思っていたわけではない。それでも、思うところはあった。
ちらりとクロエの方を見る。
アーカムの言うとおりだ。自分たちが行く必要はない。その言葉はおそらく正しいのだろう。確かに、どうしても行きたいのかと言われればそんなことはない。もともと、ディアが行きたいと言い出したわけでもない。
クロエが言ったからだ。行ったほうがいいのではないかと。それ自体、根拠のあるものではなかった。だけどディアにはわかった。クロエの言っていることは間違っていないと。だから行くべきなのだ。
それだけだった。
だけど、今は少し違う。ディア自身も行くべきだと、そう思っている。ただ、それをどう言葉に表していいのかがわからない。
口を開きかけてまた閉じる。
やがて、時間を掛けてその心の中にある言葉をまとめる。
「……先生は、何が起きるかわかってるの?」
「何……?」
アーカムはその問いの意図を探ろうとディアの目を覗き込む。そこには迷いはあれどどこか強さが宿っていた。
何が起きるか、それについてアーカムも正確に把握しているわけではない。王宮で起こった出来事はシュタープから全て聞いていたが、それでも疑問は多くあった。魔人というものが何をしようとしているのか、その狙いが何なのか、アーカムにはわからなかった。
ただ、何かが起きようとしているのは肌で感じていた。
「先生も知らないんだ……。わたしも、何が起きるのかなんてわからない。でもクロエが言ったんだ」
「クロエが?」
「うん、クロエは言った。きっと世界が変わるような何かが起きるって。……ね?」
そうクロエに確認を取ると、そのとおりだと言うように頷く。はっきりと。
別にクロエは何かを知っているわけではない。ただ、そう感じているのだ。根拠はなくただ、そうであると。
「わたしもクロエのその言葉を信じた。だからわたしも見届けたいと思った。見届けなきゃいけないと思った。だから……」
「ふむ……」
その想いを受けて、アーカムも納得したように頷く。
アーカムが二人の同行を断ったのは二人の意思がわからなかったからだ。特に理由もなく、ただ戦いに行こうとしているのだと考えていたからだ。
クロエの言ったこと、アーカムもそれは正しいと感じている。嫌な予感のようなもの、この戦いが熾烈なものになるかもしれないという予感がある。
だから、覚悟のない二人を連れて行きたくはなかった。
だけど、ここまでの考えがあり、決意があるのであればそこまで拒絶するものでもないかとも思う。
「クロエ」
「……はい」
「お前の口から聞かせてくれ。何を考え、どう思っているのか」
「……」
クロエは慎重に言葉を選ぶように考え込む。
クロエ自身、はっきりと言葉にできるほどの根拠があるわけでもない。ただ、これまでディアと二人で様々な仕事をこなしてきた。そしていろいろな場所を見て回った。そうしていくうちに多くの者が同じことを言っていることに気が付いた。
最近は魔獣が増えた、と。
もちろん、年若い二人にとってその実感はない。彼女たちにとっては今こそが現実なのだから。
だけど、その情報を軽視しようとは思わない。多くの者たちがそう言うということはそれなりに世界に変化が訪れているということだ。
その意味はクロエにもわからない。だが、あくまでも勘ではあるが、これは何かの予兆なのではないかと感じたのだ。そして、魔人という者たちがそれに関係していると。
だから見届けたいと思った。何が起こるのか。
これまでクロエは自分の未来についてあまり考えたことはなかった。ただ、ディアについて行けばいいとだけ考えていた。
ディアには自分と違い行動力がある。物事を深く考え込む質の自分とは違い、まず動くべきだと自分を引っ張ってくれた。そのディアの意思に従い、自分はディアと共に傭兵の仕事に就くことになった。
それに不服はない。傭兵が嫌だと思ったことはなかったし、何よりディアの力になれることが嬉しかった。
もちろん、それで失敗することもある。傭兵の仕事も全てがうまくいったわけではない。だが幸いにも、これまで致命的な失敗をすることはなかった。おそらくはこれからもそうだ。きっとうまくいかないこともある。それでも、自分がディアを補佐すればいい、二人で力を合わせればきっとなんとかなる。
クロエにしては甘い見通しであると自覚はあるが、それでもそうなると思っていた。
「世界のかたち、が変わると思っています。……どうなるかはわかりませんが」
「……ほう」
アーカムは感心したように息をつく。
これまでのクロエのことをアーカムは知っている。クロエの勘というものは馬鹿にならない。それが精霊の祝福によるものなのかはわからないが、クロエは極めて鋭敏な感覚を持つ。未熟ゆえか、いまだそれを論理的に頭で整理できないようではあるが、本能的に真実を見極める目を持っている。
そして、今回の件についても間違っていないだろう。
世界のかたち、という表現が何を指し示すのかはアーカムにもわからないが、大きく何かが動いているというのはアーカムも同じ意見だ。
「だから、行くというのか?」
「私は、これまで先のことをあまり考えていませんでした。ディアといられればそれでいいから。だけど、ずっとこのまま何もしなければ取り残されてしまう気がするんです。今、動かないといけない」
なるほど、とアーカムは頷く。
その考え方には納得がいく。クロエらしいと。
つまり、クロエはそれが怖いのだ。何かが変わってしまうのが。そして、それによってディアと離れ離れになってしまうことが。
だから、そこに赴き自身の目で何が起こるのかを見極めておきたいのだ。その先に起こる何かに対応するために。
「わかった。そこまでの考えがあるのならば私と共に来るがよい。……いや、好きにするがよい。私と共にいればお前たちの行動にも制限がかけられてしまうこともあるだろう」
「うん、わかった」
アーカムはハルザウスへ行くことになっているが、それは赤騎士であるシュタープの頼みによるもので、一傭兵として行くわけではない。だから、必然的に騎士、あるいは国の上層部の指示で動くことになるはずだ。そのときにアーカムと共にいれば、ディアとクロエも勝手な行動は取れなくなってしまう。
それは二人も、そしてアーカムも望むところではない。
「お前たちは自由に動ける方がよいだろう?」
「うん。あんまりお偉方とは一緒にいたくない」
「ふっ、正直でいい。それで、ディア、お前は何を求める。クロエは真実を見極めたいとのことだが、お前は何のために戦う」
「それは……」
先にも言ったように、クロエの言ったことを見届けたいというのも一つだ。これから世界が変わるというのなら、自分の生きる未来のためにそれをこの目で見る必要があるという思いはある。
だけど、それだけでもない。それだけであるならば、ただ行くだけでいいからだ。わざわざ戦う必要はない。
だから、思わずディアは苦い表情を浮かべる。子供じみた理由に。
「……わたしは、オーディスに負けたくない」
おそらくそれはずっと思っていた正直な言葉。
もちろん、オーディスは強い。戦えば負けてしまうのは間違いないだろう。だが、ここでいう負けたくないというのはそういう意味ではない。オーディスに先を行かれたくないということだ。
前に行きたいと思っているわけでもない。隣に立ちたいと思っているわけでもない。ただ、置いていかれるのが悔しいだけだ。
そんな子供じみた思い。
「ふっ」
絞り出すようなディアの言葉にアーカムも笑みをこぼす。
「それでいい」
「……えっ?」
「人間だからな。そのくらいつまらない理由がある方がいい。むしろ安心した」
アーカムのそんな意外な言葉にディアは目を丸くする。笑われるかもしれないとは思っていたが、こんな風に笑われるとは思っていなかった。
「誰にだってその程度の思いはある。……昔の私はもっとひどかったからな。その点、お前は自分の感情を正確に自覚している。自分さえ見失わなければそれでよい」
「そう、なのかな」
「ああ。あるいは、クロエのおかげか。……そうか。一人ではない。それだけでよかったのか」
アーカムは懐かしむように目を細める。
自分を知る誰かが傍にいてくれる。自分の居場所がある。それさえわかっていれば自分を見失わずにいられるのだろう。自分もそうだったらよかったのかもしれない。
自分にはそれがいなかった。あるいは、いたけれどそれに気付くことができなかっただけか。どちらにしても、だから自分は過ちを犯してしまったのだろう。
だから、きっとこの二人は間違えない。
この先の未来が、世界がどうなっていくのかはアーカムにもわからない。ただ、この二人の未来はきっとそう悪いものではないだろうと確信し、アーカムは笑みを浮かべる。
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