88.取引
翌日、メロは一人アガトのもとを訪れていた。
それについてアガトは驚きを隠せなかった。
昨日今日のことであるため、詳しい話が聞きたいと言ってくる者がいるかもしれないとは思っていた。自分でも説明が足りない部分があることは自覚していたからだ。
だが、付き合いも長く、アガトがこの世界に来てからのことをおおよそ知っているメロにとって、今さら尋ねることがあるとも思えなかったからだ。
だから、何か質問があるわけではなく、言いたいことがあるのだろうことはわかった。
「ふむ、遊びに来た、という雰囲気ではなさそうだね。どういった用件かな?」
メロの真剣な表情に単刀直入に尋ねる。
「アガトは昨日、自分の話をしたよね」
「ああ、そうだが?」
「でも、私たちにどうしろとは言わなかった」
アガトはその場にいた者たちに自分の知っていることを説明し、アガトが何をするかということを伝えた。そして、そのときが来たら自分がどうするか、これからどうやって生きていくかを考えるように言った。
アガトは考えろと言っただけだ。それはつまり、自分は自分でやるべきことをやるからお前たちは好きにしろ、というようにもとれる。それ以外の何も指示を出していないのだから。
「それは当然だ。これから私のすることはあくまでも私の都合にすぎない。私が勝手にやることであってそれに付き合わせるつもりはないからね。君たちは自分がこれからどうしたいかを考えてくれればいい」
「うん、そういうことだよね。だけど、何も考えてないってことはないよね?」
「……どういう意味かな?」
いまいちメロが何を言いたいのかがわからず、アガトは怪訝そうな目を向ける。
その反応も織り込み済みだったのか、メロは一度頷く。
「どうしてほしい、とは言わなかったけど、私たちがどう動くだろうかということについては当然予想しているよね?」
「それはもちろんそうだ。だがそれはあくまで予想であって、私からそうしろと言うことはないよ」
「うん。それもわかってる。でも、予想どおりに動いてくれた方がいいよね?」
「……すまないな。君が何を言おうとしているのかがわからない」
それはそうだろう、とメロは苦笑を浮かべる。自分で言っておきながら回りくどい言い方で、これでは何も伝わらないというのはわかっている。
「……アガトは復讐をするって言ったよね?」
「ああ」
「でも、結局何をするのかは言わなかった。……あの場ではいろいろ話したせいでみんなその部分までは意識が向かなかったんだろうけど。あれって、わざと?」
アガトはわずかに表情を歪める。
わざと、と言ってしまえばそのとおりだ。あるいは、そのことについて詳しく言いたくなかったのかもしれない。
そして、他の者たちもそれを聞かなかった。それはメロの言うとおり衝撃的な話ばかりでその部分に気が回らなかったという理由もあるだろう。だけど、それだけでなく、復讐という言葉を聞いてその詳細に触れることが怖かったということもあるかもしれない。
それについて詳しく聞いたとしても気持ちのいい話になるとは思えないからだ。
アガトは一つため息をつく。自分の気持ちを落ち着かせるために。アガトはみなに考えるように、覚悟を決めるようにと言った。だが、その覚悟が決まっていないのは自分も同じだと改めてわかったからだ。
だけど、もうこれからはそのような弱さを見せている余裕はない。断固たる意志を持って実行しなければならないのだから。
そんなアガトの様子を見て、メロはそれを肯定だと受け取った。
「みんなはたぶんわからないと思うけど、私にはアガトが何をするのかなんとなくわかる。……戦うんでしょ? 人間と」
「気付いていたのか」
「うん」
復讐として何をするか、ということは話さなかった。そして、それだけでなく、何に復讐するのか、ということもだ。
メロの言葉のとおり、アガトは人間と戦うことを考えている。それは復讐として、ではあるが、人間に復讐をするわけではない。アガトは別に人間に何かをされたわけではないのだから。
それはメロも知っている。付き合いの長いメロですら、アガトが何をしようとしているのかわかっているわけではないが、その目的のために、戦いが必要だということはなんとなく察していた。それも小さな争いではなく、戦争と呼べるような大規模な闘争を行うつもりであることを。
どうやってそんなことを、と考えたときに、初めは仲間たちに共に戦ってもらうことを考えているのかとも思った。だけど、アガトの性格を考えると、仲間を無理やり戦わせるようなことはしないはずだ。だから何か特殊な方法を使うのだろう。とても自分では考えつかないような。そして、それは簡単な方法ではないはずだ。いかにアガトといえど余計なことに気を配っている余裕はないだろう。
だから、メロはここに来た。
「私は、何をすればいい?」
「……何?」
「私はね、ここにアガトの手伝いをするよって言いにきたんだ。私がどう動けばアガトの思いどおりになる?」
「……」
そのメロの言葉にアガトは戸惑いの表情を浮かべながらその目を覗き込む。その真意を掴みきれなかったからだ。
メロは自分が人間と戦おうということを理解していた。そのうえで手伝いを申し出たということは、人間と戦うということすら覚悟しているということだろう。あれほど戦いを嫌厭してきたメロの考えがわからない。
「理解できないな。人間と戦うことになっても構わないと?」
「……できればやりたくない、かな。だけど、そうだね。それが必要なら、そうするよ」
「理由を聞いても?」
「理由は二つ、かな。一つは、アガトの力になりたいってこと。これでも私はアガトよりも前からこの世界にいる。だから、アガトがこの世界にきたときから知ってる。……アガトの気持ちも少しはわかってるつもり」
「……なるほど、もう一つは?」
言っていることは理解できる。メロとはこの世界に来たときからの付き合いだ。それから今日までずっと一緒だった。クロノとアガトはみなのことを仲間とは思っていないとは言ったが、メロだけはそれとは別かもしれない。
それだけの時を過ごしてきたとアガトも思っている。
そして、だからこそこちらが本題だということも理解できる。
メロは少しだけ迷うような仕草を見せた後、一つ大きく息を吐く。
「お願いがあるの」
そう言われるとアガトも納得ができる。
つまり、自分がアガトの力になるから、その代わり自分の願いを聞いてほしい、そういう至って簡単な取引だ。
アガトは促すように頷いて見せる。
「アガトには、人間を、殺さないでほしいの」
「……」
何と答えるべきか一瞬だけ考えると、アガトは首を横に振りはっきりと答える。
「それは無理だ、私が行うのは戦争だ。それだけ大きな戦いをする以上死者は必ず出る」
「ううん、そうじゃないの。……その戦いっていうのがどういうものなのか、たぶん私にはわかってない。でも、それってアガトが直接殺さなきゃいけないものなの?」
「……いや、そういう意味でいうなら必ずというわけではないが。だが、私も戦う以上そういうこともあるだろう」
「うん、そうかもしれない。戦いである以上、自分の命を一番大切にしないといけないから。……だけど、できる限り人間を殺さないでほしいの」
誰も殺してほしくない。
それは単純に、誰にも死んでほしくないということだ。もちろん、アガトの言っていることはわかる。戦争をすると言った。だからきっと多くの人間が死んでしまうのだろう。それでも、一人でも死者は少ない方がいい。
そして、それだけではない。死んでほしくない、というだけでなく、アガトに殺してほしくないのだ。アガトが何を求めて何を成すのか、それはメロにはわからない。そして、アガト自身が直接誰かを殺さなかったとしても、アガトのしたことで多くの人間が死ぬのだとしたら結局同じとも言えるだろう。それでも、アガトに直接手を下してほしくないのだ。
これは、単なるメロのわがままだ。
「だから、そうならないように、アガトがそうしなくてもいいように、私が手伝うよ」
そのためにメロは自分ができることをすると決めた。
じっと、アガトの目を見つめると、しばらく考え込んだ後に静かな声で確認を取る。
「わかっているのかい? それは君が戦うということだよ」
「わかってる、つもり。戦うのは嫌だけど、アガトがそうしてくれるなら」
口で言うのは簡単だ。それはメロにもわかっている。実際にその場に立ってみれば逃げ出したくなるかもしれない。戦いたくなんかないのだから。
だけど、それでもアガトを放っておくことはできない。
アガトはメロから視線を外すと大きくため息をつく。確かにそう言ってくれるのは助かる。アガトの予定から考えても好都合と言える。
そして、メロの想いは十分に伝わった。
「わかった。ではその時が来たら、君は人間の味方として戦ってくれ。彼らを守ってくれ」
「……え?」
それはメロの想定していなかった言葉だった。人間と戦うことを覚悟していたメロにとって、これがいいことなのか悪いことなのかすぐには判断がつかない。
その疑問が顔に出ていたのを見ると、アガトは肩を竦める。
「疑問はあるだろう。だが、まぁそういうことで納得してくれるとありがたい」
「……うん、わかった。私は人間と一緒に戦う。……でも確認だけど、いいの?」
「何がだい?」
「それって、私たちが堂々と人間の前に出るってことでしょ?」
「ああ、そういう意味か。その頃にはすでに私が表舞台に出ているだろうし、そのことは気にしなくてもいいと思う。いや、むしろ君に出てほしいのだ」
「あ、なるほど。……そうだね」
以前からアガトもクロノもそのようなことをほのめかしていた。いつかは人間たちと関わるときが来るだろうと。
「つまり、私に示せってこと?」
「そういうことになる。魔人が人間の敵ではないと、君に知らしめてほしいのだよ。まぁその原因を作るのが私ではあるのだけれども。……君たちは、これからもこの世界で生きていくのだから」
「アガト……それって……」
薄々はメロも感じていた。アガトは命を懸けるつもりなのだと。
「死ぬ、の?」
「死にたいと思っているわけではないが、おそらくはそうなるだろう。それに、責任も取らなければならないだろうしね」
「……そう」
嫌だと言いたい。
それでも、メロは知っている。アガトがそのためにこれまで長い時間をかけて準備をしてきたことを。今さらメロが何を言おうと止まることはないだろう。
メロにできることは、せめてアガトが満足できる結末を迎えることができるように彼の力になることだけだ。
「できれば、死なないでほしい……」
「ああ、善処しよう」
アガトはそう答えるが、無理だろうとは思っていた。
その言葉が嘘であるわけではない。言ったように、善処はするが、それが極めて難しいことはわかっている。もちろん、実際にやってみないことにはどうなるかはわからないが、自分の身のことよりも、まずは成功させることを優先しなければならない。
自分が生きるか死ぬかはそれからの話だ。
「……さて、こうなってしまえば君がこうしてここにきたというのはちょうどいい。これからゼフィのところへ行くが、君も来るかい?」
「ゼフィの? 何か用事があるの? ……私の話と関係あること?」
「元々は関係なかったがね。君の頼みを聞くとなると少し関係が出てくる」
メロはアガトに人間を殺さないでほしいと言うためにここに来た。それは、人間に死んでほしくないという意味合いも当然にあるが、それよりもアガトが誰かを殺すことを良しとしなかったということが大きい。
そして、人間に死んでほしくないと思っているのはゼフィも同じだ。
「そっか。ゼフィはこの世界でずっと人間として生きてきたんだもんね」
「ああ、ゼフィも我らに仲間意識は持っているだろうが、どちらにつくかとなればやはり人間の側につくだろう」
「そう、だろうね」
メロも短い間ではあるが、ゼフィやイリスと仲良くやれているという自負はある。それなりの友好関係を築けていると。それでも、ゼフィはこの世界で数年の時を過ごすうちに、人間の家族ができ、友ができ、仲間ができている。
だから、人間の味方をするのは当然だろう。
「……まぁ、それだけ、というわけでもないのだろうがね……」
「え? どういう意味?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ。それで、これから頼み事をするついでにその話をしにいこうと思うのだが、君はどうする?」
アガトは人間と戦うつもりではあったが、別に人間を殺したいわけではない。むしろ、なるべく死者を抑えたいと思っていたくらいだ。それでも、必要があればその手を汚すことは厭わないつもりではいた。
だが、こうしてメロが来たことで少し状況が変わってくる。メロも絶対に殺すなとは言わないだろうが、それでもより慎重な対応が迫られることになる。だから、それを逆に利用しようと考えたのだ。
どうせそのように行動するのであれば、人間を殺さないでやる、と言ってゼフィに恩を売っておいた方が得だからだ。
「うん、私も行く」
「そうか。それでは、これからゼフィを脅しに行くとしようか」
アガトはそう悪戯っぽく笑った。
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