79.門
ゼフィとイリスが、ゼフィの妹だというハルカという女性と共にフェイヴァーの家に帰っていくのを見届けると、ミューたちは自分たちの住処へと戻っていった。普段は留守にしがちなカイとメロも一緒に。
話を聞くと留守にしがちだという理由もわかった。ハルカを一人で放置しておくことができず、空いた時間があれば彼女のために傍にいようとしていたのだ。
ただ、そうして戻ってからも、そういう生活が馴染んでしまったのか、じっとしているのも落ち着かないようで、ふらりと外を出歩くことも多かった。
そして、ミューの生活も以前と同じものに戻った。イリスがここを訪れる前と同じものに。
「やっぱり寂しい?」
そう尋ねたのはレアだ。
ハルカと出会ってから少し考え込むことも多くなったミューが、イリスが帰っていったことを寂しく思い、物思いに耽っているのだろうと勘違いしたのだ。
もちろん、寂しくないと言えば嘘になる。イリスとここで過ごした日は楽しかったし、イリスがいないことが寂しいのは間違いない。だけど、これは必要なことだと思っている。
これまで自分と一緒に過ごしてきたイリスであるが、そろそろゼフィと過ごす時間も取るべきだとミューは考えている。
イリス自身はよくわかっていないようだが、イリスのゼフィへの想いはミューだけでなくレアも含めてここにいる者であればなんとなく察しており、だからこそミューにとっても二人が一緒にいることは喜ぶべきことだからだ。
「うん、ちょっとだけ。これはイリスさんのためだから。……それに、きっと、イリスさんとはまたすぐに会えるし」
「そうだね」
レアが何の含みもなくそう微笑むと、ミューもまた笑顔を返す。
ミューが初めてここに来た頃、それには気付かなかった。だが、イリスがここに来るという話になったとき、レアはひどく怯えていた。もちろん、それを表には出さないように振る舞っていたが、それでもあからさまと言ってしまえるほどに。
詳しくは聞いてはいないが、どうやらレアはこの世界に来たときに人間を恐れるような出来事があったらしい。
だけど、今はこうしてイリスのことを暖かく迎えてくれている。それがイリスに対して思うところがないからなのか、あるいは自分のためを想ってそう言ってくれているのかはわからないが、どちらにせよそれはミューにとって嬉しいと思えることだった。
「それにしても急に用事ができたってことらしいけど。大丈夫なのかな? ミューは知ってるの?」
「え? あー、うん。一応知ってはいる、けど」
ゼフィがここに帰ってきて、それからイリスと共に家に帰っていったことはここにいる者たちには急用ができたということになっている。ハルカのことを説明できないからだ。
正直なところ、それについてミューはよくわかっていない。なぜみんなにハルカのことや、ゼフィのことを伝えてはいけないのか。しばらく考えてはみたものの、結局その答えには辿り着けなかった。
ちらりとマイアの方に視線を向けると目が合う。こういう話になればマイアもそれについて気になるのは当然のことだ。
アガトはミューにはついてきてもいいと言ったが、マイアの同行は拒否した。その意味くらいはミューにもわかる。おそらくそれはマイアにとってあまりよくないことなのだ。状況がわかっていないミューにとってマイアが何を知ってはいけないのか、それもわからなかったため、あの場所で知ったことはマイアには何一つ伝えていない。
きっとアガトもマイアのためを想ってそうしているはずなので、それを自分が余計なことをするわけにはいかなかったからだ。
マイアの方もそれはわかっているのか、一度軽く尋ねただけで、それ以降は聞き出そうとしてくることもなかった。
「ふーん」
レアもなんとなく深入りしてはいけないのだと察してそれ以上は追求してこなかった。とりあえずミューの様子から何か深刻な問題が起こっているわけではないことはわかったからだ。
その後、食事の準備をするということで解散になると、ミューとマイアは二人きりになった。
「……あまり、聞くべきではないと思うのだけど」
「うん……」
「これだけは聞かせてほしい。ミューちゃんはどうしてアガトが私には教えてくれないのか知っているの?」
「……いちおう、いろいろと考えてみたんだけど。実は、あんまりわかってない」
正直に言うならば、思い当たることが全くないでもない。いくつか可能性としては考えたものもある。だけど、答えはわからない。魔力を持たない普通の人間であるハルカという存在そのものが重要な意味を持つのだろうが、アガトがそこから何を隠そうとしているのかはわからないのだ。
だから、ミューはハルカのことについてマイアには一切何も教えていない。
「アガトさんは、私には鈍いところがある、なんて言ってたけど。だからわからないのかも」
「ふふっ、それは……そうかもね」
「もー」
くすりと笑うマイアにミューは口を尖らせて抗議する。
わかったと頷いたマイアはそれ以降、ミューにそのことについて尋ねようとはしなかった。
だが、事態は急転する。
ある日のこと。一同が揃っているところに、血相を変えたアガトが飛び込んできたのだ。
それほど動転したアガトはミューはおろか他の仲間たちでさえ見たことはなかった。そんなアガトを知っているのは彼よりも早くこの世界を訪れたクロノとメロの二人だけだった。
そして、何が起こったのか理解したのも。
「落ち着け。……何があった」
クロノが尋ねると、アガトは一つ息をつき、一言答える。
「―――門が開く」
クロノはその言葉を聞いてやはりそうかと大きくため息をつく。アガトがこれほど動揺するなどそれしか考えられなかったからだ。
ちらりと視線を動かすと、その先には蒼白な顔で震えるメロの姿が目に入る。
それを見てクロノはもう一度ため息をつきそうになるが、そこはなんとかこらえる。
「……一応聞くが、今まで気が付かなかったのか?」
「すまない。私としても気を付けていたつもりなのだが」
「別に謝ることじゃねえよ。お前で駄目なんだったらしょうがない。……そもそも俺はそういうことはよくわからんからな。……さて、どうするか……」
クロノは渋い顔で呟く。
いろいろと問題は山積みだが、まずは状況が全く理解できていないここにいる者たちにどう説明するかだ。
状況が理解できていない理由は簡単だ。これまでそのことについて話していない、隠してきたのだから。だが、こうなってしまえば隠すのも難しい。ここまでアガトが動揺した姿を見せてしまえばなかったことにもできない。ただ、それはアガトを責めるようなことでもない。
なぜなら詳細を知っている者、クロノ、アガト、そしてメロの三人だけではおそらく対処は不可能だからだ。そのため、協力を求めるためにどちらにせよ説明する必要がある。ただ、どこまで説明するかが問題になる。
何が起こっているのか、説明を保留し、ただ協力を求めるだけ、というのはできないことではない。だが、極めて危険なこの状況でその説明を省いて命を懸けさせるのは決して許されないとクロノは考える。
「門ってなに?」
そのミューの素直な問いにクロノは顔を歪める。その質問は至極当たり前のもので、それでいて核心でもある。
アガトからミューの話は聞いている。ミューはゼフィとイリスとともにあちらの家に行きハルカと会っている。それはアガトがミューにならばそれを教えてもいいと認めたということだ。だから、ミューのその問いに答えること自体は問題ない。ミューにならば。
クロノは目だけをぐるりと回し、周囲の者たちの顔を見渡す。そして、諦めたようにため息をつく。こうなってしまえばそれも仕方ない。いずれはみなにも知らせなければならないことだ。
アガトと目を合わせると、二人は小さく頷き合う。
「門ってのは、その言葉のまんまだ。この世界とあちらの世界を繋ぐ門」
「あちらの……私たちの、いた、あっちの世界、ってこと?」
クロノが頷くと、一同はにわかにざわめく。
これまで前の世界についてクロノたちが語ることはほとんどなかった。帰還の方法を探しているとは聞いていたが、そのような現象が起きるなどとクロノたちが言ったことはなかった。
そして、その門が開くということは当然の疑問が浮かぶ。
「それは、つまり……その門を通って向こうに帰ったりは……?」
「わからん。そうならばいいのだが、本当にそんなことが可能なのかわからない。ただ、俺の感覚で言うならば、おそらく無理だろう」
「無理、なの?」
「ああ、門とはあちらからこちらへの道を開く門だと考えている。……あくまで俺は、だがな」
クロノがアガトの方に視線を投げると、アガトもまた同意見だと頷く。
何名かの顔には希望が浮かんでいたが、その言葉を聞いてあからさまにではないが、僅かに沈んだような表情へと変わる。
「それって、私たちみたいな誰かが来る、ってこと……?」
恐る恐るミューは尋ねる。それがなんとなく違うことはわかっているからだ。仮に、その門と呼ばれるものを自分も通ってきたのならば、そのような記憶があってもおかしくない。はっきりとは覚えていないにしても、思い当たることくらいはあるはずだ。
だが、ミューがこの世界を訪れたとき、そのような大仰な現象はなかった。気が付いたら自分はこの世界にいたのだ。その周囲には何かが起こった様子すらなかった。イリスが自分のところに来るまで、静かな森の中で混乱しながらひっそりと息を潜めていた。
だから、クロノは首を横に振る。
「残念ながら違う。俺たちのような魔人と呼ばれる者が来るのではない。その門が開くとハルカのような人間、普通の人間がこの世界に来るんだ」
「ハルカ、さん……」
その名前に一部の者は再びざわつく。
確か、イリスが言うにはそれはゼフィの妹の名前だったはずだと。
それに一番に反応したのはマイアだった。マイアには頑なに隠していたその少女、その名前がここで出てくるとは想像もしていなかったから。
「……聞きたいことはいろいろあるわ。だけど、まず聞かないといけないことは……その門というのが開くとどうなるのかしら?」
「簡単に言うと多くの人間が死ぬ。いや、この場合は日本人、と言うべきか」
「死ぬ? ……というのはどういうこと? どうして?」
「その門を開いているのが、幻獣だからだ」
その言葉にマイアは息を飲む。ある意味では納得できる。メロがこれほどまでに顔色を悪くし、恐怖に震えているのはこれが原因なのだろう。
マイアの目から見てもメロは決して臆病ではない。だからいつも気になってはいた。なぜメロがここまで幻獣を恐れるのかと。何度か幻獣と遭遇したマイアにとって、確かに幻獣は危険な存在ではあったが、そこまでの恐怖を覚えるものではなかったからだ。
つまり、この門が開くという一連の事象の経験、それはメロがこうなってしまうほどに恐ろしいものだということなのだ。
アガトがあれほどまでに慌てていたのもおそらくは同じ理由なのだろう。実際にそれを目にしていないマイアにとってはいまだしっくりこないが、そこまでの事態であることはなんとなく理解した。
「それはつまり、幻獣を退治すれば済む、ということなのかしら? いつものように」
「……それで済めばいいんだがな。アガト、間に合いそうか? さすがにもう門が開いてるわけじゃないんだろ?」
「さすがに今日中に接触するようなことはないはずだが、猶予があるかと言われればわからないな」
「そんなところ、か。……どうしたものか。間に合わない、とお前は考えるか?」
そうクロノが尋ねると、アガトは不快そうに顔を歪める。
「……認めたくはないが、その可能性は高い。だが、だからといって……」
「わかっている。見捨てることはできない、だろ?」
アガトは頷く。
クロノは周囲をぐるりと見回すと、どういうことかという視線に答える。
何が起こっているのかを。
「簡単に言うと二体の幻獣が確認できた、ということだ。それもかなり近い範囲に」
「……それって、何かまずいの?」
「ああ。幻獣は人間を襲わない、というのは知っているな? やつらは人間を襲わない代わりに共喰いをするんだ」
「共喰い? 潰し合ってくれるならそれでいいんじゃないの?」
「それが、そうもいかない。幻獣同士が喰らい合うと、その力は桁違いに増加する。足し算などでは測れないくらいにな」
以前にゼフィたちにも話したように、幻獣は人間を襲わない。その理由については正確にはわからないが、それが今まで観察してきた結論だ。人間の方から幻獣に近づいていき、縄張りと思われる場所まで侵入すれば攻撃されるようだが、それ以外に幻獣が人間に近づいていった例を知らない。
むしろ避けているのではないかとすら思える。
もちろん、それはクロノたちの知る限りではという話であり、確実な根拠があるわけではないが。
その代わり、というべきか、幻獣は幻獣同士で争い合うという性質を持つ。その理由が力を持つためであり、その力で門を開けるためだと考えている。
「待って。幻獣は人間を襲わないんでしょう? だったら……いえ、近くにいればどちらにせよ襲われてしまうわけね」
「……まぁ、それは、そうだな」
そう言いかけてマイアはすぐに思い直す。この世界に現れたばかりであれば姿かたちは人間のままだ。特別な力も持たず、ただの人間となんら変わりない。だとすれば幻獣に襲われないのではと考えたのだ。だが、門というものが開いて幻獣のすぐ側に現れてしまえば、結局は人間であっても襲われてしまうのだ。
クロノは含みがあるように言葉を濁すが、言っていることが間違っているというわけではないのでその言葉に頷く。
「結局のところ、その強力な幻獣を倒さなきゃいけないってことかしら?」
マイアがそう結論を尋ねると、クロノは頷き、補足する。
「それだけじゃない。門が開いているならばそれを塞ぐ必要がある。……間に合えば、の話だがな。すでに開き終えていればできることはないだろうが」
「門を? そんなことできるの?」
「俺には無理だが。……できるか?」
「確信はないよ。そのために準備をしてきたつもりではあるが、確実にできるとは言い切れない」
クロノはアガトに尋ねるが、アガトからはあまりよい答えは返ってこなかった。
いつかこんな日がくるだろうと、アガトがそれに備えてきたことは間違いないが、それでも実際にやってみないことにはわからないのだ。アガト自身、その門を何度も見たわけではないのだから。
それに、開きかけであればまだなんとかなるだろうが、完全に開いてしまっていては無理だろうとも考える。おそらく、今の自分にそこまでの干渉力はないはずだ。
「……どちらにせよ、その幻獣を討伐しなければいけないのでしょう? ならすぐに行きましょう」
「……」
マイアはそう言うが、クロノはそれには答えず顔をしかめる。
「クロノ?」
「……さっきも言ったが、共喰いをした幻獣は本当に強い。戦いになれば死ぬかもしれない。特に……」
クロノはコウたちに視線を向ける。
コウたちはいずれ戦う必要があるかもしれないと、経験を積むために幻獣の討伐や魔獣の駆除のために共に出かけたこともある。それでも、いまだ本格的な戦いを経験しているとは言えない。
だから、彼らを連れていくことは危険だと考える。
改めてクロノは周囲を見回す。これまでの経験から考えて、まともに戦闘ができそうなのは、クロノ、アガト、カイ、それにマイアの四人くらいだろう。
足りないな、とクロノは思う。足手まといを連れて行くようなことはすべきではないのだろうが、四人では心もとない。正直に言うならば、後方から援護してもらえるだけでも助かるのだが、やはり危険が大きすぎて、それを要求することはできない。
「私も行くよ」
その中で一番に声を上げたのはミューだった。
なんとなくそんなことを言い出しそうだと感じていたクロノは静かにため息をつくと、低い声で威圧するように告げる。
「……危ないって言ってるのがわからないのか?」
「危ないって言うならクロノさんたちだってそうなんでしょ? そのくらい危険な相手ってことなんだから」
それは本質を突く言葉ではあった。
戦いに慣れているクロノたちが危険な状況に陥ったとしても、いくらかの援護があれば持ちこたえられるかもしれない。逆に、そのような場合に誰かが死んでしまう可能性は高まるかもしれない。
結局のところ、かもしれない、の中で判断しなければならないのだ。
長い沈黙の後、クロノは答えた。
「本当に危険だからな」
「うん。気を付ける」
一方でコウたちは行かないことを選択した。もちろんそれは怖いという事実もあったが、この時点で恐れている自分たちでは助けどころか邪魔になる可能性の方が高いと考えたからだ。
もちろん、クロノとしてもそれを責めることはない。そもそもそれこそが正しい答えなのかもしれないのだから。
「―――だったら、私も行く」
「お前……」
次にそう言ったのはメロだった。
さすがにそれは予想していなかったクロノは瞠目する。ちらりと目を向けると、アガトもまた驚いている様が目に入る。
これまで共に過ごしてわかっている。メロが幻獣と戦うのは絶対に無理だ。そのくらいには恐怖が心に染み付いている。
メロは自嘲するように苦笑を浮かべる。
「うん。クロノもわかっているように私は戦えない。申し訳ないけどきっとその場にいても怖くて何もできない」
「だったらどういうことだ」
「だけど、私には足がある。速さだけで言えばこの中でも私かカイが一番だと思う。だから私は―――助けを呼んでくる」
その言葉にクロノは眉を顰める。
「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「……そのつもりだよ」
険しい顔で尋ねるクロノに、メロは真剣な顔で頷く。
クロノから見れば、そのメロの決断、助けを呼ぶというのは自ら戦うのと同じくらいあり得ないことだ。
それはここにいない誰かを危険な戦いに巻き込むということなのだから。
そして、メロが何をしようとしているのか、誰を呼んでこようとしているのか、それについても見当がつく。
「後悔しないか?」
「……わからないよ。後になってやらなきゃよかったって思うかもしれない。でも、今はそうすべきだと思ってるから」
「そうだな。……つまらないことを聞いた」
「ううん、ありがとう」
話は終わったと、クロノはアガトと目を合わせると頷き合う。
「―――行くぞ」
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