63.狂熱
その戦いはひどく簡単なものだった。
かつてのことを思えばこれは戦いなどではなく作業だと言ってしまえるほどに。
前衛にクロノとカイ。後衛にはコウとケイリ、そしてミューとイリス。さらにその間でうまく立ち回りながらそれらを指揮するアガト。
前衛である二人が敵の動きを制御し、後ろにいる四人が安全な場所から魔法で攻撃する。アガトの的確な言葉に従い戦うことで、何の被害を受けることもなく無事に幻獣を倒すことができた。
コウとケイリは初めての幻獣との戦いだったため、イリスから魔法を教わってはいたもののどうなるか不安な様子ではあったが、そんな心配をよそに戦いはあっさりと終わった。
その後、全員で帰るところまで含めて何も問題は起こらなかった。ただ、イリスたちが気が付いたときにはやはりカイはどこかへ行ってしまっていたようで、その姿を消していた。
その後、イリスとアガトは二人、屋敷の外で話をしていた。
その話を持ちかけたのはイリスだった。イリスはアガトに能力を見せてほしいと頼んだのだ。これまでにミューと過ごす中で、ミューの雷の能力は何度か見せてもらっていたが、少し思うところがあって他の者の能力も見せてもらいたいと考えたのだ。
その頼みにアガトは頷いたが、その代わりにイリスに精霊召喚―――アニマを見せて欲しいと言った。もちろんイリスは精霊召喚を使うことができないためそれを断ったが、体に負担がかからない程度でいいから魔力の流れだけでも見せて欲しいと言われて、その程度ならと了承した。
「―――何やってるの!」
血相を変えて飛び込んできたのはミューだった。遠目に見てイリスとアガトが何かをしているのはわかっていたが、突然、イリスが膝をついてかがみ込むと血を吐いたのだ。
それを見て一瞬何が起こったのかはわからなかったが、ただイリスの身になにか危険なことが起こったことだけはわかった。その直前に爆発的な魔力の高まりがあったことはミューにもはっきりとわかっていたのだから。
しかし、そんなミューの言葉を気にするでもなく、アガトはうずくまったイリスを観察するように冷たい目で見下ろしていた。
「アガトさんっ!」
「……ん? ああ、すまない。少し考え事をしていてね」
「イリスさん、だいじょうぶ? アガトさん、説明して!」
「わかっているさ」
取り乱すミューとは裏腹に、それに対して一切の動揺を見せることもなく事の次第について淡々と説明する。アガトが能力を見せることと引き換えにイリスに魔法を見せてもらったことを。
「……じゃあ、どうしてこんなことに」
アガトの説明では危険のない範囲で魔力の動きだけ見せてもらうとのことだったが、実際にイリスはこうなっている。それについて問い詰めようとするが、アガトは首を横に振る。
「それは誤解だよ」
「何が誤解なの?」
「……責任転嫁に聞こえるかもしれないが、私はここまでやれとは言っていない。言ったとおり私は魔力の流れだけを見せてもらうつもりだったのだが、何か思いついたことがあったようで彼女が自分でやったことだ」
「そんな……」
そのひどく冷たい言いように、ミューは言葉を続けることにわずかに尻込みしてしまう。そして、ちらりとイリスの方を見て、イリスが身じろぎすらしていないことに気づき、慌てて駆け寄る。
「イリスさん、だいじょうぶ?」
「……」
それにイリスは答えない。
ミューからするとそれが想像以上によくない状態なのではないかと異常さを感じさせられる。そして、イリスの俯いた顔を覗き込むとその口がわずかに動いていることに気付いた。
「……力それ自体は人間でも……だけどそれを使うことが、それはつまり能力のように……負担のかからない使用法があるならば……」
「イリス、さん……?」
血が滴る口元を拭うことすらせずに何かを呟いているイリスを見て思わず後退る。そして振り返りアガトへ視線を送る。これはどういうことなのか、何が起こっているのか、と。
アガトはもう一度首を横に振る。
「君には彼女の様子が異常に見えるのかもしれないが、おそらくは、これが彼女の正常だ」
「……どういう意味?」
そうミューが尋ねるとアガトは自らの手を口元に運び、何かを考えるように黙り込んでしまう。それはどう説明していいか言葉を選んでいるように見えた。
「君は彼女がゼフィのことをとても心配していたことを知っているね?」
「うん、それはもちろん」
ゼフィがここに居た頃にもイリスからゼフィの話を何度か聞いたことがある。自分はここに留まることに決めたが、それでもゼフィが一人でどんな行動をするのか心配だと。そして、ゼフィがここを発った後も、会話をしているとイリスの口からゼフィの名前が度々出てきた。
その理由もイリスから聞いていたのでそれについては納得していた。ただ、ミュー自身はゼフィのことにそれほど詳しいわけではないので、口にはしなかったが心配しすぎなのではないかと思うこともあった。
「そうでもないさ。彼女が心配するようにゼフィには少し危うい部分がある。だから彼女の懸念自体は妥当と言ってもいい」
「……そうなの?」
「ああ、だが実はそれだけの話でもない。ゼフィに危うい部分があるのと同様に、彼女もまた似たような危うさを抱えているのだ。二人が共にいることでお互いにその発露を抑えられていたのだろうね」
「それが、今のこういうこと?」
「そうだ。端的に言うのなら、おそらくは彼女は魔法に狂っている」
その物言いにミューは思わず顔をしかめる。
確かに、ミューの知る限りにおいてもイリスは魔法についてかなりの熱を持っている。その熱量にはミューも気圧されてしまうようなことは何度もあった。ただ、好きなものに対してそうなってしまうというのはよくあることで、そんなものだろうと軽く考えていた。
それに、ミューにとってはイリスと出会った頃の印象が強かったというのもあるかもしれない。その頃、イリスは魔法自体への強い想いこそあったものの、どこか諦めのようなものがあり、そこまで夢中になっている様子はなかったように見えたからだ。
ミューが感じたように、その頃のイリスは確かに魔法への執着が薄れていた。魔法が全てといってもよかった昔とは違い、村の一員としてひっそり生きることにおいて魔法の力というのはそれほど重要ではなかったし、むしろその魔法の力こそが村に馴染めない原因なのではないかとも考えていたところもあった。
しかし、イリスはミューと出会い旅に出た。そしてゼフィと共に旅を続けるうちに、イリスは何度も魔法を使うことになった。
皮肉にも、というべきか、ミューと出会ったことによって生きること、戦う力を求めるようになったのだ。
その旅の過程でイリスは様々なものと戦った。簡易な魔法で簡単に倒せる小型魔獣から、スピラを使っても倒せないような幻獣と呼ばれる特殊な魔獣まで。それに合わせてイリスは魔法というものについてもう一度考え直すこととなった。
だから、イリスが以前のように魔法への想いを取り戻すことも必然だったのかもしれない。
ただ、ゼフィとイリス、二人は互いが互いに心配し合っており、自分の都合に没頭する余裕がなかったのだ。
しかし、イリスはこうしてミューと再会し、ここで平穏な暮らしをすることになった。ここを離れたゼフィのことは心配ではあったが、何かやらなければならないことがあるわけでもなく、心に余裕のようなものが生まれていたのだ。そして、余裕が生まれればいろいろなことを考える。イリスにとってそれが魔法だった。
あるいは、そこにはゼフィがいなくなってしまった寂しさを紛らわせるという意味もあったのかもしれない。
「……だから、どこか心の箍が外れてしまっている部分もあるのだろう」
「……」
ミューはそんな風に語るアガトを怪訝そうにじっと見つめる。どうしてそんなことがわかるのかと。
アガトは口元を軽く緩めるとふっと笑う。
「そうだな。確かに知ったようなことを言った。今の話は多分に想像を含んでいる。彼女やゼフィに聞いた話をもとにした想像をね。ただそれほど外れてはいないと思うよ。彼女は私によく似ているからね」
「え? アガトさんと、似てる?」
その言葉にミューはアガトとイリスに交互に視線を送る。ミューから見ればこの二人に似ている部分があるとは思えなかったのだ。
ただ、アガトがイリスのことをわかった風に言うのはなんとなく悔しかった。ゼフィならともかく、今この場では友人である自分こそがイリスの理解者だと思っているのだから。
そんなミューの心を見透かしてか、アガトはふっと笑う。
「私じゃ、イリスさんのことわかってあげられない、のかな?」
「そんなことはないさ。君はとてもいい友人だと思うよ。だけど友人だからこそ見えない部分もある。ゼフィや私のようにある種の保護者目線のようなもので見えるものもある。……そうだろう?」
「……ミューに変なことを吹き込まないでください」
いつの間にか立ち上がっていたイリスに話しかけると、イリスは嫌そうな顔をして答える。血に濡れていた口元もすでに綺麗に拭われている。
「イリスさん、だいじょうぶなの?」
「うん、ごめんね心配させて。ちょっと思いついたことがあったからいろいろ考えていたの。でも本当に危険なことはしないから安心して。それはわかってるつもりだから」
「ほんとに?」
頷くイリスを見て、やっとミューは安心したように表情を緩める。
「でも、私はやっぱり魔法については特別な想いがあるから、こんな風に周りが見えなくなってしまうことがあると思う。かつての私にとっては魔法とお母様だけが世界の全てだったから」
「イリスさん、でも」
「うん。でも今はこうしてミューがいてくれる。他の仲間たちもいる。それから離れてはいるけれどゼフィもいる。だから危ないことはやらないよ。ミューを悲しませたりはしたくないから」
イリスはミューの手を取り、安心させるようにぎゅっと握りしめると優しく微笑む。
だが、そんな二人の姿をアガトは少しだけ険しい目で眺めていた。二人の仲がいいことは良いことだとは思うが、そのイリスの言葉がどこまで信用できるものかはわからない。先に述べたように、自分とイリスは似ていると考えているからだ。
つまり、そのときが来ればイリスは無茶をするであろうことが容易に想像できるのだ。
それはアガトにとっても望むところではない。そういう冷静な思考をしながらも、アガトには二人に悲しい思いはしてほしくないという当たり前の情がある。
ただ、これ以上それについて問い詰めても詮無いことでもある。
アガトは一つ大きく息をつくと、改めてイリスに尋ねる。
「それで、君の知りたいことはわかったかな?」
「え? ええ、まだ完全にというわけではありませんけど。少しは見えてきたものがあります。……あなたの方は?」
「ああ、私の方も君が見せてくれたおかげで精霊召喚がどういうものなのか朧気ながら見えてきたよ。今の私ではどうすることもできないということもね」
今のという言葉にイリスは目を細める。
奇しくもというべきか、先程のアガトが言ったように、イリスはアガトに対して自分と似た部分を感じている。そう考えると、その言葉のとおり、今はどうすることもできないが、諦めるつもりもないということだろう。
「あなたの方こそ無茶をしないでくださいね。あなたには影響力がありすぎる」
「ああ、自分でいうのもなんだがそれはよく理解しているよ。今のところは何かをするつもりはない」
「今のところは、ですか?」
そのイリスの言葉にアガトは今度ははっきりと笑う。
そんなアガトの様子を見て、イリスとミューは目を合わせる。
「いや、すまないな。そんな当たり前のことを聞かれるとは思わなくてね。……君だってそうだろう?」
「それは、そう、ですけど……」
その言葉は正しい。イリスも今は無理をするつもりはない。そんなことをすればここにいるみんなに迷惑をかけるだけだということはわかっているから。だけど、その時が来れば、その必要があればその無茶と言われる行為をするだろうこともわかっている。
あるいは、自分であれば必要がなくてもできるならやるかもしれない。できるという理由だけで。
思わずため息をつく。先程の二人の会話ははっきりとではないが聞こえていた。魔法に狂っているという評も馬鹿にできないかもしれない。
「だめだよ、イリスさん」
さすがにそんな考えが露骨に出ていたのか、ミューに釘を刺される。
「うん、約束する。何も起こらなければ無茶なことはしないから」
「起こってもしないで欲しいんだけどなぁ……」
「ごめんね。そのときはミューがなんとかして」
「まったく……。そういえばなんだけど、イリスさんはどうして能力について調べてたの? 魔法と関係あるの?」
思いついたようにミューが尋ねると、イリスは難しい顔で言葉に詰まる。
関係があるかと問われれば関係はあると思う。これまで様々な文献などを読んできたイリスにとっていわゆる魔法と、人間固有の能力である基礎魔法は全くの別物だとの考えがあった。どちらも同じ魔力こそ使っているものの、原理からして全く違うものだと。
その考えが変わったのは魔人たちの能力というものを見たからだ。身体強化が主な使い道である人間の能力と違って、彼らの使う力は魔法に勝るとも劣らないような強力なものだった。それに伴い、能力の行使には一般的な魔法と比較してもはるかに繊細な魔力の操作がなされていた。
イリスはその魔力の扱い方に興味を覚えたのだ。
だから直接に魔法と関係があるかと問われればなんとも言えない。あるいはどこか深い部分では繋がっているのかもしれないが、そこについてイリスはいまだ何もわからない。
「ふーん、能力、かぁ……」
そのミューの呟き、それに不思議な響きを感じ取ったアガトはその心の内を探るように視線を向ける。
「君は魔法よりもそちらの方に興味があるのかな?」
「そう、かな。うん、そうかも。魔法も興味あるけど、人間みんなが同じ力を使えるってちょっと不思議な感じがして。魔法は、なんていうか私にも馴染みがあるものだけど」
「馴染み? ……ミューたちの世界には魔法の力はないって聞いてたけど」
「ああ、確かに私たちの世界には魔法の力それ自体は存在しない。だけどその言葉や概念は至るところにある。例えば創作物などにはお決まりの力として出てくる」
「……なるほど」
アガトの説明を聞いて納得したようにイリスは頷く。言われてみれば初めてミューに会ったときもそうだった。
ミューの世界には魔法というものがないと言っていたが、それにしては魔法に対して順応性が高かったように思える。魔法という概念を受け入れるのが早かった。肉体的にも精神的にも。それは魔法というものは見たことがなくても概念についてはなんとなくわかっていたからなのだろう。
「そう考えてみると、私たちの世界の人間とこの世界の人間って似たように見えて実は全然違う生き物なのかなぁ、なんて思ったりもするんだ」
「ほう……」
何か思うところがあったのか、アガトはミューの言葉に反応する。そして、観察するような視線を送る。
そんな視線を受けてミューがたじろぐのを見て、さすがに不躾すぎたか言うように珍しく苦笑いのようなものを浮かべる。
「―――進化論、という言葉を知っているかな?」
「進化論? 猿が人間になったっていうやつ?」
その聞いたことのない言葉にイリスは首を傾げるが、詳しい内容こそ知らないものの、ミューにとっては特段新しい言葉ではなかった。
「私たちの世界では常識のように扱われているそれだが、実は間違いだとする説も根強くてね。まぁそれの正誤については別として、そういった概念があることは事実だ」
「それがどうかしたの?」
「この世界においてはそれがない。まるで人間といった生物がある日突然発生したかのようにね」
「……どういう意味でしょうか?」
「さて、ね。意味があるのかないのか。人間はどうやって生まれたのか。この世界と同じくして精霊によって生み出されたのか」
「……何が言いたいのかわからない」
不満そうにミューがそう苦言を呈すると、アガトは素直にすまないと謝る。さすがにアガトとしても本題とは離れすぎたと感じたからだ。
「君の言ったとおり、私としてはこの世界の人間は私たちの世界の人間とは姿かたちが似ているだけの全く別物だと思っているよ」
「そうなの?」
「私はそう思っているというだけだ。結局は人間だ。君がどう思うかは君が決めればいい。そして、その意味も」
「うーん、そうだね」
結局どういうことなのか、いまいち腑に落ちていないのか、言葉ではそう言ったがその顔には疑問が浮かんでいた。それは単にその事実がよくわからないということだけでなく、仮にそうだとしてだからどうということもわからなかったからだ。そもそも今の自分の姿からして人間ではない。
だからむしろ自分の知る人間とは違う存在だと割り切ってしまうのもいいのかもしれない。
「君も、あまりミューに心配はかけないようにするんだね。言っても無駄かもしれないが」
「そんなことないです。私もそのくらいのことはわかっています」
「……わかってなさそう」
「わかってるよ。ミューに心配かけたくないし、危ないことはあまりしないようにするから」
「やっぱりわかってない」
そう言うと二人はアガトに軽く頭を下げ、屋敷の中へと入っていく。
「狂っている、か。―――ああ、全くよく似ているよ」
その呟きは誰の耳にも入ることはなかった。
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