55.サナト
兵士たちが立ち去るのを見届けた後、静寂に包まれた空気の中で男はゆっくりとゼフィたちの方へ振り返る。
「さて、久しぶりだね、マイア。元気そうでなによりだ」
「ええ、あなたも変わりないみたいね。安心したわ」
「そうだな。もう三年、いや四年になるのかな」
男がマイアたちの下を離れてからそれだけの時間が経っていた。多少の考え方の違いはあったものの、喧嘩別れをしたわけでもなく、お互いにかつての仲間がどうしているだろうかと気になってはいたのだ。
ここを訪れたアガトから近況を聞いたこともあったが、それももう二年も前になる。
「突然だから本当に驚いたよ。さすがに顔に出そうになった」
「ふふっ、ごめんなさいね。……ありがとう」
マイアは感謝の言葉を述べる。
当たり前のことではあるが、男にとってそれを隠さなくてはならない義務はない。兵士たちの前でそれを顔に出したとしてもマイアたちが仲間だと思われてしまうだけで、マイアたちにとって不利益になるとしても男にとって困ることは何もないのだから。
「……ただ遊びに来た、というわけではないのだろう。が、詳しい話は城に戻ってからにしよう」
「城、って?」
「ん? 知らないのか? 俺たちは今城に住んでいるのだけど」
その言葉にマイアとゼフィは顔を見合わせて驚く。
クロノから聞いた話、そして街で集めた情報からこの山に住んでいることはわかっていたが、それが城だとは考えていなかった。
「なんだ、アガトから聞いていなかったのか?」
「ええ、話はクロノから聞いてきたから」
「なるほどな。……と、その前に少しいいか?」
そう言うと返事を聞くこともなくひとつの木に向かってゆっくりと手を掲げる。
すると、今まで何もなかった空間に黒い影のような歪みが現れる。やがて、その影が揺らめきながら消えると、その木の陰から一人の女性が姿を現す。
「―――なっ!」
思わずゼフィは驚きの声を上げる。今まで何の気配も感じなかったからだ。
兵士たちを見つけて以降、周囲に何者かが潜んでいる可能性、何かが起こる可能性を考えて、ゼフィは警戒を怠っていなかった。にも関わらず全く何も感じることはできなかった。
ただちらりと視線を横に向けるも、マイアにはそれほど驚いている様子はなかった。
「……気付いていたのかい?」
「気付いてはいないわ。なんとなく、そんな気がしただけ」
それは本当になんとなくだった。
確かに、マイアは男の能力について何も知らないわけではない。かといって何ができるのかを詳しく知っているわけでもない。だが、一人でこんなところにいるということになんとなく違和感を持っただけなのだ。
マイアはその女性に向けて柔らかく微笑む。
「あなたも、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「あ、えっと……。サナト様?」
そのマイアの挨拶に思い当たるところがなかったのか、困惑した表情で男に尋ねる。
男はそんな様子を見てからかうように笑う。
「なんだ。アルカは覚えていないのかい? 少しの間ではあったけどそれなりにお世話になっていたような記憶があるけど」
「そ、そうなのですか? ……あの、申し訳ありません!」
そう言うとアルカと呼ばれた女性はマイアに向けて深々と頭を下げる。
一方のマイアはそんなことは気にしていないと優しく微笑む。
「いいえ、覚えていなくても仕方ないことよ。私にとってあなたは印象深い子だったけれど、あなたからすれば私は大勢いたうちの一人でしかなかったのだから。それに、あの時はあなたはそれどころではなかったでしょうし」
「申し訳ありません。……ありがとうございます」
そのマイアの言葉で緊張が解けたのか、アルカは微笑みを浮かべると、もう一度マイアに頭を下げる。
そんな二人の様子を見てゼフィも安心したように一つ息をついて男に尋ねる。
「……一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだい? ……強制はしたくないけど俺に対してそこまで畏まる必要はないよ」
「わかりました。さっきサナトって呼ばれてましたけど、あなたがテツさんじゃないんですか?」
男は一瞬だけきょとんとした表情になると、ちらりとマイアの方を窺いなるほどと頷く。
「合ってるよ。ただ、テツじゃなくて本名の方がサナトってだけさ?」
「じゃあテツっていうのは?」
「俺の本名がクロガネサナトだからね。クロガネだからテツ。安易ではあるけどそうあだ名で呼ばれてたってだけのことさ」
「なるほど、俺はどう呼べば? あ、失礼。俺の名前はゼフィ・フェイヴァーです」
「よろしく、ゼフィ。俺のことは好きなように呼んでくれて構わないよ」
「そうですか。……では、サナトさん、と。よろしくお願いします」
挨拶を交わし、四人は山を登っていく。
下から眺めた限りにおいては険しい道程になるかと思われていたが、遠目に見るのとは違い思ったよりも道は整備されており、歩くのにそれほどの苦労は要さなかった。
たわいない世間話や雑談を交えながら数時間ほど進むと、やがて少し小さな城が目に入った。それはゼフィが想像していたよりもはるかに古いものに見えた。本当にここで暮らしていけるのかと疑念を抱くほどに。
「驚いたか? まぁ安心してくれていい。外観と違って中身はそれなりに整備されている。……一部は、だけどね」
サナトたちが暮らしている廃墟となった小さな古城は、元々はオージ帝国のものではない。
現在においてこの地はオージ帝国の領土となっているが、この城ができたのはそれ以前の話で、今は滅びた小国のものである。山の上に築かれた、国というには小さすぎるような小規模な国であり、その土地柄に利便性もなかったため、オージ帝国に吸収されるにあたってほとんどの国民が山を降りた。
やがては城も放棄され、それ以降誰にも使われることなくここで朽ち果てていたのだ。だが、その外観に比べれば中身はいくらかましであり、補修、整備をすればどうにもならないというほどではなかった。
サナトたちはここを隠れ家として一時的な滞在場所と考えていたのだが、誰も訪れないことや、思っていたよりも快適に過ごせることからここに住み着くことにしたのだ。
「へぇ……」
思わずゼフィは感嘆の声を上げる。
城門をくぐり、城内に入ると先程サナトが言ったとおりにその外観からは想像できないほどに綺麗な光景が目に入った。もちろん、ゼフィが訪れたこともあるハルザウスの王城に比べれば及ぶはずもないが、普通に暮らす分には十分だと思えた。
やがて、サナトに従うままに謁見の間にたどり着くと、サナトはそのまま玉座に腰を下ろす。
アルカは控えるようにその隣にそっと立つ。
「どうして玉座?」
マイアは首を傾げ素直な疑問を口に出す。
小さな城とはいっても謁見の間はそれなりに大きい。かつてはここに王がいて多くの臣下がいたのだろうからそれは当然とも言える。だが、今ここにいるのはたったの四人であり、しかもマイアとは見知った仲である。わざわざこのような広い空間ではなく小さな応接室のようなところで十分なはずなのだ。
「たいした意味はないよ。なんとなく雰囲気が出るかなと思っただけだ。……さて、用件を聞こうか」
「ええ、ゼフィ」
マイアが呼びかけると、ゼフィはクロノから受け取っていた手紙を取り出し、その場に片膝をつく。
サナトはそんなゼフィの仕草を見て、ほうと感嘆の息を漏らす。そして首を軽く動かしてアルカに指示を出す。
それを受けたアルカはゼフィの下へと近づきその手紙を受け取るとゆっくりとそれをサナトに手渡す。
「……マイア。君たちはこれ、この手紙の中を見たかい?」
手紙を読み終えたサナトは険しい表情を浮かべるとそう尋ねた。
「いいえ。中は見ていないわ」
マイアそう言って首を横に振ると、ゼフィに視線を送る。
ゼフィも同様に首を振る。
「内容についてはどう聞いていたんだい?」
「ゼフィのことを書いた紹介状みたいなものだって。後は、近況の報告あたりが書いてあるものだって聞いていたけど」
「なるほど……。あぁ、そうだね。確かにそれは書いてあるよ」
「他にも何か?」
「そうなんだが。……聞いていないならいいさ。俺に宛てた話であって君たちにはあまり関係のない話なのだろう」
「そう……」
その歯切れの悪い言葉に、マイアは不満そうな顔で一応の納得を見せる。サナトがそれ以上語ろうとしないならば無理に聞き出すこともできないからだ。
「まぁ、それはいいさ。さて、これには俺に頼みがあると書いてあるが? 探しものがあると。誰かを探しているのかな?」
「はい、何か手がかりがあればと」
そうゼフィが答えると、サナトは考え込むように難しそうな表情を浮かべる。
「悪いが俺は別にこの国についてそれほど詳しいわけでもないよ。もちろん、君たちに比べればよく知っていると言えるが、それでもこんな生活だからね。この国はとても広いし、特に西の方ともなると全く知らないと言ってもいい」
「ええ、それで構いません。こちらとしても行き詰まってるところなので。少しでも何かわかれば十分です」
「わかった。それで構わないなら力になるよ。俺に不都合のない範囲でね」
「ありがとうございます」
ゼフィは礼を述べて頭を下げる。そもそもサナトにはゼフィに協力する義理もなく、できる範囲で力になるというだけでも十分なことだからだ。
「それで、探しているのは誰なんだ?」
「探しているのは俺の妹です。名前は―――ハルカ」
「……ハルカ?」
意外なことにその名前にサナトは反応を示した。
「知っているのですか?」
「知っているかと言われれば知らないな。ただ、少し何か引っかかっただけだ。どこかで聞いたことがあるのかもしれない」
「そう、ですか」
少しの落胆はあったが、それよりも希望が勝った。この時点で前向きな反応が返ってくるとは思っていなかったからだ。
「一つ聞いておきたいのだが、君は―――」
「―――アルカー、ご飯まだー?」
「……ったくあいつは」
サナトがゼフィに尋ねようとしたが、それは部屋の外からの声によって遮られる。サナトは呆れたように嘆息すると愚痴をこぼす。
すぐに大きな音とともに扉が開かれる。
「アルカー。いるー? ……あっ、お客、さん? ……どうも」
威勢よく入ってきた少女はゼフィたちに気付くと文字どおり借りてきた猫のように大人しくなってしまう。
そんな少女を見てアルカはくすくすと笑う。
少女は不服そうにアルカをにらみつけるも、ゼフィたちの存在を思い出し、すぐにしゅんとなる。
サナトはため息をつくと諭すように告げる。
「コハク、だからいつも言っているだろう。もう少し慎みを持てと」
「わ、わかってるよ……」
コハクと呼ばれた少女は口を尖らせてそう顔を背ける。
「そ、そうだ。ラズがお腹すいたって言ってたよ」
「はぁ……ラズのせいにするな」
「ふふっ、そんなことありませんよ。私もお腹はすいていますから」
「君も、あまり甘やかしてはいけないと言っているだろう」
そう言ってコハクの後ろから笑顔を湛えて現れたのは件のラズという少女だった。
その少女の無事を確かめることもゼフィたちの来訪の目的の一つではあったが、その姿を見て心配はいらなかったなと密かに安堵の息を漏らす。
「そうだな、紹介しておこう。こちらがラズ。そしてそっちの猫がコハクだ」
「初めまして、ラズ・グラザルと申します」
「……猫って言うな」
ラズはその紹介に綺麗に一礼をするが、猫と呼ばれたコハクは機嫌を損ねたようにそっぽを向いてしまう。
「初めまして、私はゼフィ・フェイヴァーと申します」
「私はマイア。よろしくね」
「マイアは昔の、俺が以前ハルザウスにいた頃の仲間だ」
仲間という言葉にラズは不思議そうに首を傾げる。
サナトはそうだな、と呟くと、マイアに見せるように告げる。
その意味を理解したマイアはその背負った空の荷物を下ろす。その背中からは巨大な白の羽が姿を現す。
「―――あっ!」
その声はアルカのものだった。
確かにアルカはマイアのことを思い出すことはできなかった。あれからそれなりの時間が経ったことや、その当時に余裕がなかったこともあり、顔を見てもわからなかったのだ。
だが、その純白の羽は記憶には残っていた。
その美しい羽を見て、マイアのことを思い出したのだ。
「なるほど、確かにアルカにはそちらの方が印象に残っているか」
「はい、申し訳ありません」
「別に謝ることじゃないさ。マイアだってそんなこと気にしない。……だろ?」
「ええ。私は気にしていないわ。あなたが覚えていなくても当然のことだもの」
「ありがとうございます」
アルカは礼を述べて頭を下げる。
その言葉にも、そしてあの当時のことについても。
「ラズ。話はもう終わるからコハクをつれて先に食事の準備にとりかかっておいてくれ。今日はこっちの二人の分も追加だ」
「わかりました。それでは失礼します。……行きましょう、コハクさん」
「うん」
頷くとコハクはラズを引っ張るように部屋を後にする。
サナトはそんな二人を見て頭を抑えながらため息をつく。
「はぁ。懐いているのはいいことなんだが……」
「それで、俺に聞きたいことってなんでしょうか?」
「ん? ああ、そうだな……ゼフィはハルザウスにいる仲間たちのことは知っているだろう?」
「それは、まぁ」
「魔人と言ってもみんな種族はばらばらだ。たとえばコハクは猫だし、メロは兎。クロノは鬼か。他にも様々だ。それはもちろん知っているな」
「……ええ」
当然だ。
あの屋敷で多くの魔人たちと関わったが全員が異なった種族だった。そしてそれぞれが異なった能力を持っていた。
「そして知っているだろうが、俺たちが持っているのは能力だけではない」
「……だけじゃない?」
そうゼフィが聞き返すと、それは意外だったのかサナトは不思議そうにゼフィを見つめる。そして少し考え込むと、ゆっくりと話し始める。
「そうだな、コハクやメロ。そういった魔人たちはとにかく落ち着きがなくあまりじっとしていられない。いや、気まぐれとでもいうべきだろうか? それはおそらく獣の本能的な種族の特性なのだろう」
「そう、なのですか?」
「まぁ誰が保証してくれるわけでもない。設定を書いた説明書があるわけでもない。あくまで俺がそう思っているというだけだが、そういった種族特性が全員にある。それはもちろん俺にもね」
そう言われてゼフィはサナトの姿を改めて観察する。
青白い肌に人間離れした目、そしてその口元からわずかに覗く牙が人間でないことを物語っていた。
「気付いているかもしれないが、俺の種族は吸血鬼と呼ばれるものだ。その意味はわかるかい?」
そう尋ねられるが、ゼフィは首を横に振る。
種族がそうだと言われればそれはわかるが、何を意味するかと言われても見当もつかなかった。
「吸血鬼とは人間の血を吸うものだ。……端的に言うと俺には人間が食料にも見える。まぁこれが種族の特性というもの」
さすがにその言葉にはゼフィもぎょっと目を見開く。
慌ててアルカの方に視線を移すもそれについて特に気にした様子はなかった。当たり前といえば当たり前であるが、そんなことは彼女も知っているのだろう。
「だいじょうぶ、なんですか?」
「ああ、あくまでそういう特性でそういう感覚があるというだけで、それに引っ張られすぎたりはしない。よくある物語のように人間の血を吸わなければ正気を保てないなんてこともない」
「そう、ですか。それは良かった。……と言っていいのでしょうか?」
「いいんじゃないかな。特段これで俺が困ったことはないからね」
サナトはそう言って笑いながら肩を竦める。
そういった話は初耳ではあったが、内容はゼフィにも理解できた。だが、それが自分にどうつながるのかはわからなかった。
そんな疑問が顔に出ていたのか、サナトはふっと笑う。
「何が言いたいかというと、俺にはそれが食料かどうかわかるのさ。それはつまり、眼前にいるものが人間かどうかわかるということだ」
「―――っ!」
そこまで言われてやっと気付く。確かにこれは自分の話だと。
だが、予想に反してサナトは首を横に振る。
「……だけど、君についてはよくわからない。人間のようにも感じるし、人間でない何かのようにも見える。だから初めは君も俺たちと同じ日本人かと思ったけど、今はよくわからない。君は何者なのかな?」
サナトには目の前にいるものが人間かどうかわかる。だけど、ゼフィについてはわからない。
人間なのか、人間ではないなにかなのか。
ただ一つ言えることは、そんな人間はいないということだ。
「……それは」
「答えたくないなら構わないよ。無理に聞き出したいとは思わないから」
「……」
ゼフィは沈黙する。
答えたくないと言ってしまうのは簡単だが、実際に答えたくないのかと言えばそこまでのことでもない。わざわざ自分の過去を話したいとは思わないが、聞かれて答えることはそれほど苦ではない。
ただ、どう答えていいかはよくわからない。
「確かに、俺は日本人です。あなたと、マイアたちと同じ日本人」
「……やっぱりそうか」
「だけど、正直に言うと俺は俺自身のことがあまりよくわかっていないんです」
「……なるほど、どうやら込み入った話のようだね。いや、ならば無理やり踏み込むのはこのぐらいにしておこう。……アルカ、食事にしよう」
「かしこまりました」
「君たちもついてくるといい。残念ながらそれほどご馳走というわけではないがね」
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
よければブックマーク、評価をよろしくお願いします。




