42.名前
ゼフィとイリス、二人が屋敷で暮らすようになってから数日が経った。
二人がやることは予想していたよりも少なくなかった。お客様扱いを望んでいたというわけではないが、ゼフィとイリスのどちらも自己評価が高い方ではなかったので、特段自分たちが役に立つ存在だとは思っていなかったからだ。
一部の者を除く魔人たちにとっては外の生活というのは未知のものであり、それだけでも聞く価値のある情報であった。貴族のことについて知識のあるイリス、騎士として各地を回っていたゼフィ。二人の話は興味深く、今後のことを考えても聞いて損をするものではなかった。
そして、ゼフィの仕事として与えられたものが戦闘の訓練である。
魔人の戦闘能力は決して低くない。高い身体能力に魔法を修得できること、さらにはそれぞれに固有の能力を持っている。だからたとえ戦い方などを知らなくても小型の魔獣程度であれば一蹴できる程度の力はある。
だが、ここにいるほとんどがあまり外に出ず戦闘経験もなく戦闘方法も知らない。それではいざという時に何もできないということもあり得る。特に武器を使っての戦闘は馴染みの無いものであり、それらについて指導してもらえるというのは彼らとしても助かるところだった。
ゼフィは騎士としての経験もあり、武器の使い方や戦いの気構えなどを簡単にではあるが教えることができたため、それをクロノとアガトに頼まれたのだ。
その日の仕事が終わった後、ゼフィは自身の鍛錬のために一人で剣を振っていた。
「熱心ね。いつもやってるの?」
「……ああ、そう教わったからね。続けないとすぐに勘が鈍ってしまうって」
声を掛けてきたのはマイアだった。
「みんなの調子はどう? うまくやれてる?」
「みんな優秀だよ。身体能力は高いし、何より真面目にやってくれてる。……ひょっとすると、前から思うところはあったのかもしれない」
彼らに教えているときに、その熱心さはゼフィにとっても気になるところではあった。
おそらくは外に出て戦っている仲間たちに対して罪悪感のようなものを感じていたのだろう。自分たちはこうして安全なところにいつつ、他の仲間に危険を押し付けているというところに何も感じないはずはない。だからいざという時のためにせめて自分で身を守るくらいの力は持っておきたいと思っているのだ。
それについてはゼフィにも似た経験があったため、その気持ちはよくわかった。だから力になってあげたいとは思った。
「でも、やっぱり外出組は戦い慣れてるね。……君も含めて」
「そう? 褒めてもらえるなら嬉しいわ」
当然と言えば当然だ。彼らは外に出て小型の魔獣と戦っているだけではないのだ。普通の傭兵ですら戦うことのないはずの大型魔獣をもはるかに凌ぐ幻獣という存在と戦っているのだ。その経験はある意味では計り知れないところでもある。
「……アガトって何者なんだ?」
「うーん、何者って聞かれても……」
「だよね」
何者、というのがおかしな質問であることはゼフィも当然わかっていた。ただ、そう聞きたくなるほどに彼は異質だった。
ゼフィは外に出る者たちも含めて全員に武器の使い方を指導していた。マイアだけでなく、クロノやアガトも含めて。
クロノは以前に出会ったときにも使っていたように、自己流ではあるがその扱いに慣れているところもあり、簡単にではあるがすぐにある程度の使い方を覚えることができた。
逆に、アガトは無手での戦いに慣れすぎているのか、剣を持っての戦いに違和感があるようでなかなか馴染むことはなかった。あるいは別の武器、別の戦い方が合っているのかとも思ったが、そういう意味で見るならば、見た目よりも不器用なのかもしれない。
ただ、それと強さは別だ。身体能力が極めて高く、武器もうまく扱え、戦いにも慣れているクロノはわかりやすく強い。それに比べて身体能力が劣り、剣の扱いにも慣れていないアガトは弱い、はずである。にも関わらずゼフィにはそう思えなかった。
仮に自分がクロノと戦ったとして、正面からまともに斬り結べばおそらく勝ち目はない。ただ、手段も含め持てる力を全て使えばどうにもならない相手ではないと感じた。だが、アガトは違う。理由はわからないが、どうやっても勝てないようなそんな雰囲気を纏っているのだ。
「……なに?」
考え込んでいると、マイアがじっと見つめていることに気が付いた。やがて、マイアは真剣な目でゼフィに尋ねる。
「あなたって養子なのよね? あのフェイヴァーの家の」
「ん? ああ、そうだけど。それが?」
「あなたの本当の名前を聞いてもいい?」
「それは……」
その質問にゼフィは戸惑う。三年前ならともかく、すでに記憶を取り戻しているゼフィにとってそれは答えられない問いではない。ではあるが、それは答えにくい問いだった。
現状、ゼフィが自身の本名を打ち明けたのは妹のフローリスとイリスの二人だけである。その秘密を他に漏らすということはなんとなく憚られるような気がするし、他にも答えにくい理由はあった。
それを見透かしたようにマイアはくすりと笑う。
「どうして、それが知りたいんだい?」
そう聞くと、マイアはきょろきょろと辺りの様子を窺い、誰もいないことを確かめると、ゼフィの耳元に口を寄せ、囁くように告げる。
「ただの興味よ。……だって、あなたも、――――――」
「なんでそれを!」
ゼフィは思わず驚愕に目を見開き大きな声を上げる。
そんな様子を見て、マイアもまた目を丸くして驚き、やがて再びくすりと笑う。マイアの知る限り、ゼフィがこんなにも動揺している様を見たことがなかったからだ。
そのくらいにはゼフィにとってその言葉はありえないことだった。
「ふふっ、それは秘密よ」
その言葉に緊張が解けたのか、ゼフィは自分を落ち着かせるように大きく息をつく。
理由はわからないが、それを知っているということは自分になんらかの落ち度があったのだろう、と思い返してみるが、思い当たることはなかった。ただ、初めて会ったときからマイアは自分のことを意味深な目で見ていたということは思い出せた。
少し考えた後に、誤魔化すことは無理だろうと判断しゼフィはその名を明かす。それによって何か問題が起こるというわけではない。本当にただの興味というのであればそれで満足するだろう。
マイアはその名を聞いて、満足そうに頷く。
そんな様子を見てゼフィは話を変える。
「ところでイリスの様子はどう? マイアから見てうまくやれてるかな」
「ん? ええ、そうね。最初はおっかなびっくりな子もいたけど、だいぶ馴染んできていると思うわ」
「そっか、ならいいんだけど」
「彼女の見た目が可愛らしいのもいいわね。どう見ても威圧感は感じられないし、それに優しい子だから」
「ああ、そうだね」
安心したようにゼフィは微笑む。初日からみながみな自分たちを歓迎しているわけではないことはその視線からわかっていた。ただ、悪意や敵意のようなものは感じなかったからすぐに何か危険があるようなことはないと思っていた。しかし、それとうまくやっていけるかどうかは別の問題である。
数日が経って、自分はともかくイリスに対する当たりは柔らかくなってきたようには感じていたので、マイアから見てもそうだと言うのならば一先ず問題はないだろう。
「……そろそろここを発つつもり?」
「わかる?」
「ええ。イリスちゃんが落ち着くまでは様子を見ようとでも考えていたのでしょう?」
「そうだね。ただ、もう少しの間はここにいようと思う」
ここまでの道中にゼフィに旅の目的があるということは軽くではあるが話していた。それゆえに、少しここに滞在した後、一人で再び旅に出るということもマイアには予想できていた。
もう少し様子を見ようと考えたのはイリスのためだ。現状でイリスはここでうまくやれているように見える。だけど、やはり完全に馴染めたとは言い難い。いまだお客様という扱いを受けていることはゼフィも感じている。だから、まだ彼女を一人置いていくには早いのではないかという思いがあった。
「……だけど、そもそも俺が保護者面して心配どうこうってのも違うのかもね。イリスはもう十分に自分だけでもやっていけるだろう。いや、最初からそうなのかも」
「……少し安心したわ」
そう語るゼフィにマイアは少しだけ嬉しそうに微笑む。
「あなたが寂しそうだから」
「……え?」
ゼフィは怪訝そうに眉を顰める。少しばかりの自覚はあるがそれが喜ぶべきことのように言われても何を意味するのかわからない。
「こう言うと誤解されるかもしれないけど、あなたはもう少し冷たいと思っていたから。ごめんなさいね」
「いや、謝るようなことじゃないと思うけど。……そう見えた?」
「冷たいって言うと少し違うのかもしれないけど、イリスちゃんのことを気にしているのは義務感のようなものが強いんじゃないかと思っていたから。だからこうして寂しそうにしているのを見ると、そういうのじゃない想いがあったんだと実感できたから」
「そう、だね。最初はそうだったかも。なんていうか守ってあげなきゃっていうのが強かったかもね。だけど……」
そこで言葉に詰まる。だけど何なのだろう。ここまで来ればゼフィにとってイリスは大切な人間だ。それは妹であるフローリスとはまた違った形ではあるが、間違いないという確信はある。
ただ、それがどういうものなのかはゼフィにとってもよくはわからない。妹であるフローリスに抱く親愛とは違うし、ユーロやナターシャに抱くような友情ともまた違う。では、恋愛感情のようなものかと言われたならば、それもまた違うように感じる。
「なんて言えばいいかはわからないけど、彼女のことは大切だよ」
「そう……。ならイリスちゃんも少しは安心するかな。……それで、あなたは行く当てはあるの?」
「……残念ながら特にはない、かな。とりあえずまだ行ってない街を訪ねてみようとは思っているけど」
「旅の目的は?」
「……」
少しだけ迷った後、ゼフィはそれを答える。いまさらそれだけを隠す意味も必要もないと思ったからだ。その名前を告げるとマイアはしばし考え込む。
「ごめんなさい。聞いたことはないわ」
「そっか……。まぁそうだろうね」
元よりそれほど期待していなかったゼフィはあっさりと頷く。初めて会ったときはアガトに尋ねてみようとしたこともあったが、それなりに魔人たちと友好を築いた今になって考えれば魔人たちはほとんど人間と関わりを持っていないことはよくわかっている。
仮に可能性があるとしても、せいぜい街でうろうろしていたメロくらいだろう。
「……だけど」
マイアがぽつりと付け足すように呟く。
もしかしたら、という低い可能性ではあるが、思いついたことはあった。
「昔にここを離れたテツって仲間がいたんだけど、彼がちょっと変わった活動をしてて……」
「変わった?」
「ええ。困っている女の子を助けて引き取るっていう変わった活動」
「それは……いいことじゃない?」
「いいことはいいことなんだけど、ね……」
マイアは複雑そうな表情を浮かべる。
マイア自身もいいことだと思っていることは事実だ。誰かを助けようとすることが悪いことだとは思わない。それが女の子を目的とすることに対してもである。
普通に考えたならば、いざとなれば男は傭兵にでもなれば多少は無理が効く。だが、女にとってそれは難しい。いくら基礎魔法で身体強化ができるとは言っても、やはり男女では差がある。
もちろん、魔法の扱いに優れたものであればその程度の差は埋まるが、そうでなければ同じように戦うことは難しい。特にまだ年若い子どもであれば。だから女の子を助けようというのはおかしな話ではない。
それに、何も女の子以外は絶対に助けないというような話ではなく、積極的にそう動かないというだけで、本当に困っている者を見つければそれに関係なく助けたりもしているという。
だから、ゼフィが探している者もそこにいる、あるいは情報くらいは入っている可能性がある。もちろん可能性としては極めて低いであろうことは想像できるが、他に当てがないのならば行ってみる価値はあるとマイアは考える。
「……そんなことしてたら目立ちそうなものだけど、聞いたことないのはなんでだ?」
「それは、この国の話じゃないからよ」
「なるほど、だからか」
そうだとしたら納得はできる。簡単にではあるが、この国を周った限りにおいては魔人という存在はほとんど知られていなかった。だからそんな目立つことをしていれば魔人というものもすぐに知れ渡ってしまっていただろう。
逆に言うならば、その国では少なくとも一定の人間には魔人の存在が知られているはずだ。
「それはどこ?」
「隣よ。この国の西に隣接する、この世界最大の国」
「―――オージ帝国」
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