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35.バリス

 王都で過ごすある日のこと、ゼフィは一人、冒険者組合へ報告をしていた。何か大きな出来事があったわけではないが、街の周囲の魔獣などの状況について、冒険者として一般的な報告をしたり、それとは別に新しい情報などが入っていないかの確認をしたりしていた。


「もうこんな時間か……」


 時刻を確認すると、すでに昼食にはかなり遅い時間となっていた。空腹ではあるものの、たいていの店ではこの時間だと少し遅いかもしれない。せっかくなので友人がやっている店を訪れることにした。たまには客がいてはできない昔の話をするのもいいだろう。


「……あ」


 そして、そちらへ足を運んでいると、目の前に一人の女性の姿があった。向こうもこちらに気がついたようで笑顔を浮かべて近づいてくる。


「ピュティ、さん?」

「久しぶりね。元気にしてた?」

「はい、おかげさまで。そちらもご息災で」

「……そんなに畏まらなくてもいいわよ。むしろ私の方こそ貴族様にこんな態度とっちゃ駄目なのに」

「ご冗談を……」

「ふふ……ところで、ひょっとしてあなたもあの子のお店に?」

「ええ、昼食を取ろうかと」

「そう。私もそうなの。ちょうどいいわ、一緒にどう?」

「ではよろしければ、ご一緒させていただきます」


 そう頷くと二人は同じ道を歩き出す。

 目の前の女性と初めて出会ったのはおよそ二年前、あの事件の後ゼフィの友人である隊長のバリス・アケローンの死について話をしたときだ。本来であるならば隊の副隊長であるユーロがそうすべきだったのにもかかわらず、もう騎士を辞めたから特に興味がないと言ってそれをゼフィに投げたのだ。

 アケローンの家を訪れたゼフィはまずアケローン公爵にそれを報告しようとしたが、当然というべきか、公爵はその事実についてすでに知っており、ゼフィにも会いたくないと面会を断られた。そして公爵と会うことができなかったゼフィは次にバリスの母親に報告に行ったのだ。


「いらっしゃ……おお、ゼフィ」

「悪いなセプト、遅い時間に」

「いや、別にいいよ。にしても珍しいなぁ」


 もう客もいない遅い時間でも、驚きつつ喜びの表情を浮かべて出迎えてくれたのは店長のセプトだった。

 短く刈った、金に近く見えるほど明るい茶色の髪を持つ彼の美男子と言えるその顔には火傷でできた傷跡がある。彼は周りには調理の際の失敗でできたと笑って話しているが、その真実について知っているものはゼフィも含めてごく少数しかいない。

 その店長が軽く笑いながら、しみじみと呟く。

 ここで珍しいと言ったのは単にゼフィが店に来たということだけではない。もちろん、それ自体もそれほど多いわけでもないが、ゼフィとしては王都にいて都合がつく場合にはそれなりにこの店で食事を取るようにしているため、珍しいというほどではない。ただ、誰かと共にこの店を訪れたというのが珍しい、というよりも初めてのことだった。

 馴染みの店員に案内されて向かい合って席につく。


「注文決まってる? おまかせだと助かるけど」

「……じゃあ任せるよ。新しい料理でもできたのか?」

「ああ、最近ちょっと試してるのがあって。ま、たぶんいい感じでできてると思う」


 料理の手を進めながらそう答える。どうやらとりあえず聞いてみただけで、すでに彼はそれを出すと決めていたようだ。そして、思い出したように店員に声をかける。


「……あ、オリシア!」

「はい! なんですか店長」


 それにオリシアと呼ばれた店員は元気よく答える。彼女はこの近所に住む少女で、彼がここで店を開く際にここで働きたいと押しかけてきたらしい。料理の勉強がしたいということと、実は以前にも一度会ったことがあると言われて、ならいいかと雇うことに決めたとのことだ。


「ちょうどいいから四人で食べよう。オリシアも座ってて」

「はい! ……え?」


 勢いよく返事をした後に、言われたことが飲み込めないというように疑問の声を上げる。そしてゼフィたちの方をちらりと窺うと、一度何事かを口にしようとしかけて諦め、ちらりとピュティを一瞥するとゼフィの隣の席に着く。

 彼女はゼフィがセプトの友人だということも知っており、ゼフィがこの店を訪れたときにも何度か話をしているのでそれなりに親しい間柄だと言える。

 やがて料理が出来上がると四人分のそれを持ってきてセプトはオリシアの正面に座る。


「ま、食べてみてくれ。たぶんおいしいと思うから」


 たいして思い入れもなさそうにあっさりと言われゼフィは呆れたようにため息を吐く。

 実際、こうして新しい料理を試すことはよくあり、そうして創作そのものは好きではあるが、できた料理自体にはそれほど興味がないらしい。ある意味では飽き性に近いのかもしれない。


「あー、なるほど。けっこういいと思うよ」


 出された肉料理は今まで食べたことのない味だった。今まで評判が良かった濃いめの味付けとは裏腹にあっさりとした煮込み料理になっており、それだけ大きく変わっているにもかかわらず十分においしいと言えるものだった。


「だろ? 前にゼフィが言ってたの参考にしてみた。なんかゼフィは変なこと知ってるよな」

「変、か?」

「変だよ。ま、面白いからなんでもいいけど」


 そうして、四人で感想などを話しながら食べていると、オリシアが耳打ちするようにゼフィにだけ聞こえるように話しかけてくる。


「……お知り合いだったんですか?」


 何が、とは聞き返さなかった。

 その視線の先にはセプトと楽しそうに談笑しているピュティの姿が目に入る。ゼフィの知る限り、ピュティはしばしばこの店を訪れている。当然、それについてオリシアも知っているはずだ。

 その責めるような声色にため息をつく。その意味はわかる。端的に言って嫉妬しているのだ。

 オリシアがセプトに抱いている気持ちはゼフィにもわかっているつもりだ。オリシアが巧妙に隠しているのか、セプトがとても鈍感なのか、ゼフィとしては明らかに後者だと思うが、どちらにせよセプトが彼女の気持ちに気付いている様子はない。

 ただ、どう説明したものかと考えると頭が痛い。

 確かにセプトとピュティは見るからに仲がいい。しかし、ゼフィにとっても二人が多少の会話をしているのは見たことがあったが、こうして食事をしながら話しているのを見るのは実は初めてだった。

 話に聞いていたよりも親しげに見えてゼフィとしてもそれでいいのかと疑問を抱いてしまうほどだ。しかもピュティはかなりの美人と言ってもいい。

 そんな二人はぱっと見ると美男美女でそんな風に勘違いしてしまうのも理解はできる。

 不服そうなオリシアを見てゼフィはため息をつく。


「一つ助言しとくよ」

「……なんですか?」

「セプトを狙ってるなら彼女と仲良くしておいて損はない」

「ねらっ……いえ。どういう意味です?」

「いずれわかるよ……」


 答えを濁すゼフィに不満そうに頬を膨らませるも、ゼフィは話は終わりだとばかりに料理に手を伸ばし、セプトに問いかける。


「だいたい一年くらいか?」

「一年? ああ、そんくらいだっけ? 店を開いて最初は大変だったからなぁ。料理はたぶん天才だけどそういう経営とかの方はちょっと」


 その物言いを窘めるようにピュティはセプトを軽くはたく。しかし、セプトは悪びれることもなくそれが当たり前かのように笑みを浮かべている。

 ただ、ゼフィから見てもセプトの料理の腕はいい。母親から教わり、趣味としては今までもやっていたことはあったらしいが、本格的に料理に手を付けたのは店を開くことになってからと言っていたので、あるいは天才だという自称もあながち間違っていないのかもしれない。


「一応の報告だけど、そろそろまた旅に出ると思うから。そうしたらしばらくはここに来れなくなるな」

「そうなのか? ま、帰ってきたらいつでも来てくれ」


 その言葉にオリシアは不思議そうに首を傾げる。


「ゼフィさんって、今は冒険者とかやってるって言ってませんでした? なのに旅に出るんですか?」

「ん? まぁね。冒険者って言っても名目上便利だからそう名乗ってるだけで正直あんまり真面目にやってるって感じでもないからね」

「ふーん、でも最近ちょっと危ないらしいから気をつけてくださいね」

「危ない? 何か知ってるの?」

「ええっと、あくまで噂ですけど、最近魔獣の数が増えてるんじゃないかって話してるのを聞いたことあります」

「ああ、確かにそんな話は俺も聞いたことあるよ」


 冒険者として色々調べているうちにそんな話はゼフィの耳にも入ってきている。実際にそれがただの噂ではなく事実であることを、街の外に出ているゼフィは自分の肌でも実感している。その原因が何なのか、あるいは何かの予兆なのか、それが何を意味するのかはわからないが、それを調べる必要があるという予感はある。

 やがて料理を食べ終えるとゼフィは席を立つ。


「ごちそうさま。代金はいくら?」

「いいよ、今日は。これは俺が適当に作っただけで別に商品じゃないから」

「そういうわけにはいかないだろ……」

「ゼフィには世話になってるし気にするな」

「……わかったよ」


 このままでは埒が明かないと諦めてため息をつくと、その好意に頷く。

 店を出る前に最後に肩をぽんと叩くとセプトの耳元に少しだけ顔を近づけ、オリシアには聞こえないように小声で告げる。


「また来るよ。―――バリス」

「おう、また新しいの作っておくよ」


 今、彼はこうして店を開くときにセプトと名乗っている。バリス・アケローンという名前の人間は死んだことにして、こうしてひっそりと趣味であった料理を楽しみながら暮らしているのだ。

 バリスはアケローン公爵家の長男として生まれた。だがそれは残念ながら望まれた生まれではなかった。

 元々、彼の母ピュティは料理人として雇われていたが、その美貌と明るく真面目な性格を買われて使用人としても働くことになった。やがて、彼女の存在が公爵の目に留まり、夜の仕事にも呼ばれるようになった。それ自体はこういう仕事をしていればそういうこともあるだろうと割り切っていたのだが、そこで問題が発生した。彼女は子を身籠ってしまったのだ。

 とはいえ偉い貴族様が使用人に手を出してそういうことになってしまうなどというのはよくある話でもあり、どこにでもあると言ってもいい。そんなときにどうなるかは様々だが、必ずしもそう悪い扱いをされるわけではない。手切れ金として生活費を与えられて家を出されることもあれば、正式な子とは認められなくても、変わらずにそこで働き続けるようなこともある。

 ただ、今回において問題となったのはその子が公爵にとっての第一子となったことだ。

 公爵には正妻を含め、他にも妻が居たが、まだその誰も子を生んではいなかった。だが、最初はそれについて気にしている者はいなかった。確かに彼の妻たちは不満を抱いていたことは間違いないが、適当にお金を払って追い出せばそれで終わりだと考えていたのだ。

 だがそうはならなかった。公爵はピュティの子バリスを自分の長男だと認めたのだ。それには屋敷で暮らしていた全ての人間が驚きを隠せなかった。それについて様々な憶測が飛び交ったが、誰にも理由はわからなかった。やがて、正妻にも側室にも子が生まれると次第に公爵の異常性に周囲も気付き始めた。

 彼は自分の子を愛しているのだ。

 それだけを聞けばいい話となるのかもしれないが、問題はその愛情が子にだけ向いているということだった。子が生まれるとそれまでとは打って変わって彼は妻や側室のことを蔑ろにし始めた。いや、蔑ろとすら言えないかもしれない。

 それは彼女たちに嫌悪感を抱いているというようなものではなく、興味を失い、どうでもいいもののように扱い始めたのだ。そこには悪意すらなかった。体面上の妻という立場を脅かすようなものではなかったが、それでも情のようなものはないと言ってもよかった。

 だから、バリスは公爵にとって正統な長男として扱われたのだ。公爵にとって彼の母親が正妻だろうが側室だろうが使用人だろうがたいした問題ではなかった。ただ、自分の子であるというだけで愛情を注いで然るべき存在だったのだ。

 当たり前のことだが、公爵の妻たちはそれで納得しなかった。特に正妻は自分の子こそがこの公爵家の正統な後継者であることを当然と疑わなかったにもかかわらず、それをどこの誰ともわからない使用人の息子に取られるということに激しい怒りを覚えた。

 だが、彼女たちといえども直接バリスに危害を加えることはできない。そんなことをしようものなら公爵の不興を買う。ただでさえ良くない自分たちの立場が脅かされることを恐れたからだ。

 だからその矛先はピュティへ向かった。自分たちが愛されていないのと同じように、ピュティもまた公爵から愛されていないことを理解していたからだ。それはピュティも同じだった。だから誰に助けを求めることもできなかった。そして、そこから逃げ出すこともできない。

 公爵はバリスのことを自分の息子だと認めているのだから、この家から連れ出すようなことはできない。だとするならば自分一人で逃げ出すしかない。自分の息子を捨て置いて。

 そんなことはピュティにはできなかった。異常とも言えるこの家に、愛する息子を一人置いておくことなどできなかったのだ。だから、彼女はずっと耐え続けることを選んだ。

 やがて、バリスもある程度成長するとその異常性に気が付く。自分のことは一人の息子として扱われているのにもかかわらず、自分の母はまるでいないものかのように扱われているのだ。そして、その母に向けられた陰湿ないじめのようなものを誰も助けようとしなかった。

 だから彼は何度も父に直訴した。自分の母を助けてほしいと。だが、公爵はなんの興味もなさそうに、どうでもいい、気にするな、と言うだけだった。

 そこでやっとバリスは気が付いた。別に自分は父に愛されているわけではないのだ、ということに。

 父が自分になんらかの執着を持っていることは理解している。ただ、これは決して愛ではない。自分は愛されてなどいないのだ。

 だから母を連れ、ここから逃げ出すことを決意した。もちろんそれは容易ではない。このまま逃げ出したところで追手を差し向けられるだけだ。公爵は自分を決して諦めはしない。そうして公爵という力を持つ者から逃げ隠れしながら生きていくことは難しい。であるならば公爵家の人間として許される範囲で外に出るしかない。

 バリスはそれに騎士を選んだ。バリスはすぐさまに父に頼み教師を手配してもらうと修練に打ち込み、その才を開花させると母を連れ出し、すぐに騎士に入隊した。

 そして騎士になったバリスは生まれのこともあり新人部隊の隊長を任命され、そこでゼフィたちと出会った。それから一年ほど仲間たちと過ごした後、あの事件が起こったのだ。

 そこで生き残った騎士は三人。ユーロ、ナターシャ、そしてゼフィの三人だということになっていたが、実はバリスも生き延びていたのだ。

 だからこれを奇貨として自分は死んだことにして新しく生きることを思いついた。すぐさまそれを実行し、あとのことは全てゼフィに任せた。幸いにもそれはうまくいき、しばらく身を潜めた後、趣味として母から教わっていた料理を使って小さな店を開くことにしたのだ。

 バリス自身としても意外だったが、料理の腕はそれなりによく、この近辺では安くて美味しい店と人気の店となった。もちろん、多くの者が訪れるような大通りにあるわけでもなく、人気と言ってもこの辺りで、という話であるので貴族のような人間が訪れるようなことはまずない。

 そんな小さな店で、時折母親を招いて料理を振る舞いながら、彼は気ままな暮らしを送っているのだ。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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