21.対話
王都で情報を集めながら数日が過ぎた頃、夕食後にイリスはある部屋を訪れていた。
「お初にお目にかかります。アイと申します、ご当主様。挨拶が遅れて申し訳ありません」
「こちらこそ、ろくにお構いもできませんで申し訳ありません。……でも私は当主、代理とはいっても形だけ、全部娘に、フローリスに任せっきりですから」
イリスが深く頭を下げて挨拶をすると、寝台に腰掛けているイオも申し訳なさそうに微かに笑う。イオもなるべく早く会わせてもらえるようフローリスに頼んでいたのだが、体調が安定するまではだめだとなかなか会わせてもらえなかった。
正直、イオとしては最後まで会わせてもらえないことも考えていたため、むしろフローリスが会わせてくれたことを意外に思っていた。
実際にフローリスも母の体調次第では会わせないことを考えていたが、意外なことに落ち着いていたためイリスに声を掛けて、イオとの対話の場を設けたのだ。
「あの子とはうまくやれていますか?」
「はい、何も知らない私に色々なことを教えてくれました。私のようなものがこうして旅をできているのは全てゼフィさんのおかげです」
「そう。それは良かったわ。あの子の様子を教えてもらえますか?」
イリスは村での二人の出会いから順に話す。村を助けてくれたこと、友達を探すため旅に同行させてもらっていること、旅の途中で戦い方を教えてもらったこと。
そう話すとイオがくすりと笑う。
「……夫と同じことをしているのね」
イオは夫であるアストラがゼフィを迎え入れたときのことを思い出す。もともと自分でも戦うことしかできない人間だと言っていただけあって、息子として迎えたゼフィに対しても教えたことは戦うことだけだった。
それと同じようにゼフィが戦い方を教えていることになんとなく微笑ましくなったのだ。
「ですが、まだ私に心を開いてくれてはいないみたいです……」
「……ごめんなさいね、それはきっと私たちのせいなのです」
「えっと、それは?」
ゼフィはあの日から家族に線を引いている。そしてイオはその責任は自分たちにあると考えている。
アストラがゼフィを連れて来てから二人はゼフィに掛かりきりになってしまった。理由は聞かなかったが、アストラがゼフィにこだわっていたことにも気付いていたため、その力になりたいと思ったのだ。もちろん、それだけではなく記憶を失い一人不安そうにする少年を放っておけなかったということもあるが。
だが、それゆえにまだ小さかったフローリスを蔑ろにし、我慢を強いることになってしまった。だからフローリスはその感情を爆発させ、逆にゼフィはその家族の邪魔をすることのないように距離を取ることになった。
それ以降、ゼフィは両親に対して敬語で話すようになり、フローリスのことを名前ではなく君と呼ぶようになった。そして、それに反発したフローリスもゼフィのことを兄様と呼ばなくなりあなたと呼ぶようになった。
「ですからあなたが距離を感じてしまうならそれは私たちのせい」
「そんなことが……」
「でもあなたも品が良さそうですし、あの子もそんな感じだからすぐに距離を詰めるのは難しいかもしれませんね」
「そう、かもしれません。私もあまり積極的な方ではありませんから……」
「でも、そんなあなただからこそゼフィも気を許すところがあると思います」
だからこそイオは頭を下げる。
「私たち家族の問題に巻き込むことは申し訳ないと思います。それでも、あなたのように外から入って来た方にこそあの子たちの心を変えることができるのかもしれません」
「私は……いえ、私もゼフィさんの力になれるなら嬉しいです」
イオがもう一度頭を下げると、イリスは立ち上がる。
「あ、あの……」
「どうかしましたか?」
「私の名前、アイというのはその、偽名で本当の名前はイリスと言います」
そうイリスが言うと、イオは少し驚いた顔をするがすぐに嬉しそうににこりと笑う。
「ありがとう、イリスちゃん。またいつでもこの家に来てね」
「はい、必ずまた、伺います」
イリスが一礼して部屋を出ようとすると、その背中にイオが声を掛ける。
「そうそう、イリスちゃんは今夜はもうお風呂には入った?」
「お風呂、ですか? いいえ、今日はまだ」
「なら今から入るといいわ。ゆっくりしていってね」
その言葉の意図がわからず首を捻るも、その言葉を素直に受け入れることにする。そのまま一度自分の部屋に戻り、確認のために使用人にイオから言われたことを告げると、少し不思議そうな顔をした後に納得したようにどうぞと頷く。
そうして一人風呂に入っていると、突然その扉が開き、誰かが入ってくる。
「えっ?」
「……えっ?」
二人は目を見合わせてそのまま固まる。
フローリスはきょろきょろと周りを見ると後ろを振り返り、さらにイリスの方を見ると諦めたように息をつく。
そして軽く体を洗い流した後、イリスの隣に入る。
「改めて、こうして二人きりで話すのは初めてですね」
「そ、そうですね……」
「どうしてこの時間に? いえ、責めているわけではないのですが」
イリスは先程までイオと話していたこと。そして別れ際にこの後風呂に入るようにと勧められたことを話した。
フローリスはそのイオとの対話の場を設けたので当然そのことは知っていたし、母がそうやって勧めた意図もなんとなくは理解した。同じようにこうして二人きりで話をできる場を設けたかったのだろう。
ちらりとイリスの方を窺うと、イリスはなんとなく居心地悪そうに縮こまっているのがわかる。だけどそこからはここから出ようという意志は感じられなかった。おそらくは彼女の方でも母の意図を理解しているのだろう。
しかし、イリスはその視線に気付いたのか胸元を押さえる。
「それ……」
「え、ええっと、これは……」
「その首飾り、とても立派なものですね」
「あ、え? ああ、これ、ですか。……これは母が、私のために作ってくれたものなんです」
傷を見られてしまったと思ったがフローリスはそれについてではなく、その首飾りについて話した。
当然イリスのその胸元に刻まれた傷にも気が付いたはずだが、さすがにいきなりそれを聞くことはできないかと納得する。
「……あなたも、貴族なんですよね? どうして旅を?」
「元、ですね。王都にはいられなくなったので」
「あ、ごめんなさい……」
「いえ、気にしないでください。私も気にしていないので。……私が旅をしているのは友人を探しているからです」
元々は王都にいたこと、それから政治上の問題で追い出され、南の村でひっそりと暮らしていたこと。そして、そこで初めての友人ができたこと。その子と離れることになってまた会うために旅をしていることを話した。
だからこそ、ゼフィのことをとても頼りにしているということも。
「あなたはご存知なのですか?」
少し迷ったあとにフローリスは尋ねる。
「彼が……兄が何のために旅をしているのか」
「それは、ごめんなさい。詳しくはわからないです。ゼフィさんはあまり自分のことを語りたがらないので。それで私も聞けていないんです」
イリスもそれは気になっているところだ。ゼフィは何も言わないが、何か明確な目的があるのは間違いないと感じている。何かを探していると。
しかし、それを尋ねることはできていない。その理由は単に怖いからだ。余計なことを聞いてしまいゼフィの機嫌を損ねること、嫌われることが怖いからだ。
「兄は世界を見たいからだと言っていましたが、それだけじゃないと思っています」
「それは、そうだと思います。一緒に旅をしていて何かを探しているということを、直接ではないですが聞いたことがあります」
「やはり……」
「ゼフィさんが心配なのですね」
「それはっ! ……そう、ですね。心配です。でも彼は、兄は何も話してくれないから何もしてあげることができない。……私の自業自得ではありますが」
「自業自得、というのは……?」
フローリスはゆっくりと昔のことを話し始める。ゼフィが父に連れられてこの家に来た時のこと、それから父も母もゼフィに掛かりきりになってしまいずっと寂しい思いをしていたこと、それが溜まって癇癪を起こしてしまったこと。だからそれ以来ゼフィとの間に大きな溝ができてしまい、それをお互いにずっと引きずってしまっていること。
兄から気を遣われて掛けられる言葉の一つ一つがその距離を感じさせ、兄が自分を想ってくれるほどに過去の過ちを突きつけられる気分になってしまうのだ。
「……彼は記憶をなくしていました」
およそ五年前、ゼフィがフェイヴァーの家にやって来た時には自分のこともどこから来たのかも何もわからない状態だった。それどころか常識的なことでもわからないことがあるようだった。
そんな中、アストラに言われるままに剣の訓練をし、体を鍛えて、ついには特例として騎士にまで成り上がった。
彼はフローリスの目から見ても才のある人間だった。そんなゼフィに掛かりきりになる父と母、それにその才能、あらゆるものにフローリスは嫉妬し、羨み、憧れた。
だからこそフローリスはずっと不安なのだ。記憶が戻ったゼフィにとってはフェイヴァーの家も自分ももはや必要ないのではないか、ここは彼にとってもう帰る家ではないのではないか、と。
「きっと、もう記憶は戻っています。だから、彼にとって私はなんなのだろうと思うんです……」
寂しそうにぽつりぽつりと話すフローリスのことをイリスは隣でじっと見つめる。その言葉から彼女が兄のことをどれだけ大切に想っているのかが伝わってくる。けれどきっとゼフィも同様に妹のことを大切に想っているはずだ。それは共に旅をしてきてなんとなくわかる。
アリアスの街でユーロに仲がうまくいっていないとは聞いていたが、こんな形だとは思っていなかったため、イリスとしてもどうしていいかわからなくなる。
「……だったら、話してみましょう。きっとそうするしかないし、それが一番いいと思います」
だからそう提案する。このままうやむやで二人が決別してしまうのはあまりにも悲しすぎる。お互いが大切に想い合っているのならすれ違いは寂しすぎる。
自分に何ができるかはわからないが、それでもこうして出会った二人に、力になりたいと思った。
だから、まずは―――。
「……実は、私の名前、アイとは偽名なんです」
「えっ? 偽名?」
「本当はイリスと言います。……これを、見てください」
「―――っ! うそ……」
イリスがその首飾りを外すと、それを見たフローリスが驚愕で目を見開く。世情に疎いゼフィとは違い、王都に住む一端の貴族であるフローリスにはそれがどういう意味かはっきりわかる。
その髪の色と瞳の色、そしてイリスという名前。学校に通っていた頃にも噂が流れていた。自分たちと同じ年の魔法の天才がいるという話を。
そして、その少女の生まれについても。
「……魔法姫」
「そう、呼ばれたこともありますね」
ぽつりと呟いたフローリスの言葉に恥ずかしそうに苦笑いして答える。
「どうして……どうしてそんな重要なことを私に……? 危険なのでは? だから隠していたのでしょう?」
「……これが、私なりの誠意だと思ったのです。私にはこれくらいしかできることがありませんから。……ううん、そうしたいと思ったの」
「ありがとうございます。……ありがとう、イリス」
表情を崩して明るい声でそう言うと、フローリスは立ち上がり風呂を出ていった。
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