2.騎士
王国の騎士団には通常の騎士団とは別に五つの団がある。それらは騎士の中から選ばれた精鋭の騎士で構成されており、そのそれぞれには色が冠されている。それは赤、青、緑、白、黒の五つである。
そしてその各団で最強の騎士は色騎士と呼ばれ各色を名乗ることとなる。
その騎士団の一つ、赤の団の騎士であるゼフィ・フェイヴァーは任務を終えるとその団長、赤騎士アルガスの部屋を訪れていた。
ゼフィの神妙な表情を見てその用件について察したのか、団長は一つ大きく息を吐くと静かな声で確認を取る。
「やっと決心がついたか」
「……ええ、まぁ」
「すまないな。いい加減不満を抑えるのが難しくなってしまってな」
「いえ、団長は悪く……というよりも誰も悪くありませんから。悪いのは俺です」
苦笑を浮かべながら頷くゼフィを団長は表情一つ変えず一瞥する。
そして、机の引き出しを開くとその一番上に置かれていた紙を取り出し、ゼフィの前に差し出す。
その用意の良さにゼフィは一瞬目を見開くとその紙に書かれた事項にさっと目を通す。その内容からすでにこれが団長の予定どおりだったということがはっきりとわかり、もう一度苦笑をこぼす。
「俺が今日来るってわかっていたんですか?」
「いや、だがそろそろだろうと思っていたから用意しておいた」
その全てが整えられた退団の書面に自身の名前だけを署名して団長に差し出す。
「これって本来は俺が書かないといけないものですよね?」
「構わない。お前には常識がないからな」
「……今まで迷惑かけて申し訳ありません」
「ここに来て二年ほどになるか……」
アルガスは思い出すように呟く。
ゼフィがここ、赤の団に入団したのは今からおよそ二年前、騎士となってから一年経った頃である。それはとある強大な魔獣と戦ったことがきっかけだ。
通常ならばそれほどの早さで五色騎士団に所属するということは異例の事態であるが、そもそもの話としてゼフィが騎士であることそのものが異例の事態なのだ。
騎士となるための資格といえば子供でも知っていることではあるが、一言で表すならば剣と魔法の力だ。どちらかが使えるだけではもちろん駄目だが、両方を戦闘で同時使用できるということ、それは端的に言うならば近接戦闘をしながら高度な精神集中を要する詠唱ができるということが必要となる。
しかし、実はゼフィにはそれはできない。それどころかゼフィには魔法が使えないのだ。にも関わらずゼフィが騎士になることができた理由の一つは基礎魔法の強さを認められてである。
長い訓練が必要とされ使い手が限られる魔法と違い、基礎魔法はその強弱を問わなければ一般的な兵士のみならず平民、農民、そして子供に至るまであらゆる人間が使用できるという簡単なものである。
その特徴として基礎魔法には詠唱が不要であり、精神を集中させるだけ発動することができるということから、同じ魔法という名は冠しているものの一般的には全くの別物と認識されている。
その中で最も一般的で有用とされているのが身体強化の魔法だ。そしてそのゼフィの身体強化は異常と謳われるほどであり、剣の腕も相まってその実力は一般的な騎士を遥かに上回ると言われていた。
それでも、ただ強いというだけで騎士になれるというものではない。伝統や歴史が重んじられることは当然であり、強さそれだけをもって騎士に任命することに反対する者も少なくはなかった。
実際にゼフィが騎士になることができた理由には彼の養父が強く推したということが関わっている。
ゼフィの養父である元騎士アストラ・フェイヴァーの推薦にもちろん一部の人間は権力の濫用だと強く反発したが、特別な試験を課されるという条件のもと特例として騎士として認められることとなった。
「三年間も騎士を務めたのは父への義理か?」
「それも、あります。ただ実は養父には騎士になどならなくていいと言われたんですけどね……」
「ん? そうなのか? お前が騎士になる際には相当に尽力したと聞いているが?」
「ええ、俺が騎士になりたいと言うと……。それが良かったのかはわかりませんけど」
ゼフィは特段騎士になりたいわけではなかった。というよりもそもそも魔法を使えない自分に騎士になれる才があるなどとは思っていなかったため、その将来に騎士になるという発想そのものがなかったと言ってもいい。
五年前、養父に拾われてから二年間ひたすらに剣を鍛えられた。それは生きる力をつけるためだといつも言われており、騎士になるためだと言われたことは一度もなかったし、その将来について何か勧められたこともなかった。それでもゼフィは養父が自分に騎士になってほしいという思いを抱いているのを感じていた。だからこそ病に倒れた養父を安心させるために自分は騎士になると伝えたのだ。
結局はそれを大いに喜んだアストラが精力的に動き回ることとなり、逆に病状を悪化させてしまったのではないかとゼフィにも思うところはあったが、それでも騎士になることができたと報告したときに、それはいいと笑った養父を思うとこれが正しかったようにも思う。
「では、この後は家を継ぐのか?」
「いいえ、家は妹に任せます。あの家は当然彼女のものですし、そもそも俺はそういう教育は受けていませんので……」
もともとフェイヴァーの家は一応は男爵家の端くれではあったが、武力にのみ秀でていたことから野蛮だと蔑まれその中でも最下級の扱いだった。
それがアストラの代で変わった。その類稀な武の才能をもってして十分な功績を挙げただけではなく、前王の覚えもよかったことから王都に屋敷を与えられ地位も子爵へと引き上げられたのだ。
それに伴い貴族としての作法も必要となったため、自身のことは諦めていたが娘にはなんとか恥をかかせることはないようにと優秀な教師を雇い入れ英才教育を施した。
それゆえに年若いとはいえその振る舞いは『あの家で唯一の貴族』と囁かれる程度には成熟していた。だからこそゼフィも家を妹に任せようと思えたのだ。
「ではこれからどうするのだ? お前が次の職を準備しているとは思えないが?」
「旅に、出たいと思います」
「旅?」
「ええ、ご存知の通り俺は養父に拾われてから剣を鍛え戦うことだけをやってきました。だから、この世界のことを何も知らないのです」
「父君からは教えてもらえなかったのか?」
「はい。自分には教えられない。だから自分の目で確かめろ、と」
ゼフィが養父から教わったのはどうすれば生きていけるか、ということだ。騎士であったアストラからすればそれは戦う力だった。だからこそゼフィに戦う術を教え込んだのだ。そして、それ以外のことについては自分で学んでいくようにと最低限のことしか教えなかった。
「なるほど、それもまた遺言と言えるか」
「そうですね。俺は、そう思っています」
「ふむ、まずどこを目指すか当てはあるのか?」
「とりあえずは友人の、ユーロの領地を訪ねてみようかと」
「ユーロ……伯爵家の長男。いや、もう跡を継いで伯爵となったのだったか?」
「ご存知でしたか」
「名前程度だがな。貴族の中では道楽息子としてそれなりに有名だからな」
ゼフィの友人であるユーロ・ヴァルタンの悪名はこの王都でもそれなりに評判である。
色々なことに気の向くままに手をつけていき、飽きればすぐにそれを放り出すというのは、領地では誰でも知っていると言われるほどだ。
「はは……まぁ彼は相当に個性的ですからね。悪いやつではないのですが」
「その呼ばれようにふさわしく、騎士もたった一年で辞めたらしいな」
「ええ、俺とは一応同期で入ったこともあってそこで親しくなりました」
「そういえばその家、ヴァルタン家の前当主とお前の父とは懇意にしていたと聞いた記憶があるな」
「そう、だったのですか? それは初耳です……」
「そうか。まぁだからどうという話でもない。親は親、子は子で友誼を築いたというだけのことだ」
そのとき、外から何者かによって部屋の扉が叩かれる音が響く。
アルガスは時計に目をやると即座に返事をする。
「少し待て」
入室を止めると最後にゼフィに一つ声をかける。
「―――お前の行く道に精霊の祝福のあらんことを」
「ありがとうございます。今までお世話になりました」
深々と頭を下げ、礼の言葉を述べるとゼフィはアルガスに背を向け扉を開くとその先にいた副長にもう一度深く頭を下げ、入れ違いで部屋を後にする。
副長は一瞬だけ厳しい表情を浮かべるも、すぐにこれがどういう状況にあるのかに気付く。
「今までご苦労」
そう一言だけ声をかけると振り返ることもなく入室する。
アルガスの前に立つと机の上に置かれた書面に目を走らせると合点がいったというようにふっと口元を緩める。
「ようやく辞めたようですね」
「ああ、さすがに特別扱いも限界だからな。彼自身もそれは理解していただろう」
「もっと早くに決断できたと思いますがね。……なにか?」
「相変わらず彼のことが嫌いなようだな」
「好きか嫌いかで言うなら嫌いですね。自分の仕事もろくにこなせないやつは」
「確かに。そのとおりではあるがな」
副長の言うようにゼフィには騎士として決定的な欠陥があった。だからこなせない任務があり、それについては他の団員がその尻拭いをしていたことも事実だ。アルガスもそれについては反論するつもりもない。
そのためにいくつか特別扱いをしていたこともあり、それに不満を言う団員が出るのは至極当然のことだ。
「尤もではあるが、彼は自分のことはできずともそれでも他者を助け他者の力となることを惜しまなかった」
「それは否定はしませんがね。総合的に見て彼はここにふさわしくありませんよ。誰もがやっている当然のことができないようではね」
「そうだな。君の言うとおり彼に騎士は合わなかったというのは間違いないだろう。彼の進む先が彼の持つその力を振るえる道であればいいが」
アルガスはふっと笑う。
きっと彼の行く道は希望に溢れているだろうと。
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