8 カルディナ家との最後の別れ
午前11時――
送迎馬車を背に私とレオナルド、それにシオンさんが立っている。
「本当に……港まで見送りに行かなくていいのか?」
屋敷の外まで出てきた父が、悲しげな顔で私に尋ねてくる。
「はい、大丈夫です。レオナルド様とシオンさんが一緒ですから」
私は左右に立つふたりを交互に見た。
「ええ、カルディナ伯。レティシアのことは我らに任せて下さい。……それよりも伯爵は今後のことをよく考えられたほうが良いでしょう。グレンジャー家に戻り次第、今回の件は全て祖父母に報告するつもりですから」
「……分かっています。あの方々が何を私に要求してきても……全て飲むつもりですから」
レオナルドの言葉に父が俯く。
「出港時刻のこともあるし、そろそろ出発したほうがいいんじゃないか?」
シオンさんが私達に尋ねてきた。
「ああ、そうだな」
「はい」
返事をすると私は再び父に向き直る。
「カルディナ伯爵。十八年間お世話になりました。恐れ入りますが、荷造りした私の荷物は全てこちらに送って下さい」
番地を記したメモを父に手渡した。
「……分かった、早急にお前の荷物を送ろう。ところでレティシア……もう、私のことを父とは呼んではくれないのか?」
悲しげに私を見る父。その姿に胸が締め付けられるけれども……
「いいえ……申し訳ありませんが、私はもうカルディナ家からは戸籍を抜くのです。もう呼ぶことは出来ません」
自分に何が起きたかも分からないまま死んでいった母のことを思うと、「お父様」と呼ぶことは出来なかった。それに祖父母だって絶対に父を許せるはずはないだろう。私はこれから『アネモネ』島で生きていく。祖父母の気持に寄り添うのは当然のことなのだから。
「カルディナ伯、あなたはまだ御自分の立場を理解していないのですか? レティシアに何かを要求する権利など、今のあなたに一切無いのですよ?」
レオナルドが非難めいた眼差しを父に向ける。彼は、今回の件で父のことを酷く怒っているのが態度によく現れていた。
「……そうでしたね、すみませんでした。自分の立場もわきまえず。それでは皆さん、どうかお元気で」
寂しげな父に、私はどうしても一言告げたくなった。
「カルディナ伯爵もお元気で。……お身体を労って……どうか長生きして下さい。母の分まで……」
「レティシア……!」
その言葉に父はハッとした様子で私を見る。
「行きましょう、レオナルド様。シオンさん」
私はふたりに声を掛けると、父の方を見ないように馬車に乗り込んだ。その後に続くレオナルドとシオンさん。
馬車の扉が閉じられると、父が私の名を呼んだ。
「レティシア!」
窓から顔をのぞかせると、父が今にもまるで泣きそうな顔で私を見つめていた。
「……!」
その顔は母を亡くしたときと同じ表情だった。その姿に罪悪感が込み上げてくる。
父親と縁を切る私は……薄情者ではないだろうか?
だけど、私は最初に『アネモネ』島へひとりで旅立ったときに決めたはず。
全て捨て去って、新天地で生きていくのだと。
父を見るとまだ何か言いたげな顔で私を見上げている。
「馬車を出して下さい!」
私は御者にお願いした。するとたちまち音を立てて馬車は走り始める。そして父の姿がみるみるうちに遠ざかっていく。
お父様……
俯いていると、不意に頭を撫でられる気配を感じた。
「シオンさん……」
顔を上げると、私の頭を撫でてきたのはシオンさんだった。
「カルディナ伯爵なら大丈夫だろう。彼はようやくイメルダとその娘から解放されたのだから」
「ああ、そうだ。だからレティシアは何も気にする必要はない。それよりも、折角『リーフ』に戻ってきたのに……ヴィオラとイザークに連絡をしなくても良かったのか?」
「……はい。いいのです。今回は色々とありましたから。落ち着いたらふたりには手紙を書くつもりです」
レオナルドは私達三人の間に何があったのかを知らない。……いずれ時が経てば、彼には事情を説明してあげよう。
「ヴィオラ? イザーク? 一体誰だい?」
初めて聞くふたりの名前にシオンさんが首を傾げる。
「ああ、そのふたりというのは……」
レオナルドがシオンさんと話をしている間、私は馬車の窓から『リーフ』の町並みを眺めた。
……多分、私はもう二度とここには戻ってくることはない。
だから最後に、生まれ育った町を目に焼き付けておこう――