4-17 もう一つの断罪 5
「その花がどうかしたのですか?」
ルーカス先生がシオンさんが手にしている花を見ながら尋ねた。
「おや? 先生は御存じありませんか? この花は毒花ですよ。おもに神経に害を及ぼします。例えば意識が混濁したり、麻痺が起こったりするのですが……本当に御存知無いのですか?」
「え……? そうなのですか? いや……知りませんでしたね。何処にでも咲いているような花にしか見えませんが」
先生は眼鏡をポケットから取りだし、かけなおした。
「え!? 本当に御存知無かったのですか? 先生はお医者様なのですよね?」
大袈裟な素振りで驚くシオンさんに先生は不快感をあらわにした。
「い、一体貴方は何がおっしゃりたいのですか? 仮にも私は医者ですよ? ずっと長い間開業医として働き……カルディナ家の専属医となったのですから」
「……そうですか。長い間、開業医として働かれていたと……ですが、その割には薬草については詳しくないようですね」
「当然じゃないですか。我々医者は薬になる前の草花なんか知りません。既に出来上がっている薬を、患者さんの体調に合わせて処方するのが仕事なのですから。少し、薬草に詳しいというだけで素人にそんな風に言われる筋合いはありません」
ルーカス先生はどこかイライラしているように見える。そして父は、明らかに不審な眼差しを先生に向けていた。
「素人ですか? 生憎彼は違いますよ。まだ学生でありながらも薬草学の研究員で、いくつも論文を書いて発表しているのですから」
レオナルドが何処か、勝ち誇ったようにルーカス先生を見つめる。
「な、何ですって……?」
すると先生の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「おや、随分青ざめているようですね。どうしましたか? 彼が薬草学に長けている人物だということを知ったからですか? それとも何かやましいことでもあるのですか?」
レオナルドはさらにルーカス先生を追い詰める。
「い、一体何なんですか!? いきなり呼び出しを受けたかと思えば…‥こんな若者たちに責め立てられるとは……!」
先生はついに声を荒げた。
「別に責め立ててはいません。ただ、あなたはこの屋敷の専属医だったわけですよね? 当然亡くなられたルクレチア夫人の主治医も務めておられたのでしょう? 夫人の状態を診て、何も異変を感じなかったのですか?」
シオンさんは微動だにせず、ルーカス先生に尋ねた。
「ええ、当然です! 何か異変を感じていれば真っ先に伯爵に報告するに決まっているではありませんか! 伯爵! 私を信じて頂けますよね!?」
ルーカス先生は必死に父に訴えてくる。少しの間、父は腕組みをしたまま無言で先生を見つめ……口を開いた。
「そう言えば、今思い出したが…‥‥ゴードンと先生がよく話をしていた姿を時々見かけていたな」
「よく話をしていたとは、随分大袈裟ではありませんか。ゴードンさんは持病をお持ちでした。そこで時々、診察をしていたのですよ。何も彼に限った事ではありません。他にもこの屋敷に働いている大勢の人達を私はひとりで今まで診察してきたのですからね」
どこか怒ったような口ぶりのルーカス先生の姿を見ていると……何だか先生に対する疑念が湧いてくる。
「成程、持病か……」
父も私と同じ気持ちだったのだろうか? 父はチラリとイメルダ夫人に視線を送るも、夫人は知らんふりをしている。
一方のフィオナは退屈なのか、自分の髪の毛をいじっている。その様子から全く今の会話に関心を抱いていないことが分かる。
「それほど長年多くの人達を診察してきたのなら、さぞかし名医なのでしょうね。だとしたら何故ルクレチア様の病状を把握出来なかったのですか? 適切な診断が出来ていれば、病状が進行することは無かったのではありませんか?」
「な、何を言うのですか! 私は医者として、きちんとルクレチア様の診察をしてきました! 詳細を記載したカルテだって……」
シオンさんの言葉に反論していたルーカス先生が、何故か突然口を閉ざした。
「何だ。一体どうしたのだ?」
父が先生に尋ねる。
「い、いえ。何でもありません……」
「成程、カルテか……」
「い、いえ! ですが、もうルクレチア様のカルテは……ありません」
ポツリと呟くシオンさんに動揺の色を見せるルーカス先生。
「何? 無いだと?」
父の顔が険しくなる。
「何故、無いのだ?」
「あ……そ、それはもうお亡くなりになったので……」
そのとき――
「失礼致します」
いつの間にか席を外していたチャールズさんが茶封筒を手に姿を現した。
「どうした? チャールズ」
「はい、旦那様。ルクレチア様のカルテを探し出して参りました」
そして手にしていた封筒から束ねられたカルテを取り出した――