28 私と父 3
「ルクレチアの心の病は改善に向かうどころか、少しずつ悪化していった。目を離せばひとりで何処かへフラフラと屋敷内を出歩き、姿が見えなくなって捜し回った事も多々あった。そこで、やむを得ず屋敷の一番奥にルクレチアの部屋を移したのだ」
母の部屋が一番奥にあったのはそのためだったなんて……使用人の人たちの噂では、心の病んだ母を世間から隠すためだと言われていたけれども。
「私は自宅で仕事をする際は彼女から目を離さないようにルクレチアの部屋で仕事をするようにしていた。それ以外は使用人たちに必ず交代で付添をするように命じていたのだ」
「そうだったのですね……少しも知りませんでした。何しろゴードンさんからあまりお母様の側に行かないように言われていたので……でも中等部に上がる頃に、自分の意志で頻繁に会いに行くようにしました。このくらいの年齢になればお母様のご迷惑にはならないだろうと思ったからです」
私は散々ゴードンさんに言われてきた。
『御両親のご迷惑にならないように常日頃から考えて行動なさって下さい』と。
あの言葉の本当の意味は、私に対する嫌がらせだったのだろうか……?
その言葉に父が忌々しげに顔を歪める。
「あの男……お前にそんなことを言っていたのか? 一体何処まで我々を追い詰めるような真似を……いや。でもこんなことになってしまったのは全て私の不甲斐なさのせいだからな。本当にお前に辛い思いばかりさせてしまったのだな……」
そして父はため息をついた。
「お父様……二年前、あの雪の日に一体何があったのですか?」
私は何故、母が一人で雪の降る中に庭に出ていった状況を知りたかった。
「あの日は朝から雪が降っていたこともあり、ルクレチアが心配だった私は自宅で仕事をすることにしたのだ。ルクレチアの出身はここ『アネモネ』島だ。温暖な気候なので冬でも滅多に雪が降ることが無い。だから結婚前の彼女は雪の日をとても楽しんでいたんだ」
父が遠い目をして語る。
「そうだったのですか?」
心が病む前の母の話を父から聞かされるのは初めてだった。母は、本来とても無邪気な女性だったのかもしれない。
「お前が学校へ行った後、私はあの部屋でずっと仕事をしていたのだが午後に突然来客があった。そこで使用人たちにルクレチアから目を離さないように命じて来客の対応にあたっていた。客が帰った後に、屋敷内が慌ただしいことに気付いて何があったのか尋ねたところ……」
そこで父は言葉を切った。
「付添のメイドがルクレチアのお茶の準備をするために目を離した隙に……彼女は部屋を抜け出してしまったのだ。そこで全使用人に命じてルクレチアを捜し回ったところ……庭のベンチに座ったまま……冷たくなっていた……」
そのときのことを思い出したのか、父の目に涙が浮かぶ。
「お父様……」
「私はあの日のことを今も忘れたことはない。ルクレチアが雪を喜んでいるのは分かっていた。だから片時も目を離すべきでは無かったのだ……」
その言葉に胸が締め付けられる。
「いいえ、お父様。お母様が庭に出てしまったのは私のせいです。学校から帰宅したら私が付き添って庭に出て上げると言ったから……」
私も自分の目頭が熱くなって来るのを感じた。
「いいや、お前は少しも悪くない。ルクレチアが死んでしまったのも、お前を追い詰めてしまったのも全ては私の責任だ。あのような者たちの脅迫に屈していた私の……だからこそ、私は彼らを許さない」
父の顔つきが変わった。
「レティシア、もう二度とカルディナ家に戻りたくは無いかもしれないが……一度戻ってきてはくれないか? 全てのことに決着をつけるために、お前にも同席してもらいたいのだ……頼む!」
「お父様……」
思いもよらなかった父の提案に私は息を飲んだ――