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アバターに恋をして

作者: 砂山 海

「ただいま」

 そう言いながら誰も言い返さないのを理解しつつ、私は歩きながらリビングの隅に鞄を置く。そうしてブラウスのボタンを緩めながら、パソコンをさっと起動する。起動待ちの間、再び歩きながらお風呂のお湯を入れに行き、そこでストッキングを脱ぐ。これを脱ぐと仕事から解放された気になる。と同時に足のむくみも実感し、思わずため息が出てしまうのもこれまた日課だ。

 スーツに消臭スプレーをかけてハンガーにかけると、起動の終わったパソコンの前に座り、ブラウスと下着姿のままゲームを起動する。お風呂が沸きあがるまで二十分かからないくらいだが、それでもゲーム内の状況を確認し、フレンドに挨拶はできるだろう。

『イモータルエピック』

 それが私のやっているゲーム名であり、日課であり、心の拠り所だ。再来月で三周年を迎えるゲームなのだが、高い自由度と可愛いアバターが人気のオンラインゲームで今なお新規も増えている。私は去年CM放送しているのを見て何となく気に入りゲームを始めた、いわゆる二周年組というやつだ。自由度の高いこのゲームは戦闘でどんどん強い敵と戦うもよし、まったりと農民として生活するのもよし、商売するのもよし、悪役として逃げるのもよしという基本何でもできるのが売りのゲームである。

 その中で私はひたすら戦闘での強さを求めていた。と言うのも、ゲームと言えば敵を倒して強くなるというのが一般的だろうと思ってしばらく進めていたのだが、運よくそれなりに大きなギルドに入ってから色々な職業になれると知って驚いた。しかし今更プレイスタイルを変えるのも面倒だったし、それに同じギルドの戦闘班の人からあれこれ教えてもらって倒せなかった敵を倒せるようになった嬉しさで、今でも戦闘職一本でやっている。

 ギルドの人数は人数制限いっぱいの五十人と大所帯だ。だからいつログインしてもたいてい五人か六人はいる。今は夜七時のため、十二人いた。私がチャットで挨拶をすればすぐに反応が返って来る。ゲーム内のこうした繋がりは気楽でもあり、画面越しなのに心が通っているみたいで嬉しくなる。

「じゃあ、仕事から帰ってきたばかりなんでお風呂ご飯放置でー」

「あー、俺何食べようかなー」

「おぼれてらー」

「いってらっしゃい、また後でー」

 色々な人から反応が返る中で、お目当ての人はまだログインしていないみたいだった。私はちょっと戦闘でもしてこようかと思ったのだが、お風呂が沸いた音が響いてきたため敵の出ない街中で待機状態にした。

 お風呂から上がり、手早く髪の毛を乾かす。先日セミロングくらいあったのを気分転換にボブショートにしたところ、乾かす時間が短くなったし、なにより頭が軽くなった。ただ、職場の上司達からは散々失恋でもしたのかいと質問されて、ウンザリしたものだ。そんな事で髪の毛を切っていたら、同僚の松木さんなんて今頃スキンヘッドにしないとならないだろう。

 夕食はありあわせの材料でオムライスを作ると、そのままパソコンの前に持って行った。そうして待機解除し、夕食を食べながらチャットで雑談する。自由度が高いからこそ、やることも多い。大体いつも夜十時には戦闘班でドラゴンを狩りに行くのだが、そのために装備のチェックをしたり、物資の補充をしたりする。それに前回の戦利品の整理に、自身のスキルアップなどの成長作業。そしてこのゲームは空腹度もあるため、食料も調達しないとならない。

「アロエさん、こんばんはー」

 釣りをしながらオムライスを口に運んでいると、不意にギルドチャットとは別のチャットウィンドウで挨拶された。名前を見て、私は思わず笑顔になる。アロエとは私のゲーム内の名前だ。特に思い入れがある名前というわけではなく、ゲームを始める時に何にしようか考えていた時、ふと冷蔵庫にアロエヨーグルトがあるのを思い出したからだ。そんなノリでつけた名前なのだが、今ではすっかり気に入っている。

「マリスさんこんばんは。今はいつものとこで釣りしてるよ」

「じゃあ、今から行くよ」

 私は釣りを中断し、オムライスを運ぶ手を早めた。

「お待たせ。あれ、釣りやってないの?」

「ご飯食べていたから。でももう終わったよ」

 画面の奥から走って現れたのはボサボサの長髪を伸ばし、紺色のオーバーオールに身を包んだ小柄ながら体格の良い男ドワーフのアバターだった。マリスさんはギルド内で鍛冶屋を担当しており、ロールプレイの一環でそういう格好をしているとの事で手にはハンマー、頭には溶接用のマスクをつけているのがこだわりらしい。ただ、鍛冶屋をメインとしているのだが戦闘能力も高く、正直私よりもずっと強い。たまにギルドマスターの要請で戦闘に参加すれば、戦闘職顔負けの動きで場を支配してくれる。

 対して私のアバターはヒューマンといういわゆる一般的な人間女性のアバターだった。髪型は自由に変えられるため、現実に即してボブショート、格好はすぐに戦えるようにいつでも剣と鎧兜を装備していて、やや武骨な感じだった。まぁ、現実の私はと言えば百五十センチに僅かに届かない身長だし、童顔でよく子供に間違われる。力もあまり無く、職場では何だか温かい目で見られることが多い。だからなのか、ゲーム内のアバターのように武骨な装備で走り回れるのが楽しくて仕方ない。

「アロエさんはこれから古龍行くの?」

「十時からね。マリスさんも行く?」

「自分はいいかな。今回のメンバーだと大丈夫でしょ。アロエさんもこの前、いい武器作れたから結構ダメージ与えられると思うよ」

「マリスさんが材料取るのにすごい協力してくれたおかげだよー。私だけじゃ、トロルガーディアンの素材、集めきれなかったよ」

「でも、アロエさん動き方かなり上手くなってたよ。ほら、そろそろ古龍の時間だよ。装備品の耐久度低下したら、一番に直してあげるからがんばって」

「古龍狩り終わるまで、いる?」

「……寂しいの?」

「うん、いなかったら寂しいな」

「へぇ、そうなんだ」

 そう言いながらも、いつも待ってくれるのはわかっている。けれど、マリスさんにそう言われるとわかっていても寂しくなる。彼もきっとわかってやっている。意地悪だ。でも、そういう所も含めて私は好きだ。

「まだ寝ないから大丈夫。終わったらまた話そうか」

「うん、楽しみにしてる」

 私はアバターをお辞儀させると、ギルド内で約束した場所へと向かった。

 マリスさんとはかれこれ一年の付き合いになる。ゲームを始めて割とすぐこのギルドに加入し、その時から装備品のあれこれを教えてもらいつつ、現実からゲームの上手いやり方まで色んな相談をする仲だ。まぁ、ほとんどの場合が私の質問なり愚痴なのだが。それでもマリスさんは丁寧に優しく、でも言うべきところはズバッと言ってくれる。どちらかと言えば優柔不断な私と違って、即断即決なマリスさんはすごく憧れる。

 加入当時はレベルも装備も雲の上の人、話しかけるのもちょっと躊躇していたのだが、マリスさんは質問せずとも優しく指導してくれた。おかげで同時期に入った人たちも別ギルドに何人かは移籍したが辞めることなく続けているみたいで、ゲーム内が賑わっているのもマリスさんの影響が幾らかあるんじゃないかとすら思える。

 それを本人に言った事があるのだが、その時に「ゲームが好きでやってることだから、賑わってくれるのがただ嬉しい」なんて言われた時には正直、胸が打ち震えた。ゲーム内での偽善的な発言なのか、それとも本心からなのかは最初わからなかった。だって、今まで生きてきて会った人の中で、そんな事を言える人に出会った事なんて無かったから。けれど、その後のマリスさんの人となりを見てきて、あの時の発言が本心からなのだと気付いた時、私は正直ほのかな恋心のようなものを抱き始めていた。

 恋、そう呼んでいいのかはわからない。けれど仕事をしている時もお風呂に入っている時も食事をしている時も寝る直前も、私はマリスさんとの会話を思い出す。そうして褒められた事を特に思い返し、頬をにやけさせていた。ログインしない日はほとんど無いのだが、いなければ喪失感を味わったし、やる気が出ない。またログインしていても話せない時は虚無感を味わった。実際この古龍狩りだって私のためにもまだまだ必要なやつなのに、マリスさんがこうして傍まで来ていた日にはサボりたくもなる。でもきっと、そういう私をマリスさんは嫌うだろう。そして、悲しむだろうからしない。

 狩りを終えるとマリスさんにチャットを飛ばし、待ち合わせ場所を確認した。町外れにある小高い丘。そこは街中と違って人もそう多くなく、チャットをしていても他人のチャット画面にかぶらないので、よくそこで話し込んでいる。そうして私達は合流し、向かい合わせに座り合った。

「古龍お疲れさまー。実は離れたところで見てたんだけど、結構ダメージ与えれたみたいじゃない。動きも良かったよ」

「見てたの? 恥ずかしいなぁ。でもマリスさんに教えてもらったおかげだよ」

「それを実践できているアロエさんが凄いんだよ」

「嬉しいな、マリスさんに褒められるの。そうそう、ちょっと聞いて。私ね、今度出張することになったんだよね」

「あらら、大変だね。アロエさん確か区役所勤務だよね、出張なんてあるんだ」

「うん。防災課なんだけど、他県との交流もたまにやってるんだよね。それで今日、課長から一緒に行くぞって声かけられちゃって」

「そうなんだ」

「うん。それでね、行き先聞いてビックリしたの。だって北海道だよ。私は神奈川だからどうせ千葉とか山梨とかだと思っていたら、まさかの北海道の札幌。それでね、マリスさんって確か札幌住まいだよね」

「うん、まぁ」

「会えるかなぁ。会いたいなぁ、折角行くんだし」

「どうかなぁ、仕事の都合もあるし。それにそういうオフ会とかって参加したことないから、怖いなぁ」

 武骨なドワーフのアバターがそう言っているのが妙におかしく、私は落ちかけたまぶたのままくすりと笑った。

「大丈夫だよ、私一人だけだし。それにマリスさんとはすごくゲームで仲良くしてもらっていて、一度会ってみたいから。私、アロエさんの事がすごく好きだから」

「自分もアロエさんの事は好きだよ」

「じゃあ、会おうよ。私一人しかいかないし、私が待っている側でいいからさ」

「でもね、こういうのって会ったら大抵がっかりするものだと思うよ。こうした交流はゲーム内で終わらせた方がいいんじゃないかな」

「だってマリスさん、絶対いい人に決まっているもん。がっかりなんて私、しないよ」

「ところで、私のこのアバターっていい感じかな?」

 突然話題が変わったため、眠い頭で何故そうなったのかわからなかったけど、マリスさんに話しかけてもらえるなら何でもよかった。

「うん、もちろん。大好き。なんだかもう、マリスさんはこれじゃないとって思うくらい似合っているよ」

「うん、やっぱりアロエさんはあれだよ、このアバターに恋してるだけだよ。実際に会ったらガッカリするよ。それにね、幾ら親しいからと言ってアロエさんみたいに個人情報をあまり話すと危ないよ」

「大丈夫、私の本当の事を話してるのはマリスさんだけだよ。マリスさんはでも、ほとんど話してくれないよね」

「だってゲームはゲームで分けたいからね。まぁ、アロエさんは特別だからこっちもちょっとは話しちゃったけど」

「マリスさんは札幌住まいで社会人ってことくらいしかわからないよー」

「アロエさんが話しすぎなんだよ。西村歩だったよね、名前。神奈川県の区役所の防災課に勤務してて、基本夕方の六時上がり。ツイッターもフェイスブックもアカウント教えてくれてるから、行動バレバレだよ」

「だって、マリスさんには知って欲しくて」

 私は薄暗い部屋で一人にやける。

「それは嬉しいけど、でも少し考えさせてね」

「わかった。行くのは来月の三日だから、予定空けておいてね」

 私達はスタンプで笑顔を取り交わすとマリスさんはそのままどこかへ、私はもう眠気が限界に達していたためログアウトした。パソコンがシャットダウンし終える前に私は布団に潜り込み、スマホを充電したのを見届けるとまぶたがすぐに落ちる。眠りにつく間際、私はまだ見ぬマリスさんに抱き締められる事を想像して僅かににやけた。


「西村、研修中も腹は減るよな」

 研修先に使う資料をまとめていると、突然後ろから課長に声をかけられた。私はその体と違わぬ大声にいつものように驚き、振り返る。するとそこには熊のように大きく、豪快にニコニコしている諸住先輩が立っていた。

「そうですね、お腹は空きますよね」

「そうだろう。そんな西村のために俺が経理に掛け合って昼飯代を取って来たぞ」

「それ、先輩が食べたいだけですよね」

「それもあるけど、まぁ一番は若い奴のためだ。それに西村、夜はなんか用事が入るかもしれないとか言ってただろ。一日目も二日目も。だから昼くらいは付き合えよ」

 決して白くはない歯を妙に自信たっぷり見せながら、諸住先輩は笑う。四十も半ばを過ぎた人なのだが、私はこの人が好きだ。もちろん、恋愛的な意味ではない。でも良く気が利くし、さっぱりしているし、後腐れがない。私も笑顔を返し、朗らかな気持ちになる。

「いいですよ。それで先輩、何を食べるつもりなんですか?」

「当然、海産物だ。サーモンにホタテ、ウニにイクラに牡蠣。どれも絶対美味いぞ」

「ウニとか牡蠣って食べた事ないんですけど、美味しいんですか?」

 途端、先輩が全力で憐れむ眼差しを向けてきた。

「あー、あー、あー。お前、もったいないぞそれは。まぁ若いから本物を知らなくて当然かもしれないが、人生変わるくらい美味いぞ。いいから食べてみろ、俺が店を選んでおくからな」

「あ、じゃあお願いします」

 仕事を終えると私はいつものように一目散に家に帰り、玄関を開けて靴を脱いでからは流れるようにパソコンを起動してゲームにログインした。そうして交わされる無数の挨拶の中からマリスさんを見つけると、一時間後にいつもの丘で待ち合わせる。それから私は急いでシャワーを浴びると、パパッとカルボナーラを作った。

 食べ終えるとすぐに今日やらないとならない作業を済ませ、ギルド内の狩りに参加した。参加は強制ではないのだが、やはりある程度活躍しておかないと申し訳ないという事もある。たまに狩りが忙しいと、息抜きでゲームをしているはずなのに何でこんなとも思うけれども、基本的に少しずつ強くなったりみんなが喜んでくれるので楽しんでいる。そうしてギルド内での役割もこなすと、私はログインしているマリスさんに声をかけ、いつもの場所で会うように伝えた。ほどなくしてマリスさんのアバターが見えると、やっぱり頬が緩む。

「こんばんは。ねぇ、オフ会考えてくれた?」

「こんばんは。そうだねぇ、一応考えているんだけど……」

「私はね、今日課長から夜の外出オッケーもらったよ。お昼には牡蠣とかウニとか食べた事のない海産物食べさせてくれるって言ってた。ねぇねぇ、牡蠣とかって美味しいの?」

「牡蠣は好きだよ。ウニは美味しいの食べないとダメだけど、高いからねぇ」

「そうなんだ。えー、そっちだとたくさん食べられるものだとばっかり思ってたよ」

「さすがにそんな事は無いよ」

「あー、でもマリスさんと会って食べるご飯が一番楽しみ」

「いやいや、もし会ったとしてもそんなに高いお店には連れて行けないよ」

 汗マークのスタンプを二度出して、マリスさんは焦っているアピールをする。

「ううん、ほんとに会えるだけでいいから」

「そうも行かないって。来たら折角だから美味しいもの食べて欲しいし、色々見て欲しいからさ。でもほんと、恥ずかしいけどそんなにお金無いから高い所は無理だよ」

「そこまで言ってくれるって事はさ、会ってくれること前提なんだよね?」

 時間にして一分ほどの沈黙。多少チャットの入力に手間取ればそのくらい時間がかかってしまうけれども、答えを待つ私には永遠とも思える時間だった。

「まぁ、いいよ。でもこれだけは約束して欲しい事があるんだけど」

「うん、何でも言って」

「もし会って想像通りでなくてガッカリしても、これからも遊んで欲しいな。まぁ、ガッカリされたら自然と離れちゃうだろうけど、すぐにはきついかな」

「そんな、ガッカリなんてしないよ。するわけないよ」

「それとね、会った事は他のみんなには黙っていて欲しいの。アロエさんにもよく言うけど、ゲームと現実はなるべく切り離して楽しみたいタイプなの」

「うん、いいよ。絶対言わないし、ガッカリしない。約束する」

 それからまた僅かな沈黙。私は奥歯を噛み、自分の鼓動が高まりのを感じた。

「約束してくれるなら、わかった。会おうよ」

「やった、ほんとに? ほんとだよね? 嬉しい、すごい嬉しい。絶対会おうね。私、これだけマリスさんと話してきたんだもん、ガッカリなんてしないから」

 それからほんの少しだけ雑談してからログアウトすると、私は歯磨きなどを済ませてから布団に潜り込んだ。まぶたを閉じてすぐに寝るつもりだったのだが、先程マリスさんがオフ会に参加してくれると言った事を思い返してはもう興奮し、右に左に眠れない寝返りを打ち続けた。マリスさんが来てくれる。ただその事実だけで体中は熱く騒ぎ、胸の奥から広がるざわざわとした何とも言えない疼きに抗えずなかなか眠れないでいた。


 新千歳空港に着くと、やはり空気が違って感じられた。地元と違って湿度の少ない感じが心地よく、笑顔になる。今回は研修と言う名目なのだが、飛行機に乗ってまでの旅行はあまりした事がないため、空港にいるだけでテンションが上がってしまう。きょろきょろと周囲を見回しながら感嘆の声を上げていると、ぱぁんと肩を叩かれた。

「おいおい、西村。なんぼなんでも浮かれ過ぎじゃないか」

「あ、すみません。でも私、初北海道なんで」

 やれやれとばかりに先輩は肩をすくめるが、その目は優しい。

「まぁ、いい。ともかく今日はこれからホテルに着いてから、札幌市役所に行くからな。昼はそうだな……少し早いけど、ここで食っていくか?」

「空港でですか? 折角だから札幌の中心部で食べましょうよ」

「アホかお前、こっから札幌の中心部まで行ってからメシ屋探していたら、食う時間なんて無いぞ。それにな、ニュースで見たんだけどここ、拡張工事が入って食べ物屋とかがすごい充実しているみたいなんだよ。まぁ高い海鮮は明日にして、とりあえず何か食うか」

 わざわざ北海道まで来たのに、空港で食べるのか。なんて最初はショックだったが、先輩の言う通り食事をする所はかなりの店があり、どれも美味しそうだった。定番だろうラーメンを食べ、お互いに少し汗をかきながら札幌駅まで電車に揺られる。そうして私達はホテルにチェックインし、仕事モードに切り替えて市役所を目指す事にした。

 しかしホテルにチェックインした際、持ち込んだノートパソコンを開いてゲームを起動し、マリスさんの個人チャットに一方的に書き込んでおいた。それは今日の仕事が十七時過ぎには終わるので、もし会えるのならそれ以降には確認できるので返事が欲しいとだけ。だから仕事中もどんな返事が来ているのか、それとも見て見ぬふりされているのか、はたまたマリスさんが忙しくて見ていないかもしれないと気が気で無く、あまり集中できなかった。

 仕事が終わり、先輩にもし暇なら飲まないかと誘われたのだが、約束があるからと断って一目散にホテルに戻った。そうしてパソコンを立ち上げ、ゲームチャットを確認する。するとマリスさんからの返信があった。しかもオンラインになっている。

「マリスさん、こんにちは。今日大丈夫なんですか?」

「うん、いいよ。今から札幌駅で会うとしたら、一時間くらい後になるけど」

「大丈夫。あ、じゃあ私はピンクベージュのワイドパンツに白いノースリーブって格好なんだけど、それだけじゃわかりにくいから赤い小さなバッグ持って西改札口の近くのベンチに座っているね」

「わかった。こっちは紺のジーンズに黒っぽい花柄のシャツで行くから」

 念のため電話番号を交換しておいたのだが、まだ電話をかけていない。かける勇気がわかないというのが正しいかもしれない。でも少しでも約束の時間を過ぎたら、一度はかけてみた方がいいのかもしれない。私は駅の改札から出てくる人波の中で言われた服装の人が居ないかどうか、ベンチに座りながら探す。マリスさんはリアルをほとんど話さない人だったから、未だに何歳で身長がどのくらいなのか不明だ。ただ勝手にアバターの影響からか力強いイケメンだと思っている。きっと背も高いのだろう。そんな人はいないかと忙しく視線を動かすのだが、見当たらない。

「アロエさん、ですよね」

 いい加減、電話しようと視線を下げていたら不意に声をかけられた。想像と違った声、しかしアロエさんなんて呼びかけはマリスさんに違いない。私は慌てて顔を上げた。

 そこにいたのは私よりも少し大きいくらいの女性。黒髪を後ろで一つ縛りにし、細いフレームの眼鏡をかけた、どちらかと言えば地味な印象の人だった。思ってもいなかった人物に私はとっさに挨拶もできず、目を丸くするしかなかった。

「初めまして、マリスです。ゲーム内ではいつもありがとう」

「えっ、あ、本当にマリスさん?」

 彼女は少し寂しげな眼をしながらも、うなずく。

「はい。あの、驚きました?」

「いや、あ……はい。えっと、初めまして」

「ここじゃなんだから、行きましょうか。お酒って飲めましたよね?」

「えぇ、少しなら」

 私は立ち上がり、マリスさんと並んで歩き始めた。私よりも少し背の高いマリスさんはアバターからは想像がつかないほど華奢で、でもゲーム内と同じように落ち着いた雰囲気がある。それでも私の頭の中は男の人と思ってたという大前提が崩れていたため、混乱していた。

「アロエさんは前から色々話してくれていてある程度わかっていたつもりだったけど、実際に会うと想像よりも可愛くて驚いちゃった。すごい女の子らしくて、お洒落で」

「いや、そんな……恥ずかしいです」

「逆に私には驚いたかな。アロエさん私の事、男だって思ってたんじゃない」

 今にして思えば物凄く失礼で恥ずかしい事ばかり言っていたような気がする。どんな人がタイプなのかとか、職場の誰よりもずっと格好良いとか、いつかデートしたいなど男の人と思って喋っていた。

「いや、その……そうなんです」

「まぁしょうがないよ、女子力低いからね私。それにゲーム内でリアルの性別を話したら昔セクハラまがいの事ばかり言われて、ウンザリした事があるんだ。アロエさんもあるんじゃない」

「そうですね」

「……んー、やっぱり解散しようか。期待裏切っちゃったみたいだし」

 はたと立ち止まり、マリスさんが私に微笑みかけた。それはまるで断絶を意味しているように私は思え、慌てて首を横に振る。

「あ、いやいや、そんな事ないですから。確かに勝手にびっくりしちゃいましたけど、でも私も会えるのを楽しみにしていたんです。だから大丈夫なんで。変な気を使わせてごめんなさい。ね、お店行きましょう。ところでどんなお店なんですか」

「ほんとに大丈夫?」

「ずっと楽しみにしていて、緊張してただけです。でも、もう大丈夫なので」

 じっと私を見ていたマリスさんだったが、ややあってすっと前を向いた。

「前に私が言った事のあるダイニングバーかな。さっき個室での予約取れたんだ」

 駅からほどなく歩いたところにあるビルの地下にそのお店はあった。店内の照明は控え目で、それがインテリアとよくマッチしている。ヨーロッパ風の木造の地下室をイメージして作られている店内なのだが、思っていたよりは女性の声が響く。私達は店員さんに案内され、奥の個室に通された。そして私はおススメされたモスコミュール、マリスさんはパインモヒートをそれぞれ注文する。料理は全てお任せにした。苦手なものが多い私だけれど、折角ここまで来たのだから色んなものに挑戦してみたい。

 ドリンクが届くと、私達はそっとグラスを合わせて乾杯した。

「すごいお洒落なお店ですね。結構来たりするんですか」

「前に友達と一回ね。アロエさんこっちに来るって言った時からどうしようか迷っていたんだよね。ほら、食べた事無いものとか苦手なもの多そうだったから。それに女子力高そうだから、下手なとこにも連れて行けないし」

「そんな。マリスさんとならどこでもいいです。あ、それと折角こうして会ったんですから、今日だけは本当の名前で言いません? ここではいいんですけど、何だか外でその呼び方してるの、ちょっと恥ずかしくて」

「そうだね、実は私も」

 安心したようにはにかむマリスさんに私も嬉しくなってきた。

「では改めまして、私は西村歩って言います」

「私は遠藤優花里。改めてよろしくね」

 遠藤優花里、優花里、ゆかり……私は何度もその名前を反復した。

 それから食事を楽しみながら、お互いの近況を話し合った。遠藤さんは地元の野菜加工場でパート勤務をしているらしく、歳は三十二歳。チャット上で話していても大人びているなぁと思っていたのだが、やはり年上だった。目つきがややきつい気がするし、年上だからなのか私のようにはしゃぎはしないのだが、不意に見せる柔らかい笑顔がとても素敵だ。すらっとスリムで、お姉様って感じがする。

 そして勧めてくる料理とお酒の何と美味しい事。一口サイズの肉寿司にクリームチーズのサーモンロール、牡蠣のアヒージョ、生ハムのサラダピッツァなど口に運ぶたびに笑顔がこぼれた。お酒も決して強くないのだがオレンジブロッサムにカルーアミルク、そしてギムレットと本来ならば一杯で十分真っ赤になってしまうのだが、四杯も五杯も飲んでしまった。なのですっかりふわふわとした気分になり、初めて顔を合わせた事も忘れて私はだらしない笑顔で遠藤さんを見詰めていた。

「だからー、あんなドワーフのごっついアバターだから男の人だと思ってたんですってば。言動イケメンだったから、すごいメロメロだったんですって。そしたらもう、ビックリ。目の前に綺麗なおねーさまがいるんだから」

「ごめんねぇ、こんなおばさんで」

「えー、何言ってるんですか、全然そんな事ないですってば。今にして思えばマリスさん……じゃなくて、遠藤さんが女の人で良かった」

「ん、どうして?」

 私の倍以上飲んでいるはずなのに、口調はあまり変わっていない。そしてゲーム内でもたびたび感じていたのだが、この人はたまにこうして意地悪な感じになる。私の中に眠る被虐心をぞくぞくと刺激してくる。そんな眼をして私を見詰めていた。

「だって、男の人だったらここまで飲まないから。やっぱりイケメンだとしても、警戒しちゃうよ」

「うん、そうかもね」

 くいっとグラスを傾ける姿が何だか色っぽく、胸が高鳴る。

「別にその、ゲームでも男の人との出会いを求めていたわけじゃないんだけど、やっぱり話していたらすごくドキドキする事ってあるじゃない。それがね私にとってマリスさんだったの。マリスさん、あ、遠藤さんはそういうのあります?」

「私? そうだなぁ」

 すっと視線を外したかと思うと、すぐに見詰めてくる。照明のせいか、眼鏡の奥の少し茶色がかったその瞳に吸い込まれてしまいそうだ。

「私はアロエさんと話している時がそうかな」

「えっ」

 自分で質問しておいて、驚いてしまった。けれどその答えを期待していた部分も大きく、安堵と同時に頭がかーっと熱くなっていく。頬も熱く、恥ずかしい。でも、目を離せないでいた。

「それって例えば、どういう時?」

「んー、色々あるけど……」

 あぁ、そう言いながら向けられる嗜虐的な視線に私は身体の内側からむず痒くなる。

「今が一番、ドキドキしてるかな。ゲームしてた時も私を好きって感じで来てくれていたじゃない。私ね、自分を好きって言ってくれるとすごく好きになっちゃうんだよね」

「それは私も、同じ」

 もう私は耳まで真っ赤になっていると思う。お酒のせいでもあるけど、それだけではない。さっき会った時は落ち着いていてどこか地味な感じで、ゲームの感じとは少し違うなと思っていた。でも今はまた別の意味で違って思える。優しいけどちょっと意地悪言う程度だと思っていたのに、こんなに惑わすほど意地悪だったなんて。

「そっか、それなら良かった」

 遠藤さんはふっと笑い、また一つグラスを傾けた。

「でもね私、それでも罪悪感があるの」

「えぇ、なんで?」

 ぐっと顔を寄せると、遠藤さんもすっと静かに寄せてきたため私は思わずその近さにドキッとした。あまりの近さに何だか恥ずかしくなって視線を下げると、その薄い唇がゆっくりと動く様子から目を離せなかった。

「だって男の人なら、歩ちゃんをたくさん抱けたのにね。期待してたんでしょ」

 甘い吐息の匂いとその言い回し、そして全てを見透かされていたような恥ずかしさに私はかっと熱くなるのを感じた。

「いや、そんな事は」

「嘘ばっかり。私で残念って顔してる」

「やだもぅ、なんでそんな意地悪言うの。私、ほんとにマリスさんに会えてよかったと思ってるのに。こんなに素敵な人、いないよ」

「私から見ても、歩ちゃんほど素敵で可愛い人はいないと思う。今まで見てきた誰よりも可愛くて、素敵。同性なのにすごく憧れちゃうな。お洒落で髪も綺麗で、仕草も可愛い。ほんと、羨ましい」

 気付けば私達はお互いに手を重ねていた。ほんの少し冷たい彼女の手は火照った私にとってすごく気持ち良く思える。なんだろう、私も今まで彼氏がいたり何人かに言い寄られたことはあったけれど、こんな風に直接的に、そして心に絡むように言われたことは無い。だから酔っている事もあってか、嬉しさで鼓動が高ぶっていた。

「ねぇ、キスしたいな」

 呟くなり、いきなり唇を奪われた。その突然の柔らかく、しっとり濡れた感触に私は一瞬わけがわからなくなったが、すぐにそこに意識が集中した。ほんの少し唇をずらされ、吸われただけでもう火が点く。数秒のキスだったけど、唇が離された時にはまるで何日も突き放されたような寂しさがあった。

「なんで離すの……」

 すねる私の眼差しに悪戯っぽくも嗜虐的な視線が交錯する。

「もうそろそろ、お店出る時間だよ。良かったら、場所移さない?」

 それが何を意味するのか、これからどうなるのか幾ら酔っている頭でも理解できた。普段ならばそういうのに興味が無いし、ましてや明日も仕事があるのにこれからどこか行くだなんて考えられなかったが、今この瞬間においてはそんな面倒な事は考えたくなかった。

 ただこの熱い波に流されるまま、どうなってしまうのかだけ興味があった。


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