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歩いて数分のところにあるコインパーキングに駐車して、2人して加絵のアパートへ向かう。酔っぱらって次の日寝坊した時特有の、ばかげて明るい昼間だった。女のひとり暮らしでやすやすと男を家に上げるのは不用心かと思ったが、一緒に寝ていて服も脱がさないくらいだから、まあ安心だろう。
着替えてきます、と言い置いて、加藤をダイニングに押しやった。今更めかしこむ必要などなし、加絵が部屋着のTシャツとジーンズに着替えて現れたのはものの数分後だった。
ダイニングに続く自室に加藤を案内すると、興味深そうに部屋を見ている。別に加絵の部屋じゃなくたって、加藤の部屋と比べたらほとんどの人がきれいにしている方だろう。インスタントのカフェオレをマグカップに注ぎ、テーブルに置く。その間に何か作ってしまおう、手っ取り早く炒飯でもするかと思っていたら、手首をぐいと引かれて加絵の身体は簡単にバランスを崩した。
あっけなく加藤の腕の中に倒れこんだ加絵は、何が起こったか分からなかった。
「あー…昨日ヤっときゃよかった!」
ぐいぐいと加絵は頭を、彼の胸元に押し付けられる。
「え…?」
「言ったっしょ、俺山城サンタイプなんだって。じゃなきゃ酔いつぶれても回収しません」
「えーと、え?」
「普通なら絶対昨日ヤっちゃってたと思うけど、山城サンがもう二度と『ダメ男』とは付き合わないとか言うし…」
いい年した大人が何度も「ヤる」とか言うな、とか、二度と『ダメ男』と付き合わないってなんだ、とか聞きたいことは色々ある。加藤の腕の中でじたばたともがいていると、一層拘束が強まった。
たった一晩で、加藤のことをたくさん知った気がする。
酔って暴言を吐いた加絵を回収してくれるくらいには面倒見がいいこと。
酔いつぶれている加絵に手を出さないくらいの分別は持ち合わせていたこと。
デリカシーは相変わらずないこと。
元カノの名前はマリということ。
仕事はできるくせに、部屋はとんでもなく汚いこと。
そのくせ、車で加絵を家まで送るマメさはあること。
何よりまずいのは愚直に「タイプだ」と言ってくるところだ。加絵は自分が犬のような青年の弱いことを重々承知している。素直で愚直。そして何より、加絵は元彼の浮気を知り傷心している。絆されるのに絶妙なタイミングだな、と苦笑したくなるほどだ。
「…腹減ってたんじゃないんですか」
「減ってるけど。朝からなんも食べてねーじゃん」
だから、そういうことじゃなくて。
「お腹空いてるの、しばらく我慢できます?」
見上げた加藤の喉仏が上下するのを、加絵はじっと見つめていた。
* * *
土曜日の記憶に浸っていると、ちょうど前を加藤が歩いていた。社員証をかざし、ゲートを通っていく。同じ部署だから、その後ろ姿を追うことになるわけだが、声をかけることはしなかった。朝礼までにまだしばらく時間はある。加藤が荷物を置いて一服しにいく前に声をかけた方が、人目につかなくていいだろう。
タイミングをみはかろうと様子をうかがっていたら、始業してしまい、そしてなんだかんだ業務終了まで加藤をつかまえることはできなかった。
のに。
退社しようと荷物をまとめ、あれ、社員証はどこに入れたかなとジャケットのポケットを探っていると急に声をかけられた。
「山城サン」
相変わらずの胡散臭い笑み。整った顔立ち。あの汚い部屋からピカピカの所謂イケメンが現れるのだから不思議なものだ。
「今晩あいてる?晩飯、行かない?」
以前なら間違いなく断っていただろうが、なんとなく一回「ヤって」しまったから、断りにくい。自分のこういう流されやすいところがダメなおとこと何度も付き合ってしまう所以なのだろうな、と加絵も分かってはいる。いるのだが。
どうせ少し話をしようと思っていたところだ。もっともらしい理由で自分を納得させた。加藤が加絵を連れてきたのは女性が好むようないかにもなカフェバーで、なんだかな、と思う。アルコールと料理がそろってしばらくしたところで、なんとか言った。
「同じ課で何かあるのも面倒だし、これからも今まで通り何事もなく接してもらえると助かるんですけど…」
「え?」
牛肉のトマト煮を大ぶりな大きさのまま口に放り込んでいた加藤が顔を上げる。隣に座っている彼からの視線を痛いほど顔の左側に感じる。
カチャン、とフォークとナイフを置く音がする。
「…俺山城サンのことタイプだって言ったよね?」
「はあ、まあ」
「今、彼氏と別れたばっかりだよね?」
「まあ、そうなりますね」
「そんな絶好のチャンスに今まで通り放っておくと本気で思ってんの?」
めでたいなあ、と含みのある笑い方をする。嫌な笑いだ。
「……山城サン、同期飲みの日、俺に何話したかとか覚えてる?」
「いえ」
「…あとさ、その敬語やめない?同期じゃん」
「あー、なんとなくクセで…」
「俺とも仲良くないし?」
言おうとしたことを被せられて、言葉に詰まる。
「でももう、『1回ヤっちゃた仲』だしさ、俺ら」
今までになく軽薄な加藤の微笑みに、加絵は軽く肩を落とし、とりあえず食事だけは楽しもうと自分の目の前の皿に向き合った。
...to be continued.