私だけがいない世界
情景描写と独白を主体とした短編小説です。雰囲気はやや暗いですが、ポジティブな作品だと思います。食事の前にでも軽く読み流してください。
儚げな秋風が、優しく私を撫でた。
ふわりと秋の訪れを報せてくれる秋風は、冷たく草木の命を奪う。草木の揺れる音は、無価値な抵抗の様に感じられた。逃れ得ぬ死という生物にとって当たり前の概念を拒む様に、しかしそれでもその熱を奪われていく様に。
そんな草木の音で目覚めた私は、突っ伏していた木製の冷たい机から顔を上げる。組んで顔の下に敷いていた両腕がピリピリと電気が流れるように痺れて、ボーっとする頭を起動している様だった。暫くの間ぼんやりと腕を眺めた後、ゆっくりと顔を左に向けた。
私は教室の中にいた。私が通っていた、至極普通の公立高校の、木製の安っぽい机が並べられた教室だ。何十年も酷使されてきた黒板はもう完全に白を取り除くことが出来なくなっていて、床には所々丸くて黒いシミの様な物が出来ている。古臭い匂いがする。何色とも形容し難い、まるで彩度を失ってしまった枯葉の様な色の匂いが漂っている。何もかも、昨日までと変わらない光景のはずなのに、昨日までと違うのはこの教室が透き通って見えて、外界からの色とりどりの彩色を重ね合わせた一枚の絵画のように見える点だ。美しさとは乖離したこの教室という空間が、宝石を散りばめた芸術作品のように映るのだ。窓の外だって、田んぼと家が並んでいるだけの、ただの田舎の風景なのに。
入学する前と、通学している間と、そして卒業した後では教室とう場所の見え方が変わってくると聞いた事がある。その言葉の意味が今、初めて理解できた。中学校だって卒業したはずなのに、高校だって何も変わらなかったはずなのにだ。だから、どうして卒業した後になってこんなにも古臭いのに美しく、輝いて見えることが恨めしかった。
左を、窓の外の風景を意味もなく眺めながら立ち上がり、ゆっくり足を踏み出した。一歩一歩、踏みしめるように、躊躇を振り払うように、衝動を抑えつけるように、窓へと近づいていく。少しずつ、視界に映る外の風景が広がって行った。夕焼けの朧げな斜陽が、夜の深い青色に沈んでいく。まるで海の深くへと沈んでいくようだった。広がる田んぼは稲に沢山の穂をつけて、その頭を垂れて風に揺れている。まるで、秋風に自分が生きていることを謝罪している様に、それでもなお、生きたりないと訴えかける様に。
不意に、強い秋風が吹きつけて、私の髪を揺らした。髪がちくちくと顔を擽るので、私は咄嗟に目を閉じて、靡く髪の毛が落ち着くまでじっと耐えた。風が止むと、それに倣って髪の毛も落ち着いたので、再び目を開く。風景はあまり変わっていなかったが、さらさらさらと散った草木が地面をのたうち回る音が耳を擦った。
寂しいものだ、秋というのは。ただでさえ冬に向けて命が散りゆく季節だというのに、私は季節外れの卒業を迎えてしまったのだから。正確に言えば、まだ卒業はしていないが、卒業式が開かれる春頃、きっと私は病室の真っ白なベッドの上で何をする気にもなれずに呆けているだろうから、実質卒業したと言っても過言ではない。残念ながら、見舞いに来てくれるような友達も、誰一人として持ち合わせていないわけで。
そんな私のことを寂しい奴だと思うのかもしれない。けれど、私は別に寂しくなかった。自分として生きていることなんて考えたこともないような人に同調して、私という人間の何か利点があると思えないからだ。そうやって時間を浪費している行為の方が、私にはよっぽど寂しく見えた。昔から、自分の体には時限爆弾があることを知っていたからなのかもしれないけれど、それが、私にとっての常識、生まれて間も無く身につけた偏見だった。
私は真顔、というか仏頂面のままだったが、風景を見るのに飽きたように踵を返して、しかし満足げな軽い足取りで、先程まで転寝していた机の元に戻ってきた。机の側に置かれた安っぽい灰色の通学鞄を持ち上げる。殆ど中身の入っていない、軽い手提げ鞄だ。それを力なく空を引き摺るように教室を出た。
ずっと、長い夢を見ていた。どんな夢を見ていたのかは思い出せないが、同じように眠る前のことも思い出せない。どういう経緯で教室に来て、眠っていたのだろうか。友人と呼べる存在は誰もいなくて当然だが、教師も両親も居らず、一体何をしていたのだろうか。
ひょっとしたら、今もまだ夢の中ではないかと錯覚してしまうような不思議な感覚だった。私は私なのに、偶に私を見かけるような気がした。これは私の記憶なのか、それとも妄想なのか。
帰路を塞ぐように、アスファルトの上に群れる蟻達を見て、私の意識は現在に強く引っ張られた。どうやら、死んだ昆虫の身体を分担して運んでいるらしい。小さな欠片に引き裂かれて運ばれるそれを見て、眉を顰めて鼻で溜息を吐いた。食料か何かになるのだろうか。私は彼等の営みを避けるようにして車道側に出て、その様子を何となく眺めながら横を通り過ぎた。
死なないものは生物ではない、そして殺さないものもまた、生物ではない。あまりにも当然のことで、しかし誰もが逃れたいと願う生物の性質だ。皆、死ぬことを恐れている。そして、なにかを殺して、殺して、殺し続けていることを理解したくない、どうにか隠したいと思うのだ。
車道に飛び出た体が、再び歩道の線の中に戻っていく。車は全く見えないため、この行為に意味はあまり無いのかもしれないが。
薫る秋風が側の稲穂を揺らし、私の髪を揺らし、心が震われた気持ちになった。よく分からないけれど、しかしはっきりとわかる。この寂しさが秋の香りというやつなのだと。ゆっくりと瞬いて、小さく吐き出した息が白く染まったように見えた。
いつも通り、少し前までずっと、毎日同じように歩いていた通学路が、歩くのが億劫に感じられるくらい長かった。いつもよりも足が重くて、気を抜けば縺れてしまいそうだった。足は勝手に動かない事を初めて知った気分だ。それでいながら、この道程は指で尺を取れるほど短くもあった。少し考えているだけで、少し風景に見惚れているだけで、気づかなかった全てがまるで存在しなかったみたいに過ぎ去っていった。
不意に空を見上げると、数えきれないほどの鰯が遠くから泳いできているのが見えて、夜には空を埋め尽くすだろうと思われた。そして、暖かい夕焼けの色と冷たい夜の青が共存するこの瞬間が奇跡のように思えてならなかった。この一瞬を絵画にすることができたなら、それはきっと私にとってはダ・ヴィンチで、他の誰しもにとっては落書きだろう。
私だけの価値だ。私にしかわからない価値だ。虫の屍も、揺れる稲穂も、空を泳ぐ鰯も。この色彩が理解できるのは私だけだ。だから私は天才で、だから私は馬鹿なのだ。けれど、今は馬鹿と言われても不思議と嫌な気持ちはしないだろう。試しに誰かに言われたいと思ったが、生憎誰もいなかった。今初めて、私は帰路を共にするだけの至極平凡な友人がいないことを悔いた。
海を見上げていると、けたたましい警告音が突然鳴り響き遠退き始めた私の意識を再び強く引っ張る。何事かと見てみれば、目の前で虎が鎮座しており、これより前には通さないと言われているような気がした。
黄色と黒の縞模様の腕を広げ、怪しく赤い眼を光らせる虎は、一見危険を知らせる踏切で、目を凝らして見ればそれ自体が危険そのものの一部を担っていて、まさしく獲物を待つ虎だ。獣に食い殺される最期というのも悪くはないのかもしれない。そう思って、私は血に餓えるその獣の牙へと自ら近づいていった。そしてそれを見物客のように眺めていた。ちょうど、虎の檻の中に人が入っていくのを見るように。
私は、虎の口の中で立ち止まり、轟音と共に近づいてくる牙を待った。そして私は、喰らわれる直前の私の表情をじいっと見つめていた。どこか寂しげで、しかし幸福そうな、ずっと待ち望んでいたような表情をしていた。いったい私は、何を待ち望んでいるのだろう。
死ではない。しかし獣の口に身体を突っ込んでいれば死ぬのは道理。そんな状況下で死以外の何がそんなにも幸福だと思えたのだろうか。少なくとも私には理解できなかったし、私自身でさえも、何が幸福なのかはよくわからなかった。あるとすればそれは興奮。目の前に出された食事にありつく前の獣と同じだ。つまり私はこの獣と同じだった、自らの血に餓えていた。だからきっと、私が死ぬことなんてどうでも良いんだと思う。私が獣であり、獣に食われる私であることが、幸福を感じる重要な要因なのだ。
そしてとうとう、牙が私の喉笛を切り裂いて、その身体を吹き飛ばした。吹き飛ばされた身体は瞬くより早く、本当にほんの一瞬の間で秋風にさらわれて蒸発するように消えた。有機的な気配をまるで感じない電車が通過した後は、遅れて聞こえる低音が残り香のように残っていた。私の血の匂いはしなかった。
やがて踏切の警告音が鳴り止んで、進行を阻害していた虎の腕が持ち上げられる。虎穴に入らずんば虎子を得ずとはよく言ったものだ。入った結果、私は跡形もなく消し去られてしまったわけだが。だが、今度は虎が全く警戒していない。口の上であり爪牙の先である線路の上を乗り越えて、また変わらぬ田園風景を行く。
ずっと、人生について考えていた。人生とは、点であり、線分であり、確かな答えのない水と同じだ。人生を構成するのは誕生と死滅を始点と終点とした、様々な出来事という点を結んだ線分だ。だが、それは世界の歴史、記憶という次元で考えれば一つの点に過ぎないほど小さなもの。そしてそれは生前と死後に繋がり、他人の人生と繋がり、ちっぽけながら世界の歴史の一部を担う。
私のこの一瞬の人生も、世界の歴史の一端を構成していると思うと、有象無象に沈むようで少し悲しい。
他人と同じである事に安心を覚えるのが人間でありながら、自分は他人と違うという意識を持ち、特別でありたいと欲するのが人間だ。当然、私も他人とは違うと思いたかったし、自分が特別でありたかった。だが、たとえどんな運命であったとしても、人間は人間である以上皆同じように美しく、愚かしく、温かくも冷たい。
だが、偶にふと思うことがある。私は他人と違うと。私は人間ではないと。
私は、何も成せない人間だ。何か一つの事に打ち込むこともできず、短い人生で何も残せない、他人とは違うが決して特別ではない惨めな人間だと思うのだ。剰え、本当は人生の長さなどに関係なく、私はただの怠惰な人間だったのではないかと思うことさえある。
怠惰に生きることの何が悪いと思うのは、気づいた時には生まれていたと言い訳するのは、きっと社会とやらでは許されないのだろうが。
切り分けたトマトを口に入れ、噛む。
くし切りにされたトマトは一瞬にして原型を留めずぐずぐずに崩壊した。コンビニで買ってきた唐揚げと、家で切ったトマトとキュウリ。今更ながら、食事制限などはない。裏を返せば、何かに気をつけたところで、運命は変わらないということだ。
唐揚げにフォークを突き立てる。ニワトリだったものから油が滲み出た。自分の死体が誰かの為になると考えた事はない。私の身体から滲み出る油も噴き出す血液も、全て生物にとっては有害だ。両親が私を孕む前から、孕んだ後も煙草を吸っていたからだろう。酒も飲んでたと聞くし、元より私が生まれようが死体が生まれようが、あまり興味はなかったのだろう。それでも、幼い私に必死に謝る姿が嘘とは思えず、あれ以来酒も煙草もやめたという話も嘘だとは思えない。尤も、今更私には関係ないが。
『いただきます』、『ごちそうさま』。これは生物を食材として認識した日本人が、食材に感謝するという意味で用いられる習慣的な言葉だ。しかし、私にはよく分からない。食材に感謝したところで、それは生物ではない。殺した後の生物に感謝するなど、その生物への侮辱の極みだ。それともそう思うのは、私が死んだ後感謝されることがないからと妬んでいるだけなのだろうか。
しかし後者を否定する。私は故意に交友関係を作らなかった。そしてその事を悔いる必要はない。何故なら、別れの時に悲しまなくて済むからだ。感謝されないのも道理であり、それを悔いる必要はないのだ。
口元に運べば、香ばしい香り。醤油とニンニクで味つけられたトリニクが、食欲を掻き立てる。口に含めば、サクサクと衣の砕け散る音、広がるイキモノの味、鮮血の代わりに噴き出る肉汁。最悪の気分だ。
昔から、それこそ分別がついて私が永く生きられないことを医者から聞いた頃から、私は何かを食べるという行為が嫌いだった。それと同じくらい、何かを食べるという行為が好きだった。何故ならその行為は、間も無く死ぬ私を肥やすという価値のない行為であり、それと同時に自分の生を実感できる重要な行為であるからだ。そして、その奇妙な感覚は今でも変わらない。
体全体を満たすような深い味わいに酔う一方、脳を舐められるような気味の悪い感触に顔を顰めた。
不意に、甲高い音が頭の横を通り過ぎて、ほぼ同時に視界に現れた小さく黒いイキモノを視認する。そのイキモノは、慌ただしく羽を動かしながら、私の夕食の上を飛び回り、少ししてトマトの上に降り立った。
最悪だ。本当に、最悪だ。
ムシは嫌いなイキモノだった。尤も、ムシも私たちニンゲンの事が嫌いだろうが。その黒くて小さなムシは、トマトの上を少し歩いて、触覚を動かしていた。もう、このトマトは食べられないだろう。少なくとも、精神的にどうも食べられるものではない。
瞬間、何を考えたのか分からないが、私は持っていたフォークでそのムシをトマトごと貫いた。ぐちゅりとトマトが崩壊し、虫の身体が潰れる音がした。こんな小さな身体から溢れ出るわけもないのに、トマトの果汁が虫から流れ出た鮮血のように見えた。
沈黙。虫を貫いたまま、私はそれを見下ろしていた。どうして虫を殺したんだろう。それも、トマト諸共、フォークでぐさりと……
虫を殺す事はそんなにも珍しいことではない。けれど、その度にその死骸を見て汚いと思ってしまうのは、私が醜いからだろうか。
けれど、今回は、それだけじゃなかった。汚い、けれど……何かが違う。やはり今日は特別な日なんだ。帰り道で見た虫の死骸も、電車に轢かれる私の幻想も、全て汚いと感じた。言い表せない嫌悪感のようなものが霧のようにたちこめて、退路をなくすように心を包んでいた。
ゆっくりとフォークを退ければ、ぐちゃりと虫の死骸がトマトの果汁の赤い海に沈んだ。感嘆の息を漏らす。まるでピカソだ、と思った。ゲルニカの街のように、イキモノだった物の死骸を色の無い赤色が轟々と包み込む。赤色に塗り潰された虫の死骸はやっぱり汚くて、だけど美しくて……目を奪われるほどに美しくて、どうしてだかじっとそれを見つめていた。
「……私も、生きているのか。」
赤ん坊の鳴き声が家の外から聞こえてきた。
初めて気づいたことのように、ぽつりと声を落とした。私は、今産声をあげたわけだ。初めて、この世界に私という人間が生きていると気づいた。そしてそれを、誰かに、或いは他でもない自分に認めてほしかったのかもしれない。
赤ん坊が産声をあげるのには、いくつか理由があると聞いたことがある。呼吸をするため、親に認めてもらうため、世界に自分の存在を訴えるため、そして、こんな世界に生まれてきたことを嘆くために。私はその全てが正しいと思う。何故なら、今私はそのすべての条件のために産声をあげたからだ。
死の間際になって、死ぬことばかり考えていた私がようやく初めて、生きるということを本当の意味で理解した。生まれた瞬間から死んでいた私だから、普通の人なら気づけることも気づけなかったんだろう。先程まで知った風なことを独白していた私が自分のことながら恥ずかしい。親に申し訳ないと思った。
私はフォークを机の上においた。そして、何となく緊張した胸の鼓動を深呼吸して落ち着けて、小さく呟いた。
「いただきます。」
虫の死骸が「くたばれ。」と返した気がした。
少し読み辛かったかも知れませんが、最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。偶にはポジティブな作品を描く事も大切かと思い、ゆったりと描いてみました。
只今、二万文字〜三万文字程度の短編集仕立ての小説を執筆中です。よろしければそちらの作品も読んでいただけると光栄です。