すいません、実は性別を偽って就職してます
暫くして岩崎さんが「待たせちゃったね」と更衣室に案内してくれる。更衣室は大きめの個人ロッカーが並んでいて、真ん中に自分の名前のプレートがあり、中には新品の飛行服が入っていた。「日本での採寸値で、大きさに問題はないはずだが、動きにくい箇所があれば報告してくれ、旧軍の様に『制服に体を合わせろ』なんて時代じゃ無いし、命を預けるのだから妥協しない様に」「ある程度は自分でできるだろ、5分くらいで良いか」と聞いて来るので、「はい、お気遣いありがとうございます」「では5分後で。」と岩崎さんは更衣室から一旦出て行った。
私は急いで作業服を脱ぐ、下着姿になり鏡をみると、やはり女性の体のラインが分かる。なるべくシンプルなもので女の子らしくないものを選んでいるが、更衣室で着替えるのは1人の時で無いとダメだと分かる。分からない様に着替える方法もあるだろうが、そんな不自然な動作をしたら、即ばれるだろう。と考えながら飛行服に着替える。
民間で使っていたものと構造は変わらないので、一人で何とかなりそうだ、飛行服のいろいろな箇所に目的が分からない金具がついている。一人で金具の装備の着脱ができるように岩崎さんに教えてもらう必要がありそうだ。微かなノックの音が聞こえたので、岩崎さんを更衣室の前で立っている不審者にならない様に「はい、大丈夫です」と小声で答える。
岩崎小隊長は「今日の訓練内容では必要ないが、飛行服の着用状態と、一度全部の装備品を着用してみよう、耐Gなんて民間じゃ使わないだろうから」と装備内容の説明と着用を手伝ってくれる。それに飛行服のどの部分をきつめにするとか、逆に余裕をつけるとかも教えてくれる。「明日も着替えを手伝ってやれるか分からない、部屋にだれかいるかも知れない、今日の1回で覚えて欲しい、必要なら帰りに飛行服を自室に持っていき練習してくれ」「はい、すいません。お手数かけます」
「よしヘルメットと落下傘以外は全装備完了だ。両手を上げたり、屈伸、体をひねったりして見てくれ。」言われた様に最後のチェックを行う。概ね問題ないがやはり違和感がある箇所がある。
「以外に装備重量が重いことと、後1つやっぱりお尻が少し狭いのと、逆に前の方の余裕が気になります」岩崎さんは、半笑いになりながらも少し考え込む「下半身の部分はすり切れたとか、何かにぶつけてことにして微調整をしてみよう、それまでは我慢。
それと想定はしていたが、最大の問題は解決していない。セクハラでは無くちゃんと聞いて欲しい、その胸はなんとかならんか、飛行服は防寒・保温、耐火などの対応で密着ではなく、ゆったり目に作られている。直立の状態では分からないが、体を伸ばす動作をすると分かる。北沢とかなら一発で見抜かれる。」
岩崎小隊長は「この任務は男性に限定して募集している、女性蔑視では無く、女性用の設備などの準備ができていないためだ。優先度の問題で男性のみとしている。暫くすれば、女性飛行士の募集もあるだろうが、この実験設備では厳しい。」
「しかもお前は性別を偽って応募して合格しているので、女性と知られたくない」「すいません、明日からはさらしを巻くなどで対応します」
「悪い、我々の目的のため、いろいろ気を使わせて申し訳ない、しかし今回のもう一つの目的の完遂には私1人では難しい、だから俺が無理して優希をここに連れて来た、すまないと思っているが、優希自身で決めたことでもある、是非知恵と工夫で対応して欲しい」
「さて、飛行服も無事着用出来た。装備品の細かい利用方法は、実地で教える。OJTというやつだ。さあ楽しい飛行訓練と行こうじゃないか。」
管制塔兼搭乗員待機所を出ると、ゼロ戦が一機止まっていた。「本来は掩体壕に行って整備員と一緒に引き出すのだが、どうしても早く飛べる様になって、第一小隊に休みを与えたい、なので特別に整備員のみで引き出してもらった」「それでも飛行前の機体点検は搭乗員の責任で行う作業だ、今日は整備員に教えてもらいながら実施すること」
「おはようございます、伊吹搭乗員の機付整備員の山本です、これからこの機体を常に万全な状態にしていきます。宜しくお願いします。」岩崎小隊長は「今回民間搭乗員の機付きということで、腕利きの山本さんを無理やり引っぺがして連れて来て貰った。腕は折り紙付きだ、機体で分からないことを色々教えてもらえ。」
「伊吹搭乗員です、始めまして宜しくお願いします。それから私の方が年下ですので、敬語は勘弁してください。」「ははっ、そこまで年寄りじゃ無いけどなぁ、伊吹搭乗員は顔が日本人離れで中性的だから年が分かりにくいや。それでは遠慮なく、普通に会話させて下さい。」「では飛行前の機体点検が終わったら呼んでくれ」と岩崎さんは空調の効いた待機所に向かっていった。
機体点検が完了し、改めて機体を見る、今までの乗った機体にはレシプロもジェットもあるし、もっと大型の機体の搭乗経験もある、そういう意味では乗りこなせると思う。ただこの機体は今まで搭乗したどの機体よりかっこいい。最新機の方がかっこ悪いと思った。
ああ、そうか私はこの尾翼に「2-4」と書かれた機体に見惚れているのだ。これが私の愛機「零式艦上戦闘機 五二型」だ、先の大戦では終戦近くの投入で目立った戦果を挙げた機体では無いらしいが、この愛機に搭乗できることに感謝したい。「おい、感無量のところ悪いが、さっそく慣熟飛行を始めるぞ」と声がかかる。
山本整備員が足場になってもらって操縦席に搭乗する、岩崎さんも操縦席の縁に座る、いわゆる箱乗り状態である。「これからエンジン始動から地上滑走を行なう、くれぐれも乱暴な操縦をしない様に、先人達の言葉を借りれば、操縦桿は生卵をもって操作するようにと言われたらしい」ではエンジンスタート。
「エナーシャまわせ」と山本整備員に声をかける、重苦しくエンジンが回転を始める、「えっ手動なんですか」「そのうち機械化される予定だが、それまでは手動だ、コンタクトのタイミングに注意、山本整備員に2回もエナーシャを回させるなよ。」重苦しくエンジンの回転音が変わって来た、重いエナーシャを回してくれる山本さんのために、早くエンジンを始動させたい、ただ十分な回転まで回さないとクラッチがつなげない、フライトシミュレーター装置では分からない苦労がある。
岩崎さんからヘルメット内のスピーカーから「そろそろだ、自分の耳を信じてクラッチをつなげ」と指示がある、えっ始めから自分でやれと、回転音が急に変わって来た、自分を信じて「コンタクト!」と大声で叫び、クラッチをつなぐ。
エンジン始動までの数秒が長い、「ブルッ…、ブルッ…、ブルルル」とエンジンが始動を始めた、「ベストタイミングだ」と声が聞こえた、これを毎回ですか?「早く自動化して下さい」と申し出なければいけない。本当に心臓に悪い。