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「残念だが、時間だ」
ジャングルピッチはそう呟くと、タバコをドアポケット型の灰皿に擦りつけた。
タバコに火は最初から着いていない、当然だ、この車庫の内部には燃焼に使って良い酸素はもう残っていない。
「救助に行く、異論はないな」
「ありません」
その議論はもう十分にし尽くした。
スティルダウン達の痕跡を、外でクソほど舞ってるチャフが全て覆い隠してくれる確率は低い。
死体、それが無理でもせめて吸水機は擬装しなければ、僕たちは破滅だ。
ジャングルピッチがサイドブレーキを引く、ビークルの内部でクラウンシャフトが運動を始め、歪んだシリンダー達が不愉快な金属音を上げ始める。
僕は錆びついたクランクを捩じり、リヤウィンドをこじ開ける。赤さび塗れになった手を車外へ伸ばし、ひび割れたゴムで覆われたボタンを叩く。
「行くぞ」
リヤウィンドをすぐに閉じる。
老婆の嘔吐の様な音を立てながら、僕らの目前のシャッターが上がっていく。
それと同時に竜巻のような風が室内に流れ込む。
ただの竜巻じゃない、大量のチャフを含んだ銀色の災害。
ビークルの車体全面があっという間に銀粉で覆われ、視界が閉ざされ闇に覆われる。
ジャングルピッチは手元の地図を眺め、覚悟を決める。
「スティルダウン……頼むから中継基地に居てくれよ……」
祈りとともに、彼はアクセルを踏み込んだ。
ビークルがガレージから外に飛び出す。暴力的な突風が襲い掛かる。
暗闇と、風と、チャフが車体を削る音。
あとは僕の回転数を淡々と告げる声が車内に響く。
ジャングルピッチは結膜を膨らませ、真っ赤に充血した目で地図を読み解き、ハンドルを動かす。
この星、プラム21のグレートクレーター近辺では、およそ年に一度の割合でチャフの嵐が吹き荒れる。恒星セスタの活動と、大陸プレート下のマントルの流れが起こした台風が、5万キロ近く離れた暗黒面から鉄の欠片の風を運んでくる。
この瞬間だけ、僕らは軌道上からの監視を、地表にプローブされた測定器群を、闊歩するドローンたちを、それら全ての視界を恐れることなく大地を動くことができる。
この瞬間だけ、僕らは僕らの存在を受け入れることができる。
車体が停止した、目的地に着いたのだ。
ジャングルピッチがクラクションを叩く。だけどその音は嵐に飲み込まれ、車内の僕たちにさえ微かにしか聞こえない。
「チクショウ、嵐が強すぎる。どうなってるんだ」
ジャングルピッチ力の限りクラクションを叩き続ける。この中継地点に居るかもしれない仲間たちに、自分たちの存在を伝えようとしている。
どうする?
「引き返しましょう」
僕の提案に、ジャングルピッチは二つの眼球を大げさに剥く。
「なんだと?」
「救出は困難です。採掘場に行くのはもちろん、これ以上ここにいるのだってまずい」
スティルダウン達が中継地点に居なければ、採掘場まで行って吸水機をけん引する。当初はそういう手はずだった。
だけど無理だ。地獄のようなこの嵐のなかでは何もできない。
「ふざけるな、そんな事すれば……」
そんな事をすれば、嵐が止んだとき、監視衛星が全てを知ることになる。
この星に、僕らが存在することが地球人の知ることとなる。
「これだけの量のチャフです、吸水機もスティルダウンの遺体も1ミクロンの隙もなくコーティグされているはず。きっと当分の間は誰かも検知されない」
「ダメだ、例え1パーセントでも、地球人に発見される可能性を見過ごす事はできない」
もしも見つかれば、僕らの住処は簡単に特定されてしまう。そしてまた、あの赤い彗星が落ちてくる。
「もし今僕らが遭難すれば、その確率も二倍です。それにこの嵐では、例え発見できても回収できない」
車外作業は困難だ。今ビークルのドアを1ミリでも開ければ、チャフの牙は5分と掛からずに僕らの防護服皮をズタズタに引き裂き、ビークルの計器を破壊し尽くす。
「だがしかし……」
ジャングルピッチがそこで言葉を止めた。
そして、暗黒が映るフロントガラスを見つめる。
光が……
暗黒の中心に、光が。
「伏せろ!」
熱量が、焼けつくような何かが、車内の空気を切り裂いた。
ジャングルピッチの頭部が二つに割かれ、視神経乳頭が焼き焦がされ、外側膝状体がシートに飛び散った。そしてフロントガラスが砕け散る。
灼熱のようなエネルギーに満ちたガラス片が僕の防護服を殴りつける。
「ぐぁあッ」
ジャングルピッチの死体が吠える。
攻撃だった。
チャフの竜巻が社内に流れ込む。闇の遥か彼方、地平線の位置でまた光が瞬く。
「クソッ」
サイドレバーを引き絞り、車外の闇に飛び出す。
熱量が吹く、湿った断絶音。
暗黒の中では周囲の状況を見れない。先ほどまで載っていたビークルが溶かされたことだけは理解できる。
ポーチから拳銃を引き抜いた。牽引糸が風に煽られ、腕を揺さぶる。
闇の彼方に向け発砲する。
がむしゃらに引き金を絞り続ける。闇と風の影響で自分が何処を撃ってるのかも分からない。ただひたすら、影の中の敵目掛けて……
敵?
敵って何だ?
まさか地球人? それとも……
――夢を見たの
あの日、あの時の、幼いゴーストルールの声が脳内を擽った。
光が瞬いた。
そう認識すると同時に、大地が捲れ上がった。
僕の体は吹き飛ばされ、重力から解き放たれる。風に運ばれ、上下を失い、加速に感覚を奪われる。
背中から地面に叩きつけらえた。衝撃が背中を抜ける、体を裏替えされるような深い痛みに襲われる。
肺が動かない、いくら喉を開いても酸素が入ってこない。
起き上がろうともがく、もはや地面の方向も定かでない。
――夢、遠い星からやってきた人に、私たちが出会うの
地面を掴んだ。
鉄の屑にまみれたその大地を、必死に握りしめる。
一度手放せば、もう二度と触れれない気がした。
――ううん、違うの、そこではない、どこか遠くの星から来た人
体を起こすと、それは居た。
濃い闇の中、舞い散るチャフの内側に、それは微かに浮かび上がる。
二足歩行、1.5m程度、流線形の宇宙服。
甲殻類を思わせるバイザーをつけた、人間のような宇宙人が……
宇宙人の右胸から、小さなワイヤー発射され、僕の左胸に打ち込まれた。
鋭い痛みが肋間神経の上を走るが、僕は悲鳴を上げることすらできない。
「ハロー、聞こえてる?」
音が……声が、細く光るその鉄線を伝って僕に流れ込んできた。
「ハロー、私の名前は杉平、杉平阜雷、シフって呼んで」
宇宙人が近づいて来る。
「ハロー? 聞こえてるんだよね?」
その動きゆっくりと、まるで演劇の仕草のように大きく優雅で、敵意をそぎ落とし知性を誇示するような仕草だった。
「聞こえてるようだね」
宇宙人が右手をクルリと返す、そして手が差し伸べられた。
「もう一度名乗るよ、私はシフ、地球の最近の言葉で『結末』という意味」
――私たちは、その宇宙人と握手をするの
「僕は……グラスキャノン」
伸ばされた手を、ゆっくりと握った。
「良かった、言葉が通じた、私ちょっとしんぱ――」
僕はそこで力の限り腕を引き、相手を引き寄せた。相手は体制を崩し、僕に向かって倒れ込むような形になる。
そして左手に隠していた銃を、相手のバイザーに突きつける。
僕は躊躇無く引き金を引いた。
鈍い金属音、銃弾はバイザーの中心に微かなへこみを作っただけ。
「このバカ」
ワイヤーから、不愉快な音が流れ出す。それは一瞬で増幅し、浸透し、拡大して、僕を内から食い散らかす。
そして僕は激しい嘔吐と共に倒れ込み、気を失った。