表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新レーゲスタ創世譚 第一章 『ふたつの宝』  作者:
第一章 『ふたつの宝』
3/6

2:〈闇森の主〉を求める

   2:〈闇森の主〉を求める



 オリアスは、レーゲスタ(北方民族の古い言葉で“無窮”を意味する)大陸の東南部に位置する、温暖で気候にも恵まれた穏やかな平野地帯で、オーレンはその南部にある、歴史ある静かな田舎町だった。


 東都ルーシャンと南都アル=ハラスをつなぐ大街道から、内陸にかなり入り込んでいるため、特段の用も無くこの町を訪れる旅人はまずいない。 しかし、近郊に良質の砂鉄を産出する地があることから、この町では古くから鍛冶を生業とする者が多く、殊に、この地で鍛えられる刀剣類の質の高さには定評があったため、それらの品を求める騎士や商人の姿を、時折目にすることがあった。 

 

 闇森は、そんなオーレンを威圧するかのように、町の北辺に延々と広がる、黒く深い古の森であった。


 昼なお光の薄い闇森には、様々な魔物や古の精霊達が棲んでいるのだと、迷信深い土地の人々は信じていた。

 不可思議な力を操る精霊や魔物達は、好んで光の少ない森などに棲むといわれ、特に魔物は、闇を好むと云われる。

 その棲まう地を侵さねば、決して自ら人間に危害を加えることはないが、知らぬうちに怒りを買い、手酷い仕返しを受けたり、悪くすれば命を奪われたりしたという話は、いたるところで耳にするものだった。

 故に、人々はそれら異形の隣人の住まう地を怖れ、不用意には近付かぬようにしていた。

 

 オーレンに人間が住み始めたばかりの頃、闇森は〈常春の森〉と称され、光豊かな、緑と花と鳥獣達の生気に溢れた美しい森だったのだと、昔語りには謳われているが、現在の暗く重く沈んだ様を見て、そのような話を信じる者はまずいない。

 いつからか、森には光が減り、獣達の姿よりも、異形の魔物の影が目立つようになった。

 闇が濃くなるほどに、人間達は森を怖れるようになっていった。

 森に魔物が増え、闇が濃くなったのは、〈闇森の主〉が、森の沼沢に棲みついたからだと言う者もあったが、はっきりしたことは誰も知らなかった。


 〈闇森の主〉とは、あらゆる魔物や妖を統べる〈魔物の王〉だと言い伝えられている。

 その姿は、千年を生きた大蜥蜴とも、巨大な熊の変じたものとも、人の世を追われた、魔法使いの成れの果てだとも云われていた。 

 

 千年の時を生き、人語を解するというこの魔物は、深い知恵と怖ろしい魔力を持つといわれ、また、様々な力を宿す貴重な宝を、多数隠し持つとも云われていた。

 〈闇森の主〉は、近づく人間に害をなすこともあれば、気まぐれに知恵や力を授けること、また稀には、己の宝を分け与えることがあるのだという。



 昔、一人の男が終月の晩に、〈闇森の主〉に出会い、大変な宝を授かったという話が伝わっている。


 それは、如何なる富や名声にも勝る、至上の宝であり、それを所持する者の、あらゆる願い叶える、如願の秘力を有していた。

 男は、自分の持ち物と引き換えに、〈闇森の主〉からその宝を得たのだという。

 オーレン近隣の村の、ただの牧童だった男は、宝の力を用い、手始めに呪術師として商いを始めた。

 凄まじいまでに優れた術を操る男を、当時の南都の王は、王宮付きの術師として取り立てた。

 数々の功績を上げた男は、貴族の身分を与えられ、終には、オリアス一帯を治める領主にまで上りつめた。

 美しい妃を迎え、豊かな土地を我が物とした男。 しかし、決して人前に姿を現すことはなかったのだという。 その妻とすら、御簾越しにしか、声を掛け合わなかったと、昔語には語られる。


 何故、男が人々の前に姿を現さなかったのかは、何も語られてはいない。 しかし人々は、魔物などと取引をしたために、男自信も醜い魔物になってしまったためだと信じていた。

 領主となった男が、その後どのように暮らし、いつ、オリアスの地を去ったのかは何も伝わってはいない。 ある話では、姿を見せぬどころか、領主としての勤めすら果たさぬ怪しげな呪術師を、魔物の手先と怖れたオリアスの民が、東都と南都の王に要請し、打ち倒したのだとも言い伝えている。


 今では年寄りが子供に聞かせる、定番の昔話となったこのようなたわいもない話も、カラにとっては魅力的で、都合のよい希望を与える話だった。

 もっとも、カラに限らず、〈闇森の主〉の宝に心魅かれた異郷の者や、勇気と力を自負する若者達が、森の奥深くへと分け入ることは、さして珍しいことではなかった。

 ただし、無事に戻ったものが幾人いたのかも、知られてはいなかったが――。


      ***


「うわっ――」


 頭上で、枝葉を揺らし飛び立つ鳥の羽音が響き、地面に寝転がっていたカラは、慌てて上半身を起こした。

 オーレンの納屋から勢いづいて駆けてきたものの、森に入りしばらくすると、脇腹や肩の痛みが思い出され、走り疲れたこともあって、地面に転ぶように寝転がってしまった。

 納屋を出る前、無理やり胸元に押し込んだ持ち物は、転んだ勢いでシャツの内から飛び出し、周囲に散らばってしまっていた。                                                                                  

 唐突に降り落ちてきた音に、落ち着きかけていた心臓が、痛いくらいに激しく打っている。 急に起き上がったので、腹や肩もまた熱く痛んだ。

 耳障りな、叫びのような声を上げて羽ばたいた鳥の、次第に小さくなる声に耳をすませながら、カラは流れてもいない額の汗を拭った。 しばらくすると、森は遠方に聞こえるフクロウの、規則正しい声だけが聞こえる闇に沈んだ。 カラは小さく息を吐き出すと、また草の上に寝転んだ。

 カラが踏み潰し、下敷きにしている伸び始めたばかりの若草から、青い、ツンとした爽やかな匂いが漂ってくる。 その匂いを嗅いでいるうちに、早かった心臓も、思い出した肩や腹の痛みも、少しだが、楽になっていく気がした。

 ほぅ、と深く息を吐くと、カラは腹に力を入れるように声を出した。

 とにかく何かを声に出し、気持ちを紛らわせたかっだ。


「驚かすなよな、まったくさ。 あー、でも、僕が驚かせたのかな。 こんな夜中に人間が来るなんて、ないだろうから……」


 目の上にかかっていた前髪の束を、指先でつまむと、顔の前でひらひらとさせてみた。

 黒すぎる髪は、カラの周囲を包む闇に溶け、白い指で持っていなかったら、そこにあるのかないのかも分からなかった。

 オーレンの人々も、髪は黒か濃い茶が多かったが、ここまで黒い髪はそういなかった。

 フォーリンの長く編んだ髪も、暗い室内では、カラに負けぬ濃い色をしていたが、光が当たると、柔らかな栗色だった。

 ボロボロの汚れた服に青白い肌、黒すぎる髪に、獣のように光を放つ金の瞳――他人から形容されるままの自分の姿を想像して、カラはまたため息を吐いた。


「僕のせいでもないんだけど――全部、僕のものなんだよなぁ……」


 鳥の飛び去った方角に目をやると、木々の葉の隙間から薄白い、線のような終月がちらりと見えた。 明日から三日間、月は天から姿を消す無月となる。

 か細い月はようやく、東の空の中ごろに来ていた。

 おそらく、鍛冶屋では皆が居間に揃い、主人は酒、おかみと娘のフォーリンは暖かな香茶でもすすり、寝る前のひとときを楽しんでいる頃だろう。


――こんな見た目でなかったら、せめて鍛冶屋の弟子の奴等みたいだったら、僕もあの席にまぜてもらえたかな?

“さぁ、今日はカラの好きな甘い蜜菓子もたっぷりあるから、ゆっくりフォーリンと話していらっしゃい”

“カラ、今日はジマー(チェスのような盤ゲーム)をしましょうよ” なんて、時間が経つのも忘れて、話したり遊んだりしてさ――


 目を閉じ、もしかしたら、の空想をしていると、ぐぐぅ、と腹がまた不満を訴え、カラを現実に引き戻した。

 朝、薄い野菜のスープと硬いぼそぼその黒パンを一切れ食べて以来、胃袋には何も入れていない。 ぐぅぐぅぐぅぐぅ、と急かすようになり続ける腹の音に、カラはいらいらと声を上げた。


「うるさいって、いったろう! しかたがないじゃないか。 何にもないんだから。 もう少し先の季節だったら、白かけ野苺くらい、なってたかもしれないけど。 ――〈闇森の主〉に会えたら、なんか食べる物、魔法で出してもらえないかなぁ……」


 遠く離れた闇の先から、フクロウの、変わらないゆったりとした声が聞こえてくる。

 一回二回三回――。

 数えているうちに、納屋を飛び出した時の勢いが段々と萎んでいき、替わる様に不安が、むくむくと膨れ上がってくるのを感じた。


「本当に、〈主〉は今晩会ってくれるのかなぁ。 あの時だって、声はしっかり聞こえたけど、姿はチラっとしか見せなかったし。 だいたい、言われた《ふたつの宝》ってのが、何かわかんないまんまだし……」


 一週間前、この森に入ったのは昼間だった。

 

 あの日の朝、鍛冶屋の主人に薪を割り補充をしておくように言いつけられたカラは、命じられただけの薪を割り、薪小屋に積み重ねる作業を黙々とやった。 積み重ねられた薪の山はカラの背より高く、最後の数本を積むには、爪先立った上に、腕をいっぱいに伸ばさなければならなかった。

 最後の一本を置いた瞬間だった。

 後ろ膝に何か硬い物が当たり、カラはがくりと、薪の山にしがみつくような姿勢で倒れた。

 いっせいに崩れる薪の音は、鍛冶場にいた主人の耳にもすぐに届いた。 逆光でよくは見えなかったが、とんできた主人の顔は真っ赤になり、こめかみの筋は浮き出していただろう。

 主人より先に薪小屋の入り口に立っていた見習の若者達の口の端には、明らかな笑いがあったように思う。 


 主人は数発の平手を与えた上で、その日の昼食と夕食をカラから奪い、薪を元通りに積んでおくことを命じた。

 腹はこの時も不満を訴え続けていた。

 薪を積み上げる音よりも大きく響く腹の音は、カラに決断と行動を促しているようだった。 

 その音に押されるように、カラはふらりと小屋を出ると、町を全力で駆け抜け、まっすぐに闇森に入り、そしてついに、〈闇森の主〉の声に遇い、あの言葉を投げかけられたのだった。


           ***


 遠く、はっきりしなくなったフクロウの声を、カラは注意深く耳で拾った。

 四回五回六回――。

 十を数え終わると、カラはのろりと立ち上がり、散らばった持ち物を拾い上げ、沼沢に向かい、再びゆっくりと歩き出した。


 昼ですら薄暗かった夜の闇森は、息苦しいほどの濃い闇に沈んでいた。

 身体にねっとりとまとわり付くような、冷たく黒い闇は、まるで、森に入り来るものを拒むように、じわじわと圧力をかけているようだとカラは感じていた。

 伸び放題の下草が、カラの足取りをさらに重いものにしたが、カラはゆっくりと、だが確実に、前回〈闇森の主〉と逢った、巨岩のある沼のほとりを目指した。


 鍛冶屋の主人達が嫌う金色の瞳は、暗闇の世界を、昼と変わらぬままに、鮮やかにカラに見せてくれる。

 他の人々が、闇の中でどのように物が見えるのか、カラにはよく分からなかったが、暗闇でも目が利くという点だけでみれば、どうもカラは特をしているようにも思えた。

 だからといって、この濃く黒い闇に、全く何も感じないわけではない。 周囲の様子が見えたところで、ここは人間中心の町ではなく、獣や鳥達の――魔物や精霊達の暮らす別の世界なのだ。

 それでも昼間には、地まで届かないながらも、木々の葉の遥か先に、太陽の暖かな存在を感じることで、なんとない安心感があった。

 しかし、今そこには暖かな陽ではなく、消えかけの細い月が静かにあるだけだ。 

 出遭いこそしていないが、この闇の何処かに、人間の来訪を喜ばぬ魔物が潜んでいるかもしれないという恐怖は、常に脳裏の隅にへばり付いていて、消しようがなかった。


「せめて満月だったら、もう少し心強かったのに……」


『ならば、満月の晩に来ればよいものを』


 ししし、という笑いと共に、その声は、投げつけられるように前方から飛んできた。 

 しゃがれたその声は、口から発しているというよりは、腹か喉の奥で響かせているような、独特のこもった音をしており、壮年から中年の男のもののだろうと思われた。


 突然の、聞覚えぬ声との遭遇に身体を硬くすると、カラは注意深く、前方のあらゆるものに視線を注いだ。 天を突くように伸びる樹の太い幹、葉を広げ始めた大羽シダの若い芽。 それらの間にごつごつとした大岩が数個、空から落とされたかのように、大地に深く突き立っている。

 そのうちの一つに、カラは明るい緑色の光を一つ見た。 目を凝らしよく見ると、猫ほどの大きさの、暗黄色の身体をした蜥蜴が、こちらをじっと、見ているのが分かった。

 その左眼は、潰れてないようだった。


「〈闇森の主〉――じゃないよね。 声がこの前と違うから。 何? あんた、ただの蜥蜴? それともこの森に棲むっていう魔物のひとつ? ああ、でも人間の言葉を喋ってるんだから、ただの蜥蜴じゃぁ、ないだろうけどね」


 カラは拳をぎゅっと握りしめながら、視線を外すことなく問いかけた。 言葉の最後が、少し震えてしまったが、それでも出せる限りの大きな声を、腹の底から絞った。

 岩の上の蜥蜴は、しばらく沈黙をしていたが、やがて、右だけの光る眼を細めると、またしししと笑い、言葉を口にした


『内心は恐怖が大渦をなし、押し流されてしまいそうなくせに、人間の小僧が、なかなかに頑張るではないか。 もっとも、ワシの声が聞こえるのであれば、ただの小僧、というわけでもあるまいが』


「え? なんで? だって、あんたは人間の言葉で喋ってるじゃないか」


 カラは膝が震えるのをごまかそうと、右足を大きく一歩、前に踏み出した。


『ワシの言葉を、人間で聞けるものがいるとすれば、魔法使いか精霊使い、そう、あとは、ワシと相性のよい獣騎士くらいであろうよ』


 蜥蜴は、ちらちらと舌を出しながら、カラの姿をじっくりと眺めた。 細めた右目は、笑いを含んでいるようだった。


『しかし、お前は今のところそのどれでもないな。 ただの人間の小僧。 しかも、あまり運に恵まれず、その日その日を生きるだけで精一杯。 もったいなや。 その金の瞳。 古の民の血を引く証。 しかし、その瞳が悩みの種。 その瞳が為、幾度となく辛酸をなめた。 この世に良きことなぞ何一つ無い。 だが、どこかに望みをつなぎたい、そのきっかけを、この闇森の中に求めに来た――〈闇森の主〉の言い伝えに心を惑わされ、それにすがりに来る人間の、いつの時代も尽きぬことよ』


 最後にししし、と笑うしゃがれ声に、カラはカッとなり、足元に転がる石を拾うと思いきり投げつけた。 石が岩に当たる乾いた音が、森の闇に幾度も吸い込まれていく。

 膝の震えはいつの間にか止まっていた。

 蜥蜴は、するりするりと飛んでくる小石を避けては、変わらずに細めた右目をカラに向けていた。


「くそっ、逃げるなよ! 当たらないじゃないか。 くそうっ。 分かったようなことばっかり言いやがって。 お前なんかに用はないんだ。 僕は〈闇森の主〉に会いに来たんだからなっ」


 足元の小石を投げつくしたカラは、もう一度岩上の蜥蜴を睨み付けた。 それから、興奮を押さえるように大きく息を吸い、吐き出すと、拳を堅く握り、目的地へと歩みだした。

 沼沢は、もう目と鼻の先のはずだった。


『物のやり取りは、ようく考えることだ』


 カラの背後に、蜥蜴の笑いを含まない声が投げつけられた。 カラは肩越しに振り返ると、声の主にむっつりと応えた。


「考えるって、何をさ」


『言葉のままさ。 得るものと失うものの価値を、〈現在〉だけを見て計りだすと、後悔することになるだろうと、親切なワシからの忠告だ。 行おうとする事が真に正しいかどうか、よく考えてから、起こすことだな』


「僕のやることが、正しいか正しくないかなんて、魔物のあんたになんか、言われたくないね」


 カラは叫ぶように言い返した。


『もちろん決めるのはお前だ。 そしてその結果を身に受けるのも、な』


 言葉を終えると、蜥蜴はするりと岩から下り、その姿は見えなくなった。

 カラが、見えぬ蜥蜴の姿を見出そうとした時だった。


『待っていたぞ――』


 その男の声は、闇の深遠から滲み出す夜気の如く、聞く者の心を、凍えさせた。 










次回、「3:駆け引き」に続きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ