1:金の瞳の少年
1:金の瞳の少年
『そなたの持つ、《ふたつの宝》をよこすならば、私はそなたの望むものを与えよう――』
〈闇森の主〉から、カラがこう言い渡されて一週間がすぎた。
「僕の持つ《ふたつの宝》って、なんのことだろう?」
自分が今年何歳になるのか、カラは知らない。 親の顔も知らない。
いま暮らしている家は、大陸東南部オリアス地方にある、オーレンという田舎町の、刀鍛冶の納屋の二階で、ただ寝るためだけの場所でしかなかった。
掃除や家畜の世話などの雑用と引き換えに、寝床と日々の食事を与えられるだけの、雇われ者の少年に、他人が欲しがるような品物をもつゆとりなどあるはずもなかった。
自分のものといえたのは、今着ている冬用の他に夏用のシャツが一枚と目の粗い布地の外套が一枚、生まれた時に親がくれたのであろう、名の刻まれた円形の木彫りのペンダントがひとつあるだけだった。
「けど、千年を生きる〈闇森の主〉があるっていうんだから、きっと何かあるはずなんだけど……」
灯りのない納屋の寝床で、すぐ脇の窓から入る、あるかないかの薄い月の光を感じながら、カラは自分の三つの持ち物をじっくりと眺めた。
狭い室内は埃っぽく、古い藁の臭いがこもっていたが、窓際にいれば、春の柔らかで新鮮な空気がたっぷりと吸えた。 遠くから、フクロウのゆったりとした声が、同じ間隔をおいて聞こえてくる。
声の方角に目をやると、夜空よりも濃く重い黒の闇が、カラの暮らすオーレンの町の北側に広がっているのが見える。
〈闇森〉だ。
じっと、吸いつけられるように黒い森に目を向けていたカラは、ゆっくりと手元に視線を戻した。
闇に白く浮かぶ手の中のものは、どれをとっても値打ちがあるようには見えない。 他に何か、自分の忘れている(それとも知らないのか)物があるのかもしれない――。
しかし、ゆっくりと考えている時間はない。 〈闇森の主〉は、終月の晩までに宝を渡すか否かの決断をするようにと、期限を切っていた。
終月の晩とは今晩のことだ。
「せっかくの好機なんだ――う、いた、いたた……」
片膝を立て、屈むように座っていた身体を伸ばそうとすると、右肩と横腹に熱い痛みが走り、カラは思わず身体を丸めこんだ。
肩を押さえるように下を向くと、今度は肩が左頬にあたり、さらに痛む箇所が増え、短い唸り声をあげる。
カラは左頬に、手をそっとあてた。
昼、主人に殴られたあとが未だに熱く、腫れているのが見えなくてもわかった。
***
主人の留守中、鍛冶屋のおかみから掃除を言い付かったカラは母屋に入った。 居間の壁には主人の鍛えた剣が飾ってあった。 黒くなめされた皮の鞘に収められた剣の細部には、銀と緑の貴石で細かな装飾が施されていた。 窓から入る淡い光を受け、柔らかな光を返す剣の飾りを、カラは思わず手にとり見入った。
ただ、美しいと思った。 そして、こんな剣を振るい戦う騎士となった、自分の姿を想像した。
――輝く〈八芒日月〉の徽章を胸に、白銀の剣を振るい、暴虐をはたらく悪い領主や、人々の暮らしを脅かす異形の化物達を退治した僕は、颯爽と馬に乗って町へ帰る。 そうすると、人々は熱烈な拍手と笑顔で迎えてくれる。 ああ、そこに綺麗なお姫様なんかいるともっといいのに。 “ありがとうございます! さすがは〈方円の騎士団〉一の武勇を謳われる騎士様だ”“あなた様の無事なお帰りを、私達は信じておりました”って、僕の手をとりながら喜ぶんだ――
たとえ今はこんなでも、どこかで自分にもそんな輝かしい道があるのではないか、そんな空想をしている時が、カラの唯一の楽しい時間であった。
空想にふけっていたカラは、主人が帰ってきたことに気付くのが遅れた。
背後に気配を感じ、振り返った瞬間、皮の硬い、大きな肉厚の手がカラの左頬を強烈な勢いで襲った。
何も構えもなかったカラは、勢いよく張り飛ばされ、肩と横腹を、強かに床に打ちつけた。
「このガキ、やっぱり本性を現しやがったな。 この盗っ人の宿無しめが!」
肉付きのよい大柄な主人の顔は耳まで真っ赤になり、小さな見開かれた目には、ぎらぎらとした怒りが満ちていた。
「いつかはやると思っていたんだ。 おめぐみで置いてもらっているってのに、主人の物に手を出すとは、役にも立たないくせに、まったく恩知らずなガキだ。 ええい、役人に突き出されたくなかったたら、とっととうせやがれっ。 おめぇみたいな生っ白い気味の悪ぃ目のガキに、いつまでも居座られたら迷惑だ」
主人はカラを盗っ人と決め付け、カラが口を開こうとするスキを与えなかった。
そもそも、色白で身体が小さい流れ者のカラを、鍛冶屋の主人ははなから気に入っていない。 不器用で、言いつけられた仕事の三回に一回しくじりをするカラは、主人の気に入るような働きができるとはいえなかった。
カラよりおそらく数歳か上の職人見習の若者達は、出身もはっきりとした者達ばかりであり、また、鉄を鍛える仕事に就くだけあり、カラとは比べものにならないほどたくましく大きな身体をしていた。 仕事ぶりも要領よく、主人の目に見えるところでは熱心に働いていた。 主人にとって、若者達のそのような身体条件も仕事への態度も、ごく当然のものであり、また、そうでなければ雇う価値もないと考えていた。
しかし、主人がカラを嫌悪する一番の理由は、その瞳の色にあった。
これまでにも多くの嫌悪と罵りを集めてきたカラの金色の瞳は、金属のように光を受けると強く輝き、また、光のない真の黒闇の中でも、まるで煌々と輝く満月のように、自らが光り輝いた。 更にこの金の瞳は、暗闇に隠されたものを、日中に見ると変らぬ視界で、カラに具に見せてくれた。
ただし、闇の中でも物が見えることは、周囲の者達には決して知られないようにしていた。 暗闇で目を利かせる必要のある存在には、獣の他に夜盗がいる。
苦い過去があった。
四年は前の話になるが、人買いの商品となった時だった。 真の闇中でも目が不自由なく見えるということを知られ、盗賊の一味に買われた事があった。 考えるまでもなく、夜盗の片棒を担がされるはめになった。
挙句、ヘマをしてカラだけが捕縛され、盗賊一味の残党という罪状に加え、その金の瞳が〈魔性の穢れた眼〉として、公開処刑を行われる寸前までいった。
だがこの時、奇跡としか言いようがないことが起こった。
たまたまカラの処刑を耳にしたその都市の有力者から、「まだ幼子だ」という旨の口添えがあったらしく、大変寛大な措置として、その都市からの遠地追放だけで済んだのだった。
助かりはしたがあの事件以来、瞳は、ただ〈金色〉で〈光を放つ〉だけの「特異体質」、ということで押し通している。
闇夜で見えるにしろ見えないにしろ、蔑む周囲の眼差しに変わりはないのだが、嫌悪や侮蔑的発言を受ける以外の、要らぬごたごたに巻き込まれることは、とりあえず避けられている。
だが、ごたごたには巻き込まれないにしろ、濃い茶か黒色の瞳が多いこの南部オリアス地方では、光り輝く金の瞳など、奇異以外の何ものでもなく、また、そのような面妖な眼を持つ存在は、獣かこの世ならざる存在――たとえば闇森に住む魔物のような《名》も《影》も持たぬ存在だけであるという、古い伝承を頑なに信じ、次の代へ伝え続けている村人達にとっては、カラに対する態度は、至極当然の反応だったのだろう。
そんな伝えを信じきる主人が、雑用役とはいえカラを雇ったのは、小さな子供が住む家も食べる物もなくさまよっていることを憐れと思った、人の良いおかみと、この家の娘の口添えがあったからだった。
この場も、おかみと娘のとりなしで取りあえずはおさまったが、主人がカラへの疑いを捨てていないことは明らかだった。 三人いる見習の若者達が、遠くから楽しむように見ているのが目の端に入った。 若者達の忍び笑う声が耳に入り、悔しさで頭を上げられずにいると、自分の名を呼ぶ気遣わしげな声が、頭上でそっとささやいた。
「カラ、気にしないで。 父さんは古い言い伝えを信じる人だから、あんたの瞳をあんなふうに嫌うけど、私は綺麗だと思うよ」
顔を上げると、娘のフォーリンが憐れむような瞳で、カラを見つめ微笑んでいた。
オーレンでは珍しいフォーリンの青い瞳の中に、無様に座り込む自分の姿があった。
眩暈がした。 殴られた痛みが頭の芯を痺れさせ、何もかもが白く霞んで映った。 これらのことは全て誤解だと、自分の口から言いたかったが、口の中はからからに干からびて、ひとつの言葉も、ひっかかり出てこなかった。
その場を開放された後、カラはずっと灯りのない納屋の二階にこもった。 腹は鳴るが、食事を取りに行く気には到底なれなかった。
腹は食事を取りに行かないカラを責めるように、苦しげに不満の声を上げ続けている。
打ち身の痛みだけでも辛いのに、内側からまで、絞るような嘆き声と痛みを与えられてはたまったものではない。
「うるさいなっ。 僕が食べたくないっていってるんだから、お前もそう思えよっ。 お前も僕の一部だろう? くそ、くそぅ――」
目をぎゅっと閉じて藁の寝台の上に身を投げると、涙が溢れてきた。 鍛冶屋の主人の一方的な仕打ちへの憎しみ、自分を助けてくれた娘の憐れみの眼差しへの羞恥。 そして、そんな目で見られる自分自身への怒り。
何が一番自分を苦しめているのか分からなかった。 もしかしたら、もっと他のことが、自分をこんなに惨めな気分にしているのかも知れない。
こんな生活から、こんな自分から抜け出したい。 変わりたい。
ドロドロしたこの思いは、昨日今日生まれたものではなかったが、いよいよ大きく抑えきれないものになっていることを、カラはじりじりと感じていた。
この状況から抜け出すためには何が必要か。 カラはいつも考えていた。
――金?それとも、誰にも負けない力――
鍛冶屋の主人を、これまでにカラを罵ってきた人々を見返せるような、誰にも見下されないようなものになりたい。
具体的に何になりたいのかなんて、カラ自身も分からなかった。 ただ、周囲の人々を見返してやることができるのならば、何になるのでもよかった。
フクロウの声は途切れることなく耳に入ってきていた。
一回、二回、三回……。 我知らず回数を数えていたカラは、十を数え終えると、乾きかけた目元を袖口でこすり、寝台から跳ね起きた。 床に散らかしていた自分の持ち物を胸元に突っ込むと、ぐらつく梯子をすべるように降り、外に出た。
いまにも消えそうな細い月は、周囲のものを明るく照らし出しはしなかったが、大気には甘い春草の香りが満ち、その存在を自ら示していた。
カラは大きく息を吐き出すと、黒い森へと駆けだした。
次回、「2:〈闇森の主〉を求める」に続きます。